if in – 5

if inOP
この記事は約12分で読めます。

町の入り口からも見える巨大なピラミッド。頂上に巨大なワニが鎮座するその建物は非常に目立っていた。

「あれがクロコダイルが経営しているカジノか」

「すごくわかりやすいねー」

「海賊がこんな海から離れた地でカジノの経営とはな」

ローはピラミッドの見える方へと歩いていく。ベポは一歩遅れてその背を追う。

「あの中、調べるの?」

「あぁ」

「じゃあ、はい!」

ベポは前を行くローの左腕を掴み取ると、その手に自分の手を重ねる。そうして受け渡されたのは小さな電伝虫。盗聴を防げる貴重なものだ。電伝虫はベポが大切に育てているもので、ローと離れなければならぬ際には必ず渡すものだ。

潜入となればベポの姿は目立ちすぎる。こういう時、ベポは電伝虫から聞こえる音に耳を澄ませながら有事の際にいつでも駆け付けられるよう、できるだけローに近い場所で待機しているのだ。

ローはベポに一瞥を送る。傍から見れば愛想のかけらもない視線だが、その瞳は柔らかい。この目配せだけで二人の間では「行ってくる」「行ってらっしゃい」の挨拶となる。

ローは流れるような動きで左手を首元へと充てる。そうすれば手の中の電伝虫は慣れた道を歩くようにローの首元へと移動し、そこに待機して役割を果たす。

それを見届けながら、ベポがローと道を別れる。ローは振り返ることなく、ただこれから向かうピラミッドへと真っ直ぐ視線を向けて歩く。

まだ人もまばらな早朝。近づいてきたカジノの周囲は賑わっていた。いつから開店しているのか、または眠らぬ施設なのか、すでに賭け事に沸く人々がその入り口を出入りしている。

ローはそれに紛れ、カジノの中へと入っていった。

 

 

 

 

「なんで海賊が国の王になんかなりたいんだ?」

ローは精一杯に見上げて問う。まだ十二歳で背の低いローにとって、ボスであるドンキホーテ・ドフラミンゴの頭は遠く高い位置にある。この首が疲れる感覚は二年の歳月により、もう慣れたものだった。

ここはドンキホーテ・ファミリーの海賊船の中。北の海から偉大なる航路をも渡り、新世界に入ったところだ。

数多の海賊船が沈んだとされる海を越え、新世界が近くなってきた頃に、ドフラミンゴはファミリーに告げた。

『国を盗る。おれは国王になる』

口角を上げてにやりと笑ったボスの姿に、ファミリーは大いに沸いた。まるでこれまでの旅の終着点に至ったかのように、そこが最高の到達点であるかのように、船内は沸き立った。

この船には世界から奪われた者が集っている。そんな彼らは、自分たちの国を得て自分たちだけの世界を作れることを喜んでいた。

しかし、ローはその輪の中には入れなかった。同じ気持ちを共有できなかった。

ゴミの山の中にアジトを作っていた海賊如きが国を得るなんて、確かに夢のような話だ。でも――それがドフラミンゴのやりたいことだったと言うのなら、なんとも面白くない。

残り短い余命で、一つでも多く破壊することを望んでこの組織に入った。病気の餓鬼など使い捨ての駒にでもすればいい。ロー自身、それを望んでいた。それをきっかけに少しでも多く何かを壊せたならそれでよかった。たった一人では成しえない数の破壊を、自分を利用することでこの組織が成してくれるならばそれでよかった。そうなりたかった。

しかし、ドフラミンゴは何故かローに教育を施している。危険な前線に向けることは少なく、命の危険が迫れば首領自ら助けに来た。そうして、先のないローを使い捨てにすることなく、何故か先を見据えて育てている。

