漆黒の海

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坊ちゃん記憶喪失リオン化ネタ

カンカンに太陽が照りつける中、子供のはしゃぎ声が聞こえてくる。

太陽の光により更に眩い金髪と、緑溢れるこの地にふわりと咲いた花のような少女

二人が走り回るのを少し離れたところで他のメンバーが見ていた。

そして、更に離れた木陰で骨の仮面を被った少年が呆れた表情で立つ。

 

歴史を元に戻す長い旅が終わった。

それらは、戻ってきたら一瞬にしか換算されないものだったが、彼らの中では色々なものが変わったものだ。

 

ウッドロウにレンズの行方を報告したその後、カイル達はこれといった目的がなくなった。

レンズの力で場所から時間まで好きなように移動できるエルレインの所在をつかめなくなったのだ。

 

彼女から行動を起こさない限りこちらは何も出来ない。

こればかりは仕方が無いだろう。……だが

 

(だからといって、何故思考が娯楽に行くんだ…)

 

ジューダスは楽しそうに跳ねる金髪を呆れながら見て思った。

 

エルレインが居そうな場所を手当たり次第に周った後、何も手がかりが無く、イクシフォスラーで飛行している時、いきなり直ぐ後ろに座っていたカイルから声が上がったのだ。

「あそこで休憩しようよ」、と

そこは180度海が見渡せるような、波により反り返った崖の上に開けた草むら。

町で休めばいいだろうという反論も、ちょっとした気分転換だと駄々をこねたカイルの意見にロニが加勢して消されてしまった。

 

そして、今こうしてカイルとリアラは海が見えるこの場所ではしゃいでいる。

呆れたアメジストの瞳に、金髪の少年の姿は四英雄の一人と重なったことだろう。

漆黒の少年は木陰の中で一つため息を付いた。

 

(思えば、スカタンと旅をしたときも、ため息の数がいつもの何倍にもなっていたな)

 

ふとジューダスの脳裏に浮かんだ思い出の欠片。

ため息の数が増えたことを指摘したのは、彼の相棒だった。

 

そう思い至ったところで、ジューダスは小さく首を横に振った。

最近何かとシャルティエのことを思っては感傷するの繰り返しだった。

 

シャルティエを失って哀しいというだけでなく、何故か孤独感が拭えなかった。

 

(あんな騒がしい奴らがすぐ傍にいるというのにな)

 

遠くから金髪を眺めながら思う。

だが、余計にその気持ちは強くなっていった。

 

いつも警戒心の固まりである彼が、気配に気づかなかったのは、そんな自身の気持ちに戸惑っていたからかもしれない。

 

「うわぁぁっ!」

「カイル!?」

 

僅かにはしゃぐ彼らから目を離したとき、二人の叫び声が聞こえ、ジューダスは急いで顔を上げる。 だが、そのときには既に崖に僅かな影が見えた程で、バシャンと水を叩きつける音がした後、崖上の先に残ったのは唖然とするリアラと崖際に駆け寄る他のメンバーだけだ。

 

「カイルーっ!」

 

ロニが崖の先端まで走り、座り込んで海を覗き込み叫ぶ。

ジューダスもすぐにロニの横に立ち海を見下ろした。

一箇所だけ泡がボコボコと浮いている。カイルがモンスターか何かによって海に引きずりこまれた跡だろう。

 

ジューダスは後ろにいるハロルドへと視線を投げる。

何かを言う前に彼女はこくりと頷き、ナナリーとリアラを連れて崖とは反対方向へと走った。切り立つ崖より少し離れたところに砂浜があるのを確認済みだ。海に落ちたカイルを追い、戻るならばそこになるだろう。

 

そうしている間に、また大きな水面をたたく音がした。ロニが崖から飛び降りたのだ。

ジューダスもまた、それに続こうとする。

だが、ぶくぶくと泡が浮いてくる水面を見て、その体が強張った。

 

コポコポコポと、まだ潜ってもいないのに水の音が頭に響く。

空を映す青い水面が、何故か暗い海底を映しこむ。

ジューダスは頭を振ってそれを退けると、足を止めた理由のように、晶術の詠唱に入る。そして、詠唱を終えると僅かに眉を寄せた後、崖から飛び降りた。

 

動いた為、晶力が散っていくのがわかる。

潜った衝撃による泡が邪魔だったが、辺りを見渡せば黒い大きな影を見つけた。

近くに銀髪も見える。

 

ロニは水中で動きが鈍くなりながらも懸命に長斧を振り、何かと戦っていた。

よく見れば、大きな影からは何本もの触手のようなものが生えている。

どうやら、タコのようなモンスターらしい。その一本にカイルの足が捕まっていた。

 

カイルは大分深く引きずり込まれている。

今もそのスピードは速く、どんどんカイルの姿が暗くなっていく。

ジューダスは一先ず詠唱していた術をモンスターよりも少し海上のほうに合わせて発動した。

 

黒い固まりが水中に現れる。

ネガティブゲイト。不完全なものではあるが、術にモンスターが引かれ、僅かな時間稼ぎにはなった。

その間に、ロニが更にもぐりこみ、またカイルが捕まっている足の一本へと斧を振るう。

当のカイルは既に息が続かなくてなっており、剣を振るう余裕もないようだ。

 

そして、ジューダスはロニ達のほうへと泳ぎ、空いていた距離を埋める。

晶術の効力が消えたとき、ロニが突然ジューダスのほうへと浮き上がってきた。

どうやら、モンスターに攻撃されて此処まで飛ばされたらしい。

今もカイルが捕まっている足はそのままだった。

 

ジューダスはもう一度潜ろうとするロニの襟を捕まえ、水面へと引き上げる。

驚いたロニがじたばたもがくが、睨みつければ少し大人しくなった。

浮力の力も借りて水面へと上がる。

 

「ぶはっ……はっ……てめ、何すんだよ!」

「水中で斧は無理がある。学習しろ」

 

予想通りに怒鳴りつけるロニにジューダスがぴしゃりと言い放つ。

それでも彼の焦りからくる怒りは静まるはずが無く、拳で水面を殴り音を立てた。

 

