ハートが夢見る医者 4-2

OPハートが夢見る医者
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チョッパーありがとね。

ベポはローの背へと腕を回し、より自分へと抱き寄せるとすりすりと頭を押し付ける。ペンギンとシャチは吐息を零して微笑んだ。そして、二人はルフィの方へと振り向く。

「世話になったな、麦わら。本当に……本当に、助かったよ。ありがとう」

ペンギンの言葉には重みがあった。それだけの想いが詰め込まれた言葉だった。

ルフィはニカッと笑う。

「おう、当たり前だろ! トラ男は友達だかんな!」

即座にベポの腕の中からくぐもった声で「友達じゃねェ……」と否定が入る。いつの間にやらベポの腕の中に完全に閉じ込められたローの声はこもっていて小さく、ペンギンとシャチは肩を震わせて笑いを押し隠した。

「ほら、ベポ。船長が潰れちまう」

シャチがベポの肩を叩く。ちゃんと力加減はしていたのだろう。解放されたローの顔に苦しげなものはなく、心地よさそうにベポに体を預けている。

「さ、船長。艦に戻りましょう。ベポ、船長を運んでくれ」

「アイアイッ!」

「待て」

膝の裏へとベポが腕を差し込んだ時、微睡みかけていたローがバッと頭を起こした。

「作戦が全て無しになったんだ、今後の話が必要になる」

ローは至極真面目な顔をして言った。しかし、周囲の人間から返ってきたのは呆れだった。この期に及んで尚、休むことを優先しない重病人に、サンジは腰に手を当てながらため息を吐く。

「病人が何言ってんだよ。元気になってから言え」

それに同調するように、ペンギンも呆れ混じりに続けた。

「はいはい。そういうのはおれたちがやっておきますから、今は自分の体のことだけ考えて下さい」

「ペンギン」

あやすように言うペンギンの言葉に対し、ローの声音は固かった。

ローから先ほどまでの安心し切った温和な気配が消える。嗜めるようにクルーの名を呼ぶ姿は、ベッドの上だろうと船長としての威厳を持っていた。

いくら病人とはいえ、彼は船長として話だけでも聞くのが筋と思っているのだ。この甘え切った空気に流されることをローは良しとしていない。後ろでサンジが再び小さくため息を吐いた。

穏やかだった空気にピリッと緊張が走る。しかし、そんな中でもペンギンは臆すことなくローの視線を真っ直ぐ受け止めていた。先までの砕けた気配を引っ込め、ペンギンは真摯に言う。

「おれが船長の代理として麦わらたちと話をします。おれでは力不足ですか?」

「そういう問題じゃない」

同盟を組んでの戦いである。そんな中、船長である自分がそれをほったらかして寝るような不義理をしたくないというのがローの主張だろう。クルーが作戦を放って帰ってきてしまったのもある。全て麦わらの一味に任せては面目も丸潰れだ。

それを十分理解した上で、ペンギンは言う。

「撤退してきましたが、得ている情報は十分利用価値のあるものです。同盟としての役目は全うして見せます。おれたちを信じて下さい」

「……お前らのことは信頼しているが……」

「はい。ですから、大丈夫です。当然、作戦内容も後で報告します」

ローの口がへの字に曲がる。反論の言葉が見つからないのだ。

二年前だったら「黙っておれに従え」とでも言ったかもしれない。でも今は、信じて任せてくれと願うクルーの言葉を振り払えない。

二度と会えないと思っていたクルー達と再開したとき、散々泣かれた。小言も大量に食らった。ワノ国で人質交換に応じた後もだ。もっと頼ってくれと、一緒に戦わせてくれと、怒りと悲しみの混じった顔で訴えられた。

別に信じていないわけでも、頼っていないわけでもなかった。これもまた、ローにとってそういう問題の話ではなかっただけだ。しかし、自分のクルーにあのような顔を幾度もさせてしまったことは、ローにとって負い目となっている。それをわかっていて言葉を選んでいるペンギンに、ローはむっつりと口を引き結ぶしかない。

クルーへの信頼を否定する言葉など出したくない。でも、肯定する言葉を素直に出すには、ペンギンのあの穏やかで嬉しそうな、勝ち誇った笑顔が憎たらしいのだ。しかし、この場において沈黙は肯定と同義だった。

(勝負ありだな)

サンジは頬が緩みそうになるのをなんとか押し隠しつつペンギンを見る。いつも付き従っている姿ばかり見ていたから、彼のこのような姿はサンジにとって意外であった。

(やるじゃねェか。あれを黙らすなんて)

