散り行き帰るは – 5

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突然の突風に、リアラから小さく悲鳴が上がる。

やはり、空の上に作られただけあって…外殻の上は風が強かった。

 

あれからバルバトスの言葉通り、こうして18年前の神の眼があるダイクロフトへと向かおうとしている。

カイルにとっては父親に会えるかもしれない絶好の機会だが、その裏側にはその父親が築いた歴史を壊されるかもしれないという事実があり、複雑な心境だ。

 

作らればかりの地だというのに、外殻の上にもモンスターは当然のように居た。

ダイクロフトはしっかりと奥に見えているというのに、それらが行く手を遮ることで、中々近づくことができなかった。

皆、疲れが見え始めている。

後ろからそれを感じると、ジューダスはカイルを呼び止めた。

 

「一度休憩するぞ」

「…うん」

 

やはりカイルも疲れていたのか、焦りはあるだろうが、こくりと頷く。

もうすぐ日も暮れる。そろそろ野宿の準備をせねばならない。

 

「はぁ…川もねぇな、ったくしんどいこって」

「ごめんなさい、もう少し近くに飛ばせたら良かったんだけど…」

「いや、十分だ」

 

眉を寄せ、呟くリアラに短く言う。

やはりよく知らない場所へと飛ぶのは難しいのだろう。

18年前の世界で、こうして外殻の上に出れただけで十分だ。外殻の下となると手のつけようがない。

 

「とりあえず準備を…………おい、ハロルド」

 

大きな荷物を地面に降ろし、取り出しながら辺りを見回したロニが、地面に這い蹲るピンク頭に呆れたように声をかける。

彼女はというと、そんなことなど気にもせずに虫眼鏡を地面にあて、大きな目を輝かせていた。

 

「おいハロルド!おまえさぼってんじゃねーよ!」

「うっさいわねー!今そんなことよりもとーっても大切なことしてるの!邪魔するならぶっとばすわよ」

「んだとこらぁ!………おい、ジューダスぅ…」

 

ハロルドのあまりの態度に怒鳴ってはみるものの、背中を見せていた彼女の影に見えた手にある注射器を見て、涙ながらに少年を呼ぶ。

それはあまりに情けない声だったろう。ジューダスが呆れた顔をしてこちらを向いた。

 

「………ハロルド、後にしろ」

「…そうね」

「おま、なんで俺のときはぶっ飛ばすでジューダスのときは素直なんだよ!」

 

虫眼鏡をしまい、さっとその場にたったハロルドにまた怒れば、ハロルドがビシッとこちらを指差す。

 

「あ?」

 

その意味がわからず首を傾げたが、すぐに意味がわかった。

彼女が指差したのは、俺よりもずっと後方だった。

 

「カイル。休憩は先延ばしだ」

「えー?……そっか。おっけ…最後のもうひと踏ん張りだね!」

 

それぞれ、武器を手にする。

やがて、凸凹した外殻の影からモンスターが7匹ほど現れた。

 

「7匹…か、まぁ楽勝楽勝」

「しっかり教えてやらなくちゃね…私の研究の邪魔をするやつはがどうなるか」

 

杖を手にとりにやりとロニを見て笑ったハロルドに、ロニは背中に嫌な汗が流れるのを感じながら愛想笑いで返した。

 

モンスターは、こちらに気づかれたことをわかったのか、ためらいなく攻撃をしかけてきた。それに対して初動に一発、ハロルドが即座に詠唱を終え、先頭のモンスターに向かって仕掛ける。

 

「シャドウエッジ!」

 

下から突如現れた刃に体を浮かされたモンスターの横をジューダスが走り抜ける。

後方に晶術を唱えていた敵が潜んでいたのを、しっかりと見透かしたのだ。

岩の陰で晶力を溜めていたそれに、岩の上に飛び乗り、そこから体をひねりながら岩から降りつつ、体にそって剣を横に振るい弧を描く。

どんな体勢をとっていようと、彼にはおかまいなしだった。

 

ギャンッと音を立てて方腕を落とされたモンスターが晶術を停止して飛び去る。

そうしている間にも、前のほうに居たモンスターがジューダスの後方から攻撃をしかけぬよう、カイル達が抑えていた。

 

一度後方を振り返りそれを目で確認し、彼はそのまま飛び去ったモンスターのほうへと走り出す。

少年と距離をとったと思い詠唱をまた開始していたモンスターだが、ジューダス相手でその程度の距離では詠唱など許されない。

もう一度、左手の剣を下から振るおうとした時

 

カラン

 