「じゃあどうするんだ!このままじゃカイルが溺れちまうだろうが!」

「晶術にしろ」

「晶術って…立ち泳ぎしながらやれってか!?集中できるわけねぇだろ!」

「喚くな。そうやって焦っているから集中できないんだ、助けたいなら静まれ」

 

それだけ言うと、ジューダスはもうロニなど居ないかのようにその後の彼の言葉は全て無視し、晶術の詠唱にのみ集中した。

ロニもそんなジューダスに何とか冷静さを取り戻し、同じように詠唱し始める。

 

もう一度、ジューダスは海の中に潜った。

既に大分離れたところに金髪が見える。

意識を集中させ、足の一本を見定めると、風の晶術を解き放った。

 

それは水の中でも鋭い刃となり、カイルを絡めとっていた足を一斉に切り落とす。

浮き始めるカイルの体を、また残りの足が追いかけるが、それを今度は光の刃が遮った。

その間にジューダスは深く潜り込み、カイルを掴む。

一緒に海面へと浮上しようと思ったが、視界の端にモンスターの足の陰を見つけ、カイルから手を離した。ロニは近い、このまま浮力に任せておいて大丈夫だろう。

 

海の中、どこまで通用するかわからないが双剣を抜く。

すぐそこまで来ていた足の一本を受け止め、軽く剣を振るうが、やはり腕はいつもの何倍も重く、動きが鈍る。

上を向けば、ロニがカイルを既に海面まで引き上げていた。

それを見て、これ以上の水中戦は無駄と判断し、何とか海から上がろうとジューダスも海面へと向かった時

 

(…………っ!)

 

その小さな体が激しい潮流に揉まれた。

 

それはこの上ない恐怖だった。

ゴボゴボゴボ、と水の音がする。海水が濁り、それと共に流される。

 

脳裏に浮かぶのは、暗い暗い海の底

這い上がってくる海水。崩れていく洞窟。

自然以外何も無い、たった一人取り残され、もう見ること適わぬ空を仰ぐ

 

体が恐怖に強張り、思わず目を閉じる。

同時に、足に何かが巻きついた感覚があった。

闇の世界へと、引きずり込まれるようなそれに、目を見開く。

 

どんっと腹に強い衝撃が入り、空気が海の中、泡となり零れていった。

突如暗くなる視界に、目を細める。

不意に、濁って光るものが視界に映り、離さず握っていた剣を目の前のそれに大きく被りを振って突き刺した。

その行動は、普段の冷たい氷のような冷静さから放たれる一撃にはほど遠い、本能が突き動かす、恐れからくる自己防衛。

激しい潮流に全ての感覚が狂わされ、完全に混乱していた。

 

ぐぐっと数々の足がその場所に向かって縮みこむように集まり、そして暴れだした。

血が煙のように噴出す中、今度は背中を大きく打たれる。

同時に激しい流れにまた体が流された。

 

海に遊ばれているかのように体が踊る。

どこからともなく聞こえてくる海の音が、ただ暗い海の底が、何かを壊していく。

 

(……っ!)

 

洞窟の崩れる音が聞こえてくるのは幻聴?

 

ゾクゾクと体の奥底から這い上がってくる恐怖に体は強張るばかりで、暗い海しか眼に入らぬ視界は役に立っていない。

持ち前の冷静な判断力を持つ脳など今はカイル並かそれ以下だ。

 

暗い世界に唯一人残された感覚。

ここは、自分にとって孤独と絶望の象徴。

 

(シャル………)

 

唐突に、壊れた頭の中に浮かんだ一つの名詞。

それは一度思いつくと、もうそれしか無いかのように、海水に奪われた声の変わりに胸の中で呼び続ける。

 

(シャル、シャル…シャル…っシャル…!)

 

彼がどこへ行ったかなど、思い出す間も、考える間もない。

ひたすら彼を求めた。

 

いついかなるときも、完全な孤独からギリギリのところで逃れることができていたのは、彼がいたから。

 

全てから切り離された、世界から捨てられた、暗い暗い海の底

いつかの時は、それを命綱かのように握り締めていた。

だが、今はどれだけ腕を振り回そうと、海水を掻くだけだった。

 

(…シャル……)

 

ドクンと一際強く心臓の音が聞こえた気がした。

いつからか、ぽっかりと心の中に口をあけている穴が、自分を飲み込んでいく。

 

―坊ちゃん

 

(呼んで欲しい)

 

懐かしい記憶が引き出す、自分を呼ぶ彼の声

 

―坊ちゃん

 

(呼べ…呼べ…っ………シャルっ!)

 

だが、それは全て記憶の中のもので、声が返るわけが無い。

 

―………

 

(何で聞こえない…っ!)

 

この海の中ではもう、彼しか僕を呼んでくれないのに

 

何かが顔に当たる感覚がした。

どこか遠くで、誰かが必死に叫んでいる。誰かを、呼んでいる?

 

ふと、酷く苦しくなって、体が跳ね上がる程に咳き込む。

胸が苦しくなり、仰向けに寝かされていただろう体を横にして咳き込み続ければ、喉から水が吐き出される。

 

体のあちこちが何だか痛い。

 

「よかった、ジューダス!ジューダス、大丈夫?ジューダス!」

 

急に遠かった声が直ぐ近くで大きく響く。

そっと肩に暖かい感覚がした。

また仰向けに反され、霞む視界に金色が輝く。

それはとても綺麗だったが、自分の求めているものじゃなかった。

 

金じゃなくて、銀色の…綺麗な刀身をした、一番に話しかけてくれる……

 

だが、聞こえてくるのは違う声ばかりで、胸が苦しくなっていく。

 

「ジューダス!」

 

…違う。この声ではない

何より、彼が叫んでいる言葉に頭が痛くなった。

 

違う、違う。違う…

 

―坊ちゃん

「ジューダス!」

 

求めるものと、煩く響く声は到底合わさるものではなくて、

 

煩い…

 

「ジューダス、しっかりして!」

 

ジューダスって……誰…

 

人の気配を感じる。

喋り声、物音、遠くから聞こえてくるようなその感覚に少しずつ覚醒を促される。

重たい瞼をゆっくり開ける。

すると、また黄金が広がった。

 

「ジューダス!よかった」

 

すぐ近くでいきなり大声を出され、眠気が吹き飛んだ。

覚醒した脳は視界に移る黄金から、人が直ぐ近くに居ると認識する。

体は反射的に動いた。

 

