うっかり過去のマリアンとあっちまった坊ちゃん。
どさっ
もう何度と経験した時間移動。
天地戦争時代でのバルバトスの言葉から彼を追う為、カイル達は四本の剣が刺さった神の眼の前……18年前の神の眼の騒乱最終決戦の場へと向った。
………はずだった。
時空の移動が終わり、この世界の地へと放り投げられる。
衝撃から倒れる者、膝を突く者はいても、もう気を失う者はいなかった。
そんな中、座り込んでいたリアラが辺りを見回し、唖然と一言呟いたのだ。
「………あ、間違えちゃった……」
「……え、えぇぇええっ!?」
リアラの言葉に倒れこんでいたカイルが飛び起き、辺りを見回す。
彼らが踏んでいる地は石畳が敷き詰められており、辺りには草木に花壇、そして大きな屋敷があった。その奥にもずらりと建物が並んでいる。
どう見ても街中だ。外殻の上ということはまずないだろう。
「ん~なぁに~?ここ」
ハロルドが首を傾げながら周りをきょろきょろと見る。
その隣でロニが唖然と呟いた。
「ダリルシェイド……?」
その言葉にカイルとリアラが驚き、ロニへと眼を向ける。
二人は現代の崩壊したダリルシェイドしか知らない為、この賑やかな街がダリルシェイドだと聞き、驚いたのだ。元は首都だということを知っているのだが、やはりあの荒れ果てたダリルシェイドを見ている以上驚きは隠せない。
そんな中、はぁ、と仮面の少年からため息が漏れる。
「………ダリルシェイドはまだしも、何故此処に出るんだ……」
「……えっと、どうしたの?ジューダス」
驚愕により硬直していたカイルは少しの間をおいてジューダスの言葉に反応する。
だが、カイルの質問に対して答えは返らず、細い腕が彼の頭へと伸ばされた。
「伏せろ」
そのままカイルはジューダスに頭を地面へと押しつけられる
有無を言わさぬ彼の言葉には強い警戒が込められており、他の仲間も体を伏せる。
ジューダスが視線を向ける目の前に丁度綺麗に切り揃えられた小さな木があり、伏せてようやくカイル達の体が見えなくなった。草の間をじっと見つめていれば、木の葉の間から覗く色が変わっていく。誰かが走って通り過ぎたのだ。
やがてそれは止まり、同時に話し声が聞こえ始めた。
「あれ?……あの子………」
カイル達の目の前にある草から、突如現れた人物まで40メートル程距離があることから、小さくカイルは声を出す。
それでも咎めるようにジューダスはカイルを睨みつけた。
カイルは思わず口に手を当て、草の向こうとジューダスと視線交互の移す。その視線が鬱陶しいのか、ジューダスは仕方なく口を開いた。
「………何だ」
「いや、でも……だって、似てる」
そう言って、カイルはまた木の間から向こう側に居る人へと眼を向けた。
丁度カイルが覗くその間から、向こうに現れた少年の顔が見えるのだ。
横顔でも恐ろしい程綺麗に整って見えるその人は一件少女か少年なのか見分けが付かない。だが、遠くから聞こえてくる声が彼が少年だということを教えてくれる。前髪の長い綺麗な髪、そして深い紫の瞳をした人物。
そう、ジューダスが仮面をしていようとも、はっきりと言える程に向こうに居る彼とジューダスは似ている。
ジューダスは再びため息をついた。
「……僕だからな」
「え、やっぱり?じゃあ、此処って…」
「二十年程前のダリルシェイドだろう。ちなみに此処はヒューゴ邸だ」
カイルは口に手を当てたまま目を大きく開き、再び先ほどの少年へと視線をやった。
心なしか、他の仲間達も興味津々にその少年をじっと見ている。
当然ながらジューダスは酷く居心地が悪そうだ。
草の向こう側にジューダスことリオンは、誰かと会話をしているようだった。
草の間から見る世界は酷く狭くて、彼が誰と会話しているのかカイルからは見えなかった。それでなくとも時々リオンが少し動くだけで彼の顔も見えなくなるのだから
それを必死になって覗き込んでいたカイルは、ハッと驚く。
一度見失った少年の顔を再び見れたとき、彼は笑っていた。
カイル達も長い付き合いから、ここ最近ジューダスが静かに笑んでいるのを稀に見ることができるようになった。今までの彼と、彼の性格を知っているからこそ、少しでも心を許してくれているのだと分かる貴重な笑み。だが、今目の前に居る彼が浮かべているのは、それとは比べ物にならないものだった。聞こえてくる声も、自分達の知るものより高く、とても柔らかいものだ。
「………ジューダス」
「………何だ」
じっと草の向こうへと視線を向けたまま、ぽつりとカイルはジューダスを呼んだ。
ジューダスもまた、カイルへと視線を向けることなく返事をする。少々返事がぶっきらぼうなのは他人に見せぬ己の姿を仲間達に見られているからかもしれない。
だが、そんなことは気にせず、カイルは突如ジューダスへと縋り寄った。
「なんで俺達には笑ってくれないのにー!」
