ハートが夢見る医者 – 3

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フランキーは鼻をすすり、肩を落としながら医務室を後にした。

未だ船内に輝きを見せるスーパー人間洗浄機の撤去をする為である。ローがあのメカを見たのなら、気に病むどころかどこか目を輝かせて「おれの船にも欲しい」と頼んだかもしれない。そんな大きなメカはどんどんと分解されていく。

機械に罪はない。過剰な対応だろうとフランキー自身も思った。だが、迫害の歴史と真実を知った以上、今は目に付く場所にこれを置いておきたくなかった。意図しない形で傷つけ、傷つくのはもう御免だ。ローが完治するまではフランキー特性スーパー洗浄機はその出番が来るまで布の下でお休みだ。

一方、医務室ではようやく泣き止んだチョッパーが時折喉をひくつかせながらナミの検診に勤しんでいた。

各々未だ表情は暗く、サンジもキッチンに戻る気になれないのか、壁に背を預けて視線を虚空へやっていた。

室内の空気は重苦しい。誰もが聞かされた真実の重みを受け止めるのに精一杯だった。

まだ目の端を濡らしているウソップは椅子を反対向きに座り、背もたれを抱え込むようにして床を見つめている。ナミもチョッパーの指示に従いつつその視線は別のところへ投げ出されていた。

こういった話に耐性があると自覚するロビンだけが、仲間の様子を伺うだけの余裕を見せていた。しかし、かけるべき言葉がなかなか見つからず、その目も憂いに満ちている。

「…………なんか……おれ達にできることは、ないのか……」

沈黙の中にぽとりと言葉が落ちる。

皆、発言者であるウソップに視線をやった。ウソップは苦渋に満ちた表情で縋るように一度仲間に目を向けた。だが、すぐに逃げるように視線を落とす。

「こんなの、あんまりだろ。今もまだ、その病気は伝染するって、思われてるんだろ?」

「……うん」

チョッパーが力なく答える。ウソップの瞳には悔しさと怒りが滲んでいた。誰もがウソップのその想いに共感できた。だが、応えられるものがなかった。

ロビンは首を小さく横に振る。

「それを覆すのは……難しいでしょうね。もう、十六年も前のことよ。それも遠い、北の海のお話」

今更この場で出来ることなどない。そんなことはウソップもわかっていた。でも、それではこの想いが抑えられない。胸の内に荒れ狂う感情と、突きつけられる現実の温度差はあまりに大きい。その痛みに耐えられず、ウソップはロビンに向かって声を荒げた。

「でもよォ!」

「ウソップの気持ちはわかるわ」

激情を露にするウソップに対し、ロビンの声はどこまでも冷静だった。

「でも、それをトラ男君が望むかも、わからない」

「……」

静かに告げられた言葉を前に、ウソップは歯噛みするしかなかった。

ローが率先してこの話に自分たちを関わらせてくれるわけがない。そういう男だ。この話に踏み入るには、彼との距離も時間も足りないことはわかっている。

「今はトラ男君の回復を何よりも優先するべきよ。その為にも、今はそっとしてあげましょう」

諭すように、そしてあやすように優しく告げられ、ウソップは再び下を向く。

胸の内にしまうには、あまりに苦痛を伴う話だ。だが、その思いを何十倍、何百倍もの痛みを伴い背負ってきたのはローだ。下手に関われば、ただその辛い過去を思い起こさせるだけになる。それでなくとも、先日の騒動で苦しませてしまったばかりなのだ。そんなこと、二度としたくない。

しかし、それでは……自分たちにできることは何もないということだ。

ローは、仲間と言えば本人に否定されるだろうが、それに程近い存在である。たとえいつか同盟が終わり、敵同士となって互いに武器を突きつける日が来たとしても、その向き合っている間でさえも憎む気持ちはもてないだろう。そんなやつなのだ。

そんなやつを、理不尽に、あまりに非情に傷つけられた。だというのに代わりに殴ってやることも出来ない。

無力感に苛まれ、ウソップは俯く。

再び、部屋に沈黙が落ちた。

ロビンはウソップを静かに見ていた。今も尚、自分にできることはないのかと探す彼を。

ロビンの生きてきた世界では、それらは簡単に割り切られ、見捨てられてきた。それができず苦しみ続ける彼のような存在を、愚かと罵る世界だった。でも、今のロビンはそんなウソップを哀れむと同時に、誇らしく、そして愛おしく思う。彼らは甘いが、決して弱くない。むしろ、その想いをずっと抱えて強くあろうとする彼らに、どれだけ自分は救われてきたか。

