小さな丸窓から見える黒と白の世界。
ラディスロウの厚い窓をしても、そのガラスは冷たかった。
わずかに窓に触れた手を引っ込め、黒衣の少年は目を瞑り、静かに仮面をはずす。
カイルは1000年前の世界にはしゃぎ、他の仲間もそれに引っ張りまわされている。しばらくこの部屋に戻ってくることはないだろう。
広くなった視界の中で、それでもまた小さな窓から外を見る。
夜の星はひとつも見えず、風の音だけが僅かに聞こえる。窓から出る光が斜めに落ちる雪をちらつかせるも、その奥は漆黒の闇だった。
それは、彼自身の行く先のようで、少年を憂鬱な気分にさせた。
神を裏切った。
今までカイル達と共に旅をしてきてはいたが…それは神にとっては、まだ18年たった世界を眺めさせる為のものでしかなかった。
だが、今はもう違う。
神が作り上げた世界にて、完全に神を否定し、神との対立を宣言した。
そして神もまた、彼を敵と見なした。
少年が小さくため息をつく。すると、すぐに小さく労わりの声が少年の頭に響いた。
『大丈夫ですか?』
「…ため息くらいで煩いやつだ」
『だって~…』
シャルティエはおどけた声をだすも、どこかそれは真剣なもので
『いつ…坊ちゃんの身に何が起きるかわからないんですよ』
「わかっている」
ベッドに腰掛けていた彼は、すぐそばに立てかけていたシャルティエの柄を撫でる。
ふと部屋に戻した視線も、すぐにまた窓へと吸い込まれた。
闇を映す瞳は本来美しいアメジストなのだが、今はその闇を吸い込んだように暗い。
「すべて、始めからわかっていたことだ。覚悟している」
『………』
シャルティエはかける言葉が見つからずに沈黙した。
彼に体があれば、泣きそうな顔をして少年へと遠慮がちに悲しげな目を向けただろう。
少年の視線を窓から外したくて、シャルティエがもう一度声をかけようとしたとき、先に彼が口を開いた。
「シャル」
『はい』
「僕は守りたい。お前が生きたこの時代も、スタン達が生きた18年前の世界も、そして…」
虚空を見つめる彼は、一人一人護りたい人の顔を思い出しては消していく。
シャルティエにはマスターが言いたいことも、思っていることも痛い程に伝わり、搾り出すように小さく『はい』と返事をした。
夜が開けた。
ダイクロフト突入準備も整っている。 カイル達はハロルドが作ったロケットのある格納庫へと向かう為、ラディスロウに与えられた部屋から出た。
「なんかドキドキするね!ロケットかぁ…イクシフォスラーとはまた違うのかな?」
「はしゃぐな。みっともない」
ラディスロウの兵士達は皆緊張感を漂わせている。そんな中浮く金髪に仮面の少年が呆れながら呟いた。
「まぁいいじゃねぇか。こいつが緊張なんてしたら、それこそ何しでかすかわかりゃしねぇ」
「カイルはそのままがいいと思うわ」
ロニとリアラが微笑みながら告げる。二人は本当にカイルに弱く、ジューダスが呆れながらも彼らを見れば、ジューダスの背から他のソーディアンマスターに聞こえないようシャルティエが話しかける。
『ふふ、皆カイルに甘いですね』
「まったくだな」
『僕は坊ちゃんも入れて皆と言ったんですけど』
瞬時に少年が鞘をガンッと殴るように叩いて、シャルティエは小さく悲鳴を上げる羽目になった。
「ハロルド、気をつけるんだぞ」
そのシャルティエの悲鳴と同時にカーレルの声が今しがた通った部屋から聞こえてきた。ジューダスは眉を寄せる。先ほどのシャルティエの声が聞こえたのではないかと懸
「カーレルさんか」
「ハロルド中にいるのかな」
カイルが立ち止まり扉の前に立つと同時に、扉が横向きに開かれ、カーレルとハロルドが出てくる。
喋りながら出てくる二人は身長差もあり、双子とはとても思えない。
「あら、おっはよー」
「おはようハロルド」
「君たちか」
カーレルが微笑み挨拶をするのに、カイルは急いで頭を下げた。
軍に入った以上、彼は上官に当たる。ハロルドもそうなのだが、彼女は自分からそういう扱いは嫌だと断っている。