バッと音を立ててかかっていただろう布団を跳ね除け、金髪の少年から逃げるように離れる。

背中に壁の感覚。少し強めに背を打ちつけたが、その衝撃よりも体中に走った鈍い痛みのほうが強かった。

 

「あ、ダメだよジューダス動いちゃ」

「おいおい、大人しくしろって、お前あちこち岩に体ぶつけてたんだから」

 

胸や背中に特に来る痛みに思わず背を丸くする。

銀髪の青年の言葉に、自分の状態を理解し、動いたことを少しばかり後悔した。だがそれでも目の前の少年から少しでも距離をとるほうが自分にとっては大切だった。

 

金髪の少年が慌てたようにこちらに手を伸ばしてくる。

それを手で振り払い、少年を睨みつけた。

周りの者は全て敵。そんな世界に身を置いている自分にとっては当然の反応なのだが、少年は目を丸くし、その後眉を八の字にする。

犬の耳があればしゅんと垂れているだろうその姿に僅かに罪悪感が芽生えた。

 

「ご、ごめん。俺の不注意だよね、ごめんね」

 

少年の言葉に疑問を感じる。

その謝りようは、不意に手を伸ばしたことへの謝罪にしては重過ぎではないだろうか。

こいつは、何を謝っている?

 

ざっと辺りを見回す。

民家にしては家具が少ない。どこかの宿だろうか

そして、目の前には金髪の少年、その少し離れたところに銀髪の青年、その横に赤い髪の女。

二人部屋と思われるこの部屋に、妙に人が多い。

 

一体何が起きたのか

そこでようやくシャルティエが居ないことに気付く。

いつも共に居る彼ならば、自分がたとえ意識を失ったときに何かがあったとしても、その間のことを聞く前に説明してくれる。

なのに、今は彼の姿すら見当たらない。

 

「あの、ジューダス……?」

 

沈黙の間に耐え切れなくなったのか、金髪の少年が恐る恐る話しかけてくる。まだ怒っているのだろうか?そう言いたげな表情。

だが、今はそんなことよりも、彼が言うジューダスという言葉に首をかしげた。

そういえば、起きたときもずっと、そう呼ばれていた気がする。混乱していたから気に留めるのが遅くなった。

 

「……何を言っている?」

「え?」

 

問えば、短い言葉で聞き返されて苛立った。

聞こえなかったからではなく、意味が分からないから聞き返されている。

そしてそのことは理解できない現状への苛立ちに拍車をかけた。

 

一先ずこの頭の悪そうな餓鬼を置いておいて、自分が今掴んだ情報をある程度整理することにする。

 

まず、何らかのことがあって自分は怪我をした。

そして恐らく彼らが助けてくれたのだろう。親切心からか、何か理由があるのかは知らないが……それならそれで起きたときに何らかの説明くらい入れろ、と助けられた身でありながらも思う。

 

「あの……ジューダス?」

 

とりあえずあらかたの情報をまとめれば冷静さを取り戻すが、やはりその言葉は自分を苛立たせた。

 

「僕はジューダスなんて名前じゃないぞ」

「…え?」

「人間違いじゃないのか」

 

そう言えば、少年だけでなく、他の者も目を丸くする。

あぁ、速く誤解を解いて情報を聞き出したい。

とりあえず、これで誤解を解くことができそうだ。何を誤解されているのかよくわからないが、関係ないだろうと括った。

 

一瞬の間のあと、銀髪の青年が口を開く。

 

「おいおい、お前寝ぼけてんのか?」

「……僕の名前はリオンだ。リオン=マグナス。ジューダスなど知らない」

 

そう言い切ってやれば、完全に沈黙が降りた。

冷静な言葉は、予想以上に部屋に居るものに衝撃を与えたらしく、自分は一人訝しげな表情を浮かべるしかなかった。

完全に凍った空気の中、それでも構わずにジューダスは言った。

 

「……此処は何処か、教えてもらえるとありがたいのだが」

 

その言葉にロニはこの空気を破らんかのように大げさに笑った。

 

「おいおい、いくらなんでも寝ぼけすぎじゃね」

「いい加減にしてくれないか…」

「……マジかよ」

 

冷たい言葉にロニは額に手を当てる。

激しい潮流にジューダスを見失ったときは、もうだめかと思った。

なんとか海の中から命がけでジューダスを見つけたときもすでに息をしていなくて、そんな絶望的な状況を何とか乗り越えることが出来たというのに

 

「記憶喪失…ってやつかい?」

「あーーーもうっ!どっかで頭まで強く打ち付けたのか!」

 

ロニが苛立ちからか、両手で頭を抱え叫んだ。

その様子にリオンは表情を険しくする。本人はいたって正常のつもりで居るため、いきなり記憶喪失者扱いされ、結局は次の話にも進めもしないことで苛立ちは頂点まで来ていた。

 

「……おい」

「ジューダス!」

 

低い声でリオンが彼らを呼ぶが、それに重なるようにカイルが身を乗り出して彼の名を呼んだ。当然、リオンはまたそれに苛立つ。此処までくれば落ちた鉛筆にすら怒りの声を上げれるだろう。

 

「ジューダスなんて知らないと…!」

「俺の、俺の名前は!?俺達のこともわからないの!?」

 

カイルが泣きそうな顔でジューダスに縋りながら叫ぶ。リオンはその姿に少し怒りを削がれたが、それでも顔を背けて冷たく言い放った。

 

「ジューダスなんて名前も知らなければ、お前達のことも知らない」

 

青い瞳が大きく横に揺れた。

それを見ないようにして、もう一度リオンはロニとナナリーのほうに向けて口を開いた。

 

「此処は何処だ」

「あ?…あぁ……えーっと、町の名前は見てなかったなぁ」

「ダリルシェイドとアイグレッテの丁度中間辺りにある小さな町だよ」

 

ロニに代わってナナリーが簡単に説明すれば、リオンは僅かに眉を寄せたあと、「そうか」とだけ言ってゆっくりとベッドから降りて立ち上がった。

 

「お、おいどうすんだよ」

「世話になった、もう出る」

「おいおいおい、ちょっと待てって!」

 

