dive – 1.プロローグ

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雪国が近い為か、随分と潮風が冷たい。だが、空気が冷ややかなのはそのせいだけではなかった。

「船が着いたら僕は出て行く。じゃあな」

ハイデルベルグへ向かう船の上。些細な、本当に些細な質問を投げかけただけで、名前も顔も隠している旅の同行人は俺たちに背を向けた。

質問に対する返答は辛辣なもので、俺と同様に責められたリアラも表情が暗い。カイルだけがあいつを追った。後には波の音だけが残る。

(……あのクソガキが。マジでいけ好かねぇ。年齢とちょっとした疑問を投げかけただけじゃねぇか。ただの、純粋な好奇心じゃねぇか。……と言えば、嘘になるのか。)

曇る空を仰ぎ見て、心の中で言い訳をするも、あの紫紺の瞳が的確に射抜いた不信感を自覚するだけだった。

「はぁ……」

溜息を吐いてみたが、胸にもやついているものは出ていってくれない。

先の質問で答えてもらえなかったが、外見年齢はカイルと同じくらいに見える。もしそうならば、俺の方が八年は長く生きている。だというのに、あの餓鬼はそんな俺の心を全部見通しているのだと言わんばかりに鼻で笑っていた。

白雲の尾根で聞いたあいつの呟き。あれの意味するものが何なのか、ずっと気になっている。カイルの名が出ていたから、余計とだ。

悪いやつではない、そう思う。でも何で、何もかもを隠す必要がある? 名前どころか人の好奇の目を集める仮面まで被って……何でだ? 知られると何かまずいからだ。何がまずいんだ? それは、俺たちにとって不利になることなのか? ……カイルは、絶対に守らないといけない。これだけは譲ることができない。だからどうしても、完全に気を許すことができない。

ガシガシと頭を掻く。クソッ、ともう一度舌打ちして柱を蹴って八つ当たりする。こうも苛立つのは……罪悪感からだった。

あの野郎、俺の疑心に完全に気づいてやがった。年齢の質問なんて一般的な会話だと言うのに、その裏にある猜疑心に一瞬で気づいて、そして、ほんの少しだけ……傷ついた表情をしやがったんだ。

仮面の奥の目が翳ったのを見てしまった。すぐに威圧的な態度で押し隠されたが、確かに見たのだ。

なんであの当たり障りのない質問で、すぐに俺の疑心に気づいた? あいつは、初めて会った時からずっと疑い続けられていることを承知の上で一緒にいたというのか。俺の様子を伺い、気にしながら接していたのか。それは……怯えているも同然じゃねぇか。あのプライドの塊であるガキが聞いたら喚くだろうが、つまりそうだろう?

俺はあいつより、八年近くは長く生きているはずなんだ。つまりあいつはそれくらい年下ってことで。そんなガキに、俺はいったい何してんだよ……。

クソ、うまくいかねぇ。だからと言って警戒を簡単に解くわけにはいかない。どうすりゃいいのかさっぱりだ。自己嫌悪で苛立ちがいつまで経っても収まりやしねぇ。

バタバタと、子供っぽい慌ただしい足音が聞こえてくる。予想に違わず、カイルだった。一人だ。リアラもすぐにカイルへと目を向ける。俺たちと目が合うとカイルはにっこりと笑って「きっと大丈夫だよ」と言った。

全く、こいつは何でこうも純粋にあいつを信じられるのか。『信じる』ってのは、俺がスタンさんから聞いてカイルに伝えた言葉だが、本当にこいつは覚悟をして人を信じているのだろうか? 無鉄砲なだけなんじゃねぇのか。