「楽にしていいよ。それより、今日はハロルドをよろしく頼む」
「任せてください!」
「まったく兄貴ったら心配性なんだから」
手を方まで上げて首を横に振るハロルドに、カーレルは困ったような笑顔を向けた。 彼女が心配でたまらないのだろう。
もう一度よろしく。と言うと彼は最後の打ち合わせのためにハロルドを残し、去っていった。
「いい兄さんじゃないか」
「まぁねー。いつまでも妹離れしないって言うか、何って言うかー」
ハロルドは少々気だるそうに言いながら歩みを進めた。
心配性すぎる兄に困っているというところだろう。よく見かけたものだ。今その場にいるロニとカイルも時々やっている。
実に幸せそうな兄妹を見て、何か胸がざわめくのを仮面の少年は感じた。
しばらくして、すぐに子供の頃記憶した文章が浮かんできて、仮面の下でジューダスは表情を硬くした。
「シャル、確かあの男は」
『…はい』
同じことを考えていたらしい。シャルティエの声色は暗い。
たった一言で、ジューダスは自分の記憶と歴史書が正しいことを知った。
今、こうして生きている兄妹の行く末を知る未来の自分達に、どこか虚しさを覚える。
「何仏頂面してんのよ」
他のものに会話が聞こえぬよう後ろを歩いていた少年に、ハロルドが仮面の下から覗き込むように見上げてくる。
彼は心を切り替え、ハロルドを煩わしそうに見た後、歩く足を速めた。
「かわいくないのー」
ダイクロフトに文字通り突っ込む形となったロケット。
カイル達はしっかりとハロルドの護衛任務を遂行した。
クレメンテとアトワイトの救出も成功し、カイル達の顔にも安堵が立ちこめる。
まだ気を抜ききっては居ないものの、今まで厳しい顔をしていたディムロスも心が穏やかになってきたところだった。
ジューダスは空間が捻じ曲がる異様な気配を感じ、後ろを振り返る。
小さく、黒い染みのような歪んだ空間がぐにゃりと捻じ曲がりながら大きくなっているところだった。
「カイル!気を抜くな!」
「え?」
振り向いたカイルも、その異様な光景に急いで剣を構える。
何度も見てきたその瞬間は、あの男が現れる時のものだ。
「くくくくく」
空間を突っ切り、現れた男にカイルとディムロスの声が重なる。
「バルバトス!」
「久しぶりだな。ディムロス=ティンバー、カイル=デュナミス…」
にやりと笑みを浮かべながら現れた青い髪の男は、斧を地面に突き刺しカイル達を眺めた。
やはり、歴史改変に来たか。
皆の目が鋭くなる。
「貴様は死んだはずでは!」
ディムロスの言葉に、カイル達に僅かに動揺が走る。
さすがのジューダスも、バルバトスが1000年前の者とは聞いたことがないため顔を顰めた。
「くくく。神は俺に味方したみたいでな」
「…ならばまたあの世に送り返すまでだ」
ディムロスが剣を構える。
それを見てバルバトスが一際激しく笑った。ディムロスの額から汗が流れる。前回のあいつとの戦いのときは、此処まで威圧感を感じただろうか
「俺はなぁ!ディムロス…幾多の時代を流れ、英雄と呼ばれたやつも斬って来た。もう貴様など…俺の敵ではないわぁ!」
そういうと、バルバトスは吼えるように斧を振り上げ、ディムロスへと突っ込む。
その勢いは激しく。剣と斧が合わさるときは火花を散らした。
「ディムロスさん!」
「来るな!」
カイルが加勢に入ろうとしたとき、ディムロスから鋭い言葉が飛び、彼らの足を止めた。
「お前達は早くハッチに乗り込め!」
「俺達も戦います!」
「上の命令が聞けんのか!」
再度怒鳴るような言葉に、さすがのカイルも怯んでしまい、剣が垂れ下がる。
一方バルバトスの攻撃は激しく、ディムロスはどんどんと押されて行った。
「くく、こんなもんだったのか?お前の力は……俺を殺した力は!」
ガキンッという音と共にディムロスの剣が折れた。
それを見たカイル達はもう命令がどうの言える状況じゃない。ジューダスも双剣を構え飛び出すところだった。
再び彼らを止めたのは、ディムロスとは違う澄んだ声の者だった。
「おやめなさいバルバトス!」