金属音がした。

少年は何が起きたかわからず目を見開く。

左手はぶらりと垂れ下がり、そこに握っていたはずの剣が地面に転がっていた。

同時にモンスターのもう片方の腕が少年の左腕へと向かう。

 

寸でのところでそれを交わし、右手の短剣で伸ばされた腕を貫いた。

一瞬でジューダスは、左腕が今使い物にならないと判断し、短剣をモンスターの腕に残し、落ちた剣を拾い、そのままの体勢で上へと振り上げる。

モンスターは腹を大きく裂かれ、痙攣を起こしながら仰向けに倒れる。そこへ急所に向けて剣を貫いた。

 

確かに絶命したのを確かめた後、後ろを振り向けば、同時に空が近いこの場所より、もう少し天へと近い場所に赤い点を見つけて、ジューダスは急いで大きく後ろへと飛んだ。

 

熱がどっと押し寄せ、空気を焼く。

熱風に右腕で顔を覆いつつ、焼けていくモンスターを眺めていた。

下手をすれば巻き込まれていたなとため息をつく。どう考えても、放ったのはハロルドだろう。ロニはちゃんと逃げられただろうか

 

そんなことを一通り考えた後、そっと左腕を見た。

 

『ぼっちゃん…左腕どうしたんですか』

 

どこか責めるような、緊張した声が後ろから聞こえてくる。正直、自分が聞きたい。

とはいっても、原因は一つしかないだろう。左腕が動かなくなったのは、モンスターの攻撃でもなんでもなかった。

そっと、左手を握る。それは思った通りに動き、安堵から大きく息を吐いた。

 

『ぼっちゃん!』

「うるさい……小言は夜に聞くから…少し待ってろ」

 

疲れたように言えば、シャルティエも黙った。

一番不安なのはソーディアンではない、彼自身なのだと思ったのだろう。

 

(どうやら、海底洞窟で斬られた左腕から…)

 

まるで聖女の力を失い時を戻っていくようだ。

そっと右手で左肩を抑えた。

 

やがて熱が引いていく。

それでもまだ蒸し暑いその場所に、もう一度息を吐いた。

野宿しようとしていた場所に上級晶術打ち込むやつがいるか。

 

やがて、ぷすぷすと焦げたモンスター達の奥にカイル達が見えた。

ロニは案の定ハロルドに突っかかってるようだ。恐らく同じように巻き込まれそうになったのだろう。

そんな中、カイルがじっとこちらを見ていた。

 

無事を知らせるでもなく、モンスターの横を通りカイル達のほうへ向かって歩けば、カイルはしばらくして笑顔をこっちに向けた。

 

「へへ、楽勝だったね!」

「さっさと野宿の準備を再会するぞ」

「あ…うん」

 

それだけ伝え、ジューダスはそのまま、言い争っているロニとハロルドのほうへと向かう。その間、皆怪我がないか一通り見回す。どうやら一つも怪我をしなかったようだ。さっさとハロルドがエンシェントノヴァをぶちかましたに違いない。

 

「ハロルド」

「お、無事だったかジューダスちゃん。俺はてっきりハロルドに丸こげにされたかと思った」

「失礼ね。ちゃんと計算してあるのよ?あんた達が怪我なく避ける確立72.4%。怪我はしても生死に関わらない確立93.4%!」

「………」

 

注意をするつもりで話しかけては見たものの、彼女が数字を並べ始めて口を閉ざすこととなった。静かにため息をつく。

 

「野宿しようとしていた場所に晶術を落とすな」

「大丈夫よ~私が調べたいところはちゃんと無事なようにしておいたわ」

「……………ならいい」

「いいのかよ」

 

青年の鋭い突っ込みに反応せず、ジューダスはさっさと支度に取り掛かる。彼女が調べていた場所はつまり、野宿しようとしていたその場所だから、まぁいいだろう。正直疲れでこれ以上言うのが面倒になっただけだが

 

イライラする。疲れているのは先程の動揺からなのか…それとも少しずつ体力が落ちているからなのだろうか

 

後ろからのロニの視線が煩わしかったが、気にせず放っておけば、彼も支度を始めた。

皆それぞれ支度を始めたのを見る。

手を動かしずつ、そっとハロルドのほうを見れば、ピンクの頭が見かけない虫を追いかけてどこかへ行こうとしていた。

思わず、手元にあったマッチの箱をそれに目掛けて投げつける。

 

「いたっ」と小さく上がる声。あの天才相手にこの行動は、墓穴を掘った気がするが、もとはあいつが悪い。

僅か先のことと、何時かもわからぬ先のことを考え、また仮面の少年はため息を吐いた。

 