「な、なんだ…おい、静かに…っ」
声を殺してはいるものの、縋りつかれてジューダスは焦る。
何より、気配に敏感なジューダスが草の向こう側にもう一人居るのだ。今より少し若くとも騒げばすぐわかってしまうだろう。
それはカイルもわかっているのか、なんとか直ぐに体勢を戻したが、少しジューダスへと拗ねた視線を向け続けた。
ジューダスは3度目のため息をつくこととなる。
当然のことだが、未だ謎の多いジューダスの過去の姿に興味を持ったのはカイルだけではない。ロニもまた、草から顔を出さんかのような勢いで向こう側を見ようとする。
「一体誰と話してるんだ、お前」
リアラ、ナナリー、ハロルドも興味津々で、ジューダスは頭を抱えた。
「うっわ、すっげぇ美人だな………」
どうやらようやく少年と話をしている者の姿を見たらしく、ロニは目を輝かせた。
と同時に、ジューダスの拳がロニの頬を掠めた。
「どぅおわっ!おまっ、何するんだよあぶねぇな!」
「うるさい」
間違いなくジューダスの顳にはお怒りマークが出ている。
だが、相手はあのロニだ。此処から更に一歩余計な足を踏み出すのはいつものことだ。案の定、ロニはにやりと笑った。
「ほう……もしかして、お前…」
「お前の考えているような関係でなくとも、お前みたいな奴に近づけたくないと思うのは至極道理だと思うのだが」
ジューダスは前もってロニが何を言うか予測していたのか、さらりとそう言ってのけた。
一瞬言葉を理解するのに間を空けた後、ロニは声を必死に殺しながら頬を引きつらせた。
「な…ん、だ、と~~」
「ロニ、反論できないと思うよ」
ロニは軽くジューダスに掴みかからん勢いだったが、カイルの言葉にプラスしてナナリー達からも思いっきり頷かれ、怒りを削がれるどころか消沈することとなった。
ふと、そんなことをしている間に、狭い視界から人が移動するのを確認する。
少年がこの場から離れたようだ。その気配が小さくなったところで、ようやく皆は少し体を起こした。ほんの少しばかり草むらから顔を出す。
カイルは既に多くの人間の中に紛れ込んだ少年を見つけ、目を凝らす。
今のジューダスよりも、やはり少し小さく見えた。そして、何より先ほど見たあの笑顔。
完全に心を許しきっている。だからこそ見せることのできる笑顔だ。
カイルはやはり、少し頬を膨らませ、もう一度ジューダスのほうを見た。
だが、彼はカイルが見ていることに全く気付かず、じっとある一点を見つめていた。
先ほど、リオンと話していた人だ。
長く黒い髪。メイドだと人目で分かる衣服。暖かい笑みを浮かべ、リオンを見送っている。
その彼女を見るジューダスの表情は、優しくも寂しさが入り混じっていた。
それは、カイルの胸を締め付けた。
ちょっとした嫉妬もある。苦労して手に入れたジューダスからの信頼。それを上回る証が目の前の知らぬ女性へと向けられている。それが悔しい。
ジューダスが隣に居るのは当たり前だと思っていた。彼はリオンではなくジューダス。自分達の仲間なのだと。だが、こうして彼が本来あるべき時代を覗けば、彼の居場所はやはり此処なのだと見せ付けられるようだった。
だが、カイルの胸を本当に締め付けたのは、それではない。
なによりも、ジューダスがそこへ帰ることを許されないのが、辛い。
あんなに幸せそうにしているのに…、ジューダスはあそこへは帰れないのだ。
目の前にあるアメジストは、果てしなく遠くにあるものを映している。目の前に映っているはずなのに、二度と手の届かぬ彼方を映している。
それが、胸が張り裂けそうなくらい苦しいことなのだと、カイルは感じ取ったのだ。
「それにしても、あのジューダスやっぱり少し小さいね。なんか可愛いなぁ」
カイルが物思いに耽っている所、唐突に後ろに居たナナリーがそう呟く。それによりジューダスはようやくカイル達へと意識を戻し、嫌そうな顔をしながらナナリーの方へと向いた。
必然的にずっとジューダスを見ていたカイルはその深い紫と目が合ってしまい、妙に気恥ずかしく感じて慌てて目を逸らす。
それを見たジューダスが小首を傾げたが、それ以上は気にしなかったようで、すぐにカイルから視点をナナリー達へと向けた。カイルはそれに一息つき、同じく彼女らへと体を向ける。
「ほんと、そんなには変わってないのに、なんだかちょっとやっぱ可愛く見えるね」」
女性陣は小さいジューダスを見て会話に花を咲かせているようだ。一人感覚の違う者がいるのはいつものことだが
「ふむふむ。今とどれくらい違うか、是非ともデータを取りたいわね」
「……おい、やらなければならないのは歴史旅行ではないはずだろう……」
やはり過去を覗かれるのは良い気分ではないのだろう。ハロルドの言葉にうんざりとした表情で本人が言う。それでも、ハロルドの視線はリオンが去っていった方へと向けられたままだったが