不思議な男だった。でも、どこか自分と共鳴するものがあった。だからこそ、惹かれていた。

この男も、世界を憎んでいる。

そして、子供であるローには到底及ばぬ知恵と力、組織。色んなものを自在に操り動いている。

いつか、何もかもをぶち壊してくれる人だ。ローが憎んだ何もかもを、きっと壊してくれる。だからそんな彼が、国を得て終わりにするとは思えなかった。

「不満か?」

ドフラミンゴは時々、直にローに教育を施す。山と積まれた本に手を置いて立つドフラミンゴ。彼を見上げ、ローは冒頭の質問を投げかけた。

ぐっと首を上げてドフラミンゴを見つめる。その視線の意味を見抜き、ドフラミンゴは笑った。

「フッフッフ。そりゃそうだろうな。国一つ掠め取ったくらいじゃ、到底足りねェよなァ?」

その不敵な笑みに、邪悪な笑みに、トクンと心臓が一つ鳴り、ローは安心した。

あぁ、やはりこの男は、世界を壊してくれるのだと

ドフラミンゴは笑みを収めると、ローをじっと見た。

「ロー……お前は賢い」

脈略もなく褒められ、ローは困惑を眉に乗せてドフラミンゴの視線を受け止める。サングラス越しでも、彼が自分をじっと見ているのはわかった。

「お前は世界をぶっ壊す為なら命も顧みない。……いや、世界をぶっ壊したくて仕方なくて、そこに命について考える余地もねェ」

「……当然だろ。どうせあと一年もすれば、おれは死ぬ」

「フッフッフ。そうだったな」

珀鉛病はローの体のほとんどを侵食した。もう顔にも大きく白い痣が広がっているというのに、ドフラミンゴは忘れていたかのように笑った。

「しかし、それだけ命が惜しくないなら……あの日、爆弾を首に引っ掛けたまま、そこらの兵士に突っ込んだらよかった。お前の家族を撃ち殺した兵士がいたかもしれないからなァ。……そこらの民家に突っ込んでもよかった。お前の国が滅びたことに胸を撫でおろして喜ぶ平民がいたはずだ。…………短絡的な奴ならそうする。だが、お前はおれたちのところへ来た」

「……」

「お前は知っていたんだ。そのちっぽけな命と爆弾で殺せるのは、運が良くて数十人だって」

ローの瞳が暗く沈む。そう、その通りだった。下手をすれば一人も殺せずに朽ちるだろう。

上手くいって数十人。それだけでは到底足りなかった。腹の底から沸き立つ憎しみを癒すに到底足りない数だった。ローが生き残るために潜り込んで踏みつけた死体の山。あれ一つにも満たない数だ。あの山はいくつも形成されて運び出された。そのうちの一つにも満たない数。――その程度では、とても足りなかった。

「だからお前は、僅かでも長く生き延び、一つでも多く壊せる選択肢を見つけたとき……それを見逃さずにこっちを取ったんだ」

再び、ドフラミンゴは口角を上げた。しかし、それはいつも見せる不敵な笑みとはどこか違った、思わず漏れ出たといった自然な笑みだった。不思議な感覚がした。

「お前は、世界を壊したいから」

ジワリと染みるような深い声音だった。

ローはドフラミンゴを見上げながら、こくりと頷いた。全部、彼の言う通りだった。

ドフラミンゴはまた喉を鳴らすように笑った。いつものあの特徴的な笑い方に戻っていた。

「フッフッフッフ。だから、おれはお前を見込んだ」

ドフラミンゴは近くにあった椅子を寄せると、それにどかりと座り込んだ。ずっと遠く見上げる場所にあったドフラミンゴの頭が近くなる。

「なら、お前にはわかるはずだ……おれ達は、世界を壊そうとしているんだからな」

「……」

にやりとドフラミンゴは笑った。無邪気な笑みだった。一緒に悪だくみをする子供のようにも感じた。遠い存在だったはずの男が、何故か妙に身近に感じた。

胸にじわりじわりと込み上げてくるのは、何だろう。喜び、ただその一言で表すには、もう少し荒く勇ましい感情だった。この二年間、ドフラミンゴはずっとローを右腕にすべく教育を施してきた。でもローはいつだってそんなドフラミンゴのことを酔狂だと思っていた。到底理解できないものだと思っていた。どうせ自分は死ぬのだから。彼の施しが理解できなかった。でも、もらえるものはありがたく貰うとばかりに、ローは無感情にそれを受け取ってきた。世界を少しでも壊すために。

でも……今、初めてドフラミンゴが本気で自分を見ているのだと、ローは受け止めることができた。憧れの男が、遠いはずの存在が、本当に、すぐそこに座って自分と話をしているのだと。

