散り行き帰るは – 6

この記事は約40分で読めます。

あれからジューダスもすぐ休み、一晩たった。

まだ朝早いほうだったが、あの寝坊だけが得意のカイルが簡単に目を覚ました。

原因は、死者の目覚め程の音。外殻の破壊音だった。

その振動は外殻全体を行き渡り、何が起きたんだとカイルが跳ね上がる。

 

「……ラディスロウを打ったのか」

「え…」

 

一気に睡魔が吹っ飛んだとはいえ、今まで寝ていた為に状況判断のつかないカイルは剣を手に、振動を起こした相手を探して構えていた。もちろん相手が此処にいるわけがないので、とても間抜けな光景である。

 

「そういえば、スタンさん達から聞いたことがあるな…最後に、外殻へ行く手段がなくなって、やむを得なく……リトラーさんごと」

「あ…」

 

それはカイルも聞いたことがある話なのだろう。ロニの言葉に僅かに俯いたのは、そのときの両親の表情、想いを知っているのと、昨日までリトラーの生きていた姿を見ていたからだ。1000年前のだが

 

「ロニ、それは最後の決戦前、つまりスタン達がダイクロフトへと乗り込む前の話だな?」

「あぁ」

「そうか…ならば、もう時間はないな。急ぐぞ」

 

その言葉に、仲間達が力強く頷いた。

準備を終え、カイルが早足ですぐ近くに見えるダイクロフトへと向かおうとしたとき、後ろでジューダスの舌打ちが聞こえた。

カイルも表情を歪めて剣を構える。

現れたのは10匹ほどのモンスターだった。

 

「あーあー…ま、寝てる間に襲われなくてよかったってところか」

 

ロニが斧を構えながら能天気に呟く。

どうやら、あの衝撃によりダイクロフトからモンスターが溢れるように出てきているらしい。だが、それのほとんどは先程外殻に開いた穴のほうへ向かっているだろう。

10匹は可愛いものだと思うべきだった。

 

「竜だ」

 

カイルが声を上げる。 モンスターを前にして空を見上げたカイルにジューダスは眉を顰めたが、モンスターの姿がまだ遠い故、気をつけながらも僅かにそれを見た。

それは、ダイクロフトへと向かって一直線に飛んでいった。

 

「……父さん」

「カイル。時間がない。急ぐぞ」

 

バッとジューダスがカイルの横を走りぬき、モンスター達の群れの中に踊るように飛び込む。実に危険だが、時間が惜しいのだろう。奥のほうにはやはり、晶術を使うモンスターがいるようで、ジューダスの剣がモンスターの間から覗き、次にそのモンスターの首が飛んだ。

カイル達も後を追うようにモンスターの群れの中へと入っていった。

 

「あれ?あんた短剣どうしたの?」

 

モンスターを即座に、何ら問題なく倒せたことに一先ず安堵のため息を突いたジューダスの背中に、ハロルドの声が降りかかる。

誰かしら、尋ねてくるだろうとは思っていたが、何となく煩わしく、ジューダスは仏頂面でハロルドを振り返った。

先程の戦闘で、彼は剣一本で戦っていた。

 

「お前のせいでモンスターごと燃えた」

「え?この前のエンシェントノヴァ?」

「あぁ、そうだ」

 

カイル達もそれとなく気にしていたのか、ジューダスとハロルドのほうを見る。

 

「一本で大丈夫なの?」

「今更買いに戻れるのか?」

「…無理」

「僕は一本でも戦える」

 

そう言えば、カイルは納得したのか、頷いた。

もうスタン達はダイクロフトへと乗り込んだのだ。今は時間が惜しい。

ジューダス曰くおめでたい頭を持ったカイルでも、それくらい判断ができ、すぐに早足で先頭を歩き、ダイクロフトへと向かう。

その最後尾にジューダスとハロルドがついた。

 

「ねぇねぇ」

「…まだ何かあるのか。後にしろ」

 

苛立ちを隠さずに言っても、この女だけは止められない。

カイルもそうだが、好奇心旺盛の人間はジューダスの苦手とするものだ。カイル相手だと弱いというべきか。

ハロルドはそんなジューダスの言葉を気にすることなく続ける。

 

「何で短剣モンスターのところに置いたわけ?それってあんまり剣士として褒められたことじゃないんじゃない?」

 

ハロルドの言葉にぴくりと少年の表情が仮面の下で動く。

だが、彼はこちらを振り向くこともなく歩みだけ速める。

 

「……奥のほうは見えなかったから確認してなかったんだけど、そんなにモンスター強かったの?」

「お前…上級晶術は確認してから使え」

「ロニならともかく、あんたなら大丈夫だと思って」

 

反省の色をまったく見せないハロルドに、ジューダスは僅かに首を横に振った。

自分の周りの人間は全員実験体である彼女は、仲間の一人や二人晶術に巻き込んでしまっても気にしないのかもしれない。

 

「あーもう悪かったわよー謝るわよー」

「……………」

 

明らかに棒読みのその言葉に、ジューダスは呆れた目でハロルドをようやく見た。

だが、振り返ったことを僅かに後悔する。ハロルドのその目は何かを探るようにじっと仮面を透かしてジューダスを見ていた。

 

「ねぇ、あんた右利きだったっけ?」

 

思わず言葉に詰まった。

リオンとして生きていた頃は確かに自分は左利きだった。だが、今は2本使っていて、長剣のほうは右に持っているというのに、何故そんなところまで突っ込んでくるのか。

一体どこまで調べ上げられているのか、実に恐ろしい女だ。

 

「…両方使える」

「ふーん…」

 

探るような目が、次に少年の左腕へと移り、ジューダスは次の女の動きが予測できた。

 

「えいっ」

 

がばっと左腕に飛びつくと、ハロルドは徐にそれを持ち上げて、色々と探りまわる。

しばらくして、うーんとうねりながらも腕を放さないハロルドにジューダスが苛立ちをあらわに声をかける。

 

「おい」

「怪我とかはしてないのね」

 

その言葉に前を歩いていたロニが振り返った。

昨日の夜のことがあって気にしていたのだろう。

ジューダスはそのロニを不機嫌な顔で見返しながら言う。

 

「してないだろ。だったら離せ鬱陶しい」

 

ハロルドに言っているようで、心配げに振り向いたロニにもあてられた言葉に、年長者は肩をすくめながらも前を向きなおした。

ジューダスはハロルドを振り払うと、そっと抱きつかれてできた皺を伸ばす。

 

「あーら。いつも素直じゃないあんたの為に気を利かせてやってんのよ」

「どう気を利かせているというんだ」

 

もう一度深くため息をつく。そうすれば背中からくすくすと笑い声が伝わってきて、更に眉を顰めた。

 