野営の準備が整い、食事も済ませた。

あれからモンスターが襲ってくることもなく、ゆっくり食事を終えることができた。

とはいえ、このメンバーでゆっくりとした食事、というのには語弊があるかもしれない。

 

ロニがいつものように余計なことを言い、ナナリーに関節技を食らわされ、時間を越える旅に完全参加してしまったハロルドには薬を盛られそうになった。

これはこれで、モンスターより安心できない。

 

「見張りは僕がやる。お前らはさっさと疲れを取れ」

 

夕食が終わったと同時にジューダスがいつものように言った。

彼は何かと見張りを申し出ることが多い。それは仲間になった当初より、彼が当然のように続けてきたことだった。

白雲の尾根で休んでからは、ロニが途中から見張りを交代するようになった。それまでは同行者がカイルとリアラだったが、しばらくしてナナリーも入り、3人で適当に分担していた。

 

今回もジューダスはいつものように言い、ナナリーとロニが交代するほうを決めようと、互いが目を合わせたときだった。

 

「あ、だめ。ジューダス今日は見張りやめようよ」

 

いきなりそんなことを言い出したのが、見張りとは無関係のカイルで、ナナリーとロニが頭に疑問符を浮かべる。

 

「あ?どうしたんだカイル」

 

ロニが問えば、カイルは眉を八の字にしながらジューダスを見た。

ジューダスも何故彼がいきなりそんなことを言いだしたのかわからず、仮面の奥の目を僅かに丸くしながらこちらを見つめている。

 

「ほら、ジューダス最近いっぱい無理させちゃったから、まだ疲れてると思うし」

「……」

 

無理と言われても、スパイラルケイヴでバルバトスと戦ってから5日は経っている。

何か勘付かれたのだろうか、とジューダスは背に冷たいものが走るのを感じるが、「ね?」と笑顔でこちらを見るカイルに、それはないかと安堵する。

 

きっと、ソーディアンが完成する直前の、あの日の戦いを反省したのか、ジューダスの体調を気にしすぎているだけだろう。

 

「見張りなら俺がやるから!」

「「いや、お前には無理だ」」

 

胸に拳を当て、任せろといわんかのようなカイルに、即座にジューダスとロニが見事にハモりながら突っ込みをいれた。

さすがに、自分でも無理だろうと悟ったのか、カイルは苦笑いしながら頭をかく。

 

「んじゃ、今日は俺とナナリーで見張りやるわ」

「…そうか」

 

ロニがそう言えば、ジューダスは珍しく短くそれだけ言うと、さっさと岩の持たれ腰を下ろした。お節介をとことん嫌う彼らしくないその行動に、ロニは小さく小首を傾げたが、すぐに少年から目を逸らした。

 

皆寝静まった頃、普段騒がしい一行の辺りもすっかり静まり返り、ハロルドが起きていたら目を輝かすだろう、聞いたことのない虫の音が響く。

そんな中、一人焚き火を眺めていたロニは衣擦れの音を聞き取り、そちらへ顔を向けた。

それは黒衣の少年が座っていた岩の方面。すっと立ち上がった少年によって岩の陰が大きくなる。

 

「おいおい、せっかく見張り俺がやってるっつうのに」

「見張りはお前に任せる」

 

立ち上がった少年は闇に紛れ火により足元しか形を確認できない。

その足がそっと、仲間達から離れてどこかへ向かおうとするのを確認し、ロニも立ち上がった。

 

「おい、待てって」

 

徐に彼の左腕を捕まえれば、唯一白い仮面がこちらを向いた。

 

「……背中に居る馬鹿が煩いんだ。少し話してくるだけだ」

「あ?背中って……あぁ、シャルティエ…さん、か」

 

それなら、とそっと手を緩める。

ジューダスはするりとロニから抜けて、また歩き出した。

年長者は小さくため息を吐く。孤児院でもたまに見かけたが、人に頼るということをしない人間ほど、厄介なものはない。

それ故、どうしてもあの仮面の少年に神経質になってしまう。

 

さすがに気にかけすぎかな、と自嘲の笑みを浮かべながら、ロニは座っていた場所に戻り腰を下ろそうとする。

その時、ちらっと焚き火の光により明るくなった自分の手を見て目を見開いた。

 

「おい!」

 

その長身から、急ぎ足で歩けばすぐに少年に追いついた。

つい先程掴んだ左腕をもう一度掴む。

 

「…今度はなんだ」

 

うんざりした声が響いてくるのにロニは苛立った。

 

「お前、怪我してるじゃねぇか」

(………?)

