ハートが夢見る医者 – 4

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『こちらサンジ。目標B達成だ』

『こちらウソップ! D機も停止完了したぜ!!』

元気になった電伝虫から届く仲間の報告は作戦が順調に進んでいることを告げる。ナミはにこりと笑いながらも、腕に巻いていた紐がピンと張ったことにすぐさま気づいて表情を一転させた。

「クォラァ!! またどこいくつもりよアンタ!!」

「ぐえっ」

紐をぐいっと引っ張れば、その先に繋がるゾロの首が締まり、彼は潰れた声を上げた。

本日のナミの任務は皆と同様、この街に点在する化学兵器を停止することと、お供の迷子を徹底的に阻止することである。

本来の予定より四日遅れて、麦わらの一味は当初上陸予定であった島へと侵入を果たしていた。

現在この島を牛耳るカイドウ傘下の海賊は、シーザーが開発した化学兵器を複数所持しているらしい。ワノ国にて事前にその情報を手にした一同が思い浮かべたのはゾウでの惨劇である。

あのときはチョッパーとシーザがたまたま居合わせたことで解毒剤を用意することができたが、今ここにシーザーはいない。敵が持つ化学兵器の効能も規模も個数もわからない。その上、占領されたばかりの島には罪のない住民が大勢残っている。下手に攻め込み化学兵器にて反撃をされた場合、自分たちは防毒マスクで対処できても住民が犠牲になる。

どうしたものかと悩む一同の中、今回の作戦を立てたのがローであった。

「先に兵器を止めちまえばいい」

「いや、そんな簡単に言うけどよぉ、トラ男。複数あるってなると見つけて壊す前に使われちまうんじゃねェか」

ウソップの言葉にもローは不敵に笑った。そうして彼が告げた作戦が、ハートのクルーが潜入調査で化学兵器の数や場所を特定し、後に麦わらの一味が島に到達。ローの能力によって一気に化学兵器の場へそれぞれ飛ばして、複数あるという兵器を一気に無力化しようという作戦であった。

残念ながら要のローが作戦に参加できなくなった今、麦わらの一味はハートの海賊団が得た情報を元に、敵に気づかれる前に全ての兵器を停止させようと己の足を動かしている最中である。

「それにしても、本当にすごいわね。兵器の場所完全に調べ切っちゃってるなんて」

ハートの海賊団が開示した情報は兵器の数と場所はもちろん、そこへ行くためのルートや敵勢力の規模、配置、わかる範囲の悪魔の実の能力。もし兵器が作動してしまった際の影響範囲までも算出していた。情報の精度も良く、麦わらの一味は着々と兵器を停止させている。

隙を見せれば迷子になる剣士を連れるナミも、間もなく目的地に辿り着くところである。作戦は順調だ。そう思われた時だった。

『A機、起動されてしまうかもしれない! 応援に回れる!?』

切羽詰まったロビンの声が電伝虫から届く。彼女はルフィと共にA地点の兵器に向かっていたはずだ。

「うそっ!? どうして」

『ごめんなさい、小さな男の子を放っておけなくてっ! チョッパー! こっちに来れる!?』

どうも島の住民を助けに入ったことによるトラブルらしい。次々と兵器が停止されたことから、攻め入られていることに敵は気づいたのだろう。チョッパーを呼ぶということは兵器停止の応援ではなく、その後の対処を求めての言葉だ。ほぼ確実に兵器が作動されてしまうとロビンは思っている。それほどまでに状況は切羽詰まっているようだ。

サンジと共に行動していたチョッパーはサンジに抱えられて空を飛んでいた。電伝虫から応援要請を聞いたサンジの行動は早かった。隠密行動を取ってきた彼はすぐさまそれをかなぐり捨て、空へと駆けた。

「クソ、止められねェってことか」

「……っ」

チョッパーは顔を青くする。

ハートの海賊団は潜入捜査時に化学兵器に仕込まれている毒物のサンプルをも入手していた。前もってチョッパーにもたらされたことにより、その解毒剤を用意することはできたが……それは致死性のあまりに高い毒であった。解毒が間に合うかどうか。