立ち上がった少年をロニは無理やり肩に手をかけてまたベッドに座らせた。

第一、彼は怪我人だ。

当然リオンはその手を一度払ったが、ロニに力負けして座らされ、彼らを睨みつけることしかできなかった。

 

「何なんだ…」

「だからお前記憶喪失なんだって!」

「記憶ならある」

「じゃぁお前此処に来る前、海で死にかけたことも、その前のことも覚えてんのかよ!」

 

そういえば、リオンは神妙な面持ちで黙った。

妙に硬い表情だったが、ロニは黙ったのをいいことにとりあえず安堵する。

 

「えーと、とりあえず説明すっから、ちいと待てよ…」

 

リオンと名乗るジューダスに、ロニは頭が痛くなり、ため息をついた。

 

僕が、記憶喪失…

 

ロニと名乗った青年や、ナナリーと名乗った女達の説明に顳を押さえた。

とはいえ、覚えていないのは自分が何故海に入ったかくらいだ。

彼らが言うには、この金髪の少年、カイルを助ける為だというが…彼らのことなど知らない。

そっとその少年を横目にみれば、彼は今も俯いて眉を寄せていた。

視線をロニのほうへと戻す。

 

「ジューダスという人物と間違えているだけではないのか」

「俺達はリオンがジューダスって知ってるんだよ」

 

余計分からない。

何故僕はわざわざ偽名に偽名を重ねる。

 

「僕は何の任務で此処へ来た?」と問えば、「いや、そうじゃなくてだなぁ…」と答えが曖昧になる。何らかの任務により関係した人物ではないというのか

自分が任務以外でこのような地に訪れ、一人の少年を救うために海に身を投げ出した…?まず城からの任務以外でわざわざこんな所に来る理由が分からない。それともヒューゴからの任務か何かだったのだろうか

 

ロニという奴が言う説明に情報はとても少ない。

恐らく自分が情報をほとんど漏らしていないからだろうと推測する。

くそ…シャルが居ればこんなに面倒なことにはなっていないというのに…

もし任務か何かだというならば、この失態…思えば思うほどに憂鬱になったが、一刻も早くダリルシェイドに戻らなければ。

 

「まぁ、俺達は仲間なわけ!一緒に旅してんだよ」

 

ずっと吃っていたロニという男が、唐突に妙なことを言う。

仲間という言葉は、僅かに何かを引っ掻いたが、それでも直ぐ流れて言った。

それよりも、一緒に旅とは…?旅をするなど、任務以外に考えられないが、任務内容も知らない奴と一緒とはどういうことだ。

焦りは募るばかりだった。

 

「…もういい、もう一度聞く、お前達は僕の任務内容を知らないんだな」

「だからお前は任務とかじゃなくてだな…」

「ならいい」

 

もう一度立ち上がって辺りを見回す。体は痛むが、徐々に慣れてきた。

私物らしきものが身あたらない。今もシャルティエの行方はわからぬままだ。

 

「おい、待てって」

「どっちにしろ、一度戻らなければならない」

「戻るってもよ、もうお前が居た時代から18年経ってんだよ!お前の知ってるダリルシェイドなんて無いんだ。お前は任務ではなくて、歴史改変を食い止めるために一緒に旅してたんだよ!」

「………」

 

は?と思わず声を出してしまうところだった。

真顔で一気にまくし立てた男の言葉は真剣に聞き込めるものじゃない。

小さく首を横に振った後、銀髪の男は無視し、女のほうに聞くことにした。

 

「剣を知らないか」

「…え?あんたが使ってたやつかい?」

「おい、人の話聴けよ!」

「あぁ」

「それならそこに立てかけてあるやつだよ」

 

指差されたほうを辿る。そこにはレイピアが壁にもたれていた。

思わず眉を寄せる。シャル以外の剣を使った覚えがない。

胸中に不安が渦巻く

横で銀髪の男がぎゃあぎゃあ喚いているが、無視して赤髪の女のほうへと向き直る

 

「いや…これではない、銀色の…」

「ジューダス、それってもしかして…」

 

ずっと俯いていた少年が突如顔を上げた。それでもその眉は今だ八の字だ。

この金銀コンビは義兄弟らしいが、どうにも頭のどこかが欠けているようでめんどくさい。

だが、次の言葉で少年の言葉に耳を傾けざるを得なくなった。

 

「…シャルティエさんのこと?」

 

背筋に嫌なものが走った。

何故、ソーディアンのことを知っている?

喋る剣など、マスターでしか到底信じられるものではないはずなのに

 

「何故シャルだと分かった」

「あの、そうじゃなくて、ジューダス」

「……シャルを何処へやったんだ」

 

少年を強く睨みつける。こいつがシャルを隠しているのか…?一体何があった。

だが、少年は表情を悲しみに満たすだけで、とても邪気あるものに思えない。

それでも、今までの経験が信じるなと警報を出し続ける。

 

「違う、違うジューダス…………シャルティエさんはもういないんだよ!」

「……いない?…どういうことだ」

 

少年の必死な叫びとその内容に、殺気すら込み上げていたそれを散らす。

ゆっくりと銀髪の男と赤髪の女のほうを見るが、そいつらの顔も、金髪の少年の顔も、僕を哀れんでいるかのようだった。

 

何が起きている…!

 

まるで、もう二度とシャルと会えないかのような

 

混乱する頭を整頓するのにかかった時間は約3秒だろうか。

その間、部屋に居る者は何も言わず、なんとも言えない表情をこちらに向けてくるだけだった。それらを無視し、扉へと向かう。

 

「お、おい、ジューダス」

「もういい、お前達はシャルティエの行方を知らない。そうなんだろう」

「……ジューダス」

 

少年の声色は哀れみとか、気遣いに満ちていて、己の不安を更に重たくする。

それを振り切り、顔を歪ませながら強く戸を閉めた。

この部屋は、あいつらは、何かがおかしい。

 

「ジューダス!」

 

あいつらが呼ぶ名など、知らない

 

宿を出て軽く方角を調べる。

とりあえずはダリルシェイドにて報告。もしかしたらシャルを…置いてきたのかもしれない。何か特殊な経緯があって、今はマリアンが大事に扱ってくれている。…そうあってほしい。

