dive – 2.第一階層

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目の前を何か黒いものが過った、気がする。思わずそれを目で追えば、見たことのあるマントが一瞬ちらついた気がした。が、気のせいだったのだろうか? ……何も、無い。

「ジューダス?」

目の前に広がる光景から人がいないのはわかってはいるのだが、黒マントの持ち主を思わず呼ぶ。返事は無い。

あたり一面は、砂の地面だけが広がっている。隠れる場所も何もない。平坦な砂地だった。先ほどまでいたはずの船の客室とはとても思えない景色だ。無事、コスモスフィアとやらにダイブできたのだろうか。

受け入れる側が許容しなければコスモスフィアにすら入れないと聞いていたから、ダイブ失敗も想定していたのだが……どうやらジューダスは諦めて俺を受け入れたようだ。

それだけでも、なんだか嬉しいもんだな。

しかし、それにしたって

「何も、ないんだが……」

砂漠とも言い難い場所だ。温度は感じない。風もない。空は灰色で塗りつぶされているようで、空と言っていいのかも、よくわからない。雲も太陽も見えない。砂の地面は風がない為か、砂漠に見られるような砂紋すらない。自分の足で踏みしめて漸く砂だったのだとわかるくらい、綺麗に砂が敷き詰めらていた。

困った。

コスモスフィアってのはその人が大切にしている物や人が時には姿かたちを変えて世界の一部になっているって話のはず。あと、ダイブを受け入れる側であるジューダス当人が現れるのが基本なのだと。

だからジューダスに話を聞いたり、その世界の風景を見ていたりするだけで、なんとなくその人の心に触れることができるのだと。

特に精神世界で出会える当人は、何かしらの思いが著しく強く出る傾向があるらしい。人格を形成する一部一部が形となっているようなものだと聞いた。現実世界の本人からは聞けなかった思わぬ想いなどを感じ取れるだろうと。

だから、ここに来たらまずジューダスに会えて、色んな思いが形となったジューダスの世界を見れるのだと、そう想像していた。だというのに、

何もない。本当に何もない。ジューダス当人もいない。

この世界から何を読み取れと言うんだ。地平線の彼方まで、灰色の空と砂地しか続かない。

 

ジャラジャラ……

 

突然耳障りな音が響く。ここに来て自分以外が生み出す音を聞くのは初めてだ。何だ、と背後から聞こえる音へと振り向いてみた時

「ぶっ」

思わず吹いた。茶を含んでいたら霧吹きもびっくりの勢いで茶が飛び出たに違いない。それくらい、とんでもないことが起きていた。

さっきまで三百六十度、辺り一面砂しかなかったはずなのに、突如その砂しかない地面から黒色の太い鎖が生えてきた。……生えてきたのだ。大切なことだから2回言ったぞ。

そいつは砂地から果ての見えない天へと向かって、重力なんてなんのその、滝登りよろしく駆け上っていく。鎖の擦れ合うジャラジャラという音がなければにょきにょきにょき~! なんて効果音を付けてやりたいくらいだが、黒い鎖の醸し出す冷たい雰囲気は漠然と拒絶を感じさせ、そんなコミカルな効果音は受け付けてくれなさそうだった。

「なんだこりゃ」

思わず大口を開けて空を見上げる。先ほどまで絵に描くのも一秒で出来そうな、キャンバスをかち割るように横線一本引っ張れば出来上がる光景だった世界が、一転して鎖まみれだ。

しかし、灰色の空と砂の二つに鎖が一つ追加されただけだ。本当に、何ともレパートリーの少ない世界である。

「ハー……まぁでも、砂と空だけよりマシか。……しかし、なんでまた突然生えてくるんだよ。変な世界」

「変とはなんだよ。君が来たからこうなったんだよ?」

「ぬおっ?!」

突然話しかけられたことにびっくりした。思わず肩が跳ね上がるくらいに。

もともと見通しのいい世界だっただけに、誰もいないのは嫌でも確認済みだった。だというのに、鎖もそうだが、こうやって突然出てこられると心臓に悪い。

聞こえてきた声は、ジューダスのものではない。初めて聞く声だった。しかし、今度はあたりを見回してもすぐに声の持ち主を見つけることができない。なんだ? もしかして鎖が喋ってんのか?