底抜けに明るいカイルの表情に醜く嫉妬してしまう。それでも、カイルのその言葉に救われている。

その後、ジューダスが再び現れた。溢れ出る辛辣な言葉。その裏に込められたものに、また俺は救われた。

これからも共に旅をするんだとさ。俺はずっとジューダスに対して警戒心を持っていたというのに、そのことに安堵した。

とりあえず、船が着く前に仲違いは解決に至った。ハイデルベルグに近づいた証である雪がふらふらと落ちてくる。

「わぁ、雪だ! 雪だよ、リアラ! ねぇ、やっぱりファンダリアは雪がめちゃくちゃ積もってるのかなぁ? かまくらとか作ろうよ!」

無邪気なカイルの言葉にリアラは微笑む。その笑みは心ここに非ずといった曖昧なものに感じた。何か、物思いに耽っているかのような。

そんなリアラの様子をボーっと眺めていたとき、彼女はおずおずと口を開いた。

「カイル、あのね」

「ん?」

「……私の力で、人の精神世界に入ることができるの」

「へ?」

間抜けなカイルの返答は、正直俺の心の声とダブっていた。なんだ? 精神世界って。

リアラが普通じゃないのは分かっていたが(そもそもレンズから謎の登場をかましてくれているしな)人の精神世界に入るとか……まぁ、リアラもエルレインのようにレンズを使って不思議な力を起こせるようだから、そんなこともできちゃうのかねぇ?

「私はダイブって呼んでる。これで、私の精神世界に、入ってみない?」

「ん? え、何で?」

カイルは眉間にしわを寄せて何度も首を傾げる。そんなものが無くとも、自分はリアラを信じているのだと、そう思っているんだろう。俺にはそんなカイルの“信じる”という想いが盲目的にすら見える。危なっかしくて目が離せない。

リアラはレンズを何度もいじり言葉を探している。やがて覚悟を決めたかのように逸らしていた視線をカイルに向けた。

「ジューダスに言われた通り、確かに私は隠し事をしている。英雄を探しているのも、カイルに理由は言ってない。……なのにカイルは私と一緒に旅をしてくれるって……理由は、まだ言いたくない。でも、何もわからないのって、カイルだって不安でしょう? そうやって拗れるなら…………悪いことに使おうとはしてないの。そのことを少しでも知ってもらうために」

早口にまくし立てるリアラの言葉はなかなか要領を得ないが、言いたいことはわかった。そう、そういうことなんだ。リアラが言う“カイルの不安”は俺が持つ不安と同じだった。

「俺はリアラのこと信じてるよ?」

カイルは顔色ひとつ変えずにそう告げる。リアラは首を横に振った。

「だからこそよ。あなたの気持ちに応えたい。その答えがこのダイブなの」

レンズのペンダントを両手で掬うように手に取り、リアラはカイルに言う。

「本当に隠したいことや、今は絶対言えないこととかは私自身がそう思っている以上、絶対見ることはないから、そういう点では意味があまりないかもしれないけれど……私の心がむき出しになった世界なのは確かだから」

精神世界……どんなもんなのか想像がつかない。

だがリアラが言うには恐らく、隠したいことはそのままに、リアラという人となりをその精神世界から読み取れる。そこから悪いことに使おうとしているわけじゃないということが感じ取れるのかもしれない、といったところか。

それは、物凄く都合のいい力なのではないか? 俺が先ほどぶち当たった問題の解決に凄まじい威力を発揮するのではないか?