もし無いならば、報告した後すぐに探す。ヒューゴがどんな反応をするか想像すら付かないどころか考えたくもないが、それでも、あいつならソーディアンを探すことに異論は唱えないはずだ。

 

アイグレッテという町は知らないが、この町はダリルシェイドから近いのだろう。

早く、戻らなければ。

 

町を出て少し行ったところで、後ろから大きな声が聞こえてきた。

誰かを呼んでいる。それが己の名だということは宿で聞いたが、どうにも呼ばれている気がしない。

無視して早足で歩いていれば、走っていた少年に自然と追いつかれ、金髪が横に並ぶ。

 

「はぁ、はぁ…ジューダス……」

「付いてくるな。何なんだお前達は」

「だって、俺達仲間だって…」

「……」

 

眉を寄せ、もう勝手にしろと無視を決め込む。

仲間という言葉は、自分から遥か遠い場所に存在するものの一つだ。

きっと僕は、こいつらを利用できるかどうかでしか見ていなかったはずだ。

そして、こいつらも、きっと

 

頭が痛む。何故だろうか。

これまでにも、仲間だろ。などという言葉はよく聞いた。その裏に潜むどす黒いものも見てきた。だから、今更そんなものに反応するようなこと、ないというのに

 

下らない思考を首を横に振ることで散らした。

後ろから人が近づいてくる気配がする。…4人。増えた2人も彼らが言う仲間なのだろうか。

 

「あの、ジューダス……」

 

横で必死に歩調を合わせて付いてくる少年が話しかける。

当然無視したが、心のどこかで引っかかるその名前。

呼ばれているのに呼ばれていない、妙な違和感。

 

「……」

 

金髪の少年は諦めたのか、それ以上話しかけることは無かった。

それでも付いて来ることはやめなかったが

ため息をつき、少しでも気分が紛れればと視点を変えれば、遠目に町が見えた。

少し霧がかかっていて見難いが、ここらはよく通った道。あれがダリルシェイドだろう。

何故だか、妙に早く帰りたくなってくる。

マリアンが待っていてくれるだろうか。…シャルティエは、あるだろうか

 

そんなことを考えながら歩いていれば、少しずつ町の影がはっきりとしてくる。

少し晴れた不安がまたぶり返す。

 

こんなに、小さかっただろうか?

いつもは、これくらいの距離でも一発で城と分かる凹凸が見えるというのに

 

どくんどくんと心臓が高鳴る。

自然と歩くスピードは速くなっていく。

このまま走り出したい気分になった。

 

本当に、あの場所がダリルシェイドなのか

あの場所に、暖かいあの笑顔はあるのだろうか

 

ポツポツと、雨が降り出した。

 

「………何で…」

 

肩を上下させ、上がった息の間に呟く。

ダリルシェイドの姿がはっきりと見えたときには既に走り出していたため、付いてきていた少年はもう見えない。

雨に体が冷たくなっていくのも構わず、その場で町を見回す。

 

本当に、此処はダリルシェイドなのか?

 

目の前に広がる廃墟に疑わずには居られない。

大きなクレーターが近くにあった為、もしかしたら、ここはダリルシェイドではなく、どこか他の町なのかもしれないと、そう思う。

だが、僅かな期待を思えば、転がる瓦礫の中に見慣れた物を見つけて凍る。

 

「此処は、一体…何処なんだ…」

 

雨が振り、暗さに拍車をかけるこの町は、自分が知っている首都ダリルシェイドからは程遠いものだった。時々見かける住民には覇気を感じられない。

 

お前の知っているダリルシェイドなんて無い

戯言だと聞き入れなかった男の言葉が何故か頭に響く。

 

ふと、直ぐ近くの瓦礫の影が動く。

よく見ればそこには薄汚れた服を纏う老人。泥にまみれたその姿に人だということに気づけなかった。ゆっくりと、老人のほうへと向う。

目の前まで歩み寄れば、ゆっくりと老人は上を見た。首を動かすだけでも酷く億劫そうで、老人の目線にあわせる為腰を下ろし話しかける。

 

「…すまないが、此処がどこだか、教えてもらえないか」

「………わからないか?…あぁ、昔は人目でわかる町だったのに…」

 

老人の言葉に、体が震えた。

 

「ダリルシェイドじゃよ」

「………」

 

絶句するしかなかった。

 

雨の音が妙に大きく響く。

 

なんで、こんなことに…

と一瞬の疑問のあと、電撃に打たれるような感覚。

 

…ヒューゴ邸は…どうなった?

 

ゾクゾクと逆撫でされたかのように体の表面を不快なものが這い回る。

違う、ヒューゴ邸なんてどうでもいい、知りたいのは

 

マリアン…、シャル……!

 

老人への礼など頭の隅にも掠めることなく、走り出す。

瓦礫により足場が悪いのを雨が更に悪化させている。

どこもかしこも疲れ果てた人間ばかりで、覇気無く動く町民にこの町だけ時がゆっくり流れているように感じた。

遠目に瓦礫の山が見える。屋根の色、壁の色、そして何よりその量で、遠目でもすぐ城の成れの果てとわかった。

 

此処は、本当にダリルシェイドなんだ。

パシャパシャと雨水を跳ねさせながら走っていれば、やがて大きな建物が眼に入った。

 

「………」

 

それは、確かにヒューゴ邸の面影を残した建物。

他の廃墟とは違い、中から光が零れ、薄暗い廃墟の町の中に立つそれは神秘的に見えた。

 

そっとそこに近づく。

ゆっくりとドアノブを回し、引けばドアは簡単に開いた。それどころか僅かに壊れかけていて今にも取れてしまいそうだ。

 

中は優しいライトで照らされていて、薄暗い外に目を慣らしていても眩しくなく、橙色に近いその光は暖かい。

だが、今の自分には何の慰めにもならなかった。

 

外はまだ名残を残していたというのに、中はがらりと変わって、本当に此処が元ヒューゴ邸なのかもわからなくなる。

並ぶ横長の椅子。奥にはパイプオルガン。……教会。

 

「……シャル、…マリアン…」

 

辺りを見回しても、神父と思われる人物と僅かな参拝者くらいしか見当たらない。

この建物の中を手当たり次第に探したいという自分と、もういいだろう、わかっただろうと促す自分がいる。

雨を吸った衣服が足元に水溜りを作った。

 