「上だよ」

声に導かれるまま頭上を仰げば、発光体があった。やや黄色に近い光りを放ち輝いている。ただ輝いているだけで、輝きを放つ本体の様子は見えない。どうやらこいつが声の主らしい。

「……鎖が喋るより……まだ受け入れやすい、か?」

「何言ってるの君」

思わず声に出せばバカにしたような言葉が返ってきた。なんだろう、この小馬鹿にされる感じ。こいつジューダスに似ている気がする。

しかし、ここに来てようやく色々話が聞けそうなものに出会えた。進歩が見られそうで安堵する。早速色々聞いてみるか。

「えーっと、俺はロニ・デュナミスって言うんだ。お前は、なんなんだ?」

「僕は坊ちゃんの心の護」

あ? ボッチャンノココロノモリ? ……いや、違うな、坊ちゃん?

「待て、まず坊ちゃんって誰だ?」

「君が土足で踏み入っているこの世界の主だよ」

「ジューダスのことか?」

「君たちは勝手にそう呼んでるね」

わぁお。ココロノモリさんとやらはあいつの本名を知っているらしい。しっかし、坊ちゃんと呼ばれてるってことは、薄々感じてはいたがやっぱり良いとこの出なのだろうか。いちいち所作が上品だと思ったんだよな。

なんにしても、まさかジューダスのことを色々知ってそうな人物(?)に出会うことができるなんて、何ともラッキーだ。

「ココロノモリってのがあんたの名前か?」

「違うよ。心を護るって書いて心の護。僕はこのコスモスフィアの守護者」

「へぇ……そういう肩書きみてぇなもんか。名前はねぇのか?」

「あるよ。でも君には教えられない」

「あ?何でだよ」

「坊ちゃんが君に教えたくないと思っているから」

ぐっ、目の前に宝箱があって飛びつこうとしたら落とし穴に突き落とされた気分だった。ジューダスの名前は聞けなかったとしても、こいつの名前くらい聞けるだろって普通思うだろ!? それすら明かさないとか、どんだけだよ!

「多分、僕が名乗っても君には聞き取れないんじゃないかな」

転んだ人間を無邪気に笑うような意地の悪い声色で心の護は言う。捻くれた性格が誰かさんにそっくりなこと。思わず俺は恨めかしく光を見上げた。発光体は不思議と直視していても目が痛くなったりはしない。

「そう思うなら試しに言ってみろよ。それが聞き取れたならジューダスが俺に聞いてもらってもいいと思ってんだろ?」

「じゃあ言ってあげようか僕の名前は――」

キィィィイインと、ものすごい耳鳴りがして俺は思わず耳を押さえて蹲った。耳鳴りどころじゃなく頭が痛い。心の護はケラケラ笑って「ね?」と言う。

「僕の姿も君にはまだ見えてないんじゃない?」

「なんだと? その発光体がお前の姿じゃねぇのかよ」

「そうだよ。坊ちゃんは君に何も見ることを許したくないんだよ」

くっそ……それにしても、この心の護とやらからは異様に敵対心を感じる。こいつはジューダスの心の一部だ。この敵対心は、そのままジューダスの想い、というわけだろうか。

「お前、俺のこと嫌いだろ」

「うん、嫌いだよ。……あぁ、僕が君を嫌ってるってことは坊ちゃんも同じ想いでいるっていう考え?」

「違うっていうのかよ。この世界はすべてジューダスの想いでできてるんだろ?」

「んー確かに僕も坊ちゃんの心の一部ではあるけれど、そこまで短絡的に考えて欲しくないな。人の心ってのはとても複雑なものなんだから」

「ふーん……?」

「それに、心の護はちょっと特別なんだよ。僕はリアラに用意されている存在みたいなものだから」

「あ? リアラ? リアラが用意……した?」

俺は目を丸くした。まさかここでリアラの名前が出るとは思いもしなかった。こいつ、リアラに用意されたって、リアラが作り出したってことか? でもジューダスの心の一部でもある? ん?