カイル達とディムロスの間にあったハッチの扉から飛び出してきたのはアトワイト。
それを見てバルバトスの顔が今までにないくらい邪悪に染まるのを見る。
「アトワイト…」
アトワイトが必死にバルバトスを説得するかのように怒鳴りつけるのを、本人はまったく聞かず、ギラギラと目を光らす。
それは、獲物を狙う狼そのものだった。
嫌な予感がし、ジューダスがアトワイトとバルバトスの間に入ろうと思ったとき。バルバトスの姿が揺らめき消える。
「え?」
アトワイトがそれに驚愕し声を出したときには、彼女の喉に斧が当てられていた。
「アトワイト!」
「くくくく…ハッハッハハハハァ!」
「アトワイトさん!」
ジューダスが思わず舌打ちをする。
彼女が人質にとられた以上、下手な動きもできない。
バルバトスがディムロスを嘗め回すように見、嬉しそうにクツクツと笑った後、彼は何故かジューダスに視線を向けた。
「俺は無様に消えはしない。お前のようにはな。ハッハッハハッハハ!」
バルバトスの笑いのみが木霊する中、彼とアトワイトはまた歪んだ空間に吸い込まれ消えていく。
その様をカイル達は悔しさに拳を震わせながら見るしかなかった。
ダイクロフトより戻ってきたカイルは予想通りに荒れた。
英雄と尊敬していた者に対して彼が言った言葉はきつい。
シャルティエは、自分のマスターが表情こそ表に出さないが、内心苛立っているのを感じ取る。
カイルが言うほど、最愛の人と世界という重み、その天秤は簡単には止まってくれないのだ。そしてそれは、同じ選択をしたマスターが良く知っていること。
彼もまた、最後の時まで悩んでいた。その苦悩を知るものは少ない。
『カイルもまだまだ子供ですね』
「……」
シャルティエが軽い口調で出した言葉に、マスターは黙ったままスパイラルケイブへと向かう一行の最後尾を歩く。
彼が後ろを歩くのはいつものことだったが、どうにも改変世界で正体を明かしてから、その距離が広がった気がして悲しかった。
『ぼっちゃん?』
「馬鹿はいいな…あそこまで素直に真っ直ぐ行けるとは」
何かを嘲笑うような笑みを仮面の置くで浮かべる少年に、シャルティエは黙った。
彼の心は何となく読めるが、確信が持てない。次の言葉を待つ。
それを少年は悟ったのか口を開いた。
「…自分で選んだ選択だから、後悔はしていない。だが…迷うことは、あるんだ」
少年は静かに、唯一すべてを明かす存在に弱みを見せる。
今でも、最愛の人と、世界という重みはぐらぐらと揺れている。
18年たった今でも、一度滅んだ今でも。
『ぼっちゃん。その天秤が揺らぐことのない人なんて居ませんよ』
「あぁ…わかっている。カイルはただ、当事者でも経験者でもないだけだ」
『……だから、無理に揺れを止める必要なんて、ないと思います』
ボスッ、と少年の雪の中なのに軽やかに歩いていたその片足が沈む。
彼は、多くのことを望もうとしない。
簡単に諦める。いや、本当は簡単などではない。ただ、そのあまりに悲しい一生故に、諦めざるを得ないのと………諦めなければ心が持たなかった。
『いいじゃないですか。マリアンさんも大切で、世界も本当は壊したくなかった。それで、別にいいじゃないですか…』
ジューダスは黙る。それは、心が確かに思っていること。だけれど、同じく心が否定し続けることで、矛盾が彼を止めた。
大切だったからこそ、罪悪感が生まれる。
そしてそれに対して、彼は自分が悪となることで、自分が犠牲になることでしか償いを見つけることができない。
だから、彼は弁明も何もしない。
今、目の前を歩いている大きな背中の犠牲者にも、何も言わない。
きっと、言えば相手は迷う。迷うというのは苦しい。
本当は大切だった。こんな理由があったんだと言えば、優しい銀髪の青年は苦しみながらも理解しようと努力するに違いない。
そんなこと、少年が許せるわけがなかった。
誰かに頼るということを知らない少年は、自分がやった。殺したければ殺せと言うに違いない。
「………天秤は、止めないといけない」
ほら…!