カイルがうーんと唸っている。それを遮って俺は一歩リアラに近づいた。リアラの持つレンズの光を一瞬、強く感じた。

「それって、リアラ以外にもできるのか?」

「え?」

「リアラ以外の人間の精神世界に、他のやつが入ることは可能か?」

非難めいた視線が背中に突き刺さる。リアラとカイルのやり取りを俺と同じように静観していたジューダスだ。

奴は黙ったままではあるが、視線だけで俺の行動を咎めようとしている。本当に、お前は俺の考えていることがよくわかるんだな。

リアラも合点が言ったのだろう。少し躊躇いながらも頷いた。ジューダスの視線のせいで引っ込みかけた気持ちを何とか奮い立たせ、俺はカイルに言う。

「カイル。お前はリアラの言葉に甘えとけ。そうでもしないとリアラも気が済まないんだろう。で、俺は」

「断る」

間髪いれずに飛んできた拒絶の言葉。そうなるだろうことは予想済みだ。

「ジューダス。リアラも言ってたじゃねぇか。本当に言えないことは本人が思っている以上絶対見せられないんだって」

「僕はお前に対して応えたいものなんてないからな」

ぐっ……かわいくねぇ! だが仕方ない。事実だ。

だが、ここで引きたくなかった。それ程までにリアラの力に俺は今魅了されている。

俺は、俺は本当はこいつを、ジューダスを信じたいんだ。信じさせて欲しいんだ。

「そうだな。これは俺の我侭だ。俺はカイルみたいにお前を無条件に信じることはできねぇ。だけど、お前は何だかんだで俺たちのことを助けてくれた。それには絶対理由があると思うのは当然だろう? その形を輪郭だけでも掴みてぇんだよ。俺は、絶対カイルだけは守らないといけねぇ。これは絶対間違えられねぇんだ」

「そうまでしてお前たちと無理やり旅をせねばならん理由など僕にはないのだが?」

人が懸命に腹割って話してるってのに、この野郎。情も何もあったもんじゃねぇ。

だが、俺は一切引くつもりはない。

「じゃあ何でお前は俺たちのことつけてたんだよ」

「つけていない言っているだろう。偶々出くわしただけだ」

んなわけねぇ。あんな偶々があってたまるか。

ストレイライズ大神殿を、俺たちは遺跡を通って侵入したんだぞ。あんな場所を、不審者丸出しのこいつが偶々通りかかっただ? バカ言え。こいつは何かしら俺たちと共に旅する理由があるはずだ。

「あんなところで偶々出会うわけがねぇって」

「本当に偶然だからタチが悪いんだ……」

仮面の奥で顔が顰められている気がする。あれ? この不本意極まりないって感じの雰囲気はガチで偶然だったのか?

「でも、同行することにしたってことは、やっぱ俺たちと一緒にいるべき理由があるはずだろう?」

「僕は別に離れてもいいと言っているだろう」

「ちょ、ちょっとロニ……せっかく仲直りしたんだから!」

しつこい追及に、ジューダスの返答からは怒気が混じる。カイルが目を真ん丸にして、両手を突出し止めようとしてくるが、俺はその手を掴んで無理やりおろさせ、カイルを引っ込ませた。その最中も、ずっと俺はジューダスから視線を外さない。

「いいや! 一緒にいなくてもお前は目的を達成できるが、それは俺たちと近いところにあるんだろ? 俺たちの目的とお前の目的が近いか一致している。だから偶然出会っちまったんだよ。違うか?」

ジューダスは黙った。図星だったか?

「だったら、一緒に旅すりゃいいじゃねぇか。カイルも一緒に旅してぇって言ってんだからよ」

「とことんカイルには甘いのだな」

「……俺も、お前のことそんなに嫌いじゃねぇよ」

「ほう?」

それは初耳だと言わんばかりに言われた。ぐぅ、やっぱりそう思われてたか。別に俺はお前のこと嫌いなわけじゃねぇよ。ただ、警戒を解きたくても解けないだけでだな……もう俺自身何でこんなにムキになってるのかもわかんねぇ。そうだよ、そういえば最初は気に食わなくて、ってかさっきまで気に入らなかったんだよ。畜生、もういい、知るか。思ったまま言ってやる!

「ジューダス、隠してぇことは隠したままでいい。ただ、俺はお前が何を思っているかを知りてぇ。それも知らないで離れるなんて気分悪ぃんだよ。だから旅は意地でも続ける! そんで、そのダイブとやらで今後少しでもわだかまりを無くせるのならそれに越したことはないんじゃねぇか?」

ジューダスは困惑したような目をこちらに向けた。何でこんなに食いついてくるんだって思ってんだろうな。正直、俺が聞きてぇくらいだ。なんでだ。

……あれだよあれ。本当に悪いやつかどうかもわからないで勝手に疑って追い出したってことになったら寝覚め悪いんだよ。そうだろう? 当たり前だろう?

