ハートが夢見る医者 – 3

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「トラ男、入るぞー」

コンコンとノックをしてから控えめに声を掛け、チョッパーは倉庫部屋のドアを開ける。

すぐに戻ると言った割に戻るのが遅れてしまった。ローはもう眠っているかもしれない。そう思っていた。だが、意外にもローはまだ起きていた。それどころかうつ伏せに近い形で体を横にし青いサークルに包まれていたものだから、チョッパーは小さく跳ね上った。

「トラ男! 治療するなら言ってくれよ! 一人で無茶するなって!」

そう言って、慌ててローの元へ駆け寄る。

能力の使用によって体力を消耗すれば容態が急変しかねない。昨晩も能力使用後に熱が上がっていた。だからローが能力を使うときには必ず傍にいなければと思っていたのに。

案の定、ローは玉の汗を浮かべて息を荒くしている。チョッパーがローの肩へ手を置けば、彼はゆるゆるとチョッパーへ視線をやった。その所作一つすら辛そうである。

青いサークルがすっと消える。チョッパーの苦言にローは目を伏せた。

「やれるときに……やっておかねえと……」

切れ切れの息で言われ、チョッパーは息を飲む。心配のあまりに咎める感情が先立っていたのは一転し、チョッパーは耳と頭を垂らした。

「そっか……そうだよな。ごめん、おれが離れたのが悪かった」

後悔する声に、ローは再びチョッパーへと目を向ける。もとより小さい体が、耳やら頭やら肩やらが下がったせいで余計と小さくなっている。その哀れで愛らしい姿にローの眉尻が下がった。

「いや……お前に行けと言ったのはおれだ。気にするな」

ローのその声色があまりに優しくて、チョッパーは顔を上げてまじまじとローを見る。彼はその視線に面食らったようで少し身じろいだが、嫌な顔も警戒も一切しない。険の取れたその姿は、彼がクルーであるベポと接するときに見せるものに近い。

それだけ、ローはチョッパーに気を許しているのだ。昨日は錯乱していたとはいえ、あれほど警戒を抱かれたというのに。

その大きな変化が嬉しくて、チョッパーは顔を綻ばせた。

「うん……! トラ男、ありがとう!」

先の発言に対する感謝にしては大げさに感じるその言葉にローは困惑を浮かべる。けれども、上機嫌でタオルを用意し始める小さな医者が愛らしく、すぐやわらかな表情を見せ枕に頭を預けるのだった。

コンコン、と倉庫部屋の扉が再び叩かれる。ローとチョッパーがそちらへ視線を向ければ、扉の向こうから声がかかった。

「入ってもいいか?」

「サンジか! 大丈夫だぞ」

扉が開くと同時に、ほんわりと食欲をそそる香りが部屋に入り込む。入室したサンジの手にはスープ皿が乗っていた。ほわほわと湯気を上げるそれがこのいい匂いの元だろう。

サンジは体を横たえたままのローへと視線を向ける。

肌を埋め尽くす真っ白な痣は昨日のままだ。顔色も悪い。だが、ちゃんと目を覚まし、覇気はないものの金色の目をこちらに向ける姿にサンジは安堵の笑みを浮かべた。

一方で、ローはそのサンジの視線に僅かな警戒を見せた。それは無意識に近い、反射的に体に緊張が走るような、その程度のものだ。

そのことに気付いたサンジは自然に見えるよう視線をそらし、スープをテーブルへと置いた。

(……わかっちゃいたが、やっぱ、相当根深いな……)

元より分かっていたことだが、こうして完全に意識を取り戻したローと面と向かい、その反応を確認すると、再度それを認識させられた。

ローはそれを表情に一切出していない。気づかれたくなどないだろう。

サンジはいつも通りを装い、声をかける。

「おはようさん。体はどうだ?」

「……少しずつだが、治療は進んでいる。悪いな、随分と迷惑をかけたようだ」

「んなもん気にすんな。あぁ、そのままでいいって」

横たわったままの姿を見せるのが嫌だったのか、ローが体を起こそうとしたのを悟ってサンジはすぐに言葉で制する。動く前に咎められたのが面白くなかったのか、ローは顔を顰めてみせた。サンジは呆れを浮かべる。

「お前、無理しすぎなんだよ」

その言葉の中には、これほどの大病を一人で抱え込もうとしていたことへの非難も混じった。だが、そうするに至った過去の背景を知ったが故に、サンジのその声音は優しい。非難というよりも、もう少し自分たちを信じ頼ってくれといった意味合いを多く占めているだろう。