 

ロニの言葉に少年の目が丸くなるが、夜の闇と仮面の影によりロニは気づいた様子もない。

少年の反応の鈍さを、隠していた傷を知られたことによる戸惑いと取ったロニは、掴んだ左手首を引っ張り、焚き火の明かりにあてる。

左腕の内側、その見えにくい場所に黒衣が破れている箇所があり、そっと赤色を覗かせていた。そのことに、ジューダスは息を呑む。

 

(気づかなかった…、今も痛みを感じない…?)

 

「ったくよ、お前はまたそういうの隠しやがる!しっかり見せやがれ!」

「あ、あぁ…」

 

皆が寝ている為、大声ではないが強く言われ、そのまま腕を引っ張られ焚き火の近くに座らされる。

内心動揺している少年はその強い力に成されるがまま、珍しく抜けた声で返したが、青年は自身の怒りに気を取られ、それを気にすることはなかった。

 

そっと、白い光がロニの手から零れる。

ジューダスの左腕をロニの右手が掴み、左手で傷口にヒールをかける。

あまり回復晶術は得意でない彼は、真剣な顔で傷口を睨みながら集中していた。

そんな姿を、ただ何を考えるでもなくジューダスは見る。

 

特に焦点すら合わせていなかった。ただ呆然とその場で時間を過ごす。

ふと、腕にかけられている淡い光のほうへ視線を移動させる。

ロニに掴まれ、左手は力を入れることなく垂れていた。

 

その手が淡い光に紛れるように薄れていく。

 

パシッ

 

「……おい」

「…なんだ」

 

内心、しまった。とジューダスは舌を打ちたくなった。

思わず掴まれていた左腕を強く振り、ロニの手を払ったのだ。

近頃、彼が自分のことを気にかけているのは重々承知しており、想像通り、傷を睨んでいた鋭い銀がこちらを向いて、目を逸らす。

 

「お前まさか、まーだ気にしてるとかじゃねぇだろうな」

 

呟かれる低い声は先程よりも確実に怒りの色を濃くし、少年の動揺が高まる。

ロニが気にしているような理由ではない。でも、それを説明できるわけがないこの事態。今すぐ逃げ出したいところだ。

 

「いや…」

 

何とか冷静に否定の言葉を口にすれば、疑いの目はまだ残るも、ロニはそれ以上追求することはなかった。

その事に安堵し、落ち着きを取り戻した少年はスッと立ち上がる。

 

「何で僕が貴様なんかを気にせねばならん」

「お前ねぇ…」

「……傷は、治った」

「…そっか、あんまり離れすぎんなよ」

 

そのロニの言葉で、ジューダスはこれからシャルティエと話をしなければならなかったことを思い出す。

こんなことがあった以上、背中のそれはきっと、元から言おうとしていた小言を10倍にして待ち構えているに違いない。

 

「……このまま寝たくなった」

「あ?なんだそりゃ」

『ぼっちゃん!』

「………行ってくる」

 

一つため息をついて、少年は歩き出す。

シャルティエの声が聞こえないロニは、小首を傾げ、ジューダスを見たが、それ以上何も言わずに少年は暖かい火から離れていく。

闇に溶け込んでいく少年を見て、ロニはなんとも言えない不安にかられた。

 

「なんなんだよ…ジューダスの野郎」

 

苛立ちに似た想いで呟くも、答えてくれるのは聞きなれない虫の音だけだった。

 

 

ロニ達のところへすぐ戻れ、話し声が聞こえない程度の場所まで歩くと、ジューダスは岩に腰掛てゆっくりとした動作でシャルティエを背中から取り出した。

焦らされているような動きだったが、ソーディアンは黙って自身がマスターと向き合うそのときを待って、口を開いた。

 

『さて、ぼっちゃん。小言聞いてくれる約束でしたよね』

 

きっとソーディアンに顔が張り付いていたら、黒い笑みを浮かべているだろう。

ジューダスは特に答えるでもなく黙る。

それに対してシャルティエもしばらく黙っていたが、やがて感情を押し殺した声でぽつりぽつりと喋りだした。

 

『…ぼっちゃん、左腕、感覚ないんですね』

「らしいな」

 

至って冷静に対応する16歳の少年に、シャルティエは悲しみを抱きながらも、続けて質問をする。

 

『ちゃんと動くんですか?』

「…あぁ」

『嘘ですよね?食事中、お皿落としそうになりましたよね?』

 

暗闇の中でも、ソーディアンは主人の僅かな動揺を見逃さなかった。

やがて、ジューダスから小さくため息が出る。

 