シャルティエは力いっぱい、少年を抱きしめたかった。
幸福を求められなくなる罪悪感という呪いが解けることがなくても、せめて彼に温もりを与えたかった。
それすらかなわない己の身を、呪いたくなった。
「あ。ここかな、スパイラルケイブっていうの」
少し遠いカイルの声が聞こえてくる。
俯いていたジューダスが顔を上げる。いつの間にか結構な距離が開いたカイル達の前に、ぽっかりと穴が開いているのが見えた。
「何してるのジューダス!早く行こう。アトワイトさんを助けないと」
マスターはため息をつき、少し足を速めた。
元から外郭のため光の入らない時代というのに、スパイラルケイブと呼ばれるこの洞窟は明るかった。モンスターもその光を求めるのか数が多い。
それらをカイル達は蹴散らしながら先へと進んだ。
広かった洞窟の道が、急に狭くなり、一人通るのでやっととなる。だが、その奥に開けた場所が見え始めた。
そして、その広い場所には一本の柱のようにたつ岩に横たわる白い影が見え、カイルが声を上げた。
「アトワイトさんだ!」
先頭を歩いていたカイルが走り出す。ジューダスは眉を顰めながらあたりに危険はないか探る。
天上を見たとき、薄い紫の巨体と、赤い何かが光るのを彼は見逃さなかった。
その場所は、カイルのすぐ頭上前。丁度広く開けた場所に出る前だ。
「止まれカイル!」
声だけでは間に合わないだろうと、ジューダスは短剣を天上から突き出る細い岩に向かって投げた。それは元から根の部分に罅が入っており、素早く放たれた短剣はそれに的中し、カイルがそのまま走れば頭上に当たる部分へと向かって堕ちる。
「うわっ」
「いてぇっ!」
急いで後ろに飛びのいたカイルが見事にロニにぶつかる。
カイルとロニがジューダスに向かって文句を言う時間もなく、岩を追うように巨大なモンスターが地響きを立てながら落ちてきた。
「…まじかよ。なんだってこう、邪魔なところに出るかね」
カイルが急いで体勢を整える間、ロニがぼやく。
このような狭いところでは彼が斧を動かすことなど出来ない。
「お前達、伏せていろ」
ジューダスが呟く。
元より、先頭のカイル以外何も出来ないため、仲間たちはそれに従った。
少年は天上すら低い洞窟の中飛び上がり、壁を蹴ってモンスターへと走った。
モンスターが赤い瞳をジューダスに絞り、彼を吹き飛ばそうと右腕を振り上げる。
開けた場所から狭い道を塞ぐような巨体に、僅かに隙間が出来るのを彼は見逃さない。
体勢を低くしたカイルの前へと片足を着地し、彼のすぐ傍に落ちていた短剣を流れるような動作で拾いそのままモンスターに向かって突っ込んだ。ジューダスの動きはカイルでは見えないほど早く、気づいたときは漆黒のマントはモンスターの向こう側、開けた場所にてひらめいていた。
巨大なモンスターが突如後ろへと移動した獲物に向きを変えた途端、モンスターの脇腹辺りから紫色の血が噴水のように飛び出た。
一瞬体勢を崩したモンスターだが、自らに傷をつけた人物に対して怒りでも向けるように赤い瞳が濃くなり、ジューダスに向かって走り出す。
「お前は忍者かよ」
壁走りから瞬間移動までやってのける仮面の少年にロニが呟きながら、障害物が移動した機を逃さず、仲間たちは広い空間へと走リ抜けた。
ジューダスは仲間の動きを確認しながら、巨体の割には早い動きでこちらに向かうモンスターを迎えるよう、剣を真っ直ぐそれに向ける。