「いい加減気を引き締めろ…ついたぞ」

「あらー私はいつだって真剣よ」

 

天才の態度は相変わらずと言ったところだが、これ以上はジューダスも彼女に言葉を返さなかった。

すぐ近くで剣を交える音が聞こえたからだ。

 

すでに草が生え始めている外殻に生えているように在る、不気味な黒。

ダイクロフトが、すぐ眼下にあった。

 

ガキンッと剣と斧がお互いを弾き、火花を散らす。

一度それらを持つ者が離れたとき、斧を持った男の周りに水が溢れた。

 

「一体なんだってんだ、ディムロス、お前あいつ知ってるのか!?」

 

水に飲まれ、見えなくなった男を探しながら、スタンは手にある剣に話しかける。それに対してディムロスは黙りこんだ。

男を飲み込んでいた濁流がいきなり四散する。

 

「くくく、ディムロス…お前なぞもうどうでも良い。今はただの暇つぶしにお前らの相手をしてやっているまでよ」

 

そうして斧を肩に乗せながら不敵な笑みを浮かべ立つのは、バルバトス。

ダイクロフトに乗り込んだスタン達は、各々武器を構えて更に気を高める。

 

「……父さんっ!」

「カイル」

 

それを遠めに見たカイルが剣を抜き、走り出すのをジューダスが腕を掴み止めた。

彼が振り向き、非難の表情を向けるが、言葉を紡がれる前にジューダスが腕を引っ張り、カイルを物陰に戻す。

 

「出て行くな。この時代、外殻の上に居るのはあいつらだけだ」

「で、でも!」

 

切羽詰った物言いは、彼にはよくあることだが、ジューダスはカイルの腕から振るえが伝わってくるのを感じ、それでも表情に出さず少年を見返す。

 

「あいつが過去、あれにどう負けたかは知らんが…」

 

その言葉にカイルが止まった。ジューダスはそれを見ながらも、後ろにいるロニの様子を探る。斧の柄を握り締め、似たような表情をしていた。

 

(スカタンめ…あの世で少し反省しろ)

 

今バルバトスと対峙している金髪を僅かに睨みつけながら、ジューダスはもう一度カイルと目を合わせる。

 

「今のあいつが、あれに負けるわけがない。違うか」

「………うん…そうだね」

 

ようやく落ち着いたカイルに、一先ず彼をの腕を握っていた手を離す。

それでも青い目は落ち着くことなく父親を見つめていたが、大丈夫だろう。

そして、当の四英雄だが

 

(あいつの目的はこれではないな…本当に暇をつぶしに着ただけだろう…)

 

ならば、とそっと物陰からジューダスが身を乗り出す。

その様子に同じく物陰から顔を上げようとしたカイルの頭を押さえつけた。

 

そっと、バルバトスに向けて殺気を零す。

 

すぐに物陰より更に奥にカイルごと身を隠す。

同時に、奥で聞こえていた金属の合わさる音が途絶えた。

 

「……くくく…来たか」

 

低く呟かれた言葉に、カイル達は各々表情を厳しくする。

瓦礫を挟んでいても、バルバトスと視線はしっかりあっているだろう。

 

「ふふ、はははははは!待っているぞ!」

 

凄まじい闘気を発していた存在が、消えていくのがわかる。

カイル達は静かに目を合わせ、力強く頷いた。

 

あの男との決着の場へ

 

 

 

 

『いいのだよ、スタン。我らは長く生き過ぎた』

 

頭に直接響く声を感じ取り、カイルが息を呑む。

あれからスタン達に気づかれないように別ルートを取り、ようやく神の眼を隠れながらも見ることのできる場所についた。

傷を負いながら神の眼の前に立つ四英雄達を見て、歴史通りに勝利したことを確信し安堵する。

 

神の眼には、すでに3本のソーディアンが刺さっていた。そして、その前に一人跪きソーディアンを見つめるスタン。その後ろには必死に涙を拭うルーティが居た。

 

「母さんが…泣いてる」

 

カイルがそっと呟いた。あれだけ気の強い母が…

それだけで、ソーディアンとの絆の深さを知ることができる。

カイルは眉を寄せ、父の後姿を見つめた。

 

ジューダスもまた、壁に背を預けながらその様子を見ていた。

いつバルバトスが入り込むか分からないので警戒をしながらだが、やはり長い金髪のほうに目を奪われる。

 

本当ならば、あそこにシャルティエも在るべきだったのだろう

そう思うと、居た堪れない気持ちになった。

視線が自然と下がっていく。それに気づいてか、唐突に想っていた存在が口を開いた。

 

『ぼっちゃん。僕は此処でいいですよ』

 

それを聞いて、瓦礫に隠れしゃがんでいたカイルが驚いたようにジューダスを振り返った。

思えば、リオンと明かしてからもシャルティエを皆の前で喋らせたことはなかった。

 

『僕は、この背中でいいです』

 

頭に直接響く声は優しく、ジューダスはそっと僅かな笑みを浮かべた。

 

「ジューダス…?」

 

カイルは珍しいそれに更に目を見開くが、すぐジューダスの表情は険しくなり、顎でスタン達のほうを見るように示される。

カイルは首をかしげながらも、仕方なくスタン達のほうへと視線を戻せば、その人は丁度、相棒を振り上げていたところだった。

 

「でやぁああああっ!」

 

迷いを断ち切る為に上げられた叫び、それと同時にソーディアンディムロスの刀身は神の眼に深く入り込んだ。

柄を握り締めた両手は、しばらくそのままで震えていたが、やがてゆっくりと指が解かれていく。名残惜しく、その感触を刻み込んだ手はそっと下ろされた。

 

「ごめん…ごめんな…俺は、大切な人も救えない……」

『スタン…お前は、英雄だ』

 

ソーディアンから呟かれる声は優しい。

いつも厳しく、色々なことを教えてくれた相棒の言葉にスタンの目からとうとう堪えきれなくなった涙が零れ落ちた。

嫌々と唯をこねるように、首を左右に振る。ボサボサの金髪が激しく揺れた。

 

『スタン…すぐに外殻を破壊する。早く逃げるんだ』

「ディムロス……」

 

情けない顔で剣を見つめる青年に、ディムロスは笑いとも取れるため息をついた。

そして、唐突に声を荒げた。

 

『何をしている馬鹿者!さっさと逃げんか!』

 

それは、あの長いとも短いとも付かぬ旅で、ずっと聞いた怒鳴り声。

その言葉に、スタンは気が引き締まるのを感じる。深く息を吐き、涙に揺れる目はそのままだったが、眉を顰めディムロスに背を向けた。

 

『…行け』

「ディムロス……ごめんな…今まで、ありがとう!」

『あぁ…さらばだ』

 