そう考え至ったとき、ロビンは彼らにかけられる言葉を自分が持っていたことに気づいた。

ロビンだからこそ、気づけること。

彼女はふっと表情を綻ばせる。ローも、きっと同じなのではないだろうか。チョッパーが医務室に来た時に言っていた言葉は、それを裏付ける。

ロビンは胸にそっと手を当て、その奥深くにあるだろう温かなものを確かめるように目を瞑る。じんわりと宿る確かな温もりに、自然と表情が柔らかくなる。

ロビンはゆっくり瞼を上げ、優しく微笑んだ。

「そんな顔をしないで。トラ男君のために何かしたいというなら、もう、チョッパーもウソップも、十分できているんじゃないかしら。サンジも、フランキーも、みんなよ」

ウソップとチョッパーはきょとんとしてロビンへ視線を向けた。サンジもナミも、ロビンの唐突な言葉の意味を図れず視線を向けている。そんな彼らの表情に、ふふ、とロビンは笑みを零した。

「チョッパー、言ったじゃない。トラ男君、ありがとうって、言ってたんでしょう?」

チョッパーは小さく「うん」と頷く。未だに悲しげに下向く姿から、彼がその感謝を上手く受け止められていないことがわかる。

彼らにとって、ローが感謝を述べたチョッパーたちの行動は至極当たり前のことであり、感謝に足るものではないと思っているのだろう。だが ――

「私、そのトラ男君の気持ち。わかる気がするわ」

チョッパーたちは再びロビンを見る。ぱちぱちと目を瞬かせながら、答えを求めるように見つめている。

きっと、この想いはなかなか伝わらないのだろうと、ロビンは僅かに寂しさを感じた。

「トラ男君、とても救われたと思うの。私も、そうだったから」

「……ロビン」

一瞬息を呑んで、ナミは小さくロビンの名を呼んだ。ロビンはナミへ笑顔を向けて応え、まだ表情を曇らせているウソップとチョッパーへゆっくり視線を向ける。

「だから、大丈夫よ」

そうして、再び笑顔を咲かせた。

彼らは気づけないだろう。彼らが当たり前だと思ってとっているその行動が、どれだけ救いとなったのか。ただ彼らがそこにいてくれるだけで、どれだけ自分の存在を許されたのか。

何もできていないなんてことは、決してない。あの仏頂面ばっかり向けて、「友達じゃない同盟だ」、「馴れ合うな」なんて不器用に距離を置こうとする男が、「ありがとう」と言ったのだ。その言葉を、彼の想いを、受け取ってあげてほしいとロビンは思った。

ロビンの言葉と表情から少なからず伝わるものがあったのだろう。かつて死にたいと頑なに言い続けていた彼女が幸せそうに微笑む姿を前に、ウソップ達の表情から少しだけ影が消える。

「……そっか、な」

「ええ。そうよ」

ロビンは躊躇いなく答えた。その返事に、ウソップたちの目の奥に僅かな光が灯る。

完全には割り切れていないだろう。それでも安堵の笑みを浮かべ、ウソップは頷いて見せた。

――再び、暫くの沈黙が続く。

各々胸に渦巻く思いを飲み込むだけの時間が必要だった。けれど、先よりは確かに空気は軽く柔らかいものになっていた。

チョッパーはナミの検診を続けながらも、その脳裏に、確かに聞いたあの時のローの言葉を思い起こしていた。

あの時、彼が浮かべていた安堵も喜びも、チョッパーには身に覚えのあるものだ。

目覚めたベッドの上で、当たり前のように置かれていたパン。どれだけ化け物だから仲間になれないと否定しようとも、それを一蹴して、「いこう」と、そう声をかけてくれたルフィ。順に思い起こし、チョッパーの表情が和らぐ。あの時、とても嬉しかったから。

(ドクターやルフィからおれがもらったものを、おれもトラ男にあげられたのかな)

