「ドクター、なんか騒ぎになってるみたいだよ?」
考え事をしながら歩いていたローの耳に、ベポの呟きが届く。言われてからしばらく歩けば、ローにも町のざわつきが届いた。
そこには人集りができていた。物珍しそうに集まった割には、妙に遠巻きに何かを――建物の中を見ている。
件の建物へと目を向ければ、そこにはローが探していた酒場を示す看板があった。
「砂漠イチゴを食べちまったんじゃねえかって話なんだ」
ぼそりと、周囲の人間が囁きあうのが聞こえた。
「あれは死後伝染しちまう毒だ。近づいちゃまずい……」
「あんな唐突に死んじまうのか……」
周囲の声にベポの耳がぴくりと動く。ベポは無言でローへと顔を向ける。ローはつまらなさそうに目を細めた後、躊躇いなく店へと歩きだした。
人垣を超え、店へと向かうローに周囲の人間が慌てる。
「お、おい! 君! 危ないぞ!」
ローは周りの静止など聞こえていないかのようにつかつかと歩く。ベポもまた、当たり前のようにその背に続いた。
ふと、ローの目がぴくりと動く。人に遮られなくなった視界に、騒ぎの元凶の姿が映る。上半身裸の男がカウンターに置かれた飯に顔を埋めていた。その背には……堂々とジョリーロジャーが彫られている。
それでも、ローの足は止まらなかった。
開きっぱなしのドアを超え、店の中へと入る。カウンターの奥には狼狽える店主の姿がある。彼は近づくローへと目を向けた。
「あ、あんたこの人の知り合いかい?」
「いや」
即座に否定しながらローは鬼哭をベポへと渡すとカウンターに突っ伏す男の隣へと立った。そして男に体を近づける。
「ちょ、あんた」
外の人間同様、ローの身を案じて静止の声を上げる店主。そちらへ目を向けることもなく、ローは告げた。
「おれは医者だ」
やけに深く染み入る声だった。静かな声で、特別威圧を感じるようなものでもなかったというのに、それだけで店主は息を呑んで黙った。
誰も近づかぬ倒れた男に、ローだけが近づき彼の肩に触れる。今やこの場を動かせるのは彼のみで、誰もがそれを理解し成り行きを見守る。先ほどまで騒めいていた周囲の声すらなくなり、緊張感の籠る静寂がその場を包む。
そんな中、じっと真剣に上半身裸の男を見つめていたローは、徐に腕を振り上げ、そして――。
ゴンッ!
「えェえええーーーー!?」
静寂は一気に掻き消された。
それもそのはず、医者と名乗った彼は思いっきり拳を振り上げ、それを件の男の頭に振り下ろしたのだ。
「おい、あの兄ちゃん本当に医者かよ!? 患者殴ってんぞ!!」
「おい、起きろ」
一気にざわつきが戻った中、ローは呆れたように瞼を半分下げ、冷たい目を殴った男へ向けていた。そして、先ほどまで肉を持つ手も固まっていたはずの、騒ぎの原因が動き出す。
「いってェなぁ……なんだよぉ……」
「エッ!? 生き返った!?」
「ま、まさか、今のがあの兄ちゃんの蘇生術なのか!?」
あわあわと周囲が何重もの驚きに忙しくする中、変わらずローが開き切らない瞼で「んなわけねェだろ」と答える。
「あぁ? なんだなんだ?」
男は口の中に入っていた飯をもぐもぐ噛みしめながら、帽子を抑えるように手を当て周囲を見回した。そのあまりに呑気な様にとうとうローの口から重いため息が出る。
「あんたが食事中に突然寝ちまうから、騒ぎになってたんだよ」
「ね、寝てたァああああああ!?」
「あぁ……よく寝たなぁ」
周囲の人間の口はことごとく顎が外れているのではというほど縦に大きく開かれていた。もう言葉もないのだろう。
ロー自身も呆れてこれ以上言葉が出ない。あれだけ緊張感に満ちた場で、毒で死んだやもしれぬと言われていた男が……いざ診てみれば呑気に寝ていただけだったのだから。
ローからの冷たい視線をものともせず、男は先程まで顔を埋めていた飯を口にかきこみながら、店主に向かって「なんだ、面白い顔してんな。あいつら」と顎の外れた周囲の人間に親指を向けている。
「いや、あんた……突然気絶しちまうから、みんなあんたが死んだんじゃないかって心配して……そこのお医者さんがあんたを診てくれたんだよ」
店主からおずおずと説明が入る。こんなことで医者として自分を紹介されることがバカらしく感じ、ローは内心(やめろ、おれを話題に入れるな)と呟いた。
はぁ、と再びため息をつき、ローは呑気に寝ていた男からわざと椅子を離してからカウンターの席へと着いた。その左隣にベポも座る。周囲の野次馬たちも安堵と呆れと笑い交じりにゆるりと解散され、まだ浮足立っているような雰囲気は残っているものの、ようやく酒場に平穏が戻った。
「あー、なんだ、騒がせたみたいで悪かったな」
「……」
右隣に座る寝ていた男から声がかかる。ローはそちらへ目を向けることなく、メニューへと手を伸ばして適当に開く。男はそんな素っ気ない態度に引くどころか、椅子をローへと寄せた。わざわざ離した距離を詰められ、ローの右眉がぴくりと動く。