スタンは、泣いているルーティとフィリアの背を叩き、ウッドロウと目をあわし力強く頷く。そして来た道を走って戻っていった。

 

バチバチと神の眼に電気が走るような音がする中、英雄たちの足音が小さくなっていく。

それが完全に聞こえなくなったとき、カイルがすっと立ち上がった。そしてそのまま神の眼のほうへと吸い寄せられるように歩いていく。

仲間達もそれを追うように、静かに歩き始めた。

ずっと共に旅をしてきた仲間との別れ。

18年経っても、28年経っても語り継がれるそれを前にして言葉を失った。

やがて、神の眼の前まで辿りついたカイルが、そっと呟いた。

 

「やっぱ…父さんは、英雄だな」

「……あぁ、そうだな」

 

ロニがカイルの頭をそっと撫でてやる。

カイルは深く息を吸うと、胸元をぎゅっと握り締めた。

 

「……どういうことだ」

 

そんな中、低く呟かれた言葉に、皆ジューダスのほうを見た。

彼はというと、顎に手を当て険しい表情で神の眼を、4本のソーディアンを見ていた。

先程の言葉は、彼らに問うものだったのかもしれない。だが、ソーディアン達は皆黙り込んでいた。

この危険なダイクロフトに人が居るというのにだ。

 

皆の表情も険しくなっていく。何より、今確かに神の眼には4本の剣が刺さっている。間違いなくバルバトスが指定した決着の場なのに

 

カツカツと音を立てながらハロルドが神の眼に近づき座り込んだ。

手にはいつの間にか機械が握られ、それを弄っている。

 

「…神の眼のエネルギーがソーディアンを上回っているわ」

「え!?」

 

驚き、カイルがハロルドのほうへと走りより、同じように機械を覗き込むが理解など到底できないだろう。

他の者たちも身を硬くし、動揺を隠せないが、眼に見えた動揺は少なくとも、一番その事に衝撃を覚えたのは、仮面の少年だった。

 

(エネルギーが、足りない)

 

頭の中でその言葉を繰り返す。

最初は思考に感情が付いていかなかった。だが、体は固まり動かない。

 

その言葉を聞いて、直ぐに彼はやらなければならぬことを察した。

背負った相棒は何も言わない。だが、伝わってくる。

彼もまた、その運命を受け入れようとしている。

 

―ずっと、貴方の傍にいます

 

先日、そう言ったばかりだというのに

そう思うと何となく可笑しくて鼻で笑うが、握り締めた右手の振るえは止まらなかった。

 

「でも歴史ではちゃんと上回って壊すんでしょ?」

「う、うん…」

『……久しいな、ハロルド、カイル君」

 

ややあって、焦るカイルと冷静なハロルドとの会話を遮るようにディムロスが口を開いた。

それに名を呼ばれた二人は反応するが、他のメンバーは気づかないだろう。未だ不安げに表情を歪めている。

ジューダスは特に反応するでもなく静かに眺めていたが、ディムロスが自分達が未来から来たのだと勘付き、今その記憶を伝承していることに関心する。

 

「ディムロス…さん」

『すまないな…どれだけ力を込めても越えられない。後僅かだというのに』

 

悔しそうに言うディムロスにカイルが「どうしよう、どうしたら」とディムロスとハロルドに聞く。

神の眼の周りに集まり話し合う彼らの輪に入らず、ジューダスは一人離れたところで手を背に回した。

黒い布に包まれたその重みは、ずっしりと両手に伝わる。

 

『他に手があるにはあるが……それも、今では到底無理な話だ』

「そんな……」

 

金髪ががっくりと垂れ下がる。だが、すぐに起き上がり、何か手はと両手を握り締めていた。

ジューダスはため息をつきながら、ゆっくりと彼らのほうに近づく。

歩きながらするすると布を解いていく。ハロルドが一人、何も言わずにこちらを見ていた。

 

「カイル、退け」

「ジューダス?」

 

神の眼の真ん前を陣取るカイルに告げる。

少年は怖々と横に下がった。同時に布を完全に解き床に落ちていく。

そこから、鞘に収まった剣が現れた。

ジューダスは柄を右手に握り、そっと抜く。

そして鞘も布の上に落とした。

 

現れた美しい刀身と、コアクリスタルにカイルの目が見開く。

 

『シャルティエ…!』

『お久しぶりだね』

 

いろんな声が頭に直接響くにカイルはおろおろする。

反対にハロルド以外のほかの仲間達は、まったく持って状況がつかめないようだ。

それでも、ジューダスが何らかの手を打とうとしているのはわかるのだろう、彼のほうをじっと見る。

 

「ジューダス…それ」

「…シャル」

 

カイルの言葉には何も返さず、彼が呼んだのは剣の名だった。

愛おしそうに左手で刀身を撫でる彼に、カイルは言葉を忘れる。

 

ソーディアンはマスターの呼びかけに答えず、ただコアクリスタルを僅かに光らせた。

それだけでジューダスは、彼が神の眼に刺さる5本目になることを承諾していることを悟る。

眼を細め、形のよい眉を寄せ、静かに眼を閉じる。

 

(まさか、こいつと別れる日が来るとはな…)

 

ずっと一緒に居るのが当たり前だった。

これからも、ずっと一緒に居るものだと…

 

ぎゅっと柄を握り締め、目を開ける。

見慣れた刀身だけが、視界に移った。

 

(……シャル)

 

その存在を、頭の中に焼き付ける。

もう、心は決まっていた。

 

だが、シャルティエを持つ右手は下ろされる。

ジューダスはゆっくり後ろを向いた。

唐突にこちらを向いた彼にロニやナナリーが小首を傾げるが、視線は彼らの更に奥。

 

「…やはり、来たか」

 

ジューダスが睨んでいたその場所は空気が黒ずみ、空間が裂ける。

彼の言葉に、ロニ達も後ろを振り返り、それを目にして武器を構えた。

 

「くくくくくくく…さぁ、始めよう」

 

空間から腕が伸び、肩が出、頭が、体が徐々に此処に現れる。

そうして、完全に出てきた青と黒の衣服に日に焼けた肌。

 

現れた男は、斧を床に叩き付けるように振るった。

凄まじい音を立て床が割れ、四方に罅が入る。

ゆっくり顔を上げた男の顔は、凶悪という言葉が実に似合う。

 

「俺を、退屈させるなよ…?」

「バルバトス…!」

 

カイルが唸るように男の名を呼ぶ。

圧迫されるようなバルバトスの殺気の中、ジューダスは男を睨みながら、シャルティエを真っ直ぐ床に突き下ろす。

それは床に刺さり、神の眼を前に固定された。

シャルティエから右手を離すと、その右手はいつも使う剣の柄のほうへと伸びた。

 