だが、彼らは本当にこんなところで遊んでいる暇などないのだ。
歴史の修正をしなければ、現代へと帰ることができない。そして何よりも、今歴史を変えられようとしているのは18年前の神の眼の騒乱。特に男性人に深く関わりのある大きな時代の節目だ。
ようやく一行は本題へと意識を向けた。
「つってもよ、どうやってこっから帰るんだ?」
「本当にごめんなさい………レンズがないとどうしようも……」
「大丈夫だよリアラ。きっと何か方法があるって!」
表情を暗くするリアラをカイルが何とか励まそうとする。
そんな中、ようやくハロルドはリオンが消えていった町並みから目を話し、ふいにジューダスのほうへと顔を向けた。
「そうだ。いいこと思いついた☆」
「………………」
ジューダスの表情が僅かに変わる。本当に少しの変化だった。仮面を被っているから余計とわからない。だが、仲間達にははっきりと分かる。
ジューダスとは付き合いが結構長い。ハロルドとはまだ短くともこの強烈な個性故にジューダスが何を思っているかは簡単に分かった。
酷く嫌な予感がし、とてつもなく不安なのだと
「……何をするつもりだ?」
「あんたに頼めばいいのよ♪」
嫌そうに尋ねるジューダスに反し、ハロルドは好奇心を笑みに溢れさせる。
そして草むらを乗り越え先ほど見ていた方へと駆け出そうとした。
それをジューダスが寸でのところで長いスカートの飾り部分を捕まえて止める。
その際彼女は綺麗に整えられた草に顔を埋める羽目となった。
「解剖するわよ!?」
「歴史の解剖だけはやめろ」
すかさず草むらに突っ伏した顔をあげ、寝癖だらけの髪に葉っぱを飾りながらハロルドが酷い形相でジューダスへと顔を近づける。
一瞬体を引いたジューダスだが、何とか持ちこたえて言い返した。
「エルレインと同じこと、この私がやるわけないじゃない」
「なら、お前何をしようとしていたか言ってみろ」
「リオンをとっ捕まえようとした」
コツン。随分と手加減はしてあるが、ジューダスの拳骨がハロルドの頭に落ちた。自称天才科学者は頬を膨らませてそっぽを向く。
他の仲間たちも流石に呆れ顔だ。
「ハロルド……此処は過去なんだから目立つ行動はやばいよ」
ナナリーが皆を代表して何とか彼女を落ち着かせようと言葉を発した、その時。
カサカサ。
葉の擦れる音が響き、皆体を硬直させた。
今の今まで気付かなかったが緊張を張った瞬間、すぐそこに人の気配があることに気付く。油断していた。この一言に尽きる。
「あら……?」
草の向こうから現れたのは、リオンと話をしていた女性だった。
完全に見つかってしまったカイル達は顔を青くする。リオンが町の向こうに行ったのだから、彼女もまた屋敷に戻っているものとばかり思い込んでしまった。
たとえ広く自然に囲まれた庭だとしても、此処は人様の敷地。彼女から見ればカイル達は不審者以外の何者でもない。
そして、何より此処はヒューゴ邸。あのヒューゴ=ジルクリストの住む屋敷。
神の眼の騒乱首謀者の敷地なのだ。
何をされるか、わかったものではない。人を呼ばれれば、最悪だ。
だが、女性から発せられた言葉は予想外のものだった
「……リオ、ン…?」
訝しげながらも、彼女の視線は真っ直ぐジューダスへと向けられていた。
不思議そうに女性は首をかしげ、先ほどリオンを見送った方へと視線を向け、また再びジューダスへと視線を戻す。
その反応にカイル達は少々安堵する。
だが、呼ばれたジューダスの方は、仮面からでも分かる程、酷く複雑な表情をしていた。
「どうしてそんな仮面なんか」
「………違う」
「…え?」
結構な間の後、冷たくジューダスから否定の言葉が漏れる。
その後、少しジューダスを取り巻く空気が変わった気がした。
「すまない。この馬鹿が暴走したんだ。他意はない。すぐに出て行く」
「なっ……ちょ、ジューダス……」
親指で「この馬鹿」がカイルであると表しながらそれだけ言うと、ジューダスは女性の横を抜けて歩いていこうとする。
カイルは口実に自分を使われたことと、そしてこの女性に対して何も言わぬことに異論を唱えようとしたが、ロニに背中を叩かれ、口を閉じた。
それでも一度視線を女性の方へと向ける。
既にジューダスは女性に背を向け、立ち去ろうとしている。その姿に一つの乱れもなく、もう決めたのだと、拒絶さえ見え隠れしている。
でも、本当に、このまま何も言わず去ってしまっていいのだろうか。カイルはそう思わずには居られない。
ジューダスは確かに、このまま何事もなく終わることを願っているのかもしれない。
彼は誰よりも歴史を重んじている。下手な干渉はしない方がいいと思っているだろう。
だが、本心は?あんな笑顔を彼女に向けていた、あの少年であるジューダスも、本当にそう願っているのか?