俺とジューダスの間に落ちた僅かな沈黙の中、おずおずとリアラが口を挟む。

「あの、ジューダス……本当に、見せたくないもの、踏み込まれたくないところは、精神世界ではちゃんと拒絶されるから、大丈夫よ」

思わぬ援護射撃だった。更にそれにカイルが続く。

「んージューダス。何かよくわからないけど、ロニがここまで言うことなんてあんまりないし、俺もリアラの精神世界に入ってみるから、ジューダスもやってみてくれないかな? 俺も、少しでもロニとジューダスが仲良くなってくれたら嬉しいから」

グッジョブだカイル! さすが俺の弟だ!

まさかの三対一にジューダスは更に目を丸める。何なんだこれは、と表情にありありと出ている。だというのに、いつもは遠慮なく出てくる悪態が今回ばかりは出てこない。

「……はぁ……勝手にしろ」

深いため息のあと、とうとうジューダスが折れた。ガッツポーズを頭の中で決めておく。ジューダスの僅かに見える表情には、諦めの中に不安が混じっているように感じた。ちょっと、悪いことをした気持ちになる。自分の精神世界を覗き込まれるなんて、普通嫌だわな。俺の場合覗き込まれたら何が見えちまうんだろう。こんな自分勝手な気持ちとかが世界の一部となるんだろうか。……カイルへの想いとか、どうやって映るんだろうな。こればっかりは、俺も人に公に見せたいもんじゃない。リアラ曰く見せたくないと思うものは、見えないらしいが、でもやっぱ、不安には思うよな。精神世界といえども自分で全てコントロールできるようなものでは決してないだろう。自分が剥き出しになった世界だとリアラは言ったのだから。

だがやめないぞ、俺は。

「じゃぁ、始める前にダイブについて説明するから一度部屋に戻りましょう?」

そう言ったリアラに俺たちは続いた。

 

 

船に借りている二部屋の内、男三人で使っている部屋で説明は始められた。

これから入ることになる精神世界のことをコスモスフィアと、リアラは呼んでいるらしい。そしてコスモスフィアに入る行いのことを“ダイブ”というのだそうだ。

ダイブは基本的に一対一で行われる。一人のコスモスフィアの中に一人ダイブする、といった形だ。一人のコスモスフィアの中に複数人でダイブすることも可能だそうだが、ダイブを受け入れる側の精神に大きな負荷をかけるため危険だとリアラは言った。

「ダイブには高密度のレンズを使用するの。私とカイルはこのペンダントを使うから、二人には、これ」

そう言ってリアラは手のひらより一回り小さいサイズのレンズを取り出し、ジューダスへと差し出した。ジューダスは渋い顔でレンズを受け取る。ジューダスが受け取ったレンズにリアラは手を添えて、集中するように目を閉じた。

ふわ、とレンズが光る。

「……今、ジューダスのコスモスフィアの入り口をこのレンズに作ったわ。今後、このレンズを二人が同時に触って目を閉じ、互いがダイブを許容すれば、コスモスフィアに入れる」

「許容って、具体的に?」

「単純に、ジューダスは自分の心に入ってもいいよって念じればいいし、ロニはジューダスの心を見たいと念じればいいのよ。ただそれだけ。反対に、どちらかがそう思っていなければダイブはできないわ」

まぁ、そうじゃなかったら精神世界覗かれ放題になるんだもんな。そりゃ怖いわな。俺もジューダスが目を閉じてるときにこっそりダイブ、なんてことはできないわけだ。さすがにそんな信頼関係根っこから崩しそうなこと、するつもりはないが。