「この世界はスタン達により救われなければならない」

 

仲間達の中、一番後ろに立っていたジューダスは柄を握りながら前に出る。

それにあわせるようにカイルとロニも各々の武器を手に前へと出た。

ジューダスは適当な間合いの位置にて足を止めると、剣を抜き、バルバトスのほうへと突きつける。

 

「それを邪魔するのならば、殺す」

 

男の殺気に怯むことなく、殺気を突きつけたジューダスにバルバトスがにやりと笑う。

 

「いいだろう。正反対の道を歩み、否定しあう…殺し合いの始まりだ!」

凄まじい轟音と共に下から岩の塊が波のように襲ってくる。

空間から暗闇が溢れ、闇に飲み込まれる。

 

バルバトスの晶術は今までとは桁違いに強くなっており、苦戦を強いられた。

晶術を使えばカウンターのように晶術が返ってくる。

更にそれは後方へと来ることが多く、既にリアラとハロルドは床に座り込み、意識を保っているのがやっとだ。

 

『こいつ…神の眼の力を使っているのか』

 

ディムロスの言葉にジューダスは肩を上下させながらも舌打ちした。

カイルも言葉を返す暇がない。

晶術を避ければ、追い込むようにバルバトスが斧を振るう。

カイルはそれを剣で受け止めるが、筋肉の塊のような男の一撃に少年が耐えられるわけがない。

ジューダスは瞬時にバルバトスの後ろをとり、剣を下から上へと振り上げる。

同時にバルバトスが大きく跳び、それを回避した。

 

「大丈夫かカイル」

「う、うん…」

 

後方に下がったバルバトスに剣を向けながら問う。

だが、聞かずとも少年がもう戦える程の余力を残していないのは明らかだった。

ジューダスは表情を険しくする。

 

「少し下がれ」

 

そだけ言って、ジューダスはバルバトスのほうへと真っ直ぐ走った。

援護をするようにナナリーがバルバトスに向かって弓を打つ。それはバルバトスの斧に叩き伏せられ、時には素手で掴みとられたが、隙を作るには十分だ。

 

ジューダスはバルバトスに切りかかれる間合いの一歩手前で右に跳び、そこから更に男の後ろへ向かって床を蹴る。

すれ違いざまに剣を振るったそれは金属音を立て簡単に斧で流された。

そのままバルバトスは大きく斧を横に振るう。ジューダスはそれを後方宙返りで交わし、精神を集中させた。

バルバトスは当然、着地地点を狙い斧を振るう。ジューダスはそれにあわせて、瞬時に高めた晶力を放った。

 

「シャドウエッジ」

 

晶術で作られた槍により、彼の斧を止める。

着地してそのままバルバトスの体を切りつける。

だが、刃が完全に体に入り込む前に、バルバトスの周りから晶力があふれ出す。

ジューダスはすぐ後ろへと跳んだ。

 

「エアプレッシャー」

 

バルバトスは自らが生み出した圧力など物ともせず、更に離れたジューダスのほうへと腕を伸ばす。

 

「シリングフォール」

 

岩石が天上から降り注ぐ。

更に横へ飛ぶことで避けるが、小さい石が体に降り注いだ。

そして、また、バルバトスはジューダスが晶術から逃れた位置に待ち伏せており、斧を振るう。

 

元よりそれを読んでいたジューダスは、また軽く片足で床を蹴り、避ける…はずだった。

だが、彼の意思に反して、体が突如重くなる。

 

「……っ」

 

咄嗟に左腕を胸の前に寄せる。

斧は彼の左腕を縦にざっくり切りつけた。

黒の生地が破け、血が噴出す。

更にバルバトスは左拳でジューダスを横向きに殴り飛ばした。

 

「ぐっ…!」

 

床に叩きつけられる前に、痛む左腕でなんとか受身を取り、バルバトスから距離をとる。

そのまま地面に手をつきゴホゴホとむせ返った。

 

「ジューダス!」

 

ナナリーが叫び、矢を3本手に持つと、バルバトスに向け放つ。

仮面の少年のほうへ歩み寄っていた男はそれをまた斧で振り払うが、向きをナナリーへと変えた。

 

「小賢しいわ!」

 

バルバトスの言葉と共にナナリーの足元で床が割れる。

突然の上級晶術にナナリーが逃れられるわけもなく、彼女は岩の並に飲み込まれた。

 

「ナナリー、ジューダス!ちきしょう!」

 

カイルにヒールをかけていたロニが斧を持ち立ち上がる。

バルバトスは新しい玩具を手に入れたかのように、またにやりと笑うとロニのほうへと歩き始めた。

 

バルバトスから視線を外されたジューダスは今も床に手をつきぜぇぜぇと息を荒げていた。咳き込むのは、先程受けた攻撃の為ではない。

 

(こんなときに……)

 

床に血を広げている左手が、また透けて見える。

口の中にも血の味が広がり、ジューダスはそれを床に吐き出した。

先程殴られたときに口内を切ったのだろう。口の端に血が垂れるのを拭う。

 

ようやく息が落ち着いて来た時、奥のほうで大きな物が落ちる音がした。

そちらに眼をやれば、ロニが床に倒れ伏していた。

 

後ろを見れば、カイルも床に座り込み、剣は持っているが立ち上がれない状態。

ほとんどの者が地に伏せた。

 

バルバトスはくつくつと笑いながらロニから離れる。

眼を凝らしてロニを見れば、僅かに胸が上下していて、ジューダスは安堵の息を付く。

だが、バルバトスが次に足を向かわせたほうを見て唇を噛み締めた。

 

(カイル…)

 

さすがにバルバトスにも疲労がきているだろうが、神の眼の力を使うと此処までになるか。化け物と言うに相応しい。

 

カイルはバルバトスを睨みつけ、なんとか立ち上がる。

ジューダスもまた、左腕をぶら下げながら立ち上がった。

 

『ぼっちゃん!』

 

その時、神の眼の前に刺さったシャルティエから叫び声が聞こえる。

同時に、カイルがバルバトスの斧を剣で受け止めたが、そのまま後ろへ吹っ飛んだ。

足の踏ん張りが利かなくなっているのだ。

 

シャルティエの叫びはただの警告ではない。

使えと、言っている。

 

(シャル……)

 

ジューダスは僅かな躊躇いの後、神の眼まで走り、シャルティエを引き抜いた。

重たい足を叱咤し、カイルを守るように立つ。既にカイルは意識を飛ばしていた。

どれだけ息を吸っても呼吸が落ち着くことを知らない。

ぼやける視界の中、それでもバルバトスを睨みつけた。

 

突如シャルティエを右手に立ちふさがったジューダスを見て、バルバトスは立ち止まり、鼻で笑った。

 

「馬鹿なやつだ。そうやってお前は無様に消えていくのか」

 

そう言って、男は指を刺した。

その先は、傷を負い、垂れ下がったジューダスの左腕。

今もそれは色を失い、後ろの景色を透かして見せている。

だが、ジューダスはバルバトスの言葉を気にすることなく、反対に不適に笑い返す。

 

「無様…?一度死んだ身でのこのこと生き返り、生きていた自分を否定するように生き足掻いているお前のほうこそ無様ではないのか」

 

少年の言葉に、バルバトスの表情が少しずつ抜け落ち、無表情になっていく。

ジューダスは仮面の下で顔を顰め、剣を握る手に力を込める。

 

「知っているか、リオン=マグナス。神が拾った魂はな、行く場所を失い彷徨っていた者だ」

 

その言葉にジューダスは奥歯を噛み締めた。

 

(僕が、彷徨っていた……?)