自惚れかもしれない。それでも、ロビンが伝えたかったことがわかった気がして、チョッパーは少しだけ自分を誇った。

作業をするチョッパーの手が止まり、うつむき気味なその顔に自信からくる力強いものがほのかに宿るのをナミは見ていた。ロビンの言葉は、確かに彼に届いたのだと確信する。チョッパーには彼女の言っていた言葉の意味を理解できるだろうとナミは思っていた。ふっと、彼女は微笑む。

「ねぇ、チョッパー。トラ男、医務室に移動したらどうかしら」

チョッパーの顔を覗き込むようにしてナミは言う。

「伝染しないのなら倉庫に籠る必要なんてないんでしょう?」

大きな目がパチンとウインクひとつ。それを受けたチョッパーの表情は一呼吸置いた後、パァっと明るくなった。

ロビンの言うことは何となく理解できたが、やはり何も行動できない歯がゆさは拭えないものだった。けれど今、些細なことなれど今の自分にできる行動をナミに示してもらえたのだ。少しでも自分の体を動かして何かができる。それが嬉しかった。

「……うんっ! うん、うん! そうだよなっ!」

すぐにも動きたくなったらしく、うずうずとし始めたチョッパーに、ナミは更に笑みを深めた。

「じゃあ、フランキーに頼んでここにベッドをもう一台作ってもらいましょ」

ちょっと狭くなるけどね、とナミは笑う。

「いいよ! 全然いい! すぐにフランキーに頼もう!」

食い気味にチョッパーが頷く。その嬉しそうな表情にナミは笑い、チョッパーも釣られてエッエッと笑った。

隣で二人のやりとりを見ていたウソップの表情もじわじわと明るくなる。やがてニッと笑って椅子から立ち上がった。

「よーっし! それならおれも手伝うぜ! おれとフランキーで最高の寝心地を提供してやるからな!」

そう言って、胸に親指を突き立てた。得意げに胸を張り誇示する姿は、先ほどと打って変わって生き生きとしている。いつものウソップの姿だ。

「チョッパー! ベッドのサイズはどれくらいがいい? 簡単なオプションならすぐに作ってやるから、今のうちに言っとけよ!」

「えっとな、えっとな! それじゃあ……」

どこからともなくメジャーを取り出し、部屋の採寸を始めるウソップの元へチョッパーは跳ねるように駆け寄り二人で楽しそうに相談を始める。

すっかり明るくなった空気にサンジもまた小さく微笑んだ。ウソップもチョッパーも感受性が高すぎて沈むのも浮き上がるのも早い。いつもの調子を取り戻した面々にサンジは安心した。こうしてわいわいガヤガヤと騒がしくやってるのがこいつらには似合っている。

(それじゃ、おれも朝食の準備に戻るかな)

それぞれが自分にできることをやり始めたのに見習い、サンジもほったらかしにしてきた食材を脳裏に思い起こす。次はどの工程からだったか。そんなことを考えながら、ウソップとチョッパーを目の端に入れつつ背を向ける。再び口角を上げ、そのまま医務室を出てキッチンに戻るつもりだった。

しかし、ふと、そこでサンジの足が止まる。

先ほど見ていた、ウソップとチョッパーが楽しそうに話していた光景。それが、何か引っかかった。

あいつらが楽しそうに話しているのは大いに結構なのだ。それは問題ない。だが、そう……ウソップが両手を伸ばし、そこに置かれるベッドの大きさを表現していて……そこにはこれからベッドが置かれるわけで…………。

……。

サンジは突然、ガバッと首だけ振り向き、再び新しいベッドが置かれるだろう場所を凝視した。

そこには変わらず、楽しそうに相談を続けるチョッパーとウソップの姿。そして、すぐ隣でそれをにこやかに見ているロビンとナミの姿。

「ちょ、ちょぉおっと待ったああ!!」

残っていた体もぐるんっと戻し、サンジはベッドの柵をガッチリ掴むと前のめりになって叫んだ。盛り上がってきた場に水を差す非難めいた声に皆びっくりし、訝しげな目を向ける。