「どうにか止められないのか!?」

チョッパーが叫ぶ。しかし同時に彼は空から状況を知った。武器を手にした多くの住民と、ひどい怪我を負った子供を抱きかかえるロビン。必死にゴムの体を伸ばして兵器のある方へと向かおうとするルフィを数多のゾオン系能力者が足止めしている。そしてその奥に、兵器のある建物へと走るゾオン系能力者の姿が。

「あいつら、あそこの住民全員殺す気か!」

「っ!」

サンジが必死に空を蹴る。しかし兵器へと走る能力者は足が速く、とても追いつけそうにない。

最悪の事態を覚悟した瞬間。

ぶわっと青い膜が広がった。

「ああっ!!」

チョッパーは悲鳴を上げた。歓喜と安堵と非難の混じったぐちゃぐちゃの顔で涙を滲ませて叫ぶ。

「トラ男~~~~!! 安静にしてろって言ったのに!!」

海から島へと広がる青い膜はあまりに大きく、普段彼が使うサークルよりも格段に範囲が広い。サークルはゾオン系能力者の男よりも先に兵器が置かれたA地点を包み込んだ。

「ったく、どっから聞きつけやがったんだあいつ」

悪態をつくサンジもまた、安堵を浮かべながらも素直に喜べない状況に苦い笑みを浮かべる。

能力者が建物へと入った。しばらく経っても兵器の作動する気配は一切ない。やがて建物からすごすごとゾオン系能力者が出てきた。

「せ、船長! ボタンを何回押してもウンともスンとも言わねェ! ここも壊されてやがる!!」

「なんだとぉ!! いつの間に!!」

敵の嘆きが空に轟く。同時に、サンジの持つ電伝虫から朗報が立て続けに届いた。

『こっちの兵器、停止を終えたわ!』

『オウッ! こっちも終わったぜ! そっちはどうなった!?』

ナミとフランキーから伝達だ。サンジはロビンの傍へと降り立ちながら答えた。

「全部停止できたみたいだぜ。同盟様の手助けでよ」

『うおおお! 本当か! よかった!』

ウソップの歓喜の声が届く。同時にサンジはチョッパーへ電伝虫を投げて渡し、囲まれているルフィの元へと走った。

チョッパーは兵器が全て止まったことへの安堵に瞳を輝かせるも、すぐに自分にはやるべきことがあるのだと表情を引き締め、ロビンの抱える子供の隣に背中のバッグを下ろして医療具を取り出し始める。

「ったく、ルフィ! ひやひやさせんじゃねェ!」

サンジが走る勢いのままにルフィの背後にいる敵を蹴り飛ばす。ルフィは振り向き、仲間の登場に明るい表情を見せた。

「兵器止まったのか!? 助かった!」

「あぁ。これでコソコソすんのは終わりだ」

「よーっしっ!」

サンジがまた一人敵を蹴り飛ばし、ルフィが一人を殴り飛ばす。動揺する敵勢力を前に、ルフィはすぅーと息を吸い、思い切り叫んだ。

「行くぞおめェらーーーー!! 好きなだけ暴れろーーーー!!」

電伝虫へと届くその号令を機に、各地に潜入していた麦わらの一味は一斉に動き出す。

制限のなくなった彼らを止められるものはいなかった。

 

 

 

 

 

完全に伸びきった敵船の船長を前に、ふぅとルフィは息を吐く。

海賊の支配から逃れるべく抗い戦った島の住民たちから歓喜の声が沸く。戦いは麦わらの一味の勝利に終わった。

各地に散っていた一味が自然とルフィの元へ集う。皆重い怪我はないようで、元気な姿を見せてくれた。

それぞれが健闘を称えあう中、ふとそこに歩み寄ってくる気配を感じて、ルフィは顔を向けた。現れたのは見慣れた真っ白なつなぎの服。

「お前、トラ男んとこのか」

「あぁ。無事片付いたようだな」

「ウニじゃねェか」

ウソップが声をかける。背が高くスカーフで口元を覆うハートの海賊団クルーの一人、ウニはペンチを弄ぶように投げてはキャッチしてを繰り返しながらルフィたちの元へと歩いてきた。