それからもリアラの説明は続く。

コスモスフィアでの出来事をダイブする側は現実世界に戻っても覚えているが、される側は一切覚えていないそうだ。

「例えるならば、寝ている人の夢を、覚醒している他人が覗き見るようなものだから。寝てた人は夢を完璧には覚えられないけれど、覗き見してる人は覚醒状態だからちゃんと覚えていられるの」

「随分と僕にリスクばかりあるようなんだが?」

ジューダスの言葉にリアラは少し困ったように眉を寄せた。実際、その通りなのだろう。

「でも、コスモスフィアはその人の想いそのままの世界になるわ。つまり、ダイブした人……ロニにこの部分を見せたくない、この部分に立ち入ることは許せないとジューダスが思っていれば、その場所へは立ち入れないような壁や鍵のかかった扉が生成される。そういう風にできているの」

「この男がその鍵を破壊したり、壁をよじ登るようなことをした場合は?」

ジューダスの言葉にカチンと来て思わず睨むが無視された。ひでえ。どんだけ信頼ねえの、俺。

「それで破壊できたり登って見られちゃうなら、隠したいという思いはそんなに強くないってことになる、かな。でも、ジューダスだったら、どう? そうまでロニにされたら、ジューダスはその場にいたらどうする?」

「ふざけるな、とでも言って蹴り飛ばそうか」

「お前なぁ……」

「うん、怒るわよね。もちろんそれも精神世界で具現化するわ。つまり、妨害する何かが生成されたり、最悪の場合ロニが危険な目に合うと思うわ」

「げ」

思わず頬を引きつらせた。なるほど、リスクは受け入れ側だけにあらずってことか。

ジューダスは顎に手をあて「ふむ」と少し納得した様子だ。

「それから、さっき夢で例えたけれど、コスモスフィアってほんと、夢のようなへんてこな世界になることも多いから、驚かないでね」

「へぇ? ジューダスの世界がへんてこだったらそれはそれで面白そうだな」

「本来ならありえないことが夢では起きたりするでしょ? 突然山のような大きさの怪獣が現れて襲ってきたとか」

「……あの、ジューダスさん、普通な感じでお願いします」

「ふん」

鼻であしらわれた俺にリアラは苦笑しながら続ける。

「でも、そんなへんてこな現象一つ一つに、想いや願望、過去の出来事とか、色々隠されているの。だから、コスモスフィアに入ってその世界に触れるだけで、なんとなくその人の人となりというのが見えてくると思う」

「……なんか難しそうだな」

「そうね、でもコスモスフィアには大抵本人が現れるから、その本人にそれらに対してどう思うか聞いたりすれば、またわかることもあると思うわ」

「本人?」

「そう。ジューダスのコスモスフィアにジューダスが、私のコスモスフィアに私が現れると思う。もちろん現実の私たちじゃないし、それも一人の人を形成する一部分でしかないから、何かしら偏った思想を持った人になる傾向があると思う……。だからそれらだけを見てそれがその人の全てだとは決め付けないで欲しいの」

リアラは少し不安そうに胸に手を当て言った。俺にはリアラの言う意味が理解し辛いが、まぁ実際入って色々試していくうちにわかってくることもあるだろう。百聞は一見にしかずってやつだ。

「わかった。肝に銘じておくよ。なぁ、カイル」

「うん、わかったよ」

カイルの言葉に少し元気を取り戻し、リアラは説明を続ける。

「あと、ダイブを受け入れる側はコスモスフィアでのことは覚えていないとは言ったけれど、コスモスフィアでの出来事はそのまま精神に影響するから。夢の内容は覚えていなくても、嫌な夢だったらどこか気分が悪くなるのと同じように。例えば、コスモスフィアで私が凄く大切にしているお花があったとして、もしカイルにそのお花を摘み取られたりしたら、私はそのことを現実世界では覚えていないけれど、無意識にカイルはそういうことをする人間なんだって、認識しちゃうの」