それを可能としたのは、彼らが彼らなりに互いを思ってきたからこそ成り立った絆によるものだ。見ていてこそばゆくなるような、微笑ましい光景であった。

小さく笑ってしまいそうになるのを一度下を向いて誤魔化し、サンジはペンギンに加勢する。

「まぁ、新しく作戦立てるにしても、うちの船長が作戦なんざ全部丸無視しちまうことはわかってんだろ? そんな気にするもんでもねェよ。さっさと寝ちまえ」

ローは無言でサンジを睨んだが、その際に彼の隣で両手を腰に当て「だはは」と笑うルフィの存在が視界に入ったようで、その視線はルフィへと吸い込まれる。

鋭かった目は、ルフィを見ているうちに苦々しく歪められ、やがて宿っていた眼力が失せていった。きっと脳裏にはこれまで散々ルフィに振り回された記憶が流れているのだろう。可哀想に、とサンジは心の中でそっと手を合わせる。そうしているうちに、ため息と共に肩の力も抜けていった。ぐうの音も出ないほどに、サンジの言う通りなのだ。

「シッシッシ! あとはおれたちに任せとけ!」

ローはもう一度ルフィへと視線をやったあと、更にもう一度、深く深くため息を吐き、ようやく首を縦に振った。

「……悪いな、麦わら屋。ペンギン、後を任せた」

「アイアイ、キャプテン」

ペンギンは笑みを浮かべ頷く。その笑顔には最愛の船長に信頼されている喜びと誇らしさが滲んでいた。

「じゃあ、帰ろう。キャプテン」

ベポの言葉にも今度は素直に頷き、ローはかけられていた毛布をどける。

「あ、毛布いいよ。かけていって。冷えたらよくないから」

「ありがとな! チョッパー!」

ベポは礼を言いながらローを毛布ごと横抱きにして持ち上げた。ローはくったりとベポに体を預けている。やっと全てを任せて休む体勢となったローにペンギンとシャチは顔を綻ばせた。

「それじゃあ、ひとまずこれで失礼する。作戦の話は悪いが後で。先に船長の治療に入りたい」

「おう。全然いいぞ。気にすんな!」

ペンギンがベポを率いるように先に出口へと歩みだす。ベポもそれに続こうとしたとき、ぺちぺち、とローがベポの腕を軽く叩いた。ベポが動きを止めてローを覗きこめば、彼はチョッパーへと真っ直ぐ視線を向けていた。

「トニー屋。世話になった」

ローからの言葉に、チョッパーは弾かれるように顔を上げる。しかし、すぐにしょんぼりと眉を寄せて彼は俯いた。

「いや、おれ……何もできなくて」

チョッパーの後ろにあるデスクには、薬に至らなかった多くの薬剤が並んでいる。結局、不治の病とされる珀鉛病を治す薬は作れなかった。手がかりさえ得ていない状態だ。

そんなチョッパーを、ローは静かに、真っ直ぐ見続けていた。

「お前の薬のおかげで、随分楽だった。助かった」

その言葉は視線と同じくあまりに真っ直ぐで、下を向いていようとも、チョッパーの胸にすぅ、と染み込んだ。

チョッパーが再び顔を上げたときには、すでにローはベポの腕を再び叩いており、ベポは「アイアイ」と歩みを進めていた。

彼らが歩み去るドアの向こうから、僅かに話し声が聞こえてくる。

「ペン、粥がくいてぇ」

「アイアイ。あの海鮮のやつですよね」

「ん」

「コックが今頃、船長のために最高の粥作ってますよ」

「ん……」

「疲れましたか? 眠って下さい。あなたの体力が治療の要なんですから」

そうして遠く消えていった雑談に、サンジは苦笑を浮かべた。

「ったく、あの野郎。おれには料理のリクエストなんてしなかったのに」

ほんの僅かに悔しさを込めて言う。しかし、今回ばかりは敵わないな、とサンジは思う。それ程までに、十三年という絆をまざまざと見せつけられた。

ほんの少し、妬けてしまう。どれだけ手を指し伸ばそうと、彼は自分たちには決してあのように甘え、頼ってはくれなかった。こんなにも違うものなのかと、ため息も吐きたくなるものだ。

それでも、珀鉛病に苛まれるローの姿を見ていた身としては、あいつらが来てくれてよかったと、心の底から思えるのだった。

ペンギンとベポがローを連れて去っていった中、シャチだけは一人この場に残り、ルフィ達と同じようにペンギンた達を見送っていた。共に行くものとばかり思っていたのでサンジは軽く小首を傾げる。シャチはペンギン達の声が聞こえなくなったところで、ルフィ達の方へと向き直った。

「騒がしくして悪かった。改めて礼を言わせてくれ。本当にありがとう」

「お互い様だろ。お前たちにはうちの船長が一度世話になってんだ。これくらい当たり前だ」

シャチは嬉しそうにはにかむと、チョッパーへと視線を向ける。

「チョッパーは珀鉛病のこと、知ってたんだろう?」

さも当たり前のように言われ、チョッパーは硬直した。シャチはどこか嬉しそうで、全面的にこちらを信頼しているように感じる。チョッパーはそれを真っ直ぐ受け止めることができなかった。