私室として使っていた部屋は、瓦礫の中だろうか。

なら、彼女は一体どこへ……

 

戸口でずぶぬれになり立ち尽くしている自分を怪訝に思ったのか、神父がこちらに近づいてきた。

 

「どうかなされたかね?」

 

疲れからか、答えるのも億劫で、まるでこの町の住民になった気分だ。

ぎり、と奥歯を噛み締めた後、神父の顔は見ずに口を開く。

 

「……此処に、マリアンという女性はいるか?」

「ん?いや、聞いたことが無いな」

「………そうか」

 

答えは、予想通りだった。

 

そのまま黙って教会を後にした。どこかの煩い奴らとは違い、神父はその後姿に声をかけることはなかった。

ゆっくりと教会から離れれば、また雨が身を打つ。それが焦りと混乱に満ちていた自分を冷静にしていく。

いや…冷静というよりも、気力を奪っていかれるような気分だ。

 

もう、此処には何もない。

 

ヒューゴから逃れることが出来たと考えれば、このぽっかり開いた心を少しは埋めることができるだろうか

…否

 

どれだけ斬ろうにも断ち切れなかった血の鎖が斬れ、自由になったというのに、行く場所など思いつかない。

繋がれていた場所に、唖然と立ち尽くすことしか、できない。

 

シャルもいない。マリアンもいない。何も無い

……僕は、どこへ行けばいい

 

雨は、そんな僕を嘲笑うかのようだった。

土砂降りの雨は少しずつたまって行き、いつの間にか自分が、暗い海の底にいることに気づいた。

「ジューダス…」

 

雨の音に集中していて、あまりよくは聞こえなかったが、誰かが自分を呼んだ。

そっと振り返れば、こんな薄暗い場所にも眩い金髪を見つけ、何故か少しだけ安堵した。

その後ろからも人が来る。

 

暗い海の底が、少しだけ明るくなった気がした。

 

「ジューダス…」

 

だが、彼らが呼ぶ名を意識した途端、また不安が渦巻く。

 

「…おい、ジューダス…」

 

銀髪の男が、また名を呼ぶ

それは確かに自分に向けてのものなのに

ふと、すぐ足元の水溜りが眼に入る。

それは銀髪の男が一歩前に出たことで影となり、泥が黒く濁って見えた。

 

違う、お前達は誰を呼んでいるんだ…

 

頭の中でそう否定する。

確かに彼らはこちらを見て言っている。

それでも何かが違う。違和感がある。

 

あいつらが呼んでいるのは、僕じゃない。

 

「ジューダス!」

「煩い……違うと言っただろう…僕はジューダスなんて名前じゃない」

 

まるでその水溜りから出る黒い墨が海の中に零れるかのように、僅かに明るくなった海は、また黒を取り戻す。何故か、先程よりももっともっと、暗い。

違う名を呼ばれる。ただそれだけで、自分が今此処に居ることの全てを否定されている気がした。

 

崩壊した帰るべき場所。自分の名ではないそれ。

自分だけが、異端であるかのような感覚。

孤独が海を色濃く染める。

 

…嫌だ

 

どくんという心臓の音と共に出てきた一つの言葉

 

嫌だ…嫌だ

 

この海は怖い。恐ろしい。

この世界に誰も自分という存在を認めてくれる人がいないのならば、僕は今、人ですらないのだろうか

 

嫌だ…嫌だ、呼んで…呼んでくれ…

 

坊ちゃん、と

子ども扱いされるようで嫌だった、あの呼び名を

 

「シャル……」

 

目の前の人間など見えていないまま、ポツリと呟く。

その言葉にまた、皆が哀れみの表情をこちらに向けるが気付くこともなく、ただ自分の心の内で呼び求める存在を考えた。

 

そう、あいつは何処へ行った。

 

この漆黒の海の中だろうと、全てが自分を否定しようとも

 

あいつなら、あいつなら例えどれだけ世界が敵に回ろうとも…あいつだけは…っ

 

それは自惚れでもなんでもない。

手に取れば全てが伝わってくるソーディアンとマスター、その関係が確信させること。

誰よりも、何よりも信じられる存在。

 

それなのに、何であいつは此処にいない!

 

手を握り締める。奥歯を噛み締める。

今までの無気力が、此処にいないシャルティエに対する理不尽な怒りで四散する。

 

シャルは…何処なんだ…っ

 

ペチャ、と水溜りを一歩踏み付け、また一歩歩いていく。

そして、求める想いのままに、走り出した。

 

「ジューダス!」

 

もう居ない者の名をポツリと呟き、そのまま走り出した少年を呼ぶ。

だがそれは、雨の音に掻き消され、一心不乱に走る彼の耳には届かなかった。

彼を追ってきた仲間達はその場に立ち尽くした。

 

「ジューダス……例えどれだけ探し回っても、君が知っている人は、もう…いないんだよ」

 

18年経った。

彼の昔の仲間は確かに生きているが、もう彼の知るような外見ではない。

四英雄達はあれから18年を生き、歳をとった。だが、ジューダスは当時の年齢のままだ。

 

リオン=マグナスは18年前に死んだ。

それは決して覆せるものではなく、何よりジューダス本人がそれを望まなかった。

一度死んだ者はもう、決して、今生きる者たちと時を共にすることは出来ないのだ。

 

それなのに今確かに生のある彼は、

正しく、世界から取り残された者なのかもしれない。

 

ぎゅっとカイルは手を握り締めた。

会った時から感じていた、ジューダスを取り巻くとても悲しいモノ。

ずっと、それから彼を救ってあげたいと思っていた。

 

(でも、どうすればいいんだろう…)

 

孤独から必死に逃れようとしている彼を、「俺達がいる」と言おうとも、リオンの記憶しかないジューダスはそれを拒む。

 

(俺達じゃ…助けてあげられないのか…!?)

 

仲間への想いは、シャルティエには及ばないかもしれないが、決して弱いわけではないのに、何故かどうしても、今のジューダスには届かない。

 

カイルは珍しくずっと考えていた頭を横に振る。

どうやら他の仲間達もなにやら考えているようだ。ハロルドはいつも何を考えているか分からない顔をしているが

 

(とりあえず、追いかけないと!)