とはいえ、カイルにはジューダスを止めることはできない。
この状況で下手な動きをすれば、取り返しの付かないことになるかもしれない。
何より、ジューダスは過去への干渉を酷く嫌う。そのことは今までの旅でよく知っている。
カイルは諦め、女性から眼を逸らし前を向いた。
だが、すぐにその視線は元に戻ることとなる。
「待って」
そう言ったのは、他でもないあの女性。
はっきりと強い意志の込められた言葉。
カイルは思わず足を止めて振り向いた後、ジューダスへと視線を送る。
ジューダスもまた足を止めていた。
自分の言葉に反応してくれたのが嬉しかったのか、女性はふわりと微笑んだ。
「もしかして、未来のリオン?」
ふわりと微笑み、そう言ってのけた女性に一瞬驚きにより時間が止まる。
やがて、立ち止まるだけで背を向け続けていたジューダスがため息をつきながら振り返った。彼は間違いなく否定の言葉を述べようとしていた。
だが…
「え!どうしてわかったの!?」
「………………カイル」
それは長い間を持ってして疲れ果てた非難の声となった。
天地戦争時代でハロルドにカマをかけられたのと全く同じだ。
ジューダスは再び深くため息を吐いた。
そんな二人に対して、女性は怖ず怖ずと口を開く。
「貴方達が、そんな感じのことを話していたから……」
「…………」
少々カイルに小言を喰らわせようと思っていたジューダスだったが、彼女の発言により完全にそれを失った。カマかけでもなんでもなく、会話を見事なまでに聞かれていたらしい。その気配に気付かなかった己にも呆れているような遠い眼をしている。
「あー……ジューダス?ごめん」
「なんで嬉しそうな顔で言うんだ」
「あ、わかった?」
「わからいでか」
大分投げやりなジューダスにカイルは頭を掻きながらも笑い続けた。何故か突如スタンを相手にしているような気分に陥り、ジューダスは更にため息をつく。
カイルは変わらず反省の色の無い笑いを零していた。突如それに違う笑い声が重なる。
「くすくす」
「………」
少し控えめで、無邪気な笑みを浮かべていたのは女性だった。思わずカイルは笑い声を止めて彼女の方へと視線を向ける。
同様に、何故彼女に笑われなければならないのかと、無言で彼女に向けられる紫の瞳には不満がたっぷりと含まれている。
それを見て彼女は更に笑うこととなった。
「ふふ、やっぱり。リオン、でしょ?わかるわよ。ずっと一緒だったんだもの」
「…………」
優しく暖かい笑みのままそう言われ、ジューダスは一度唖然とマリアンを見る。そして、やがて彼は笑みを浮かべた。先ほどリオンが浮かべていた笑みには届かないが、それに近いものだった。
「……………マリアン」
ようやく名を呼ばれ、マリアンはより一層華やかな笑みを見せた。
二人の間に作られた空気はカイルには踏み込めないものだった。何となくロニのほうへと視線を向ければ、彼は「羨ましいねぇ」なんてぼやきながらもマリアンとジューダスを薄く微笑みながら見守っている。
「それにしても、どうしちゃったの?もしかしてオベロン社が新しく開発したのかしらタイムマシーンなんて夢の世界だと思っていたわ」
「まぁ、そんなところだ。それで想定外のことが起きて此処に来た」
一切表情を動かさずにすらっと嘘を織り交ぜ、ジューダスはマリアンに現状の説明をする。彼女は何の疑いもせずにそれを鵜呑みにし、少しばかり眼を丸めた。
「まぁ大変。戻れるの?」
その問いには沈黙せざるを得なく、ジューダスは小さくため息をついた。
再びマリアンは口元に手を当て、「まぁ」と声を上げる。
「戻れるわよ」
そんな二人に突如割って入ったのはハロルドだ。
「レンズがあればいいんでしょ?ねぇ、リアラ。前と同じ量のレンズが必要?」
「え、いえ……渡る時間によってレンズの量は変わるけど……」
「今から2年後くらいなら、ソーディアン2本分あればいけるんじゃない?」
ハロルドの問いに躊躇いがちにも聖女は頷く。
「どういうこと?」とカイルが首を傾げる一方、ジューダスは納得しまた酷く嫌そうな表情を浮かべた。そんな彼にハロルドはにっこりと笑顔を浮かべる。
「そういうことだから、いいわよね?」
「………………」
「他にレンズ、ある?」
ぱっと思いつく他のレンズといえば、神の眼とイクシフォスラーのレンズしかない。今はどちらも厳重な警備をつけられている。