「うん。僕は案内人も兼ねているから。君みたいにダイブしてきた人を案内・監視するのが僕の役目だよ。精神世界に侵入されるんだもん、下手なことされたら困るでしょ? だから、最悪の場合、僕が君を無理やりコスモスフィアから弾き出すんだ。そういった護り人の役割というシステムを作ったのがリアラだね。そのシステムに適合する意思や人格は坊ちゃんの心から作られているよ。僕だったら、坊ちゃんを護れるって坊ちゃんが思ってくれてるってこと。へへ」

誇らしそうにそいつは最後に笑った。随分とジューダスを贔屓しているようだ。まぁ、だからこその心の護ってことだろうか。よくわからんが、心の護という役職を作ったのがリアラで、それに採用したのがジューダスって感じか? あぁ、そういえばリアラが防衛システムとかなんか言ってたな。

「お前は、現実世界にも存在するのか?」

「するかもしれないし、しないかもしれない。人かもしれないし、人じゃないかもしれない。ロニ、君には大切なものとか、思い入れのあるものとかある? 例えば、両親からもらったプレゼントとかさ。心の支えになるような物。そういった物が心の護になることだってあるよ。ま、どっちにしろ僕の正体を君に話すつもりは無いよ」

はー、なるほどねぇ。こうやって色んな記憶とか感情が現れてるわけね。ようやく精神世界っぽいのを感じた気がする。

「で、僕は坊ちゃんの精神世界から生まれたけど、僕の人格は坊ちゃんからは離れているよ。坊ちゃんの想いに寄り添いたいって思っているけどね。全て僕自身の意思なんだ。坊ちゃんの想いはそのまま伝わるけど、僕の言動は僕の意思だよ。そんなわけで、坊ちゃんがどう思っているかは別にして、僕は君が嫌い」

長々と続いた説明だったが、結局こいつが言いたかったのは、個人的に俺のことが嫌いってことかよ。まぁ、こいつはジューダスのことを大切に思っているようだから、ジューダスに対して疑念を抱いたり突っかかったりしていた俺のことを疎ましがるのは仕方のないことか。

こいつの目的は最初からはっきりとわかっているから特に警戒する必要もなさそうだ。俺がジューダスの精神に悪影響を与えそうならば問答無用で弾き出すってだけだろう。なら、この場では仲良くやるのが得策だよな。

「まぁ、そう言うなよ。ジューダスに突っかかってるのを疎ましく思ってんだろ? それを無くすために俺はこうしてここに来てるんだからよ」

「知ってるよ。坊ちゃんも仕方なくこうして受け入れているから僕は君を排除せずにこうして監視しているわけだしね。でも、僕は君が嫌いだよ。下手に踏み込んで、踏み荒らしてさ、この階層にまで鎖が現れたのは君のせいだよ」

「え?」

今まで心の護に向けていた視線を、俺は鎖に向けた。確かに最初はこんなのなかった。これは、俺が来たからできたのか?

「君が出て行けばマシになるよ。好奇心だけでさ、勝手に坊ちゃんの心を荒らさないでくれない?」

心の護の声には苛立ちがありありと出ている。コスモスフィアでの行動がそのまま精神にも影響を与えるとは聞いていたが、どうやらダイブすること自体がこの世界に影響をもたらしたようだ。……大丈夫、なのか? しかし、荒らすなって……確かにこの鎖だらけの世界は異常だ。だが、砂しかない何も無い世界とやらは荒れていないと言えるのか? コスモスフィアって、想いとか気持ちとか経験、ジューダスという人格を形成する全てが形になったものだろう? 何もないって、どういうことだよ。

「なぁ。コスモスフィアってのは人格を形成する全てが世界になって見えるものなんだろう?」

「君、僕の話を完璧に無視したね……?」

「いや、聞いてて疑問に思ってよ。何でこの世界には何も無かったんだよ。あいつは確かにカイルよりはよっぽど冷静沈着だが何もないやつじゃねぇだろ。茶化しすぎたら怒るし、皮肉はいくらでも沸いて出てくるし、剣の腕や知識は無駄にあるはずだ。それが一切何も世界に現れないっておかしいだろ。聞いてた話と違げぇ」

「ここがコスモスフィアの全てな訳ないでしょ」

「あぁ? そうなのか?」

初耳なんだが

「コスモスフィアは人が踏み込める場所だけでも九階層あるんだよ。ここはまだ第一階層。奥に行けば行くほど想いや意思が強いものが蔓延ってる。ちなみに、九階より先もあるんだよ。人間の心っていうのは深いからね。ただ世界として形成されるのは九階層まで」