「え、な、何よサンジ君」

「ダメだ! それはいけねェ……! 断じて許せねェ!!」

「へ? 何が?」

「トラ男をここで寝かせることだ!!」

サンジの叫びに、一呼吸分の沈黙が落ちる。

「……なんでよ? 伝染病じゃないってわかったんだから、病人を倉庫に寝かしてる方がおかしいでしょ」

「いや、それはそうだけどナミさん……! でも、それって……!」

妙な気迫をもって真剣に何かを伝えようとするサンジの姿に、皆は目を瞬かせる。

一体、何が問題だというのだろう。サンジの様子からして、余程の問題を自分たちは見逃しているのかもしれない。

みんな真剣にサンジへと目を向け、彼の答えを待った。

サンジの喉が、ごくん、と鳴る。そして、すぅっと息を吸い、吸った分、全力で告げた。

「それって! ナミさんと同じ部屋で寝るってことだぞ!?」

その大声は狭い部屋にわんわんと響いた。

意味深な喉鳴らしの貯めから吐き出された言葉は、誰もが全く想像していなかったものだった。

ナミは目と口をぱっかり開けて固まった。そうしている間にもサンジは「それも! こんな! 狭い部屋で! 医務室で!」と、どんどん声を荒げていく。

必死に訴えるサンジの視線があわあわと彷徨う。部屋の狭さを確認し、ナミが座るベッドへと視線を向け、その隣に間を空けて置かれるだろうベッドの場所へと視線を移す。

だめだ。狭い。近い。ベッド。二つ。男女が。すぐ近く。ナミさんと。保健室。

そう、男女が間近のベッドで寝るというのは、とても破廉恥なことなのだ。それも、保健室という一見清楚な空間はそういったことと無縁に見えるかもしれないが破廉恥さに拍車をかけるのである。保健室という場であるが故に、誰もが病人をそっとしておこうとするその神聖なる場所は、二人が濃密な関係に発展していくことを妨げるものがないということで……。

サンジは頭の中でそれらの言葉をぐるぐる回してるつもりだったが、その独自の主張は唇からぽろぽろと零れ出ていた。

「ナミさんと、そんな羨ま……いや、そんなこと、あってはならない。絶対にだ!」

妄想に描いた風景の否定にサンジが必死になっている間に、彼を真剣に見ていた皆の目は、当然ながら白けたものになっていた。

「あんたねぇ……病人相手に何考えてるのよ」

ナミがじとっとした目でサンジを見る。その隣ではロビンがくすくすと可笑しそうに笑い、その奥ではウソップが(いつものやつだな)と呆れ半分の目をサンジに向けていた。

「いや、それはそうだけど……その……うらやまし……」

「おい。さっきから本音が漏れてんぞ」

ウソップが瞼を半分下した状態で小さく突っ込みを入れる。ナミは盛大にため息をついた。謎に張り詰めさせられた空気はだらんと弛緩する。

「ったく。ほら、早くトラ男を連れてきなさい」

「いや、でも……やっぱり……」

「へいへい。カーテンの仕切りでも作ってやるから。それでいいだろ」

「カーテンの仕切りか……いや、それはそれでカーテン越しの影はやばいだろ!? 影ってもんは妄想が膨らんで心を擽られるんだよ! そのカーテンを捲ったり潜ったりするのがまた一つの山を越える背徳感を……!」

「めんどくせェな!! お前!!」

「おれ、トラ男連れてくるなー」

「よろしくね、チョッパー」

サンジをいつもの発作と見なしたチョッパーは、慣れた様子で今一番にすべきことを見出し、くるりと背を向けた。純粋無垢なその丸い目には、サンジの懸念に理解は及んでいないだろう。

ロビンは、変わらぬ仲間たちの様子に笑いながら、チョッパーの愛らしいその背を見送るのだった。

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Comment

  1. あかまる より:

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    • 内緒 より:

      あかまるさんありがとうございます!
      個人的にブルックの最後の言葉、ブルックだからこそ言える素直でいてド直球な言葉なんじゃないかと一人満足しているので反応頂けて嬉しいです!
      やはり10名近く人がいると私も全然動かせないですw どうあがいたって文字の限界が起きますよねw
      ウッ、わかります……! 私もサンジ君には申し訳ないけれどありがとうという気持ちでいっぱいでして……! 推しの苦しみを理解してくれる人がいるって尊いですよね……っ!
      ヘヘッ、まさかのもう一山でしたww 少しでも長く看病したかったんです!!!! 弱ってる推しを看病するお話大好きです/// 性癖が一致しておられるようで嬉しいです////

      こちらこそ沢山の感想をありがとうございます! 返信不要とのことでしたが、嬉しかったので全力で返信させてください///
      暑い日が続いてますが、お体にお気をつけて~!