 

足を一歩踏み出したときだった。

 

「待った」

「わぁっ!」

 

服を捕まれる。雨により足場が悪いため、不運にもカイルは足を滑らしそのまま水溜りへとダイブすることとなった。

 

「何するんだよ!」

「あー、まぁ大丈夫っしょ!元からびっしょびしょだしー?」

「そうじゃなくて!」

 

犯人であるハロルドは反省の色まったく無しである。

だが、そんなことよりもカイルにとっては止められたことのほうが大事だ。

当然カイルが怒っている理由をハロルドは勘付いている。

 

「今行ったってどうしようもないでしょうが」

「でも!」

 

ロニの手を借り立ち上がる。

皆表情が暗い中、ハロルドだけがマイペースに会話を進めた。

 

「記憶喪失の原因は多分精神の方の問題っしょ。そっち解決してやらなきゃ。まぁあんたなら何れ記憶の無いあいつとでも打ち解けるでしょうけど、何よりめんどくさい」

「ハロルド……」

 

この状況でめんどくさいなどという言葉を発するのはきっとハロルドだけだろう。

それに呆れながらも皆ハロルドのいう記憶喪失の原因とやらを考えていた。

頭を打ったからではなく、精神面の問題ではないかということは、何となく皆も勘付いていた。何よりシャルティエを失った直後なのだ。そして、今も彼はシャルティエを探している。

 

「それに、神だのどうだの説明したらまた同じようなことになるかもしれないしねー。とりあえずさっさとジューダス引っ張りだすわよ」

「引っ張り出すって……ハロルド、ジューダスを元に戻す方法わかるの!?」

「んーたぶんねー」

「どうするの!?」

 

今にも掴みかからん勢いでカイルがハロルドに迫る。

それをハロルドは軽く杖で制しながら答えた。

 

「教えてやんのよ。リオンとジューダスは同一人物だって」

「……はぁ?」

 

皆一斉に頭の上に疑問符を並べた。ロニにいたっては思わず間抜けな声を上げている。それが答えというのだそうだが、まったく持って意味がわからなかった。

 

「どういうことだよ、リオンとジューダスは普通に同一人物だろうが。なんだ?それをあいつは分かってないってことか?」

「そーね。無意識に別けてると思うわ。あいつは会った時から色々と変なところがあったから。この世界の本を読む限り、そんなところじゃないかしら」

 

その言葉にナナリーが首をかしげる。

まったく納得が行かないと言った感じだ。それはロニやリアラ、カイルも同じようだった。

 

「でも、あいつは過去を受け入れてたじゃないか。そして歴史を守ってたじゃないか。それなのになんで別けるって…リオンを無かったことにしたいような……そんなこと、あいつがやるとは思わないんだけどねぇ」

 

ナナリーがそう言えば、皆一斉に頷く。

皆がエルレインの都合の良い夢にかかっている中、ジューダスだけが過去を受け入れていたのだ。その強さを見ていた4人はハロルドの言葉の意味がわからない。

だが、ハロルドは人差し指を立て、横に振る。

 

「だからこそ、よ」

「だからこそ…?」

「そ!」

 

ハロルドは大人しくなったカイルを見て杖を手元に戻すと肩に乗せる。

そして、答えを出した。

 

「歴史を守るなら、18年後のこの世界に、リオンは生きてちゃだめでしょ?」

「あ……」

 

そう言われた瞬間、カイルは全てをどこかで理解した。

それはハロルドのように鮮明に言葉にして伝えることは出来ないものだけれども、胸をぎゅっと締め付ける。

ずっと前から考えていた。彼が纏うとても悲しいモノについて

 

「だから、あいつはリオンとジューダスを別けたいのよ。リオンは死んでいて欲しいわけ。でもそんなの無理だわ。だってリオンとジューダスは同一人物だもの。あいつは、確かに此処に居るのよ」

 

ハロルドはこの答えを確立の一つのように言っていたが、こうして出された答えと今までの問題を照らし合わせればそれしか考えられないように感じた。

ジューダスが背負ってきたモノの一つ。

彼は絶対それを皆に明かさなかった。透明でぼやけたそれを、きっと皆、仲間として見てやりたいと思ったことだろう。

それが、確かな形と色を今持っている。

 

「わかってきたよ…つまり、リオンの記憶しかないあいつが私達を受け入れられないのは」

「そ。私達はジューダスの仲間だからね。リオンには仲間なんてもうないし」

 

ナナリーの言葉に対してのハロルドの言葉が、カイルの胸に痛く突き刺さる。

いつもの解説のように淡々と続けていたハロルドの表情が少しだけ暗くなった気がした。

 

「誰でもないジューダス本人が、リオンを…自分を孤独へと突き落としたんだわ」

「…ったく、あいつは……生意気なくせに…あほみたいに生真面目だからな…」

 

ロニがため息交じりに呟く。

ハロルドは雨が顔に当たるのに構わず、そっと暗い空を見上げた。

 

「それをきっと、シャルティエがずっと支えていたんでしょうね。あいつはこの世界に唯一残っていた、ジューダスと同じ時を生きていた者…なんでしょ?」

「………うん」

 

ジューダスとシャルティエの絆を痛感し、ハロルド以外皆俯いてしまった。

ハロルドはそれを呆れたように一つ息を吐いた後、パンパンと二回手を叩く。

 

「はいはい、わかったら探しに行くとしましょっかー。長話したら何処行ったかわからなくなったわね。まぁ、あいつもそろそろ頭冷える頃でしょうし、手分けして探しましょ」

 

その陽気な言葉に励まされ、皆顔を上げ、僅かに微笑み頷く。

だが、カイルだけが俯いたままハロルドを呼んだ。

 

「あの、ハロルド…」

「なによ。あんたもそんな辛気臭い顔してないでさっさと気持ち切り替えなさい」

「ねぇ、俺達は……俺達は、ジューダスの本当の仲間になれてなかったのかな…?」

 

珍しく仲間という言葉に対して後ろ向きなカイルの姿にハロルドは眼を瞠る。

カイルはずっと考えていた。ジューダスが正体明かした後も、ずっと壁を作っていたこと。それでもきっと、いつか本当の仲間になれると、信じていた。

 