 

ただ生きることなど望んだ覚えはなかった。

彷徨っていたとは、どういうことだ。

 

死んだ後、行く場所なんてあるのか

 

「俺はまだまだ戦い足りなかった。あんなところでディムロスに殺されるような俺じゃない。だからこうして!今復活し、英雄どもを蹴散らし、俺の強さを証明し続けた。………俺はもう、彷徨う魂などではない。だが」

 

バルバトスが構える。

怒気とも殺気ともつかぬものが湧き上がる。

 

「お前は生き返って何を成したというんだ?自ら死ぬために戦う生きた屍ごときが…俺に口出してんじゃねぇ!!」

 

そう言った瞬間、ガキンッとシャルティエと斧が打ち合った。

ジューダスはその衝撃に僅かに下がる。

重たい体はソーディアンの力で何とか動かせるものの、右手でシャルティエを振るってもそれは防御に使うことしかできない。

凶悪な笑みを浮かべ、バルバトスは笑いながらジューダスに斧を打ち付ける。

 

「例え罪滅ぼしと想い歴史を戻そうとも、貴様は行く場所を今もなくした屍よ!」

 

思わず、体が止まった。

シャルティエで斧を受け止めることはできたが、そのまま吹き飛ばされ、壁に体を叩きつけられる。視界はぼやけ、強制的に肺から空気を吐き出され、咽れば血が床を塗らした。

バルバトスが追い討ちをかけに走ってくるが、体が軋み体勢を立て直す暇がない。

 

「ジューダスっ!」

 

何時の間に起き上がったのか、横からロニが長斧を持ち、体ごとバルバトスに突っ込む。

そのまま押さえつけるように畳み掛けた。

 

ロニが作った時間により、体を起こし息を整える。

すると、体を温かい光包み始めた。ぼやけていた視界が戻り、驚いて辺りを見渡せば、床に這い蹲りながらもハロルドが杖をこちらに向けていた。

光は次第に、左腕のみを包み始める。

 

ハロルドと視線があい、彼女はにやりと笑った。

 

「シャルティエは、左利きだったのよ…?」

 

そのまま荒い息を吐きながら、ハロルドは完全に顔を伏せてしまった。

 

そっと左手を持ち上げる。

回復晶術を受けようが、今も消えそうなこの手。

 

(屍の手………か)

 

ドォンと床が揺れる程の衝撃がした。

そちらを向けば、ロニが地面に叩きつけられている。

彼の下にある床もまた、大きく罅割れていた。

 

「ちきしょ……スタ…ンさ……」

 

その言葉に、ジューダスは目を見開いた。

ギリリと奥歯を噛み締める。

 

(そうだ、屍の手なんだ…僕は、たとえ帰る場所が無かろうと、この身がどうなろうとも、やり遂げなければならないことがあったのではなかったのか!)

 

左手を握り締める。震えるほどに力を込める。

そうすれば、やがてそれは、少年の意志を受け取ったかのように色を戻していった。

 

『ぼっちゃん…』

 

シャルティエを、そっと左手に持ち替えた。

ずっと彼を持っていた左手。手が引きつけられるようで、剣と一体化していると感じるまでに馴染んだ感覚。

 

それを振り、バルバトスを睨みつける。

バルバトスは左手のシャルティエを見て楽しそうに笑った。

 

「そうか、ではこれで最後だ。似たもの同士、裏切り者同士……俺を楽しませてみろ」

柄を強く握る。

消えていたはずの感覚が戻ってくるのを、ジューダスは感じた。

シャルティエを握った感覚。それを確かに左手は感じ取っている。

 

冷たくバルバトスを見据える。

バルバトスは変わらない凶悪な笑みを浮かべこちらを睨み返す。

 

((こいつだけは、倒さないといけない))

 

シャルティエとジューダスの間で、同じ思いが繋がる。

 

「貴様は、殺してはいけない人間を殺した」

「…ほう?」

 

少年の言葉に、バルバトスは首を僅かに傾け、方眉を吊り上げながらも笑みを絶やさない。ジューダスは男の反応に表情を更に険しくしながら続ける。

 

「お前と…僕とも違う、生きて人に与え続けることができる人間を、お前は殺した」

「スタンとかいうやつのことか」

 

ジューダスは歪んだ笑みを浮かべた。

 

(あいつが死んだなどと聞かなければ、神なんて放ってさっさと帰ったものを)

 

スタンが殺されたと聞いた時、少年は頭が真っ白になった。

だが、それもまた運命ならば仕方ないと思った。

でも違った。

この世界は歪んでいた。既に死んでいる人間が神によって生き返され、更に過去に遡りスタンを殺したという。

 

本当の世界では、ルーティと共に今でも孤児院を経営しているはずだと、そう悟った時、少年は自分が死ぬのは世界を戻してからだと決めた。

 

「お前も僕も、壊すことしかできない人間…貴様も、僕が向かうだろう場所へ逝け!」

「小僧……無様に消えるのは貴様だけだ!」

 

怒りの言葉と共に、対峙した二人が目を見開き、神の眼の前は殺気に満ちる。

同時に、少年と男は床を蹴り、激しく火花を散らした。

 

二人は場所を交代するように、先程までお互いが居た場所に着地すると、すぐまた相手を睨みつけて床を蹴る。

 

ジューダスは、視界の端で左手がまた色を無くし始めているのを見た。

 

(消えるな!)

 

心の中で叫ぶ。

強く強く、シャルティエを握り締める。

そうすれば、柄から温かいものを感じた。

 

(まだ消えない、まだ消えれない!)