「なるほど。さっきのはお前がやったのか」

サンジがペンチに視線を向けて言う。ウニは小さく肩を震わせた。おそらく笑ったのだろう。髪で目元を、スカーフで口元を隠す彼の表情は読み取りづらい。

「うちの船長、なかなか大人しくしてくれなくてね」

「それでお前が出てきたってか」

「ったく。古参組がこぞって船長の傍を離れたがらなくってな。おれだって嫌だったのに、貧乏くじひいちまった」

肩を落とすウニにサンジは苦笑する。

「おかげさまで助かったよ。しかしどこから嗅ぎつけたんだ? ウチの電伝虫の傍受でもしてたのか?」

電伝虫の通信はハートの海賊団とは繋がっていない。彼らは今も潜水して船長の回復を待っているはずなのだが。

「いや、こっち」

ウニはペンチの持つ手とは反対の手を出す。その手の中には小さな電伝虫がのろのろと動いていた。

「何匹か仕込んでたから、状況はよくわかったよ」

「……はー。恐れ入るわ」

潜伏時からこうして盗聴により情報を集めていたのだろう。ハートの海賊団は作戦不参加となったはずだが、あれだけ散々休めと言われていたのに、結局ローは船を島の近辺までつけて此度の作戦の状況を電伝虫から見守っていたというわけだ。

「トラ男は元気になったか?」

ルフィがウニを見上げて問う。驚異的な回復力を持つルフィは自分を基準に物事を考える。能力を使っていたのならローは回復したのではと思っているようだ。素直に笑顔を見せる彼にウニは苦笑する。

「おれを島に飛ばせるくらいには」

「無茶すんなよ!」

すかさずチョッパーが声を荒げる。

つまり完治はしていないのだ。A地点は幸いなことに海に近い場所ではあったものの、海からここまでの能力展開はさぞ体力を使ったことだろう。ウニは肩を竦めて見せた。

「それはうちのクルー全員が言った」

ポーラータング号でのやり取りが目に見えるようでサンジは苦笑する。素直に眠ってくれない病人にさぞ苦労させられたのだろう。「ペンギンなんて最後海楼石取りに行ってた」と物騒な情報が付け加えられた。

そんなポーラータングの事情など気にせず、素直にローの快方を信じて喜ぶルフィは海に向かって走り始めた。

「よーっし! トラ男元気になったんなら宴しよう!! 宴!!」

「やめろよルフィ! 絶対無理してただけだって!!」

そのあとをチョッパーが慌てて叫びながら追う。

仲間たちは顔を見あって笑うと、その背を追い始める。

建物の間から見える海が膨らむ。ザバンと音を立てて黄色い潜水艦が現れた。

 

 

 

 

「おー! トラ男ー! 元気になったか!?」

「トラ男! さっきはありがとう! もういいのか?」

海辺へ戻れば、サニー号の隣に黄色い潜水艦が並んでいた。その船尾の甲板には柵に手を置いてもたれ、帰ってきた麦わらの一味を見下ろすローの姿があった。ハートの海賊団クルーも大勢出てきてローの周囲を固めている。

そんなに肌寒い島ではないにも関わらず、ローはパンクハザードで来ていたロングコートを着ている。されど見える範囲の肌にあの痛々しい白い痣はもうなかった。

チョッパーの問いにローは「あぁ」と小さく返し、ルフィへと目を向ける。

「終わったか」

数日前まで病床に伏せていたとは思えない、いつもの様子でローはにやりと笑って見せる。ルフィはそれに応えてしっしっしと笑った。

「あぁ! 全部ぶっ倒しておいた!」

遅れて辿り着いたロビンが歩きながら言う。

「潜入ルートとか地図、すごく役に立ったわ。すごいわね、あそこまで調べられるなんて」

彼女の賛辞にローは笑みを深くした。

「当然だ」

その短い一言には仲間への絶大な信頼が宿っていた。それは当人たちにも届いたのだろう。ローの周りで肩をぷるぷる震わせて感動に浸っている。ロビンは「ふふ」と思わず笑みを零した。