ジューダスは眼を伏せゆるゆると首を横に振った。ハロルドは軽く飛び上がりはしゃぐ。
あまりの喜びようにジューダスは落胆から立ち上がりすぐさま天才科学者へと釘を刺す。
「目的以外の行動は取るなよ」
「あんたが相手なんだから多少の無茶はしちゃうかも☆」
「するな」
二人の会話に完全に置いてけぼりを食らったカイル達。マリアンも同じく眼を瞬かせながら小首を傾げている。
ジューダスの言葉を適当に往なし、ハロルドはカイル達へと顔を向けた。
「ソーディアン二つならすぐに手に入るってこと。今ジューダスのもってるシャルティエと、そしてこの現代のジューダスが持ってるシャルティエを使っちゃおうってこと☆」
「あぁ!なるほど」
ぽんっとナナリーは手を打ち頷いた。カイル達も理解したらしい。突如差した光明に眼を輝かせる。ハロルドは満足そうに頷く。その肩をジューダスがぐい、と引っ張る。
「おい、ハロルド……くれぐれも」
「はいはいわかったわかった~」
尚のこと釘を刺そうとするジューダスだが、ハロルドは適当に流す。
ジューダスは深く深くため息をついた。そんな彼に少しばかりカイル達は同情する。
「マリアン……僕達が帰ったら適当に頼む。シャルティエを返してやってくれ」
「ふふ。えぇ、わかったわ」
くすくすと笑いながらマリアンは了承する。先ほどからどうにも彼女は笑ってばかりだ。
ジューダスは再び地面を睨みため息をつく。そして再びマリアンの方へと目を向けたとき、じっと彼女が己を見つめているのに気付く。
その瞳は長い間一緒に居たというのに、初めて見るものだった。僅かに細められた瞳は己を通して色んなものを見ているようだった。
その瞳が見られたのは一瞬で、眼が合った瞬間にマリアンはまたいつものように微笑んだ。久々に向けられる暖かい笑顔に過去を思い出し、ジューダスの目尻が自然と下がる。
あの時から、二度と見ることができないだろうと思っていたそれは、少年の心を揺さぶる。
この一時を過ぎれば、また見られなくなるからこそに
ジューダスは己の心を引き剥がすようにマリアンに背を向けた。
もう、あの時に全て捨てたのだから、今更なのだと
そして前を進もうと思っていた…のだが
「じゃ、俺たち小さいジューダス捕まえてくるね!」
後ろを振り向いた時、カイル達は何故かジューダスとマリアンから少しばかり離れたところに居り、軽くこちらへと手を振った。
それは少しばかり出かけてくるから、よろしく!なんて挨拶のようで、一瞬ジューダスの思考を止める。
「……何故僕に言う?」
「お前はそこで待ってろよ」
ジューダスが問えばロニがそれが当たり前のように告げる。
「…………残る理由がわからん」
「お前体力ないし」
「これに参加できないほどの体力だというならば剣など振るっていない」
そう言ってジューダスはカイル達の方へと寄るのだが、それを遮るようにカイルが前に出た。
「ねぇ、俺達だけでちゃんとなんとかなるからさ、ジューダスマリアンさんと一緒にいなよ」
「……下手に関わって何かあったらどうするんだ」
「お前がそんなヘマしねーだろ」
「………別に一緒に居る必要もないだろう」
ジューダスは僅かに表情を歪める。彼の過去へと入り込もうとすれば、いつもこうして嫌がられる。ジューダスとしては、既に全部割り切ってしまったことだから今更関わって欲しくないのだろう。
でも、カイルはただ純粋に自分の感情を押し付けた。
「一緒に居たくないの?」
ジューダスの表情が変わる。
別に、居たくないわけではない。居られないというだけだ。
それを口にできなかったのは何処かで自身の矛盾に気付いていたからかもしれない。
追い討ちをかけるようにカイルだけでなく、ナナリーまでも声をかけてくる。
「大切な人なんでしょ?」
マリアンの前で堂々とそう言われ、思わずジューダスは振り返る。
だが、マリアンは聞こえていなかったようで、首をかしげてこちらを見ているだけだった。
再びジューダスが視線を戻せば、ナナリーの瞳が少年を射抜く。
「いいじゃないか。せっかくなんだ、話したってさ」
「だが……」
尚のこと渋るジューダスにナナリーが業を煮やし始めた時、思わぬ援護が入る。