「俺、そんなことしないよ!」

「ご、ごめんね。例えばの話よ。私もカイルがそんなことする人じゃないって、ちゃんとわかっているわ」

リアラによって続けられた説明によれば、ダイブを受ける側は、コスモスフィアで起きたできごとによって良い影響も悪い影響も多大に受けるのだそうだ。それらは考え方や性格などに影響を与え、時にトラウマとなることだってあるのだと。反対に、そのトラウマを癒し、良い方向へ導くこともできる。それが精神世界に直接入るということなのだそうだ。

影響を与える、と言われると大層なことに感じるが、人が他人の影響を受けて人格を形成していくのは現実でも普通にあることだ。それが直接精神世界に入ることでより顕著になるんだろう。だから、コスモスフィアでの言動は慎重に、とリアラに釘を刺された。

「でも、そんなに危険なことにはならないよう、防衛システムを作っているから、あまり気負わなくて大丈夫よ」

「防衛システム?」

「ダイブする側が精神世界を危ぶめる場合、また逆に精神世界がダイブする側を危険な目にあわせようとした場合、ダイブを強制的に終了させる安全装置みたいなものよ。だから安心して」

「そんなこともできるなんて、すごいね! リアラ!」

「でも、だからといってめちゃくちゃしていいわけじゃないからね? コスモスフィアにあるものは全てその人の想いの塊。簡単に破壊したり傷つけたりしてはいけないものなんだから」

ほんと、この子の持つ力は不思議だ。いったい何者なんだろうか。……カイルはリアラにダイブすることで少しでも知ることができるのだろうか。

「説明は、こんなところかな」

そうリアラは言って、質問を促すように俺たちを見回した。誰からも声が上がらないのを確認し、リアラはカイルへと目を向けた。

「それじゃ、私たちは私の部屋へ行きましょ。きっと二人きりの方が落ち着くから」

ゆっくりとリアラは立ち上がる。カイルもそれに続いて立った。

「……これで、少しでも信頼し合えることができたらいいな」

首元のレンズに触れ、リアラは言う。

「きっと大丈夫だよ、リアラ! 俺とリアラも、もちろんロニとジューダスも! きっといい感じになるよ。ありがとう! 力を貸してくれて!」

間髪入れずに根拠のない無駄に明るい言葉を告げて、カイルは満面の笑みを浮かべる。

でも、なんでかこいつの、この底抜けの明るい言葉は、本当にそうさせる力があるように思う。

俺とリアラはきっと同じ笑みを浮かべた。

「それじゃ、ロニ、ジューダス、またね!」

そして、二人は部屋から出て行った。

残された俺たちの間に沈黙が落ちる。

空気が重々しいのはジューダスのせいだろう。そんなに構えなくても、と苦笑する。

「別にお前の世界をめちゃくちゃにするつもりはねぇからよ」

安心させるつもりで笑いながら声をかけると、ジューダスは俺を馬鹿にしたように鼻で笑った。こうやって鼻で笑われるのも随分と慣れてきた気がする。

「僕の世界がそんなに軟なものか。そんなことになる前に、精神世界とやらでお前を殺して排除するさ」

「じゃあ安心だな」

いつもなら思わず突っかかる皮肉をまるっと受け止める。それだけ、俺はダイブとやらに期待していた。

ジューダスは苦虫を噛み潰したような顔で手に持っているレンズを見ている。俺はその手を覆うようにしてレンズに触れた。

「ほら、行こうぜ?」

「…………」

「男は一度言った言葉を撤回しないこと」

「うるさい」

ジューダスは意を決して固く目を瞑った。思えばこいつとこうやって手と手を触れ合わせるのなんて初めてかもしれない。……小さい手だな。そんなことを考えつつ目を閉じる。

瞼の向こう側がやけに明るくなったように感じる。レンズが光っているのだろうか。

その直後、グイッと、と何かに強く引き込まれる感覚がした。次いで、瞼の向こうにあった光は一切感じられなくなり、意識が遠くなる。

 

それが、全ての始まりだった。

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