そんな彼女の背後に白いつなぎの姿を見て、ローはそちらへと視線を移す。

「ウニ、ご苦労だったな。見つかったか?」

「アイアイ、キャプテン」

ゆっくり歩いてくるウニは船長の言葉に、ポケットに入れていた手を出し彼に掲げて見せた。その手に乗るのは受話器が装着されていない野生の電伝虫だ。

「よくやった」と告げ、ローは青いサークルを展開する。次の瞬間、ウニの手に乗っていたのは受話器が装着された電伝虫だった。

麦わらの一味と連絡を取り合っていた個体である。

ウニはその電伝虫から受話器などの機器を外してやり、そっと屈んで電伝虫を地面に下す。電伝虫はそろりとウニを見上げたのち、のろのろと地面を張って行った。

その光景を目で追っていたルフィを「麦わら屋」とローが呼ぶ。ルフィがローへと視線を戻せば、彼は淡々と言った。

「カイドウも、そして残党も倒した。同盟はここまでだ」

そのあまりに唐突な言葉にナミやチョッパーは思わず眉を寄せた。

せめてもう一晩の宴くらい楽しみ、別れを惜しんで行きたかったというのに、ローも彼のクルーたちも、甲板から降り立つ素振りは見せない。

陸と海で分け隔てられているかのように、ローは甲板から淡々とこちらを見下ろすのだ。

「えーっ!! お前また勝手に決めんなよ! そういう話はおれが決めるって言っただろうが!!」

「勝手じゃねェよ。元からそういう話だっただろうが」

「いいじゃねェか。同盟、楽しいしよー」

「おれはもう御免だ」

「ちぇー」

すげない返事にルフィの唇が尖る。サンジは咥えていたタバコを深く吸って吐き出した。視界の端で放された電伝虫がのろのろと歩いている。

「それでわざわざ電伝虫も変えるってわけか? 細けェもんだな」

もう、連絡を取ることもないということだ。

「敵船に余計な情報握られているようなもんだろうが。むしろこれが普通だ」

ローは隣に立つペンギンへと新しい電伝虫を手渡す。これより金輪際同盟関係はなく、以降は敵同士なのだとわざわざ見せつける律儀さに、サンジは再び深くタバコの煙を吐き出した。

「そっか……なんか寂しくなるな」

チョッパーがぽつりと呟く。一時的な同盟関係であることは最初からわかっていたものの、短くない濃厚な時間を共に過ごした。先のこともあって彼との距離も随分と縮んだように感じた。それが凄く嬉しかったのに、こうして一方的に切り離されるように別れを告げられている。仕方ないこととは言え、寂しさがどうしても付き纏う。船が並ぶことはなくとも、変わらず仲間でありたいと思っているのに。

チョッパーは俯く。その隣をウニが颯爽と通り過ぎていく。彼は軽々と自らの艦に乗り込んだ。

これでもうお別れか。残念な思いのままゆるゆると顔を上げたとき、ローがじっとこちらを見ていることにチョッパーは気づいた。

「……トニー屋」

目が合い、しばらくしてローが名を呼ぶ。チョッパーはぱちくりと二度瞬きをしてローの次の言葉を待った。

静かな金の目がこちらを淡々と見ている。やがて彼は口を開いた。

「トニー屋には、でけェ借りができちまったな」

「き、気にするなよ! おれは医者だからな!」

彼らしくない再三の感謝に、チョッパーはなんだか胸がむずかゆくなり照れながら胸を張って答えた。ローは表情を変えずにそんなチョッパーの様子をただ甲板から見ている。

「……そうか」

短くそう返事が返ってきた。しかし、彼は変わらずじっとチョッパーを見ている。どこか真剣な面持ちで、何かを探すように。その不思議な視線に再びチョッパーはきょとんとする。じっと見られているのに不思議と不快に感じない。なんとなく視線を離してはいけない気がして、チョッパーはじっとローの視線を受け入れた。