その思いが伝わったのかはわからないが、ばつが悪そうにローは目を逸らした。サンジは苦笑とため息を同時にしながらローの傍らに座る。

「何か食えそうか? とりあえずスープを持ってきたが……」

逸らされていた目が戻ってくる。ローはサンジが寄せた皿へと目を向けたが、力なく首を横に振った。

「……いや、いい」

「さっき能力を使ってたから、今はしんどいんだと思う。ごめんな、サンジ」

「そうか」

チョッパーがそう言うということは、遠慮でも我が儘でもなく、本当に食える状態にないのだろう。

サンジは眉を寄せた。飯を満足に食えない人間を見るのは、もの悲しい気持ちになる。

「なんか、これだったら食えそうとか、ねェか?」

「今は……」

「そっか。もし思いついたら、いつでも言えよ」

「あぁ」

ローは瞼を重そうにしている。こうして会話しているだけでも、今のローには辛いのだ。

ボン、と、突然チョッパーが人型へと変形した。右手に濡らしたタオルを持ってローの元へと寄る。

「トラ男、ちょっと汗拭くぞ」

ローの反応を待たずにチョッパーはその背中を起こす。

本当は自分で拭くと言いたかったんだろうな、とサンジは思った。そう要求するのを遮るように、チョッパーはローの体を自分の胸へと寄せて支えると、次々とタオルで汗の滲んだ肌を清めていく。

チョッパーにしては珍しく強引だ。ローの好きにさせれば無茶をするのがわかり切っているから遠慮を放り投げたのだろう。チョッパーの無言の行動にそう滲み出ていた。もはや圧と言ってもいい。けれども、それは労りに満ちていた。

ローは何か口にしかけたようだったが、観念したように体から力を抜き、チョッパーに寄り掛かった。

(なんか、物珍しいものを見ちまった)

サンジはバレないように小さく笑う。チョッパー相手だと明かに態度が軟化している。どうも、ウチの小さくも頼もしい船医は手負いの獣を懐柔したらしい。

暫くして、ローはもういいと言うように、自分の背を支えるチョッパーの腕から離れようとする。それを制して、チョッパーは自分の体に包み込んだローを覗き込むと、ナミと話したことを切り出した。

「なぁ、トラ男。こんなとこじゃ、からだが休まらないと思うんだ。医務室に移動しよう。ベッドは新しくフランキーが作ってくれるから」

フランキーのことだ。医務室には既に二つ目のベッドが運び込まれていることだろう。

どうかな、と小首を傾げるチョッパーをローは見上げる。そして、二度瞬きをしてから首を小さく横に振った。

「いや、ここでいい」

「ロー」

サンジは顔を顰めて、窘めるようにその名を呼んだ。ローの返答を予測していたかのように。

「これは病室で寝ているナミさんからの提案だ。病人をそんなとこに寝かせるなってよ」

「……」

ローの懸念を察して出た言葉の意図は、しっかりローに伝わったらしい。ローはサンジから顔を背けた。

その頬や耳、首には未だに真っ白な痣が広がっている。治療を進めているとのことだが、その面積は減っているように見えない。

ローは、それを人目に晒したくないのだろう。しかし、そんなのは無駄な心配だ。この船に肌の色を気にするような人間などいない。同室を嫌がる人間など、いようはずがないのだ。いるのは、ナミと同じ部屋のベッドで眠れる羨ましさに嫉妬するサンジだけだ。

だが、ローは頑なだった。

「静かな方が落ち着く」

「ナミさんは騒ぐような人じゃねェ」

「人の気配が鬱陶しい」

「見聞色初心者かてめェは」

同盟を組んだ当初ならまだしも、あれから共に死線を何度も潜ったのだ。今更そんな言い訳でサンジは納得しない。

「大体、こんなとこに篭られてたんじゃ返って迷惑だ。チョッパーも薬とか機材とか不自由してるだろうしよ」

サンジは深くため息を吐き、違う方向からの攻めを試みる。が、

「……別に、放っておきゃいいだろ」

にべもなく一蹴された。さすがにサンジの眉がヒク、と痙攣する。サンジは更に言葉を重ねようとしたが、先にローを咎めたのはチョッパーだった。

「だめだよ! 放っておけるわけないだろ!」

「……。」

おや、とサンジは少し目を見開く。ああいえばこういうでサンジの言葉に拒絶ばかり返していた男が、チョッパーの一言には黙り込んで何も返さなかったのだ。

「トラ男。サンジの言う通りなんだ。やっぱり医務室の方が色々揃ってるから、おれも動きやすいんだよ。お願いだ」

「……」

ローは少し不服そうにチョッパーを見上げる。ローを見下ろすチョッパーの顔には心配が色濃く出ており、また医者としての真剣さがあった。それをじっと見ていたローは、やがて小さく息を吐き、こくんと頷いた。

(……お前、モフモフしたやつにほんっと弱いんだな)

ようやく収まった話を荒立たせないように、サンジはその言葉を心のうちに留めた。

 

 