首のないモンスターは胴体部分についているような一つ目をこちらに向けながら、左腕を振り上げた。大きな振りのそれがジューダスに当たるわけもなく、彼はそれを軽く避けるとモンスターの右腕を切り裂く。
殻のような部分が連なって出来た腕は硬いが、隙間に刃を入れれば簡単にダメージを与えられた。
怯んだモンスターにもう一撃でも入れようと、ジューダスが左腕を振り上げようとしたときだった。
「…っ!?」
左肩に裂かれたような激痛が走る。
いきなり熱を持って襲ってきた痛みにジューダスは大きく後方へと跳び退いて肩に短剣を持ったまま手を当てた。
だが、その手には予想に反して血が付くこともなく、仮面の下で冷たい汗だけが流れた。
『ぼっちゃん?』
「ジューダス危ないよ!」
まだ僅かに尾を引く痛みに、何が起きたかわからず止まっていたとき、こちらに向かうカイルから声が飛び、反射的に剣を持ち上げる。
ガンッと剣にモンスターの腕が当たり、彼の軽い体は後方へ吹き飛ばされた。
モンスターからの追撃はない。何とかカイルが攻撃に間に合い参戦したようだ。
マントに付いた砂を払い、深く息を吐きながら立ち上がる。もう一度左肩に手をあてる。今はもう痛みも何もない。
(…何が起きた?)
「どうしたんだいジューダス。怪我でもしたのかい?」
ナナリーが走りながら近寄ってくれる。
彼女が完全に自分の下へ駆け寄る前に、ジューダスは「いや」と呟き肩から手を離した。
バクバクと高鳴る心臓が煩い。
命への危険信号のような音だった。
ジューダスは眉を顰め、もう一度呼吸を整えることで煩い心臓を黙らせる。
そしてこちらに向かって走ったナナリーの横を走りぬけ、カイルとロニが戦っているその場へと飛び込んだ。
6名に囲まれたモンスターはあっさりと倒され、再び先ほどのように左肩が痛むこともなかった。
皆寝静まった暗い部屋で、壁にもたれて座り、目を瞑っていた少年の瞼がゆっくり上がる。部屋をもらえたといっても、ベッドは2つしかなく、ナナリーとリアラに譲り、男共の1000年前の寝床はずっと床の上だ。
ロニなんかは「一緒にベッドで寝てやろうか」などと冗談かどうかも分からない爆弾発言でナナリーに関節技ではなく拳で殴られていた。
今は床に敷いた毛布の上でカイルの足を腹に乗せながら爆睡している。
いびきをかきながらもその表情が少々苦しげなのは言うまでもない。
ジューダスは仲間たちが寝ているのを静かに見渡した後、左肩に手を当てる。
モンスターを倒したあの後、出てきたバルバトスと対峙した。
最初は5対1で順調に戦っていた。だが刃を交えてる間にカイルがトラップにかかり、近くに居たロニが巻き添えになり、次々と仲間が晶術の牢獄に閉じ込められ、最後にジューダスがつかまったという間抜け極まりない状況に陥ってしまた。
バルバトスの今回の目的がディムロスだけだったことから何とか今生きているといったところだろう。そしてディムロスがカイルの言葉とハロルドの策略によりスパイラルケイブに来た。
運が良かったというべきなのか、当分ハロルドに頭が上がりそうにない。
「ちっきしょお!」
ジューダス以外皆晶術壁に囲まれ、双剣と斧のみが火花を散らす。
バルバトスの強さは凄まじく、あのジューダスも中々攻撃に転じれない。