マジか。そんなの聞いてねぇぞ。じゃあ、本当にここは上辺だけってわけか。あいつの本名とか、本心とかはきっと奥深くの階層じゃないと現れないんじゃないか。こんなので俺は目的を達成できるのだろうか。

「ここはまだまだ上辺だけってわけか」

「それでもここは坊ちゃんの大切な心の一つ。だから出て行ってくれない?」

どんだけ俺をつまみ出したいんだよ。あまりにわかりやすい態度に思わず笑いが出てしまった。

「あぁ、悪いな。まぁ、そんなにつまみ出したいってジューダスが思ってるなら既につまみ出されてるだろう? つまり俺はここに居てもいいってことで、寛大なお心に存分に甘えて、満足するまでここに居させてもらうぜ」

「傲慢」

「ほっとけ。ところでよ、ジューダスはどこにいるんだ?」

「教えないよ」

「……」

思わずイラッと来た。できる限り仲良く行きたかったが、こいつは真逆の気持らしい。仕方ない。 心の護との会話を一度区切り、鎖へと歩み寄る。触れてみると、冷たかった。鉄に触れるのと同じ感じだろうか。嫌にひんやりとしたように感じるが。

少し下に引っ張ってみるが、やや揺れただけだ。上を見上げるが繋がる先は見えない。どうやって生えているんだかなぁ。

一応十本ほど生えている鎖に全て触れてみたが、何も変わらなかった。早速手詰まりである。俺はふよふよと俺の後ろをついてくる心の護へと顔を向ける。

「ところでよ、奥の階層に行くにはどうすればいいんだ?」

「君が行けるところじゃないよ」

「じゃあ教えるだけ教えてくれたっていいだろう?」

「何の義理があって?」

「お前ほんっと主によく似てるな」

ダメだ。こいつから情報は得られそうにない。

もう一度鎖の大群へと向き直った。数は数えきれない。上下に繋がっているのは全て同じだが、所々斜めに張られ統一性はない。この見通しのいい世界を見事に黒で埋め尽くしているのだから、かなりの量の鎖である。後ろを振り向けば相変わらず地平線の彼方まで砂と灰色しかない。

んー、歩いてみるなら、やっぱり鎖の方か。感覚を開けて生えているから潜ったりすれば中に入り込めるだろう。真っ直ぐ歩けないだろうから体力を消耗しそうだが、仕方ない。情報量の異様に少ない世界だが、きっとこの世界にも何かしら意味があるはずだ。この鎖にも、意味があるはず。

鎖とは、何かと何かを繋ぐもの。繋ぐことによって遮ったり、行動を制限したりするものだ。多分これは、俺の行く手を遮るために作られたんじゃないか。俺が来てからできたわけだしな。だとすればやはり、この先には俺に見られたくないものがあるのだと、そう推理するのが妥当か。どうだ、この俺の名探偵っぷりは。

あ? でも見せたくないのなら絶対見せられないようになってるんだよな? ……まぁ、いいか。他に当てもないしな。

間隔を空けて生える鎖の横を進み、俺の胸あたりを斜めに伸びる鎖を潜る。アスレチックみたいだ。

そうやって、俺は鎖の中を進みだした。

 

どれだけの時間、鎖と格闘しただろうか。今はもう四方八方鎖しか見えない。

長い時間鎖と格闘していて気づいたのだが、ついてきている心の護はどうやら鎖に一切触れないらしい。難なく鎖をすり抜けていくのだ。まるで幽霊のように、おぅ……気味わりぃ。

そんなことを頭の片隅に考え、また一つ鎖を潜ったとき、視界に黒い布切れが映った。慌ててそちらを凝視する。黒い鎖の中に紛れて分かり辛いが、鉄の鈍い光沢以外の黒が確かに見えた。あれは、ジューダスだ。