「国盗りも……ただの足掛かり?」

ローは静かにそう聞いた。それは願望でもあった。

ドフラミンゴは笑った。嬉しそうに。

「あぁ……その通りだ」

難問を解いた子供を褒めるような、そんな声で、ドフラミンゴは応えた。

「この下らねェ世界は憎々しいことにバカみてェに広い。たった一人でも、たかが一つの海賊団でも、ぶち壊せるもんじゃねェ」

そう。世界が敵だと知ったとき、その途方のない存在に絶望せざるを得なかった。

「だから……糸を張り巡らせる」

ドフラミンゴは両手を前に出すと、人差し指からツゥと糸を生み出した。それがドフラミンゴの悪魔の実の能力だ。

「あの国を拠点に裏取引を拡大させていく。蜘蛛の巣のように糸を張り巡らせ、情勢を操る」

人差し指だけでなく、全ての指から糸が生み出され、蜘蛛の巣のように糸を編んでいく。ドフラミンゴの手中にある蜘蛛の巣を見つめてから、ローはドフラミンゴへと目を向けた。

「ロー。戦争において武器の量がどれだけ大切かわかるか」

「…………銃が一つあるだけで、女でも不意を突けば兵士一人を殺せた」

それは、あの戦火の中にあったフレバンスにてローが見た光景だった。

蹂躙されるだけに見えるか弱い女も、たった一つの拳銃があれば武装した兵に一矢報いることができる。……その後、すぐに撃ち殺されたが、彼女は確かに戦力を一つ減らした。

「そうだ。戦う気概の人間がいても、無理やり徴兵したとしても、武器が足りないなんてことがよくある。農具をもって前線に駆り出される兵が五万といる。人数だけあって武器が足りず、何もできないままに一方的に殺されるなんてザラだ。武器を与えてやるだけで、戦争の勝敗は大きく変わる」

ドフラミンゴの声が響く。幼いローに、いずれ右腕となることを望み、教えを説くドフラミンゴの声が。

『戦争の勝敗を操れるということは、情勢を操れるということだ。武器を売り、情勢を操り、またそこを起点に新たな取引を拡大する。そうして少しずつ糸を繋げ、いずれ世界中におれの糸を張り巡らせる』

倉庫らしき部屋に木箱がいくつか積まれている。部屋の広さの割に荷物の量は異様に少ない。すぐ上階でのカジノの賑わいが壁越しに聞こえてくる。

『あの国は、その要になる。あそこから、世界をぶっ壊しにいくぞ……ロー』

足音を殺しながら木箱の前に立ち、ローは腰を折る。あれから十一年の歳月を重ねたローの横顔は、端正な大人のものとなっている。

ローは木箱の蓋に手をかける。砂漠を渡った木箱には砂が付着している。ざらりとした感触。それを横にずらす。

木箱の中には銃や弾丸が入っていた。

琥珀の瞳がそれをじっと見つめる。時々静かに瞼が落ち、また琥珀の瞳が覗く。ローはそっと木箱の中へ手を伸ばした。銃を手に取り、傾け、観察する。

ローをアラバスタまで運んだ商船、それを襲ったバロック・ワークスの船にも同じような木箱が積まれていた。中身は、同じ型の銃だった。この型の銃を、ローは他の場所でも見た。北の海でよく闇取引されていた武器に、同じものが混じっていた。

きっとこの武器は、あの男が張り巡らせている糸の一つだ。幾多もの糸が至る所に延ばされている。この国で起こりそうな内戦もまた、あの男が遠いかの地で操っているのだろうか。

十一年前、ローはあの男が世界を壊すだろう日を夢見た。伸ばされた糸が世界を飲み込み、破壊し尽くす日が来ることを。

しかし、今は――その糸を一つ一つ辿り、探し、時には切っている。

あれからどれだけの力を得たのか。どれほどの影響力を持っているのか。どこと繋がりを持っているのか。どれだけの戦力を得ているのか。どの糸を断てば、あの男の作り上げた巣をより多く破壊できるのか。

世界を壊したいと願っていたローは今、その夢を語り合った相手を倒すために動いている。

銃を握るローの手に力が入る。この銃の引鉄を引けば、パンと軽い音を出して簡単に命を奪える。ローの故郷の人々もそうやって数えきれないほど殺された。そして――ローの命と心を救った恩人もまた、そうやって殺された。

ふ、と息を吐き、ローは力を緩める。力の入れすぎで僅かに白くなった右手を見ながら、音を立てぬように銃を元に戻した。

武器の闇取引。その現場に忍び込んだ際、何度か耳にした言葉がある。

“ジョーカー”

それは恐らく、この闇取引を担う主の名。そしてそれが誰なのか、ローはもう確信している。

トレーボル、ディアマンテ、ピーカ……そしてコラソン。

ドンキホーテ海賊団最高幹部に与えられているのは、トランプのスートの名だった。

この国の内戦もまた、あの男の手の内にある。

箱を閉め、ローが体を起こした時だった。

「クロコダイルーーーーっ!! 出て来いーーーーーっ!!」

カジノの喧騒を突き破るような叫び声が轟いた。

あの声には覚えがあった。ナノハナで飲食店に突っ込んできた、あのおかしな海賊……Dの名を持つ男だ。

ローは顎に手をかけて思案する。

(麦わらの一味と共に居たのはこの国の王女だと、あの海兵は呟いていた。クロコダイルの元へ襲撃をかけているのか。……やはり、クロコダイルとバロック・ワークスには繋がりがある。内戦を引き起こそうとしている……?)