「どうでもいいんだけどさぁ、どっちかっていうと残ってた方がいいかもよ?あんたとリオン会わせる方がよっぽど面倒だし」
そのハロルドの言葉にジューダスが完全に押し黙る。
カイルは影でガッツポーズを取り、最後の締めにジューダスを無理やりマリアンの方へと向けた。
「ほら、マリアンさん待ってるよ。ジューダス」
ジューダスがため息をつく。今日だけでどれだけの幸せが逃げたのだろうか
カイルが背を押す前に、ジューダスは一歩踏み出した。
「……勝手にしろ」
カイル達は満面の笑みを浮かべると早速街中へと走っていった。
そんな彼らの背を少し恨めしく見送り、ジューダスはまたため息をつく。その表情はもう柔らかいものだった。
ジューダスが振り向いた時、マリアンはまた口元に手を当て笑っていた。
可笑しくて仕方が無いといった風に。でも、馬鹿にされているわけではなく、幸せそうに笑う彼女の姿は、やはり今まで見たことの無いものだった。
「……何か、おかしいことでも…?」
「ふふ……だって、とても楽しそうだったんだもの」
「別に楽しんでいたわけじゃ……」
罰の悪そうな表情を浮かべるジューダスに、やはりマリアンはまた笑った。
何故だか、それは今まで見てきたどの笑顔よりもジューダスに喜びを与えた。マリアンが軽くおなかを抱えてまで笑う理由も、何故己がそれを嬉しく思うのかも分からず、ジューダスはただマリアンの笑いが収まるまで待つ。自分の顔がいつの間にか綻んでいることにも気付かず
やがて笑いが収まったマリアンの瞳は、先ほどのような見た深い色を宿していた。
「安心した」
突如そう呟かれ、ジューダスはただ眼を瞬かせる。
「素敵なお友達ね」
微笑みと共に言われ、ジューダスは思わず俯いた。
無意識の行動だが、己の表情が綻ぶのをまじまじと見られるのが恥ずかしかったのだろう。その証拠に、仮面の下の顔は確かに嬉しそうなのだ。
「……煩いだけの奴らだがな」
「そうなの?」
「あぁ……変わった奴らだ」
そう俯きながら呟くジューダスの表情は穏やかで、マリアンは彼の成長を確かに感じ取る。ずっと孤独の中にいた少年が、今こんな穏やかな表情を浮かべている。それが嬉しくて仕方が無かった。
「ねぇ、エミリオ」
本名を呼ばれ、俯いていたジューダスがぱっと顔を上げる。
マリアンはジューダスへと近づいた。
「それ、外してくれないかしら」
そう言ってマリアンが指差すのは彼が被っている骨の仮面だ。
ジューダスは僅かに表情を硬くする。
「……だが」
「大丈夫よ。誰も見てないわ。だから、ね?貴方を見たいの」
マリアンからそう頼まれれば、ジューダスはそれ以上何も言わず仮面に手をかけた。
ゆっくりと仮面が持ち上げられ、黒髪が風に揺られる。
マリアンは成長した少年の姿をまじまじと見た。
その視線にまたジューダスは何となく居た堪れなくなり俯く。
くすりとマリアンはまた微笑んだ。
「背、伸びたわね」
「………あぁ」
「私、もうすぐ抜かれちゃうかしら」
嬉しくて仕方が無いといった風に、マリアンは声を弾ませながら微笑む。
「エミリオ、出会った時はあんなに小さかったのに」
マリアンはくるりと回り、館の方へと向く。
彼女が見つめているのは二人が出会ったリオンの部屋だ。
「なんだか、あなたの成長が凄く嬉しいの」
恥ずかしさから俯いていただけだったジューダスの表情が徐々に硬くなっていく。
少年に背を向けているマリアンは、未来を夢見、ただ笑う。
その未来を、少年は見ることができない。
「これから、あなたはどんな風になるんでしょうね。1年、10年、20年経っても、私の作ったお料理食べてくれるのかしら」
彼女は何も知らない。
少年の時が、既に止まっていることを
己が見ている未来は、途中でぽっかりと抜け落ちてしまうということを
不変で居られるなどとは思っていないだろうが、今の生活が、あのような形で終わりを迎えるなどとは、露とも思っていないだろう。
「貴方に会うのが、とても楽しみだわ」
彼女は、まだ、何も知らないのだ。
「……………」
ジューダスには、返せる言葉が無かった。
代わりに、ゆっくりと顔を上げる。
「マリアン」
「ん?」
ずっと屋敷を見ていたマリアンが振り向く。
ジューダスは小さく微笑んだ。昔、浮かべていたのと同じ笑みを
「昔、踊ったのを覚えているか?」
「一度、お城に連れて行ってもらった時のこと?」