「なぁ、あんたこの町の住人ってわけじゃないんだろ? 旅してんのか?」
飯を食いながらも興味津々で男は言う。彼の目はローに向きつつも、一度だけその奥にいるベポへと向けられた。ベポはマスターにドリンクを頼み、両手でコップを掴んでストローからちゅうちゅうと吸っている。砂漠に在住する白熊などいるわけがない。ローとベポが旅人であることは簡単にわかったのだろう。
「あぁ」
ローはメニューへと視線を落としたまま短く肯定した。そんなローの視界にぬっと紙が差し込まれる。
海賊の指名手配書だった。
男の意図が分からず、ローはようやく彼に視線を向ける。そうすれば男はニッと笑って言った。
「あんたさ、こいつを見てないか? この辺の海にいると思うんだ」
手配書をとんとんと指で叩きながら男は言う。同時に店主にも声をかけて訪ねた。男と店主が会話する中、ローは手配書に書かれた名前を読み上げる。
「……モンキー・D・ルフィ……?」
「あぁ。探してんだ」
先ほどまで素っ気ない態度をとっていたはずのローは、黙したまま二度瞬きをしつつ手配書をずっと見ていた。
「……麦わら帽子……」
「そうそう。いっつも肌身離さずこいつを被ってる」
ローの目が僅かに伏せられ、その指がそっとDの名に触れる。すぐその指はするりとなぞるように麦わら帽子まで移動された。
「麦わら帽子を被ったジョリー・ロジャーの船なら見たぞ」
「ん! マジか! どこで!?」
身を乗り出してローへと詰める男。人懐っこい笑顔を見せる彼を、ローは値踏みするように目を細める。
隠すどころか誇らしげに晒す背中のジョリー・ロジャーは、ここよりも更に先の海、新世界に君臨する四皇の一人、白ひげが率いる海賊団のものだ。更に言えば、ローの記憶が正しければこの男はその二番隊隊長。
一体そんな大物が、この前半の海になんの用だというのか。それは、この近辺のキナ臭い裏社会の闇に関わることなのか。
はて、どう情報を聞き出したものかとローが顎に手を当てたところで、ピリリと肌に刺さるような敵意が酒場に入り込んできた。
「良くもまぁ、公衆の面前で飯が食えるな」
低く唸るような声に、ローと男はそっとドアの方へと目を向ける。
左手でドアを押しのけ、右手は背中の得物をいつでも引き抜けるように構えた状態で、銀髪の大柄な男がこちらを、いや、白ひげ海賊団の男を睨みつけていた。
(なんだ? 海賊か?)
突如現れたとてもカタギには思えぬ風貌の男に、ローは顔を顰める。海賊同士のいざこざに巻き込まれるのはごめんであった。しかし、席を離れる前に銀髪の男にぎろりと睨まれる。
「その隣のは、てめェの仲間か?」
(ゲ)というのが瞬時に浮かんだローの心の声であった。しかしローが反応を返す前に、隣の男が首を横に振る。
「いんや。たまたまここで会っただけさ」
ぐるりと椅子を回し、白ひげ海賊団の男は銀髪の男の方へと向かい合う形で座る。両肘を後ろのカウンターにかけながら余裕の笑みだ。挑発しているようにすら見えるその姿に、銀髪の男はフンと鼻を鳴らした。
「おい、そこのお前、本当にそうなら大人しくしていろよ」
ぐっ、と銀髪の男は背中の得物を握る手に力を入れる。この男が現れてから重くなっていた空気が、ぶわりと広がる殺気によって更に重くなる。
「その男は、海賊だ」
一触即発の空気の中、ローは目を細めた。
(……海兵か)
ローは海賊の男から僅かに身を引いた。その行動が海兵の言葉に対するローなりの答えである。海兵はローを一瞥した後、再び海賊のみをじろりと睨みつける。
「白ひげ海賊団の二番隊隊長が、この国に何の用だ。ポートガス・D・エース」
海兵が海賊の名を呼んだ瞬間、酒場内の空気が一気にざわついた。
「し、白ひげ!?」
「白ひげの一味なのかよ、あいつ!?」
「なんでこんなところに!?」
白ひげは、かのゴールド・ロジャーに並ぶ大海賊だ。その隊長格など、本来はこのような偉大なる航路前半の海にふらりと現れるような存在ではない。酒場の店主も開いた口が塞がらない様子である。
ローは彼らから体を背けつつも二人の動向に注視する。
エースは酒場のざわつきにも、自分の名を暴いた海兵にも動じることなく、にっと笑って言った。
「弟を探してんだ」
エースは余裕の笑みであるが、場の空気は重い緊張感で満たされたままだ。
海賊と海兵が会話を交わす。その間、ローはどうやってこの場を去ろうかと眉間に皺を寄せていた。
あの海兵、海賊であるエースの言葉を真に受けて居合わせた自分を見逃すようなことはしないだろう。面倒な尋問が待っているに違いない。想像するだけで反吐が出る。さっさと民間人の迷惑にならぬ場で喧嘩でもおっぱじめてくれないだろうか。その隙に去りたい。