「なぁ、トニー屋」

再びローに名を呼ばれる。先ほどと同じように、チョッパーは視線をただ返してローの言葉を待った。そんな二人の不思議なやり取りに周囲も注目している。

やけに静かになった場に、波の音だけがさざめく。やがてローの淡々とした声が、大きな声でもないというのに、その場にやけに響いた。

「もしも本当に伝染する病だったら、どうしていたんだ」

波がさざめく。されどその発言は掻き消えることなく余韻を残す。

唐突なその問いに、チョッパーはざわりと毛が逆立つのを感じた。

その意味を理解するのに三秒ほど時間をかけた。喉が詰まりそうになる。

凄く凄く、嫌な質問だった。チョッパーにとっても辛い質問である。だがそれよりも、何よりもそれは――

しかし、静かに見つめてくる金の目が回答から逃げることを許さない。チョッパーは固唾を飲む。これはきっと、とても大切な質問で、回答には十分な注意を払わないといけない。それを肌で感じた。

チョッパーは意を決して答える。

「……今回は、トラ男が能力で治せるってわかってたから。出来る限りの感染対策をして、トラ男の回復に努めて、その合間に病気について調べようとしてた。トラ男さえ回復できたら、病に打ち勝つ希望が出てくるから」

チョッパーは真剣に答えた。ローは変わらぬ目でチョッパーを見ている。その目が僅かに細められた。

「……出来る限りの感染対策。それが出来ていなかったことを、お前はわかっているだろう」

「っ……」

「トラ男君、それは……」

言葉に詰まるチョッパーに代わり、ロビンが声を上げようとする。

チョッパーが防護服を着なかったこと。ローはそのことを言っているのだ。あのチョッパーの行動はローを思ってのこと。それに気づいて欲しいとロビンは口にしかけ、しかし止まる。

彼は既にそのことに気付いている。理解している上で言っているのだ。

ローは静かにチョッパーを見ている。チョッパーは困ったように眉を寄せた。

「もしもあのままおれが死んでいたら、どうしていた?」

ローは再び淡々とチョッパーに問いかけた。厳しい質問だが、悪意があるわけではない。ただ現実をあるがままに突き付けている。

「…………わかってるよ。だからそうならないようにトラ男の回復を一番に考えたし……治療方法をどうにか編み出せないかと、研究を……」

チョッパーの言葉は尻すぼみになっていった。そこで初めてチョッパーはローの目を見ていられなくなり俯く。

ローはチョッパーの消えゆく言葉まで全て聞いてから、一拍置いて、変わらぬ口調で言った。

「この短期間で治療法は見つけられなかっただろう」

チョッパーは顔を上げることができなかった。奥歯を噛みしめ、悔しさに肩を震わせることしかできなかった。

その厳しい現実は、誰よりもチョッパー自身が痛感していたことだ。

「治療法の見つかっていない難病であることを、お前は知っていた。たった数日調べただけで治療法が見つかるわけがねェ。考えが甘いんじゃねェのか」

そんなチョッパーに容赦なくローの言葉が降りかかる。ただ淡々と、現実を叩きつけてくる。

「ちょっとアンタ、いい加減にしなさいよ!」

ナミは黙って聞いていられなくなった。この数日、誰よりも一生懸命に、何とかしようと動いていたチョッパーを見てきたのだ。そのチョッパーを、何故よりによってローが責め立てるのか。感謝していたのではなかったのか。ふつふつと沸いた怒りのままに、ナミは一歩踏み出す。しかしその胸の前に腕が遮り、彼女の歩みを止めさせた。

「なによルフィ!」

自分を止めるその腕の持ち主に向かってナミは怒る。されどルフィは腕をどかしはしなかった。

「黙って見てろ。これはチョッパーの戦いだ」

「……なによそれ」

ナミは歯噛みする。しかしゾロもサンジも、ロビンやフランキー、ブルックも、黙って現状を見守っていた。ウソップまでもが口をへの字に曲げて静観している。

ナミは再び歯噛みして、彼らに習い前を向く。ナミが怒声をあげていたというのに見向きもしないで、ローは変わらず淡々とした表情でチョッパーを見下ろしていた。そして彼を守るように取り囲む彼のクルーたちも、静かにそれを静観していた。