「ジューダス!」

今度ははっきりと白いものが見えた。骨の仮面だ。その奥の瞳と視線がかち合う。その瞬間、ジューダスは俺とは真逆の方向へと走り出した。鎖を掻い潜り、俺から逃げ出した。

「ちょ、おい待てよ!」

何で逃げるんだ。慌てて足を速め砂地を踏んだ時、その足先から目の前を通って、突如新しい鎖が上に向かってずんっと伸びた。

「どわっ」

顔面すれすれを通った鎖に思わずオーバーに仰け反ってしまい、体制を崩し尻餅をつく。そうしている間にも、どんどんと新しい鎖が生えてきた。俺の行く手を阻むように。

よほど俺は歓迎されてないみたいだ。これがリアラの言っていた見せたくないものは自然と鍵がかかるってやつなのかね。……しかし、そうとなると不自然だ。さっきから思ってはいたが。

コスモスフィアは精神がそのまま表れる。攻撃的なあいつのことだ。本当に嫌だったのなら俺のことをこの世界から排除してでも隠し通すだろう。だというのに、何で鎖なんだ? なんで行く手を阻むだけなんだ。他にもっと手っ取り早い手段があったはずだ。

まぁいい、だったらこの環境に甘んじて踏み込むまでだ。

 

鎖のアスレチック内での、長い鬼ごっこが始まった。

途中ジューダスにいくら言葉を投げかけても振り向いたのは最初だけで、以降は応えず、あいつは逃げ続けている。ジューダスとの間に行く手を阻むように鎖が増えるが、なんかもう慣れてきた。これ戦闘訓練にいいかもしれねぇ。

しかし、この鎖はジューダスが生み出しているようだが、心の護と違ってジューダスはあの鎖に遮られているようだ。鎖を潜ったり、飛び越えたりと避けて逃げている。

ただ、新たに生えてくる鎖はジューダスと俺との間に集中して現れるから、ジューダスの方が鬼ごっこは断然優位だ。一向に追いつける気がしない。気を抜けば完全に見失いそうになるのを気合で張り付いていた。

そうとうな時間粘った。やがて幾度かジューダスが振り返るようになった。鎖で遮られてその表情を見ることはできないが、確かに振り返っていた。

言葉を交えない鬼ごっこ。砂と灰色と鎖とジューダスと変な発光体しかない世界。息も切れ切れに追いかける俺、それを何度も振り返るジューダス。たったそれだけの世界。でも、なんとなくわかってきた。なるほど、これがコスモスフィアか。現実より確かにわかりやすいかもしれない。

 

鬼ごっこの勝敗は、ジューダスの根負けという結果になった。完全に足を遅め始めたそいつの腕を俺はとうとう掴んだ。だが増え続ける鎖が俺の腕の上を通り過ぎ、ジューダスの表情を隠す。うざってぇ

「ジューダス、これやってんのお前か? いい加減にしようぜ。もう鬼ごっこは終わりだ」

「……何なんだお前は!」

苛立ちに満ちた声と共に漸くジューダスは振り返る。鎖の動きが止まった。俺は手を離さないまま、ジューダスとの間にできた最後の鎖を掻い潜る。これで、ジューダスと俺との間に鎖はもうない。

「長い追いかけっこだったな。そんなに俺が嫌いか?」

「何でついてくる。なんで僕に構うんだ」

「現実世界の会話はこっちじゃ覚えてねぇのか?」

「僕が信用に値するかどうか、か? ならば答えてやろう」

ジューダスは力任せに俺の腕を振り払った。仮面の下の表情は酷く冷たい。ジューダスは時に冷酷になる。ノイシュタットで商人に脅しかけていた時がそうだ。だが、今の目の前の表情はその時とは少し違う気がする。

「僕を信じるな。間違いなくお前たちにとっての悪であり災いだ」

「…………」

「わかったら、さっさと立ち去れ」

冷ややかな目で言われる。だが、突き付けられた答えをそのまんま信じる程、俺は馬鹿じゃない。今は自分が感じたこの世界を信じて俺は仮面から見える冷たい目を畏怖することなく見つめ返す。

「あのよ、お前なんで一緒に旅することに決めたわけ?」

ジューダスは目を逸らした。

「貴様らが強引に誘ったのだろうが」

「自主的じゃなかったよな? つまりお前から俺たちに危害加えようとかそういうんじゃねぇだろ?」

「さぁ? どうだろうな」

「何? お前、自分が不幸体質で自分が居たら周りのやつらも不幸にするなんて愉快なこと考えているわけじゃないだろうな」

「……なんだそれは」

一度逸らされた目が困惑を宿して返ってきた。俺の言葉は思いも寄らないものだったようだ。

「もうお前が悪意を持って俺たちに攻撃してくるなんて、ありえねぇってわかった。となると、悪だの災い云々だの言うのは、それくらいかなって思ってよ」

「何を根拠に」

この世界が根拠をくれた。そうじゃなかったら正直、未だにこいつのことを恐れていたと思う。ジューダスのほんの一部であろうこの場所は、的確に俺の不安を取り除いてくれた。