「あぁ」
「ふふ、ちゃんと覚えてるわよ。どうしたの?突然」
すっと、マリアンの前に手が差し出される。
一瞬その手の意味に理解が追いつかず首を傾げるマリアンだが、すぐに彼女は理解し、その手をとった。
そして両手をジューダスの手と共に上げていく。
少し前に、彼に教えてもらった通りに
「覚えているのか」
「えぇ、もちろんよ」
マリアンは満面の笑みで返した。
今でも思い出せる。あの時のリオンは本当に無邪気に笑っていた。
見ているこちらが無条件で幸せになれるような、彼には珍しい年相応の笑み。
ジューダスは手を下ろした。
元から踊るつもりなどなかったらしく、マリアンは少しだけ残念に思う。
左手が離れる。だが、代わりにジューダスは彼女の右手を両手でとった。
大切そうに少しだけ持ち上げ、そして小さく言葉を零す。
「ありがとう」
少年が何に対して感謝を示したのか、マリアンには分からなかった。だが、少し伏せて見辛い表情から僅かに見える瞳の輝きは、何度か見たことのあるものだった。
恐らく、少年の深い傷に触れたとき、彼はいつもこんな眼をしていた。
だから、マリアンは何も聞かず、ただ少年の手の温もりだけを感じることとした。
けれども、その手は直ぐに離れてしまう。
元から触れ合うことを積極的にしない子ではあったが、此処まで遠慮がちな態度を示すことは無かったとマリアンは記憶している。
少し距離をとって、ジューダスはマリアンを真っ直ぐ見た。
「マリアンは、僕が笑うと幸せになれると言ったな」
「えぇ、覚えてくれてるの?」
こくんとジューダスは頷いた。
その事に喜びを覚える前に、アメジストに深みが増した。
「僕も、マリアンが笑うと嬉しい」
それは真っ直ぐマリアンを見ているはずなのに、彼女をすり抜けているようだった。
それでも確かに少年は、唯々マリアンを想う。
「幸せになってほしい」
マリアンは眼を瞬かせ、小首を傾げた。
未来から来た少年の言葉。それは、今のマリアンに向けられた言葉ではない。
「エミリオ…?」
どこか、目の前の少年に危うさを感じ、マリアンの胸に不安が渦巻く。
そっと少年に手を伸ばそうとした時、遠くからバタバタと慌しく走る音が聞こえてきた。
「ジューダース!とっつかまえたわよー!」
『うわぁあんぼっちゃぁん』
ジューダスの背中ではないところから情けないシャルティエの声が聞こえ、彼は自嘲のような笑みを浮かべ、マリアンから視線を剥がす。
カイル達がぜぇぜぇと荒い息をしながら庭へと飛び込んできた。
ジューダスは完全にマリアンに背を向けると、彼らの元へと歩み寄る。真っ先に話しかけた相手はハロルドだ。
「何もしてないだろうな?」
「あんたあの歳でなまいきなのよ!こんな状況じゃなかったら解剖してやったのに!」
「………何もできなかった、のか。それは良かった」
荒い息を吐きながら文句を撒き散らすハロルドに一先ず安心したジューダスは彼らが走ってきた方を見た後、リアラへ目配せする。
おそらく直ぐそこまでリオンが来ているだろう。
リアラは一度マリアンの方を見て遠慮がちな眼をジューダスに返した。
躊躇う暇などないだろうと少しばかり非難を交えて強い視線を返せば、リアラは直ぐ集中し始める。
『え……?坊ちゃん………?……僕?』
「シャル、ハロルドを見たならば何となくわかるだろう?後はお前が適当に誤魔化しておけ」
『え?え?え?』
リアラを中心に、ぶわっと光が溢れ始める。
この世界のシャルティエは完全に混乱状態にいるようで、ジューダスは苦笑し、再びマリアンへと振り向いた。
「……後は頼んだ」
「えぇ」
突然の展開ではあるが、それでもこれでお別れなのだとわかったらしく、マリアンはその場で静かに佇んでいた。
ジューダスは眼を細め、再び彼女に背を向けようとする。
「エミリオ」
呼び止められ、戻しかけた体を返す。
奇跡の光が地面から空へと登っている。その量がどんどんと増えていき、マリアンの姿もしっかりと眼に映すことができない。
それでも、彼女が微笑んでいるのだということは、わかった。
マリアンは、小さく手を振る。しばしの別れに
「またいつか、楽しみにしてるわ」
「…………あぁ」
小さく返事が返った途端、彼らは跡形もなく消えた。
そこには少年の大切な剣が一振り残されただけ