そんな多くの視線の先に、小さなチョッパーの背がある。その視線で押しつぶされてしまいそうだ。されどローは淡々と言葉を重ねた。

「お前は麦わらの一味の船医だろう。伝染病を船に抱え込む危険性はお前が一番に持たなきゃならねェ。下手すりゃ麦わらの一味は疫病で全員死んでいた。お前はその責任を背負っているんだ」

ナミは思う。別に、もう全てが上手く行ったのだからいいじゃないかと。しかしその反面、心のどこかで彼が何を言いたいのか、なんとなくわかった。きっと医者というのはそれだけで済ませられないのだろう。それが命を背負う医者という存在なのだと。しかし、ならばどうすればよかったと言うのか。

答えを求めるようにナミはローを見る。

ずっと無表情に淡々と言葉を紡いでいたローが、そこでほんの僅かに表情を歪めた。

「時には切り捨てる判断も必要だ」

声が低くなり、唸るように告げられた言葉はやや掠れていた。

「優しさだけで、命は救えねェ」

波が、さざめく。

押し寄せる波がその言葉を攫ってくれればいいのに、二度、三度と波が押し寄せ、引いていっても、やけに残る言葉だった。

それはきっと、血の滲んだ言葉。簡単には退けることのない重さを持った言葉。その重みがそのままこの場の空気を重くしていく。

――しかし、俯いていたはずのチョッパーは、その言葉を機に顔を上げた。

その表情は先ほどまでの悔しさに歪むものではなく、唖然とするような、その中に悲しみを織り込んだ純粋な顔。

チョッパーはローを見上げる。先の言葉に滲む血が誰のものか、なんとなく理解できたのだ。だから、顔を上げた。

非情な現実を突きつける言葉。非情な現実を、突きつけられてきたから生まれる言葉。

「…………トラ男は……見捨てるべきだったって、言ってるのか」

チョッパーの声は震えた。

彼が何を言っているのか、その本質を、先の言葉で見てしまったから。

治療法の見つかっていない危険な伝染病だったから。それを研究するだけの時間と実力がないのだから。より多くの命を助けるために――珀鉛病患者を見捨てるべきだったと。

それは、仕方のないことなのだと。

そう、言っているのか。

彼にだけは、ローにだけは、そんな言葉を紡いでほしくなかった。何かの間違いであれと願って、チョッパーはローを見上げた。しかし、

「それが、より多くの命を救う為の一般的な答えだ」

ローは変わらぬ表情で淡々とそう言った。

チョッパーは顔をくしゃくしゃに歪めた。その脳裏に、数日前のローの姿が蘇る。錯乱し怯えて攻撃してきた姿が。柔らかな本質を晒して、ありがとうと嬉しそうに微笑んだ姿が。全部過ってチョッパーの胸を締め付けていく。

それを切り捨てるべきだったと。切り捨てられて然るべきだと。仕方のないことなのだと、言っているのだ。

嘘つき。凄く苦しかったくせに。怖かったくせに。傷ついたくせに。悲しかったくせに。助けてほしかったくせに! だからあのとき、あんなにも柔らかく微笑んだんじゃないのか!

涙が出そうだった。だが今度こそ絶対泣いてはならない。今この時だけは、絶対俯いていては駄目なのだ。

「……っ嫌だ!!」

チョッパーは大声で叫んだ。心の底から叫んだ。波の音を裂くようにその声は響く。

ローの厳しい言葉の数々は一つを除けば全て本当のことだ。だからこそ悔しさに俯いた。だが、最後の言葉だけは決して認めたくなかった。その思いの丈をぶつけるように、チョッパーは叫ぶ。戦う決心をして、強い眼差しをローに向ける。