カイルは悔しげに奥歯を噛み締める。リアラから、この晶術壁から出ようとすれば焼け焦げるだろうという嫌な忠告もあって、身動きがとれない。
黒衣の少年は、それでも少しずつバルバトスの動きを読みながら隙をつき、双剣を振るう。剣がバルバトスの頬を捉え、ピッと赤い線を描いた。
ジューダスは体力が低く長期戦には向いていないが、こうして少しずつ敵の行動パターンを記憶し、動きを読んでいくことに長けている。
少しずつバルバトスにとって嫌な場所に剣が向かうのに彼は苛立ち、顔が忌々しげに歪んだ。
「小賢しいわぁ!」
ジューダスに向け斧をが下から上へ大きく振るわれる。同時にバルバトスの周りの晶力が瞬時に高まるのを感じ、ジューダスは後ろへ大きく跳んだ。
ジューダスが着地した地点より少し前に晶力が集っていくのが分かる。ほぼ同時に地面に亀裂が走った。鋭い岩が次々とその亀裂から飛び出てくる。
グランヴァニッシュだ。
それを更に横へと跳び、ジューダスは地面の切れ目から逃れた――が
「うあっ」
「な…」
声を上げたのは晶術が発生した場所より少し後方の晶術壁に囲まれたカイルだった。
晶術の岩が一つだけ、その場所まで到達し、それは軽々と晶術壁を通り抜けカイルの腕を裂いたのだ。
「くくくくく…言い忘れていたが、そいつは外側からの攻撃は簡単に通しちまう」
頬の血を親指で拭いながらバルバトスがにやりと笑い、ジューダスは舌打ちした。
仲間が閉じ込められた障壁はバラバラに4つ。バルバトスは上級晶術―範囲の広いもの―を使いこなす為逃げ場が限られる。
「はっはぁ!」
形勢逆転。バルバトスは嬉しそうに笑いながら、また晶術を繰り出す。
それはジューダスへとは向かわず、カイルとロニがつかまっている晶術壁へと向かう。丸い牢獄の左半分に向けて闇の刃が飛び出す。
狙いはロニ
バチッと闇の刃が防御結界に崩れていく。
ジューダスが二人の足元まで走り結界を地面に放つように張ったのだ。
だが、それは大きく隙を見せる行動で
すぐにその隙へとバルバトスの斧が迫った。
辛うじて剣を盾にガードするが腕力の差は歴然で、軽く剣を弾かれ、更に斧を振るわれる。
「く……」
寸でのところで直撃は免れたものの、ぱっくりと切れた右腕にジューダスは顔を顰めた。
バルバトスはディムロスが来るまでの暇つぶしと言わんばかりにジューダスを甚振る。上級晶術を使えば簡単に殺せる捕らえられた者達に、初級の晶術を打ち、仲間を守る為に向かうジューダスを甚振って楽しんでいる。
「もういい!ジューダス!俺達のことなんてかまわず、さっさとそいつぶっ殺せ!」
「…うるさい、外野は黙ってろ!」
「ジューダスっ!」
カイルが拳を震わせ、剣で晶術壁を斬るが、バチバチと電撃が走り、刃を削り焦がすだけだった。
「随分と苦戦してるではないかリオン=マグナス!ふははははは!」
大声で笑いながら、重く速い斧が襲う。
バルバトスの攻撃を受け流しながら、晶術が打たれれば走りをそれを防ぐ。
開けたこの場所でそれの繰り返し。ジューダスの体力はすでに限界を超えていた。
浅い息を繰り返しながらジューダスはバルバトスを睨みつける。
それを鼻で笑いながら、また斧を繰り出す。
二人が交差する寸前、バルバトスが呟いた言葉にジューダスは硬直した。
「さっきまでの威勢はどうした?それとも、先ほどの左肩がまだ痛むのか?18年前の古傷が!」
左肩への激痛。
それは確かに、18年前のあの海底洞窟で受けた感覚と同じだった。