もうわかっちまったんだ。こいつが冷たい振りして意外にも情に厚いところがあるということに。強引な押しに弱いところなんて特にそうじゃないか。こいつはなるべく人と関わらないようにしているだけだ。だから冷たく見える。だが自分に向けられる思いを簡単に無下にできねぇんだ。追いかける俺をちらちらと振り返って、迷惑そうにしながらも、その一方で速度を緩めている。本気で俺を拒絶したいのなら鎖で遮るなんて面倒なことしないで無数の剣を召喚でもして、俺を排除すればいいのに。

意味深に笑って黙る俺を、ジューダスは険しい顔で睨み付ける。

「僕は、目的の為ならば何でもする。お前たちと一緒にいるのは、お前たちを利用しようとしているのかもしれないんだぞ。なんでそれを……お前たちは、特にカイルは、お人好しすぎる。僕なんて、連れて行かなければ良かったんだ」

最初は強かった眼光は後半になるにつれどんどんと力を失い、最後には伏せられてしまった。

お人好しなのはお前も一緒だと思うぞ。人に深入りしたくないくせに、なんでわざわざ俺たちを助けるような真似をしたのだろうか。

もし仮にこいつが俺たちに最初から危害を加える目的でついてきたのだとしても、こうしてコスモスフィアでは自分に近寄るなと、ご丁寧に警告してくれているときたもんだ。もしこの仮定が真実だったとしたなら、こいつの目的とやらはダイブによって見事に失敗ってわけだ。笑えることにな。……こいつは、俺たちに悪意なんか持っていない。絶対にだ。

「お前の目的は、俺には言えないんだな?」

「……」

「まぁ、お前にどんな目的があるのかは俺にはわからねぇけどよ、もし裏切るようなことがあったとしてもよ、お前には何かしらの理由があるんだろ。その理由はひでぇもんじゃないように俺は思うんだよ。おまえ、いい奴だからな」

伏せられていた眼が上がる。信じられないものを見ているかのような、変な表情をしていた。

「は……? なんだ、いい奴というのは」

「あのよぉ、わざわざ俺たちに危害を加えようとしている奴が、んな忠告するわけないって。したとしたらとんでもないお人よしってこと。お前、俺たちに傷ついてほしくねぇんだろ」

仮面の下で、ジューダスの表情が痛みに反応したかのように歪められた。その表情に確信を得る。

「なんだ、仮面の下にどんな怪物がいんのかなって思ったが、どうも臆病ものにしか見えなくなっちまった」

「臆病……?」

俺の物言いにジューダスが怒り出す様子はない。いつもなら皮肉が3倍くらい返ってくるんだがな。それだけ、困惑しているのかもしれない。

「いいじゃねぇか。もし本当にお前が裏切らないといけない時が来たとしてもよ」

ぽん、とカイルの頭に手を置くのと同じ感覚で、ジューダスの頭の上に手を置いた。仮面の尖った部分を避け、黒髪が見える部分に手が触れる。

「俺はお前が仲間になったこと、後悔しねぇよ」

パン、と俺の手が音を立てて弾かれた。

「馬鹿を、言うな。そんな……そんなこと」

拒絶された手を宙に浮かせたまま所在無げにぷらぷらとさせてみる。うーん、何でこいつはこうも拒絶をしてくるんだ。何に怯えてるってんだ? 人の期待に沿えないことを、異様に怯えているのか?