(でも……)

「何言ってんの。珍しくて解剖してやりたいわ」

 

ハロルドの言葉に思わず思考が凍った。

彼女はそんなカイルの様子に満足そうに微笑む。

 

「あいつがリオンを認めたくなかっただけよ。ジューダスは間違いなく仲間でしょ?もう一度言うけど、あいつは一人しかいないのよ」

 

その言葉に、カイルの顔は見る見るうちに明るくなり、いつものカイルを取り戻していった。

 

「うん…うん!そうだね…よし、早くジューダスを見つけに行こう!」

「おっけー!じゃ、30分後に此処集合ね」

「わかった!」

 

そしてカイルは徐に瓦礫を飛び越え、水しぶきを上げながら走り出す。

 

(教えてあげたい。ジューダスに、早く教えてあげたい)

 

行く方向は適当。それでも、なんとなくこっちにジューダスが居る気がした。

誰かが呼んでいるような感覚。

カイルは走る速度をどんどん上げていった。

 

いない。

当然か。主が持ち込んだわけでもないのに、こんな場所にソーディアンが置いてあるわけがない。

 

辿りついた先は、よくシャルティエと剣の稽古をしていた場所。ダリルシェイドから少し離れた森の中。そこにある木の生えていない広い場所だった。

 

本当に、もう何処にもいないのだろうか

木々に囲まれた空を見上げる。大量の雨が頬を打ち流れる。

この暗い空の広がる下に、もうシャルティエはいないのだろうか。

 

胸が苦しい。

海の中で、息はできない。

 

「……誰か」

 

何でこんなにも、名前を呼んで欲しいのだろう。

誰でもいいから、此処に……此処にいることを

 

「ジューダス!」

 

突然の声にびくりと体を震わせた。

ゆっくり後ろを振り返れば、またあの少年が立っていた。

 

「ジューダス…」

 

見つけたことに安堵を感じたのか、少年は一つ息を吐いた後、微笑みこちらへと向かって来る。

それをキッと睨みつけた。

 

「ジューダス」

「違う!僕はジューダスなんて名前じゃないと言っただろう!お前は誰を呼んでいるんだ…!…僕は、…僕は…」

 

右手を大きく横に振り、体全体で拒否を表す。

自分を否定するその名前が、漆黒が怖かった。

金髪の少年は少し眉を顰めると、手を伸ばした。

 

「君を呼んだんだよ。俺は、君を呼んでるんだよ」

「違う…お前が呼んでいるのは僕じゃない」

 

もう一度睨みつけながら言う。

それでも少年は首を横に振りながらこちらへと歩みを進めた。

 

「そんなことないよ、ジューダス」

 

苛立ちから歯を噛み締め、一歩後ろへと下がる。

だがそれよりもこの少年がこちらへと寄ってくるほうが早く、残り3歩くらいの距離で彼は止まった。

 

「…ジューダス、俺はシャルティエさんのように君の全ては知らない」

 

突然出るシャルティエの名前に息を呑む。

目の前の少年は、微笑んだ。

 

「だけど、俺はジューダスが好きだ。今のジューダスが好きだ。皆もそうだよ。それは、今までのジューダスがあったからこそ、此処に居る君が好きってこと」

 

唐突に出た彼の言葉に眉を顰める。

今までの……?

 

「つまり、君のこと。君もなんだよ、君も含めて、全て大切なんだ」

 

そこでようやく、この少年がジューダスという名で間違いなく自分を呼んでいることに気付いた。名前は、自分のよく知るそれではないけれど、間違いなく…

 

だが、そう認識した途端、暗い海の流れが激しくなる。

それは、認めてはいけないことのように

 

カイルは自分の様子から何を察したのか、少し表情を暗くした。

 

「ねぇ……だから…もう、自分を傷つけないで。大丈夫だから。……ほんの少しでいいから、ジューダス……自分を許してあげて」

 

……自分を、許す?

 

心臓の音が一際響き、海が大きくうねった。

 

「そんなこと、許されるわけが無い…」

 

小さく呟き、項垂れ、目を瞑る。

そうすれば、胸の中にあった海が一気に押し迫ってきた。

此処から出ることは許されない。この世界にリオンの居場所は無いと、誰かが

 

「ねぇ、ジューダス…君は、確かに一度……消えてしまったけれど、確かに君は此処に居る。俺達の絆が、その証なんだ!」

 

少年の力強い言葉が、更に海を荒らした。

やがてそれが、ピタリと止まる。

なんだろう?そう思ったとき、優しく誰かが声をかけてきた。

 

ほら、よく見て。

此処は暗い暗い海の底?

違うよ、見えてないだけだよ。ちゃんと見て

 

瞼を開けて

 

そこには、黄金の光があって、少し泥に汚れた手がこちらに差し伸べられていた。

 

「分かった?……もう、独りじゃないよ」

 

自分を別けようなんて、馬鹿げた考えだったのかもしれない

 

冷たい海が、嘘のように暖かくなる。

とても心地がよかった。

 

ほんの少しだけ……ほんの少しだけ………

 

今此処に居ることを、幸せに思っていいだろうか

 

雨が、止んだ。

 

「おかえり」

「………ふん」

「ふんっじゃないよー!ただいまっていうの」

「…た……い、ま」

 

森の少し開けた場所で、ずぶ濡れになっている二人の少年。

黒髪の少年は、少し頬を赤らめながら僅かに唇を動かし、ぼそぼそと呟く。

それに金髪の少年は、その髪の色に負けないくらいの明るい笑顔で答えた。

 

「うん、おかえり。ジューダス!早く皆のところへ帰ろう!」

「……あぁ」

 

黒髪の少年が答えれば、金髪の少年がへへへと笑う。

そして二人はゆっくりとその場所から歩き、仲間の場所へと向かった。

 

「皆びしょ濡れだから、明日は6人そろって風邪ひくかもね。大変だ」

「お前とロニは大丈夫だろう」

「え、それってどういうこと!?」

「さぁな」

「ひっどいなぁジューダス!」

「…さっさと帰るぞ」

「うんっ、あ、ちょっと待って、ジューダス速すぎ!」

 

地面にたまった水溜りは、雲と雲の間から覗いた空色を映しこむ。

とても澄んだ色だった。

 

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