 

医務室まで移動すると決定した瞬間。ローが勝手に動き出す前にチョッパーがその体をひょいと抱え上げた。

毛布ごと横抱きにされたローはやや顔を顰めていたが、サンジの目にはなんだかんだでチョッパーの腕に心地よく収まっているように見えた。ここまできたらもうヤケクソ半分なのかもしれないが。

一方、それらの行動を純粋に行なっているチョッパーは、腕から伝わる熱に表情を曇らせていた。

「かなり熱が上がってるな……やっぱり能力の使用は負担が大きいんだな……」

チョッパーの大きな手がローの首元へと触れる。やはり熱かった。

「トラ男、辛いよな、寝てていいからな」

幼い子供へかけるような優しすぎる言葉にローは一度不満そうにチョッパーへと目を向けたが、チョッパーの表情が変わらず心配一色なのを見て静かに目を伏せ、体の力を抜いてチョッパーの胸へと頭を寄せた。

両手で大事にローを抱えるチョッパーの為に、サンジは左手にスープ皿を持ちながら倉庫部屋のドアを開ける。チョッパーは極力揺らさないようにそっと足を運びながらその隣を行く。

横抱きに運ばれることはさぞ不服だろうとからかう気持ちが僅かに芽生えたが、通り過ぎ間に見えたローが目を固く瞑りぐったりとチョッパーへ体を預けているのが見え、サンジは表情を曇らせた。

二人が通り過ぎるのを見送り、サンジはドアを後ろ手に閉めようとする。その時、ふと、無人になった倉庫部屋の中へと目を向けた。何故かわからないが、なんとなく気になったのだ。

ローが横たわっていた場所。その奥に、ローのトレードマークのような帽子とコート、大太刀が置いてある。

後で持っていってやらねば。それだけ思い、サンジはチョッパーの代わりに次のドアを開けるべく、倉庫部屋のドアを閉めた。

 

 

 

移動による揺れが辛いのか、はたまた発作的なものなのか。チョッパーは慎重に歩みを進めていたが、ローの呼吸は次第に荒くなっていった。

先頭を行くサンジは密かに後ろへ視線をやった。ローはチョッパーの胸に顔を埋め、荒い呼吸を必死に整えている。そんなローを、チョッパーは心配そうに覗き込んでいた。

「トラ男、からだ、痛むのか?」

「……」

ローは何も答えず、ただただ堪えるように体を強張らせていた。医者の癖に症状をちゃんと申告しない様に呆れつつも、喋るのが億劫なほどに弱っているのがわかり、サンジは眉を寄せて先を急ぐ。

辿り着いた医務室のドアをサンジがノックすると、すぐにナミの声が返った。

ドアを開ければ、ナミとロビンの視線が出迎える。道を開けるようにサンジが横へと控えれば、その視線は後ろを歩くチョッパーとその腕の中のローへ自然と移った。

荒い呼吸はベッドの上に座るナミにまで届いたのだろう。ドアを開けた瞬間にはいつもの明るい笑顔を見せていた彼女が眉を寄せていく。先ほどまで団欒であっただろう医務室の空気が緊張に固くなっていくのをサンジは感じた。

サンジが開けているドアを通り、ローを抱えたチョッパーが医務室へ入る。狭い医務室には既に二台目のベッドが置いてあった。まるで最初からそこにあったかのように違和感無く部屋に溶け込んでいる。そして、そのベッドとベッドの間にはカーテンの仕切りも完備されていた。

後片付けにでも行ったのか、もうこの場にいないフランキーとウソップに感謝しつつ、チョッパーは開かれているカーテンの間を抜け二台目のベッドまで行くと、そのシーツの上にそっとローを下す。嫌がっていた医務室への到着だが、ローはそれに対しての反応はなんら見せず、始終耐えるように目を瞑り、毛布の中で荒い息を繰り返すだけだった。

「……快方に向かっているんじゃ、なかったの?」

あまりに苦し気なその姿に、隣のベッドから身を乗り出すようにしてナミが問いかける。ローが意識を取り戻したという話を聞いてウソップと共に喜んでからさほど経っていない。もっと容態が良くなっているとばかり思っていた。その安心をかき消され、ナミは動揺に瞳を揺らす。

「さっき能力による治療をしたから、それで体に負担がかかったんだと思う」

「……そっか」

実際目にすることで、改めて珀鉛病という病の恐ろしさを知らしめられた。もとは治療法がないとされている難病。悪魔の実の力があれど、簡単に治るものではないらしい。それを、なけなしの体力を代償に治療しなければならないのだ。しばらく一進一退を繰り返すことになるのかもしれないと、ナミは今朝の自分の楽観を苦く思う。