「あのな。人間誰もが一生ずーっと同じ気持ちを持って仲良しこよしなんて無理だって。どっかで意見の違いとかでるときゃでるだろ。互いの譲れない部分とかもできちまうことだってある。今は一緒に居たとしても、そうなって離れたり、戦いあったりすることも、時にはあるもんだろ、悲しいけどな」

「……だったら、なんで一緒に行くんだ」

「あ? その方が……なんだ、都合がいいんだよ。お前強ぇしよ。今はとりあえず行き先が一緒か近いんだろ? お前も利用してるのかもしれないけど、俺たちもお前の剣の腕を利用しているようなもんだ。良いように言い方変えりゃ、支え合ってるってわけよ。あとは、例え別離に至るどころか敵同士になったとしても、俺はお前だったらいいって、もう思ってるってこった」

仮面の下で顔が顰められていると思う、俺の言葉をうまく飲み込めないって感じかねぇ。俺のこの気持ちを、信じていないのかもしれない。どう受け取ったらいいのかも、わからないのかもしれない。気にしねぇで仲間になったときのように“後悔しても知らんぞ”つって、放り投げりゃいいのにな。まぁ、アイグレッテではああ言ってたが、心の底では今のように思い続けていたってことか。

「とは言えな、ジューダス。言いたくねぇことはまぁ、無理に言わなくていいけどよ、ただ、お前がそうやって俺たちのこと気にしてくれるってんなら、敵対する前に相談してくれよ。絶対解決できるなんて勝手なことは言わねぇが、もしかしたら何かしら解決できるかもしれない。お前が何を背負い込んでるのかは知らねぇけど、あんま一人で何でもかんでも背負い込んで、何でもかんでも一人で勝手に決めんじゃねぇぞ」

ジューダスから反応がない。呆けてんのか? 仮面の下の目は俺の方を真っ直ぐ見てはいない。なんだか唖然とした感じに、視点が覚束ない状態だ。

まだダメか? 俺はこいつを、安心させてやりてぇのに。今まで散々疑心を向けちまったこと、悪かったと思うから。

反応のないジューダスにうぅん、と唸った後、今度は勝手に体に触れることはせず、俺はあいつの前に手を突き出した。仲直りの握手ってところだ。

「俺は、お前と仲間でありたいんだよ! これからも、宜しく頼むぜ」

俺はお前を受け入れるぜ、ジューダス。そう思って手を伸ばしていた。ちょっと照れくさいから異様に声がでかくなっちまった気がする。恥ずかしい。照れくささからちょっとだけ視線を斜め上にやってから、もう一度ジューダスを見る。

今まで反応のなかったジューダスの顔が、強張っていった。船で一瞬見た傷ついた表情が、今目の前にあった。

え、なんでだ。俺、何か、そんな傷つけるようなことを言ったか? 何で、そんな顔をするんだ。何を考えている? おい、ここはコスモスフィアだろうが! 早く形になって教えろよ、教えてくれよ。こいつのこんな顔を、見たくねぇ。高圧的な顔して、俺を見下して笑うくらいが、丁度良かったんだよ。何を隠している? 何に傷ついている? 他人の排除を選ばず、自分を鎖の中に閉じ込めて、まるで自分一人が悪いかのように人目から隠し通そうとして……お前の言う災いっていうのは、なんなんだ。

「ロニ」

ジューダスは俺の手を取ることなく名を呼んだ。俺はおずおずと受け取ってもらえなかった手を下す。

「今、お前たちと仲間であること」

けたたましく金属の擦れ合う音と共に、僅かな地面の揺れを感じた。何かが、落ちた?

思わず振り向けば、砂の上に鎖が一本力なく落ちていた。こいつが音の原因らしい。それを理解した途端、俺たちを囲っていた鎖が見る見るうちに落ちてくる。危ねぇっ!

ドシャ、とすぐ近くにあった鎖も同じように落ちてきた。反動で砂が上へと飛ぶ。落ちた鎖は砂に飲み込まれるように埋もれていった。

「な、なんだ!?」

「それ自体が裏切りであったら、どうする」

次々と鎖は落ちてくる。先ほどまで静かだった世界は一転し、地面の揺れも酷い。何とかして逃げねぇと、落ちてくる鎖にぶち当たったら怪我なんかじゃ済まない。

「ジューダス、逃げ……」

何故かこんな危機的状況だというのに世界の異変に一切の関心を持たず、先ほどから体勢を変えないままジューダスは何かを話している。おい、何のんびりしてんだよ、早く逃げんぞ! と、ジューダスの腕を無理やりとっ捕まえて逃げるべく、手を伸ばそうとしたとき、ジューダスの足元に真っ暗な穴が開いた。