 

上から振り上げられる斧を最低限の動作で交わし、左手を振るう。

時々重くなる体を、それでも懸命に振り回した。

 

また二人は後ろへと跳び、間合いを計る。

お互いの頬に裂傷が走った。

バルバトスがにやりと笑い、それを親指で拭い、またジューダスは床を蹴る。

 

「アクアスパイク!」

 

突如バルバトスの背中に水の壁が迫った。

僅かに前に仰け反ったバルバトスをシャルティエが襲う。

 

「ぐぅっ!」

 

それに合わせ、シャルティエが男の肩を抉った。

肩から血しぶきがあがるが、バルバトスは構わず斧を振り回す。

それをジューダスはまた後方へ跳んでかわすが、胸を薄く一文字に引き裂かれた。

 

「ざまぁ…」

 

バルバトスの後ろで頭だけ上げていたロニがまた意識を飛ばした。

先程の晶術は彼が放ったもの。それを即座に悟ったバルバトスが憎憎しげにロニを睨み、斧を振り上げるが、脇のほうを突如、何かが切り裂いた。

バルバトスはジューダスのほうへ視線を戻す。彼はまたシャルティエを空振りさせた。

それと共に、見えない刃がまたバルバトスを襲う。

それをバルバトスもまた斧を強く振り上げることでその剣圧を吹き飛ばした。

 

その間にも、ジューダスは俊足を活かし、バルバトスの後ろへと回る。

 

(こいつ…段々速くなってきてやがる)

 

バルバトスは忌々しげに眼を細めると、斧ではなく拳を振るった。

重たい斧を持たないそれは鋭く、少年を捉えようとするが、寸でのところでかわされる。

男はにやりと笑うと、跳んでかわした少年へ今度こそ斧を振るった。

 

シャルティエの刀身が光、三日月を描く。

禍々しい斧がその色を残しながら真っ直ぐ振り下ろされる。

 

それらはお互いの首を掠め、また二人は距離をとった。

 

「ちぃ…っ小賢しい」

 

ジューダスとバルバトスはお互い肩を大きく上下させながら荒い呼吸をとる。

休みのない攻防。それでもお互い、眼を離さずに睨みあう。

 

バルバトスの下に血がボタボタと落ちる。

ロニの晶術により作られた隙が大きく、かわしきれずに受けたこの傷の出血が多い。

くらり、と意思に反してバルバトスの視界が揺れた。

 

同時に、ジューダスの荒い呼吸が止まる。

 

風の音がするほどに速く、少年は既に目の前まで来ていた。

バルバトスの眼が見開かれ、奥歯をぎりぎりと噛み締めた。

 

「うおおおおおっ!」

 

斧を横向きに体ごと回し、振り回す。

それと同時に膨大な晶力が高まり、ジューダスに向かって放出された。

 

「くっ!」

 

それは少年の横腹を焼き、後ろへと吹っ飛ばす。

だが、軽く彼はその場に着地すると、腕を力なくぶら下げ、またぜぇぜぇと肩を上下させた。

バルバトスもまた、肩を上下させながら斧を床に叩きつける。

 

(まだだ…まだ、もっと動ける)

 

ジューダスは息を整えながら、シャルティエをまた強く握る。

 

(動け……)

 

すぅっと息を吸い、だらりと下げた腕を持ち上げ、シャルティエをかまえる。

 

「この世界は、スタン達により救われなければならないんだ…」

「またそれか……」

 

お互いもう限界が来ていた。

次で終わり。互いの全てをぶつける。

それを悟った二人はまた強く互いの眼を睨みつけた。

 

「貴様は、僕が殺す!」

「世界を救うだと?俺はそういうのが一番嫌いだ。裏切り者が滑稽だな…虫唾が走るわ!」

 

そして、二人は真っ直ぐ走り出した。

バルバトスが雄たけびを上げ、斧を叩きつけるように振り下ろす。

ジューダスはまだ重たい体に、心の中で叱咤した。

 

(動け……動け、こいつを殺すこの一瞬だけは、動け…動け!)

 

シャルティエのコアクリスタルが光った。

 

上から来た斧を少年が避けたと同時に、彼が目の前から消える。

瞬時にバルバトスが後ろを振り向けば、そこに漆黒があり、バルバトスは斧を横に振り回した。

 

「俺の後ろに立つんじゃねぇ!」

 

それは少年の胴体を一刀両断にした…はずだった。

既にそこには少年が居なかった。彼の速さに追いつけなくなってきている。

 

ぎりりと奥歯を噛み締めたとき、バルバトスの足元に闇が広がった。

それは下から上へと上がり、炎のように体を焼く。

 

「がぁああぁっ!」

 

漆黒は、またも男の後ろに居た。

その手のシャルティエが闇とも光とも付かないモノを纏っている。

それは白と黒と紫の混じった刀身。

 

(動け!)

 

心の中の叫びと共に、その刃を少年は振り上げた。

 

「くそがぁ!」

 

それに対し、バルバトスもまた斧を持ち上げる。

斧と刃が何度も何度も交じり合う。

方向を変え、様々な所から襲ってくる刃を、バルバトスは斧を振り、時に攻撃に転じた。

 

斧が頬を切り裂く。

刃が腕を切り裂く。

 

バルバトスは、少年の刃が色を変えていくのを見た。

 

シャルティエはくすりと笑った。

 

(ぼっちゃんは、もう裏切り者なんかじゃない)

 

バルバトスが対峙している少年に向かって言った言葉。それに対してシャルティエは幸せそうに笑い、否定する。

 

(だって、今ぼっちゃんは4本のソーディアンを背に…彼らと一緒に守ろうとしているのだから)

 

何より、こんなにも守りたいという気持ちが強く伝わってくる。

例え、過去のことに対してどれだけ罵らせようとも

今、此処にたっている彼は、間違いなくスタン=エルロン達、四英雄の仲間なのだ。

 

刃に凄まじい力が集まっているのが、眼で見て取れるほどだった。

その刃を片手に、少年が背を向ける。

バルバトスはそれを隙と取り、斧を構えながら少年のほうへ突っ込むように走った。

 

少年の体に斧を叩き込む直前、少年はぼそりと呟いた。

 

―過去を、断ち切る

 

 

 

 

ぜぇぜぇと、荒い息だけが嫌に大きく響く。

神の眼が輝くこの部屋で、立っているのは黒い影だけだった。

 

ジューダスは肩を上下させながら、目の前で倒れている男を見下ろし、大きく息を吐いた。

その男は腹を切り裂かれ、血の海から生の気配などなかった。

 

終わった。

そう認識した瞬間、どっと体が重く感じる。緊張から解かれた体はそこら中に負った傷の痛みを訴えてくる。

首一つ動かすのすら億劫に感じる。それでもジューダスはバルバトスから視線を離すと、同じように近くで倒れている銀髪のほうを見下ろした。

 

「……おい、生きているか」

 