あの普段はすらっと長い体が、今は痛みに耐えるように丸められ、荒い呼吸に震えている。あまりに痛ましい。

「他に治療法は……やっぱり、簡単には見つからないのね」

「……うん」

チョッパーは悔しそうに頷いた。ローの能力に頼ることなく治療することができたなら、ここまで辛い思いをさせないで済むだろうに。チョッパーは何もできないことが歯がゆくて仕方なかった。

「トラ男」

「……」

チョッパーが呼びかければ、ローは僅かに目を開いて見せた。

力が入らない体はぐったりしている。疲労の濃く出る顔が時にぐっと顰められ、体を強張らせて身じろぎを見せる。珀鉛病は体中が痛むという。その痛みに襲われているのだろう。

「強めの鎮痛剤を投与するよ。暫く意識が朦朧としちゃうけど、今は体を休めないと」

「……」

余程辛いのか、ローはこくんと頷いた。

ロビンはウソップにより新たに作られたカーテンへと手をかける。チョッパーのデスクとローのベッドを囲う様に作られたカーテンは、閉めればローとチョッパーだけを隔離してくれる。ナミの為にともとは冗談のように作られたはずのそれは、今のローにこそ必要なものだろうとロビンは思った。

チョッパーは速やかに鎮痛剤を準備し、ローに投与する。そうする間に、ドアの閉まる音を聞いた。ロビンとサンジの気配が部屋からない。ローを思って退出してくれたのだろう。

注射針をそっと抜く。これほどまでに痛みに苦しんでいるのだ。効くまでに時間がかかるだろう。

ローは痛みを紛らわしたいのか、右腕を左手で握り爪を立てていた。その手を解き、チョッパーは人型の大きな手でローの手を握る。

「トラ男……もうちょっとの辛抱だからな。大丈夫、きっと治るからな」

そう言って、ぎゅっと、手を握る。せめてもの想いをたくさん込めて、チョッパーは必死にその手を握った。

琥珀の瞳が、その手をぼんやりと見つめる。やがてゆっくりと瞼が落ちて完全に体から力が抜けるまで、チョッパーはずっと手を握り続けた。

 

 

 

 

体が、痛い。苦しい。

ぎゅっと、手を握られる。

真っ白なシーツが見える。

「もうちょっとの辛抱だからな。大丈夫、きっと治るからな」

かけられた言葉と光景に、ローは既視感を感じた。真っ白なシーツ。握られた手。

体が、痛い。意識が朦朧とする。

手が、握られている。

――体が、痛いよ

体が、痛い。頭がぼうっとする。何も考えられない。でもそんな中、小さな声が聞こえた。決して聞き逃してはならない声。

――お兄様

呼ばれ、手をぎゅっと握られる。握り返す。そこにぬくもりがある。

それは小さな愛らしい命。自分を慕って後ろをついてくる小さな命。ローはお兄様よ。守ってあげてね。そう頼まれた、かけがえのない命。

――父様は国一番の医者だ。きっと、治してくれる。

そう言って、とても小さな手を握った。確かなぬくもりがそこにある。この命を守らないと。おれが、守らないと。

痛い。苦しい。あぁ、わかる。凄く苦しんでいる。助けないと。

打たれた薬液の効能か、ローの痛みが乖離する。それがそのまま、遠い記憶のままに、目の前の小さな命を苛むものと認識される。目の前にある光景が記憶の再現なのか、今実際に起こっている現実なのか。薬で濁された意識はそれを知覚することもできず、ただ本能のままに感情のままに目の前の小さな命を守らねばと思いだけが動く。

しかし、するりと手が解かれる。闇の中に掴んでいた手が消える。

ひどい喪失感。取り返しのつかないような焦燥感がローを苛む。

強制的に落とされた夢の中で、ローは離れた手を求めて名を呼ぶ。されどそれは声にならない。けれども懸命に名を呼んだ。探さないといけないのだ。

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Comment

  1. あかまる より:

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    • 内緒 より:

      あかまるさんありがとうございます!
      個人的にブルックの最後の言葉、ブルックだからこそ言える素直でいてド直球な言葉なんじゃないかと一人満足しているので反応頂けて嬉しいです!
      やはり10名近く人がいると私も全然動かせないですw どうあがいたって文字の限界が起きますよねw
      ウッ、わかります……! 私もサンジ君には申し訳ないけれどありがとうという気持ちでいっぱいでして……! 推しの苦しみを理解してくれる人がいるって尊いですよね……っ!
      ヘヘッ、まさかのもう一山でしたww 少しでも長く看病したかったんです!!!! 弱ってる推しを看病するお話大好きです/// 性癖が一致しておられるようで嬉しいです////

      こちらこそ沢山の感想をありがとうございます! 返信不要とのことでしたが、嬉しかったので全力で返信させてください///
      暑い日が続いてますが、お体にお気をつけて~!