「優しさだけで命が救えないことは、おれも、よく知ってるよ」

チョッパーは唸るような低い声で言う。

そのことは、身に染みて、よく知っているのだ。

ローの言葉の意味を、チョッパーは十分理解している。もしも本当に伝染病だったのなら、あの数日、サニー号は本当に危険な状況にあった。その恐ろしさにはチョッパー自身も震えた。わかっている。

彼からすれば自分は愚かなのかもしれない。実力も足りないのに切り捨てられない甘さから多くの命を危険に晒した。わかっている。きっとこの甘さのせいで、これからも自分と仲間たちの命を危険に晒すことが沢山あるだろう。でも――

「でも、おれはこの数日の自分の行動が間違ってたなんて絶対思わない!! 後悔するのは一つだけ!! おれの実力が足りなかったことだけ!! それだけだ!!」

それは全て、実力さえ伴えばいいだけのことだ。そうすれば、全てを守れる。大切な命を失わないで済む。心をも一緒に救うことができる。こんな悲しい考えを生まなくて済む。

そうなりたくて、チョッパーはずっと勉強してきたのだ。まだまだその実力は足りない。今回のことでそれを見せつけられた。非情な現実はいつだって夢を壊しに来る。だがそれと戦い続けることが、夢を追うということなのだ。

「おれは医者だ!! 患者を見捨てることは絶対しない!! おれは万能薬になるんだ!! どんな病気でも直せる万能薬に!! それがおれの夢だ!! それがどれだけ無謀だって罵られようとも、おれはやるんだ!! おれが決めたことだ!!」

多くの人の命が危険に晒されるからって、目の前の苦しむ人を見捨てるなんて嫌だ。あれだけ苦しみ傷ついていたというのに、それを仕方ないことだと背くような世界なんて絶対に嫌だ。それを仕方ないことだって、本人に言わせるような世界なんて、絶対に嫌だ。嫌だ、嫌だ。

優しい医者でありたい。大好きな恩人がチョッパーのことを優しい奴だと言ってくれたことを、いい医者になれると言ってくれたことを、その根幹を、決して失いたくない。曲げたくない。

「そのためになら、命だってかける!! 夢のためになら死んでもいい!! おれは絶対、おれの夢を曲げない!!」

海にも空にも響き渡るように、チョッパーは叫んだ。息を切らして、全て吐き出し切った。そうして、ローを見上げる。絶対にこの戦いにだけは負けないと、強い決意をもって見つめる。

ローはずっとそれを変わらぬ表情で静かに見ていた。彼の熱量が届いているのかいないのか、涼やかにチョッパーを見下ろしている。

チョッパーはぐっと口を引き結び、ローを見上げ続けた。

その視線を受け、ローは三度のまばたきを経て、再び口を開いた。

「それが、本来守るべき自船のクルーを危険に晒すことでもか」

変わらぬ厳しい現実。自分以外の命を秤にかける質問。思わず言い淀んでしまうようなその質問に、チョッパーは即答した。

「うん。それが、おれがこの船に乗る理由だから」

チョッパーは仲間を振り返ることなく言った。

彼には自信があった。この背を温かく見守る視線。ずっと共に命を懸けて戦ってきた仲間たち。彼らはこの程度の現実くらい一緒にぶち壊してくれる。自分と同じくらい、いや、それ以上の。バカで愚かな最高の仲間たちだって。