割れた床の上にぐったりと頭を伏したまま、銀髪の男は反応を返さない。

ジューダスは数秒反応を待って彼のほうをじっと見ていたが、やがて顔を背けた。

 

「…死んだか」

「勝手に殺すなよ…」

 

ようやく顔を伏したままのくぐもった声が返り、少年は仮面の下で表情を緩める。

ロニはゆっくりとうつ伏せになっていた自身を反すと上半身を起こす。

そして無残に倒れているバルバトスを見た。この男から受けたダメージの為か、今だ視界がぼやけているためよくは見えないが、赤黒いものが広がっているのはわかる。

 

「……終わったのか」

「………」

 

ジューダスは応えずにバルバトスを一瞥するとそのままハロルドが倒れているほうへと向かった。

強敵は倒れたが、問題はこれからなのだ。とりあえずその場しのぎでも皆を回復せねば。

 

ロニは今すぐにもまた倒れたい衝動を抑え、自身にヒールをかけた。

リアラやハロルドのものに劣るそれだが、少しずつ自分の視界がはっきりとなっていく。

完全に視界が戻ったとき、目の前のバルバトスの状態に思わず息を呑んだ。

そっと黒衣の少年に眼をやれば、左手に一度も使っているところをみたことのないソーディアンが握られていて、神の眼を前にしたその姿に、ロニは胸に不安が渦巻くのを感じる。

 

「く、くは……くふははははは…」

 

その時、後ろから力なく、それでも恐ろしい笑い声が上がり、ロニとジューダスは空気を張り詰め振り返った。

そこには、体中自身の血に塗れながらもゆっくり立ち上がるバルバトスの姿があり、二人は息を呑んだ。

この姿で、生きている等ありえるはずが

 

「俺はお前と同じところには行かない」

「まだ生きて…」

 

ロニが素直に感想を口に出す中、ジューダスはバルバトスの言葉に眉を顰めた。

そんな様子が、今の彼に伝わったかはわからないが、バルバトスはそれでも笑う。

 

「俺は…お前とは違い、彷徨う者じゃないんでな」

 

そのまま、血の足跡を残しながらゆっくりとジューダスのほうへと歩み寄ってくる。

ロニは痛むからだを起こし、ジューダスはハロルドから離れるとシャルティエを構える。シャルティエの刀身が光り、それにバルバトスは笑みを消す。

 

「本当に馬鹿な男だ。帰る場所が無いというのに、何故自分の為に戦わない」

「………」

 

少年の沈黙に、バルバトスは嘲笑うように鼻を鳴らすと、まるで興味が無くなったかのように、少年へと向かっていた足が違う方向へと向いた。

神の眼のほうへと

 

「俺は、誰にも負けない。俺を殺せるのは…俺だけだ」

 

神の眼を背に、もう一度ジューダスを見ると、バルバトスは満足げに笑う。

そしてそのまま、ゆっくりと体を後ろへ倒した。

 

「虚しい男よ、リオン=マグナス」

 

男は、無表情に呟いた。

それを最後に、神の眼のエネルギーにより、バルバトスは焼かれて消えていった。

 

神の眼に焼かれて消えていく人間。

その様はあの男には相応しいほどおぞましく、ロニは言葉を失った。

ゆっくりと自分よりいくつも年下である少年のほうを見る。仮面でよくわからなかったけれども、僅かに残った焦げ跡を彼は冷たく見下ろしていた。

だが、最後に残した男の言葉が、どこか少年を揺さぶっているような気がして、ロニはジューダスのほうへと近づく。

 

「お前…あいつと何かあったのか?」

「………」

 

話しかけた途端、まるで今まで放心していたかのように、こちらを振り向いたジューダス、その表情は仮面で読み取ることが出来なかった。

彼はロニの質問に答えることなく、しばらくして口を開く。

 

「動く元気があるのならばハロルドを起こしてリアラを回復させろ」

「…お前ねぇ…人使い荒くね」

「ダイクロフトと一緒に落ちても良いというのなら勝手にしろ」

 

ぷいっとそっぽを向いた少年に、それは勘弁とロニは両手を挙げた。

だが、ハロルドのほうへとは行かず、じっと少年の背を見つめる。

彼はその手に持っている剣の刀身をそっと撫でた。

 

それをソーディアンだと分かっている以上、彼が今から何をするかなど、容易に考え付く。だが、ロニにはそれを止めてやることが出来ない。

他に方法が無い。

そう割り切ろうとしている自分が、ロニは悔しかった。

 

「……何をしている、さっさと動け」

 

仮面が僅かにこちらに向き、それだけ言葉を告げる。

それらを今、どんな気持ちで言っているのか、考えれば切なくなった。

年長者は、そっと黙ってハロルドのほうへと歩いていった。

 

ロニがハロルドのほうへと向かうのを確認し、ジューダスはそっと神の眼の前に座った。

そして、スタンがしていたように、シャルティエを眺める。

 

『ぼっちゃん、最後の戦闘もすばらしかったですよ。流石ですね』

「………珍しく静かだったな、おかげで集中できた」

『ふふ、別に話さなくても伝わりますもん』

 

無邪気に話しかけてくるシャルティエに、ジューダスは眼を細めた。

流れるような会話の中だというのに、最後という言葉が沈み込む。

それは、言った張本人であるシャルティエも同じだろう。伝わってきた。

やがて、しばらくの沈黙の後、シャルティエは笑いで誤魔化しながら伝える。

 

『すみませんぼっちゃん。約束したばっかりだったけど、意味なくなっちゃいましたね』

「まったくだな……本当に、馬鹿な約束をした」

 

ジューダスもまた、笑いを込めて呟いた。

どうにも、スタンのように泣きながら別れを悲しむというのは性に合わない……いや、哀しいことを認識したくないのかもしれない。

 

(僕は、あいつほど強くない)

 

柄を強く強く握り締める。

それでも足りない。

どう足掻いても、目の前の彼を手放さなくてはならない。

 

「……シャル………すぐ、すぐ行くから……先に待っていろ」

 

縋るように、そう呟く。

シャルティエはその言葉に息を呑むような一瞬の間のあと、くす、と笑った。

 

『嫌ですよ』

「……シャル?」

 

思わず不安げに名を呼べば、シャルティエからとても温かいものが伝わってくる。

そして、それと同じくらい温かく優しい言葉が返って来た。

 

『ゆっくり、ゆっくり、してってほしいです。僕はいつまでも、ちゃんと待ってますから』

「シャル……」

 

ジューダスの視界がぼやける。それは戦闘でのダメージなどではないだろう。

ぐっと、それが零れ落ちないように彼は僅かに上を向いた。

シャルティエは、そんなマスターがとても愛おしかった。普段冷たい態度しか取らない彼だが、本当はどこまでも優しい。

 