やがて駆けてくる小さな少年を、マリアンは迎え入れる。
「また、いつか」
そんな、夢を見た
此処に来るのは、何ヶ月ぶりだろうか。
家から此処までの距離はかなりある。そう頻繁に訪れることはできず、毎年決まった日に来ることにしていた。だが、今日はその日ではない。
それでも、この長い距離など気にも留めず飛び出してきてしまった。
「マリアン!?どうしたの突然」
「本当に、突然お邪魔してすみません」
当然ながら、突如の訪問に彼とよく似た容姿をもつ彼女は酷く驚いた。
「で、本当にどうしたのよ」
「いえ……ちょっと」
最初は苦笑、やがてそこから笑みが消えていくのが自分でもわかった。
「ちょっと、思い出したんです」
「……18年前のこと?」
「いえ……それよりも、もう少し前のこと」
そう言って、私は一度目を瞑り、突如思い出したあの日のことを再び脳裏に蘇らせる。
「なんで今まで忘れていたのか、不思議でたまらない……もしかしたら夢だったのかも」
突如思い出したそれは、鮮明とはとても言えず、朧な記憶だった。
本当に、ただの夢だったのかもしれない。
それでも、夢の中で呟いた彼の言葉が、胸を抉るようだった。
私はもう一度、笑みを作り直した。
「でも、来たくなって」
「そう。会いに行ってやって。きっと喜ぶわ」
あの墓を知る数少ない人物の一人であり、またその守人である彼女に挨拶を済ませると、ゆっくりと、あの場所へと向かう。
早く彼と話をしたいという思いと、あの墓を見たくないという矛盾に苛まれながら、何処までも静かな森の中を進んだ。
本当に、此処は静かだ。
直ぐそこは山だというのに、モンスターの気配なんてない。かといって全ての生命の気配がないわけでもなく、鳥のさえずりや草木のざわめきが耳に入る。
長年通っているが、此処の様子が変わることは一度も無かった。
何故か、手を握り締めずにはいられなかった。
肩がわずかに震える。
何も恐ろしいことなんて、ないのに
やがて、視界が大きく広がった。
目の前にあるのは、広大な海と、大きな樹。
そして、その麓にある小さな石。
本当に、何も変わっていない。
それを見た途端、ずっと体に入っていた力が抜けていった。
もしかしなくとも、期待していたのだ。
その場に座り込みたくなるのを堪え、再びゆっくりと歩き出す。
ようやく石の前にたどりつき、その場にしゃがみこんだ。
「ねぇ、エミリオ」
次の言葉を発する為に息を吸い込む。
その普段やっている行動すら、少し上手くできなかった。
「ねぇ……あのエミリオはどこにいっちゃったのかな」
自分の声は震えていた。
あの仮面を被った少年は
18年前のあの時を越えた少年は
仲間と戯れ、穏やかな表情を浮かべていた少年は
いったい、どこへ消えてしまったのだろうか
あれは、きっと、ただの夢だった。
だって、ありえないことなのだから。
あの子には、あの時より先がないのだから。
だが、こんなにも朧気な記憶の中に、一つだけ何処までも焼きついて離れないものがある。その時の少年の表情から声、気配まで、全て鮮明に覚えているのだ。
――幸せになってほしい
「………ねぇ、私が笑うと、貴方は幸せになれる?」
答えは返ってこない。
だが、あの時の彼の言葉は、今の私に向けていた気がする。
護るから、そう言って消えていった背中。
彼は、本当に、幸せなのだろうか
それでも、きっと、逃げることなく立ち向かった彼の為にも
私が笑うと嬉しい。そう言ってくれた彼の為にも
私はゆっくりと笑顔を作ってみた。
首都ダリルシェイドの、あの屋敷で働いていた頃のように
こうすると、まだ小さかった彼も、同じように微笑み返してくれた。
私に幸せをくれた彼の笑顔を思い返していく。
やがて、私は失敗していることに気付いた。
なんとか直そうとも、もう無理だった。
せっかく彼が願う私の顔を、作ったはずだったのに、彼のことを思い出すたびにそれは壊れていく。
だって、仕方ないじゃない。
あの頃を思い出すたびに、現実との差に気付くのだから
「…………ごめんね。これで…赦して、ね………」
だって
この世界では、返って来るはずの貴方の笑顔が、無いんだもの
to be continued…
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