そうやって考えを巡らしていた時間は一分あったかどうか。そのほんの僅かな時間の間に、爆発寸前のこの場の空気は突き破られた。
どこか遠くから何やら妙な叫び声が聞こえる。雄叫びと言うべきだろうか。しかし、その割にはどこか気の抜けそうな不思議なトーンの声だった。そんな遠くにあったはずの声が瞬時に近くなっていき、ドゴン、という物音を立てて酒場に突っ込んできたのだ。
それは店のドアを壊して突き破り、その唯一の出入り口を遮るように立っていた海兵の背中にぶち当たった。
それに背中を思いっきり押され、海兵の体が弓のようにしなりながら、それでも殺しきれぬ勢いで前へ、前へ。
それは海兵に真っ直ぐ対峙していた白ひげ海賊団二番隊隊長にそのまま突き進み――。
何故だか一瞬のはずのその出来事が、コマ送りのようにローには見えた。逸らしていたはずの顔を、あの謎の雄たけびの聞こえた出口の方へと向けたから、一部始終を無駄に見ることになった。
麦わら帽子を被った少年とも言えそうな若い男が、何故かロケットで飛ばされたかのように、いや、自身がロケットの弾そのもののように、酒場のドアを吹き飛ばしながら突っ込んできたところ。それを背中から受けた海兵のしかめっ面だったはずの顔が、驚愕と痛みで口を大きく開け、目玉が飛び出るかのようになったところ。そしてそれがそのまま目前にと迫る白ひげ海賊団の男が、同じく驚愕に目を飛び出しそうになりながら、あまりに突飛すぎる出来事に成すすべなく海兵の巨体と共に吹っ飛ばされていったところ。
この場の空気を極限まで重くしていた海賊と海兵は、そのまま店の壁を突き破ってその殺気だった空気ごと吹っ飛ばされていった。
さすがのローも、これには目を見開いて固まった。ローの席のすぐ隣、エースがいたはずのカウンターは大きな穴が開き、その前にあの麦わらの少年が満足げに「ふー」と言って立っている。
「めっしだァああぁあああああ! おっちゃん! 飯! 飯飯!!」
そうして何事もなかったかのように穴の向こう側の無事な席に座り、ダンダンとカウンターを子供の様に叩いている。
酒場の誰もがあんぐりと口を開けて少年を見ていた。店主もそうだ。あまりの出来事に言葉が出ない。
恐ろしいことに少年は悪気など一切ない笑顔で飯を強請る。突如その顔がくるりと直角に曲がりローの方へと向いた。そこでようやくローはハッとする。あまりの出来事に自分の時が止まっていたことを自覚した。
「なんだ? そのシロクマ! でっけェ! なんで服着てんだ? おもしれー!」
少年は顔にありありと好奇心を浮かべてこちらを、いやローのその奥にいるベポを見ていた。ベポを奇異の目で見られることは珍しくないが、こうも無邪気な目を向けられるのは珍しい。不思議な感覚を得ると同時に、ローはその少年が先ほど見たばかりの手配書の男であることに気づく。
ローとベポの方を見ていた男、モンキー・D・ルフィは、しかしすぐに飯へと気を取られて顔を店主の方へと戻した。店主は自分の店に大穴開けられたことを理解しているのかいないのか、ぎこちない表情で料理を彼の前へと置いている。すぐさま彼はそれを口の中へとかきこみ始めた。
「うんめェ~~~! すげェうんめェな! この飯!」
「あ、あぁ、ありがとう……。な、なぁ……君……でも、その、逃げた方がいいんじゃないかい?」
店主がひきつった笑みを浮かべながらルフィに話しかける。その言葉を聞いて再びローはハッとした。そうだった。いつまでもこのなんだかものすごくヤバい少年を呆然と観察している場合ではないのだ。
ガタンと音を立ててローは立ち上がる。同時にカウンターへ適当に金を置いた。釣りが返ってくる金額だが、受け取る間が惜しい。
「行くぞ」
「アイアイ」
すぐにベポも反応し、飲みかけのジュースを秒で吸ってローの後に付く。
ガツガツモグモグとけたたましい咀嚼音を背に、二人は無事、ドアのなくなった酒場を抜け出すことに成功した。
酒場を出て間もなく、口をハムスターのように異様な膨らませ方をした麦わらが猛ダッシュで酒場を飛び出し、そのあとを異様な煙を出しながら海兵が追っていく様を二人は目にする。
嵐のように現れ、嵐のように街を走り抜けていく姿に、二人はまた少し唖然としながらその光景を見ていた。
「……なんか、すごいやつだったね」
「…………あぁ」
Dは嵐を呼ぶとは聞いたが、なんか思っていたのとちょっと違う気がすると密やかに思うローであった。
あのギャグシーンめっちゃ好き。
ロギアなんてなかった。
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このような辺境の地にわざわざお越しくださいありがとうございます!
妄想書き殴りばかりですが、お気に召して頂けたようで嬉しいです。
コメント残してくださりありがとうございます!