「しっしっし! よく言ったチョッパー!! それでいい! そういう医者じゃねェと、おれは嫌だ!!」

背後から届くルフィの言葉に、チョッパーはここにきて初めて振り向く。

仲間たちはチョッパーの思っていた通りの表情で、チョッパーを見守っていた。

「エッエッエッエッエッ!」

その力強い笑顔の数々に、チョッパーは嬉しそうに笑った。

「呆れたやつらだ」

ローの声にチョッパーは再び彼を見る。その声も表情も、先ほどまでの感情が消え去ったようなものではなくなっていた。

ローは柵に左肘をついてその手に顔を乗せ、弛緩したように口角を上げてチョッパーを見下ろす。

「長生きできねェなぁ?」

呆れたように笑いつつ、眉を寄せてどこか哀愁を漂わせて言う姿に、チョッパーはあぁ、と納得する。

彼は単純に、無茶をするチョッパーの身を案じて助言をしていただけだったのではないだろうか。

短い先程の一言は、これまで淡々と告げられてきた言葉より優にそれを語っていた。

またあのむずかゆい感覚に陥って、チョッパーは笑顔とも泣き顔ともつかぬようなその合間を行く変顔をしてしまう。

それでも、ローの気持ちを裏切るようで申し訳ないが、やっぱりチョッパーはこの自分の思いを曲げたくはなかった。苦しむ彼を決して見捨てたくなどなかった。

ローはだらんと柵に体を預けていた状態からゆるりと体を起こす。

「トニー屋。万能薬なんて存在しねェ。人はいずれ死ぬもんだ」

「ロー、おまえなぁ……」

いまだ続くすげないローの言葉に、サンジが呆れたように声をかける。

「……だが」

真っすぐ立ち直したローが再びチョッパーを見る。

「それに近づくことは、不可能じゃねェ」

ローは口角を上げる。

「トニー屋。おれにとって、おれの艦が何よりの優先事項だ。だが、その次だ」

「?」

チョッパーは小首を傾げてローを見上げる。

ローはコートのポケットに左手を突っ込んだ。何かを取り出したのだろうその左手を、下から放るようにチョッパーへ向けて投げる。飛んできた何かを、チョッパーは両手で慌てて受け取った。

ぺちょりとした感触と、硬い感触。

手の中に納まったものをチョッパーは覗く。

そこにあったのは白い電伝虫。希少種である盗聴妨害を可能とする電伝虫だ。

自身の手のひらを見てから、チョッパーはローを見上げる。いつもの凛とした姿。鋭い金の瞳。だが、その目の奥には、ここ数日間で何度も垣間見た彼の本質があった。その目が僅かに細められると、それが染み出て溢れ、チョッパーに伝わる。

「お前のそのバカげた夢が砕けそうになったら、砕ける前に連絡を寄越せ。お前の薬学とおれの能力がありゃ、大抵の病気は治るだろうよ」

「……!!」

その言葉はあまりにも心強く嬉しいもので、チョッパーは声を失う。

ローが、そして彼の周囲の仲間たちが、温かくチョッパーを見守っていた。

彼の夢を応援してくれる新たな仲間が、今、できたのだ。

それをようやく飲み込み、チョッパーは満面の笑みで頷いた。

「……っうん!!」

その返答に、ローは満足げに笑って背を向けた。

ハートのクルーたちもそれぞれ満足そうに笑って艦の中に入っていく。出航の準備をするのだろう。

再び訪れる別れの感覚。しかし先ほど感じた寂しさは当然ながらもうない。

チョッパーの手には今、ハートの海賊団との確かな繋がりがあるのだから。

「しっしっしっし! やっぱトラ男はいい奴だなァ~!」

ルフィが笑う。他の仲間たち、ナミもまた安心したように笑っていた。

仲間たちに続くように艦へ入ろうとしていたローの背に、ルフィが叫ぶ。

「よし!! じゃあ同盟は継続だな! トラ男!」

彼は気だるそうに半身だけ振り向いて言った。

「継続じゃねェよ。おれはトニー屋に言ったんだ。てめェとは終わりだ」

「ん? トラ男おめェ何言ってんだよ。チョッパーはおれの仲間だぞ。そのチョッパーと仲間になったんだから、やっぱおれらは仲間で同盟だ!!」

「…………ちげェよ」

苦々しく告げるローの声にはほとんど諦めが滲んでいる。その様子を見て、ハートの海賊団のクルーたちは必死に笑いを堪えあった。麦わらの一味も同じ思いで苦笑する。

結局同盟は継続なのか、終了なのか。二人の船長の主張はきっと平行線のままだろう。しかしどっちにしろ言うべきことは同じであった。

「それじゃ、またな~!」

ハートのクルーが、そして麦わらの一味が、互いに声を掛け合う。

この形容しがたい関係は、長々と続きそうだ。

 

 

Fin.

 

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  1. 内緒 より:

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