その穴に向かって、砂が流れ出ていく。蟻地獄のような様だった。その穴にこの世界の全てが飲み込まれるように、引き込まれるように消えていく。当然、俺の足元の砂も俺の体ごとその穴へと向かっていった。……飲まれる。

俺は何とかジューダスの腕を掴んだ。もう片方の手で鎖に捕まる。だが、既に天に繋がらないそれは全く意味をなさない。やべぇ。

「ロニ、お前はどうするんだ?」

俺たちはあっけなく、砂と一緒に穴に飲み込まれた。落下していく感覚。砂と鎖と一緒にまっさかさまに闇に向かう。ジューダスの腕だけは気合で掴んだまま、永遠に続く落下の感覚に俺は目を強く瞑った。

瞼を通して、何か強い光が目を焼いた。

 

 

 

 

 

「ロニ」

「ひっ」

尻餅をついた。落下の感覚が未だに抜けずにふわっと体全体を謎の感覚が包んで、体勢を崩したのだ。……あれ?

ふと気づいたら、またよくわからない世界の中にいた。なんだここは。ドーム状の丸い天井が見える。透明のような、薄ら青く見えるような、白銀のような、不思議な色をしていた。地面も同じで、それ以外は何もない……いや、一つだけいた。

「心の護……?」

ふよふよと、あの発光体が宙を飛んでいる。そういえば、ジューダスを追いかけ始めてからこいつの存在のことをすっかり忘れていた気がする。今までどうしたのだろうか。いや、そんなことは後回しだ。ここはどこだ。何が、どうなった?

「何だ? どうなったんだ!? ジューダスは!?」

「落ち着いてくれないかな。ここはコスモスフィアの外だよ」

「コスモスフィアの外……? つまり俺は弾き出されたのか? あの蟻地獄みたいなのはお前の仕業か?」

「違うよ」

混乱して声を荒げている俺とは対照的に、心の護の声は淡々としている。訳が分からず頭を振った。

「どうなってんだよ!」

「僕もそう言いたいよ。……君、坊ちゃんのコスモスフィア第一階層を終えたんだよ」

「……終え、た?」

「更に奥の階層へと行くことを第一階層に認められたんだよ。第一階層の坊ちゃんがそうしてもいいって思ったってこと。最後に見えたあの光はパラダイムシフトの光だよ。次の階層に移行することができる証として現れる光で、そこに入ればその階層はクリア。ゲームみたいでわかりやすいでしょ?」

いや、全くわからないんだが。もはや何がわからないのかもわからない。

「混乱してるの? ……君は第一階層の坊ちゃんと接触して何かしら影響を与えた。その結果、第一階層の坊ちゃんに更に奥の階層へ行ってもいいって思われたの。そう思った証っていうのが、パラダイムシフトっていう光の柱だよ。見なかった?」

「光の柱……?」

「まぁ、あの状況じゃ悠長にパラダイムシフトの光を見ている暇もなかったか。君たちが落下していく時に光りを感じなかった? あれがそう。そして坊ちゃんは落下していたとはいえ、その光に入ったから第一階層を終えた。だから君は第一階層のコスモスフィアから出てきたってわけ。ここは現実世界とコスモスフィアの狭間みたいなものだよ」

俺が、ジューダスに次の階層へ行くことを許してもらえた? 受け入れてもらえたって、ことなのか。……あんな顔を、していたのに? 何より、あの終わり方は一体なんだったんだ。世界の崩壊ともいえる現象だった。コスモスフィアは精神世界、その世界が崩壊したってことは……。

思わず体に鳥肌が立った。おい、あれは、やべぇんじゃねぇのか。

「……? ロニ、わかったかい? とりあえず、もう君を元の世界に戻すよ?」

「いや、待て、ちょっと待てよ!」

なんであんなことが起こったのに、心の護であるはずのこいつは淡々と話してるんだ。

「お前、最後どうなったのか見てたんだろ!? あれ、大丈夫なのかよ!? 俺は……」

「あぁ、あれなら大丈夫だよ。あの世界は仮面のようなものだから。じゃ、これでも気兼ねないよね?」

次の言葉を発する前に、俺の意識はプツン、と途切れた。

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