『後、ぼっちゃん……一つの約束は意味なくなっちゃいましたけど、もう一個はちゃんと僕が守りますからね』

「?」

『ずっとお傍にいます。消えた後も……ずっと、ぼっちゃんからは見えなくなっても、ずっと一緒にいますよ。ずっと、お供します。何時までも、僕はぼっちゃんのソーディアンです』

 

ずっと、ずっと、いつまでも

その言葉と同時に、生きていた16年間と、生き返らされてからの全ての過去が彼の想いと共に伝わってくる。

 

そう、ずっと一緒に居た。

生まれた時にはすでにそこにあって、シャルティエが喋ることに違和感など感じたことがなかった。

ヒューゴに冷たくあてられ、泣いていた時は励ましてくれた。

父親の代わりのように、剣術から何から、いろんなことを教えてくれた。

寂しいと想った時は、紛らわせるように話しかけてくれて、いつも心配してくれているのが伝わってきた。それが煩わしいと感じたときもあったけれども、とても安心するものだった。

スタン達を裏切ったときも、彼だけは傍に居てくれた。

彼だけは、ずっと味方で居てくれた。

冷たい海に呑まれるその時も、ずっと、ずっと、傍に居てくれた。

ずっとずっと、声をかけてくれた。

 

せっかく堪えたのに、それは無駄な努力とばかりに更に視界を揺るがす。

鼻がツンと痛むのを、ジューダスはらしくなく、笑むことで誤魔化した。

 

「煩わしくて、かなわんな」

『あ、ひっどいなー』

 

いつものようにおどけた声が返ってくる。

その声に、何度安心させられただろう。

それに対して、またジューダスは笑う。

肩が震えるのは、それのせいだろうか。

 

リアラ達が意識を取り戻しているのを感じる。

何時までもこうしている訳にはいかない。

別れの時が、刻々と近づく。

 

それを感じて、ジューダスの笑みは、自然と消えていった。

残ったのは、眉を寄せ、親を見失った迷子のような少年。

 

シャルティエにとって仮面などまったく意味がないもので、その少年の表情に胸が痛んだ。

彼を置いて逝かなければならない。それだけが、心残りだった。

それでも、もう、時間なのだ。

 

ふと、シャルティエの脳裏にバルバトスがジューダスに向けて言った言葉が蘇る。

それは、無理やり生き返らされた生に今も戸惑っている彼を、酷く惑わせたに違いない。

そう想うと、どんどん心配が募っていく。シャルティエはそっと自嘲の笑みを零した。

 

『……ぼっちゃん、僕は今のぼっちゃんが、生きた屍だなんて思いませんよ』

「………」

『ぼっちゃん、自分を大切にしてください。僅かな時間でもいい、幸せになってください。僕は、ずっとずっと、見てますから』

「…………あぁ」

 

少年から搾り出したような声が届いて、シャルティエは少しだけ胸が軽くなったのを感じる。

ジューダスは、そっとシャルティエを体に寄せた。

冷たい金属の刀身は、少年にとって何よりも温かいものだった。

鋭い刃など恐れず、ぎゅっと彼は唯一無二の存在を抱きしめる。

 

「……シャル」

『はい』

「……ありがとう……今まで、本当に……」

 

彼の体温と、想い。それらの何から何までが、全て、今の彼が呟いた言葉。

ついこの前、シャルティエはそれを言葉として聞きたいと思った。

それをこんな形で叶えてしまうとは、なんとも皮肉なものだ。だが、とても心地よいものだった。

 

ポツリと、シャルティエのコアクリスタルに一粒の雫が落ちた。

それは丸いレンズの上をすべり、コアクリスタルの枠を僅かに濡らし、輝かせる。

 

すっ、とジューダスは立ち上がり、シャルティエを両手で握り締めた。

もう少年の顔に迷い子の欠片も残らず、覚悟を決めた強い眼だけが神の眼を見つめた。

 

「ジューダス、それでいいの!?」

 

後ろからカイルの叫びが聞こえてきた。

だが、それをすぐにロニが止めに入る。覚悟を決めたとて、純粋なカイルの言葉は何よりも別れを惜しむジューダスには痛いもので、ロニに心から感謝した。

 

ゆっくり、両手を持ち上げる。

そうすれば、見慣れた刀身も同時に上がっていく。

 

腕が一番高くまで上がったとき、神の眼に刀身を沈め、始終事を見ていたソーディアン・ディムロスが、そっと語りかけてきた。

 

『リオン……我は、お前が裏切り者だとは思わない。スタンもずっと、お前のことを仲間だと言っていた』

 

唐突に呟かれたその言葉に、ジューダスは僅かに眼を見開いた後、笑みを浮かべた。

 

『お前は、バルバトスとの戦いを、我々の仲間として勝利した。そして……我々が守りたいと思っている世界を、同じように守ろうとしてくれている。お前は、間違いなく我々の仲間だよリオン、シャルティエ……ありがとう』

 

ディムロスの言葉は、ジューダスの覚悟を更に強くしていく。

ジューダスは穏やかな表情を浮かべた後、こくりと頷き、大きく息を吸って、表情を硬くした。

 

そして

 

「……さらばだ……シャル」

 

6名の体を光りが包み、消えていく。

シャルティエは、その中でもずっとこちらを見つめ、揺らめく綺麗なアメジストを見つめ続けた。

 

神の眼には、5本のソーディアンが刺さり、各々力を込める。

 

シャルティエは意識を集中させながらも、繋がる5つのソーディアンの力を感じて、心満たされていった。

四英雄が持った4つのソーディアン

裏切り者の2つのソーディアン

 

別に自身が裏切り者とされようが何だろうが構わなかった。

それにより、主人が表情を歪めて謝るほうが辛かった。

優しい主人が裏切り者と罵られるのが辛かった。

 

だが、今間違いなく、ソーディアンは此処に5つある。

四英雄がその姿を見たわけでもなく、あの16歳の少年が歴史に裏切り者として名を刻まれているのが消えるわけでもないけれど、それでも、自分が、マスターと、4人の掛け替えの無い仲間を繋いだ気がするのだ。

 

バチッと音がした。

 

電撃が走ったようなそれの後、連続して何かが壊れていく音がする。

シャルティエは意識が薄れていくのを感じながら、必死にアメジストを探した。

 

(……あぁ、やっぱり心配だなぁ)

 

いつも彼は独りだったから、自分が守ってあげたかった。

体の無い自身だけれども、その心だけでも少しでも

あの唯一無二の、穏やかで優しく揺れるアメジストを

 

(あぁ、早く行かないと、きっとまた、独りで泣いている)

 

薄れる意識の中、光りの中に消えていったアメジストを追い続ける。

約束を、守る為に

 

 

Comment