「……いや、一般的に知られている知識しか知らなかったんだ。だから……」

しょんぼりと、チョッパーは肩を下げる。

きっとシャチがこうも嬉しそうにしているのは、自分たちが珀鉛病について正しい知識を得ていたものだと思い込んでいるからだ。それ故に、ローを傷つけなかったと思って喜んでいるのだと思うと、チョッパーはいたたまれなかった。

珀鉛病のことを、何も知らなかった。そして、治療薬も作れなかった。知識も経験も、まだまだ何もかも足りなくて、結局また、無知から患者を傷つけている。涙が滲みそうなほど、悔しかった。

「おれ、トラ男のこと、傷つけてしまった」

チョッパーの喉を絞ったような苦しげな告白を聞いたシャチは、虚を衝かれたように一度固まる。その沈黙に、チョッパーは顔を上げられぬまま身を固くした。

怒るだろうか。いや、怒りはしないかも。だけど、きっと悲しませるだろう。落胆させてしまうだろう。罪悪感がずっしりと重くのしかかる。チョッパーは断罪を待つように床を見つめる。

しかし、その沈黙の中、シャチは「んー?」といつもの軽い表情で首を傾げていた。一度右へ、そして左へと傾げる。

そして、彼はニッと、笑顔を浮かべた。

「そんなことねェよ。船長はあんたに感謝してた。それも、めちゃくちゃ、な」

チョッパーがようやく顔を上げる。申し訳なさそうに上目遣いにこちらを見てくる小さな医者に、シャチは再び笑みを浮かべてみせる。

「船長が前にあの病気で苦しんでたとき、『医者にだけは言うな』って、そりゃあすげェ剣幕でおれたちに言い聞かせてたんだぜ? おれたちがそれでもって、医者を探しに行こうとしたら、外が吹雪いていようが熱が高くてふらふらしていようが、行く宛もないくせに出ていこうとしたよ」

「……」

それがどういう意味を持つのか、今や正しく察するこのとできるチョッパーは、その純粋な目に悲しみを浮かべた。その綺麗な目を見て、シャチは更に笑みを深めた。

ローとチョッパーの間に何があったのか、シャチにはわからない。しかし、ローの様子と、チョッパーのこの表情を見ていれば、一つだけ確かなことがわかる。

この医者は、珀鉛病に苦しむローが唯一信頼できた医者なのだ。

「その船長がよ、こうしてチョッパーにはおとなしく治療してもらってるんだからさ……。おれは、すげェ嬉しかったよ。それは船長も同じはずだ」

暗かったチョッパーの目に、少しずつ光が宿る。シャチの言葉はとても素直で、単純で、とてもわかりやすくて、すとんとチョッパーの胸に落ちた。

「だから、本当にありがとう。Dr.チョッパー」

「……うん!」

シャチの言葉に、チョッパーはようやく力強く頷いた。その背後ではルフィとサンジが嬉しそうに笑っている。

この数日、チョッパーはずっと自分の無力さに悩み苦しんできた。それを、仲間たちは見守ってきた。

チョッパーは無力などではない。適切な対応をできる頼もしい医者だった。仲間たちはそのことを誰より知っている。しかし、その想いは厳しい現実を前にしているチョッパーになかなか届かなかった。それを、届けられる側の人にこうして言葉にしてもらえるのは、何よりも嬉しいことだった。

「あ、それとさ」

シャチが思い出したように続ける。

「船長が言ってた薬、分けてもらっていいか?」

「あ、うん。ただの痛み止めだけど」

「チョッパーが独自に配合してるのか?」

「うん」

「へぇ! 良ければあとで聞かせてくれないか? 船長がああ言ってたんだ。よっぽど効きが良かったんだろう」

チョッパーは目をぱちくりさせる。

「そ、そうかな?」

「ん? 当たり前だよ。キャプテンは元からお世辞なんて欠片も言わねェし、こと医学に関してはめちゃくちゃ…………めっっっちゃくちゃ煩い人なんだよ。おれなんか、何回バラされたか……」

シャチの目が遠い日々を見つめている。ずっしりと疲れが表情に乗っているのを見るに、医療知識を学ぶ道程にはシャチの細切れになった体が確かに点在しているのだと伝わってくる。

それ程までに厳しい人が ──

「そんな船長が、ああも言うんだ。よっぽどいい薬だったんだろうぜ」

再び、シャチは笑った。曇りが一点もない笑顔で。

その言葉に、チョッパーは先程のローを思い浮かべる。一言一句、間違いなく思い出していく。その声色も、ずっと向けていてくれただろう真っ直ぐな視線も。

そうしていくと、体中の皮膚がむずむずするような感覚に襲われた。頬がぽっと火照る。

チョッパーは小さくぷるぷると震えると、「ほ、褒められても嬉しくなんかねェぞ! この野郎ーーー!!」と大声を上げた。すかさず、「すげェ嬉しそうだな!」とシャチからツッコミが入る。愛らしい動物へのツッコミ力はさすが、手慣れたものであった。

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