ローは形の良い眉を寄せ、身を隠しながら騒ぎの中心へと向かった。

周囲の気配を伺いなら、慎重に先へ進む。壁に隔たれていても、感覚を研ぎ澄ませればその先にうっすらと誰がいるのかがわかる。その視線の先すらも、壁を透かして見るかのように察知することができた。

ローの持つ悪魔の実の能力の中に、スキャンという技がある。目に見えない場所にあるものを感知し、取り除くことができる技だ。医療技術に特化しているこの悪魔の実の能力は、かつて自分の身を蝕んでいた病気をも取り除くことができた。そんな力を、今はもっぱらこういった潜入に使っている。スキャンを使って部屋の中にあるものを感知し、シャンブルズを使って自身と入れ替えれば、出入り口不要で潜入ができるのだ。

こんなことを繰り返していたからか、ローは今や能力を使わずとも不思議と人の気配を障害物関係なく察知できるようになっていた。

廊下に誰かいる。廊下を出ず移動するべく、部屋と部屋の間に能力発動の条件であるサークルを展開する。誰も人のいない二部屋の中でのみ広げる。

能力で作られるこのサークルを、人目に触れさせてはいけない。

この悪魔の実の特徴でもあるサークルは、知る人が知れば一発で何の能力者なのか分かってしまうだろう。

あの男は、今も尚、この悪魔の実の能力を求めている。

ローが偽名を使って旅を続けているのも、遠い北の海にて出会った数少ない友人を黙って置いてきたのも、全てそれが理由だった。

ローが数多の裏取引の場に赴き得た情報は、武器の売買ルートだけではない。

オペオペの実の能力者を、探している者がいる。

最初は北の海を重点的に。今や世界中で、オペオペの実の能力者がいないか探しているという噂を耳にするのだ。

探しているのは十中八九、あの男であろう。

あの日、オペオペの実を必死に探し、その実をローが食ったのだと知らされたあの男は、ローを自分のために死ねるよう調教するとまで言った。

あの男は恐らく、自分と出会う前からオペオペの実を探していたのではないかと、ローは思う。治るかもわからない子供を育てるなんて変な男だと思っていた。しかし、元からオペオペの実を手に入れるつもりだったから、ローの病気も治せることを前提に動いていたのだと思えば辻褄が合う。病気のガキがいようがいまいが、あの男はオペオペの実を手に入れるつもりだった。それだけの価値が、この悪魔の実にはあるのだろう。

あの島の事件後も、あの男は執拗にオペオペの実を探した。最初は北の海を、そして今や世界中で糸を張り巡らせ、オペオペの実の能力者がかからないかと待っている。

(不自由なことこの上ねェな)

自嘲の笑みを浮かべ、ローは壁の向こうの小石と自らを入れ替えた。

こいつらはジョーカーと繋がりを持っている可能性が高い。いつも以上に能力の使用には慎重にならなければ。

廊下の気配を伺えば、バタバタと凄い勢いで誰かが走っているのがわかる。聞こえてくる声で、それが麦わらの一味であることもわかった。この施設の従業員は、麦わらの一味を案内しているようだ。「こちらへどうぞ!」と謎の声掛けをしている。

あからさまな罠だろうに、麦わらの一味は案内されるままに廊下を走り抜けたらしい。そのめちゃくちゃな猪突猛進っぷりはナノハナでの飲食店ロケット侵入事件を彷彿とさせ、ローの表情はなんとも苦いものになった。

やがて、ガッシャーーーーンッ!と耳を劈くような音がした。

施設の従業員達から小さな笑い声が聞こえる。

(……何なんだ……? あいつらは)

ナノハナで見かけたときとなんら印象が変わらぬまま、されどこの国の裏事情に深く関わる謎の海賊。ローにとって重大な情報が潜むこの場に現れた彼らの存在に、ローのこめかみから僅かな汗が落ちた。

Comment