震えた手で振るわれるソーディアンディムロス。動揺したスタンの動きは読みやすかった。だが、左腕は動かさなかった。
まるで心が拒否するかのように動かなかった。そしてそのことに、自分はどこか安堵した。
左肩が、切り裂かれる。
「貴様は、再び与えられた生に何もできない死人だ。無様に消え行くがいい」
バルバトスの静かな言葉と共に腹に鋭い蹴りが入り、ジューダスは大きく後方へ吹き飛ばされた。
それと同時に、バルバトスが新たに晶術壁を作り上げる。
「しまっ……」
そして、晶術壁は4つになった。
ジューダスはその場に膝をつき肩で息をする。
「ふん。少しは楽しめたか……ディムロスはまだ来ないのか」
斧を肩に乗せながらバルバトスが狭い通路を眺める。
薄暗い空洞がぽっかりとあるだけだった。
「つまらんな…」
吐き捨てるように言い、バルバトスが歩き出す。
進行方向は……カイル。
仲間達に緊張が走る。
「一人ずつ殺す。まずは…お前からだ」
斧が真っ直ぐ向いた方向は、やはり金髪で
カイルの青い瞳が見開かれる。ロニが奥歯を噛み締め狭い晶術壁の中でカイルを庇うように前にでた。
ジューダスが怒りに目を見開き立ち上がる。
他の皆も似たような状態だ。
(ふざけるな……!)
『ぼっちゃん!』
膝をついていたジューダスが立ち上がり、取り出したのは黒い布に包まれたソーディアンシャルティエ。
「シャル、この壁を越えられるか」
『………僕だけでしたら、僕自身に似たような結界を張って相殺することはできますが、マスターが居ないソーディアンはただの古い剣ですよ』
「十分だ」
紫の瞳は強い覚悟を宿していて、シャルティエを握る力は強い。
彼の力と同時に意思が流れ込んでくる。
その欠片を掬い取って、シャルティエは心臓が跳ね上がるような感覚を覚えた。
『ぼっちゃん!正気ですか!?腕が飛びますよ!』
「うるさい…守ると、誓ったんだ!」
迷いなく、ジューダスは晶術壁へ左腕ごとシャルティエを突っ込まれた。
シャルティエは急いで結界を張る。できる限りマスターの腕に届くように…
バルバトスはすでにカイル達の居る晶術壁のすぐ前まで来て、斧を振り上げていた。
バチバチと晶術壁の向こうにシャルティエが突き出る。
あと少し……この牢獄で晶術が無効化されるというのなら、シャルティエさえ出してしまえば彼の力で晶術を使うことができる。
晶術壁に手が届いた瞬間、焼け付くような痛みが走る。
それでも、少年は左腕を無理やり突き出す。
『ぼっちゃんやめてください!』
「ジューダス!?」
気づいたリアラが驚愕の声を上げる。
ジューダスの左手がようやく手首まで来たころだった。手首を一周するように裂傷が走る。
これ以上は持たない、だがもうシャルティエは外へ出ている。後は腕が千切れるのが早いか、晶術を使うのが早いかだ。この状態で悠長に晶術なぞ使ったら、左手はもう無いだろう。
『ぼっちゃん!』
シャルティエが悲痛な叫びを出したとき、そのシャルティエに向かって火炎が飛んできて、思わずジューダスはシャルティエを引っ込めた。
左手は血だらけだが、大丈夫だ。
火炎はそのままバルバトスへと向かい、彼を焼いた。
通路には、ハロルドとソーディアンを手にしたディムロスがいた。
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