確かに、彼はあの食事中、一度だけ左手が固まり、危うく皿を落としそうになった。

とはいっても、すぐに左手は動くようになり、目に見えた何かが起きたわけでもない。

だが、やはりシャルティエ相手ではどうにもならないらしい。

 

深呼吸するように長く息を吐き、ジューダスは動揺した心を一瞬で抑えた。

 

「時々動かなくなるようだ。大事無い」

『大事あります!』

 

すぐにそう返ってくるのをわかっていて言ったが、実際本当にそう返ってきて何となくおかしくなった。ジューダスは息を吐いただけのように見える僅かな笑いを浮かべ、シャルティエの次の言葉を待つ。

 

『…ぼっちゃん。この旅もうやめましょう』

「断る」

『やめましょう!こんな状態での戦闘、生死に関わります…僕は、少しでも長くぼっちゃんに生きていてほしいんです』

 

16年は、あまりに短かった。

そして、その生かされる道はあまりに狭かった。

 

生まれたときから、鎖に絡められていた。

そんな中でも、確かに彼はもがき苦しみ、小さな、それでも大きな幸せを掴み取っていただろう。だが…

誰だって、大切な人の更なる幸せを望む。

 

シャルティエは望む。

もっともっと、少年の笑顔を見たいと

あの鎖に絡められた16年と違い、神に蘇された今の、この自由。

少しでも、1分でも1秒でも、この時間を長くしたい

 

「…旅をやめて、何をするというんだ」

『それは……』

 

シャルティエが必死に説得する中、少年が呟いた言葉がずしりとのしかかる。

ソーディアンは、この旅から離れ、安らかな地でゆっくりと過ごそう。そんなことを考えていた。そして、ジューダスの言葉に対して、それを告げるつもりだった。

でも、その言葉は全て飲み込まれていく。

 

馬鹿だった。

少年がそれを望むわけがないと、わかっていたのに。

 

「シャル…これが、今僕が生きている理由なんだ」

『……ぼっちゃん』

「神を殺し、歪められた歴史を正す。…そして、あいつをあの場所へ戻す。それが今生きている理由なんだ。最後まで、この旅を行かせてくれ…そうしなければ…」

 

今、生きているという罪に押し潰されそうだ

 

続かなかった先の言葉は、代わりに深い想いとしてソーディアンへと響き伝えた。

シャルティエはマスターの苦しみとも、自身の苦しみとも付かぬ想いに苦しめられた。

 

ソーディアンを両手で握り締め、頭を伏せた少年。

その周りに何本もの十字架が少年の体を包み込むように降る幻影を、シャルティエは見た。

 

(せっかく、鎖から解き放たれたのに…今度は十字架に捕まっている)

 

コアクリスタルの輝きが揺らめく。

 

『…わかりました』

「……」

 

ソーディアンの落ち着いた声が脳に直接響いて、少年は安堵から僅かに表情を和らげた。自分という存在を、一番よく知ってくれて、想ってくれる存在。それを感謝の気持ちを込めて握り締める。

 

『でもぼっちゃん。一つ条件があります』

「…なんだ」

 

先程の声色のまま、優しく出された言葉に、ジューダスは顔を上げて嫌がることなく問い返した。

コアクリスタルの奥で、金髪の青年が笑ったような気がした。

 

『ぼっちゃんが死ぬときは、僕のコアクリスタルを砕いてください』

 

マスターの体から瞬時に安堵が抜け落ち、冷たいものが張られていくのに、シャルティエはそれでも安らかな気持ちだった。くすくすと笑う。

 

『嫌ですよ。絶対砕いてくださいね。どんな状況でも、これ約束してくれなかったら僕黙りません』

「お前……」

 

呟いても、シャルティエから伝わる揺ぎ無い心。

少年はしばらくそのコアクリスタルを見つめていたが、何とも付かない笑みを浮かべた。

 

自分を殺してくれ。その言葉は、取り残される辛さを消す為だけではない。

シャルティエは、その命を捧げることで、少年に命を大事にするよう伝えた。

 

「…安心しろ。僕が消えるときはお前もこの歪んだ世界から一緒に消えるはずだ」

『あー確かに……あぁ、でも消える前に死ぬとかだったら絶対壊してくださいよ?』

「死にそうになっているのに壊せというのか」

『それ守ってくれないと』

「わかった」

 

最後には、もう笑いを隠さずにジューダスは承諾した。

それに対して、シャルティエも嬉しそうに笑う。

 

ソーディアンとマスターという繋がりだけでは、到底感じれないであろうところまで、互いの想いが伝わる。

だが、シャルティエは不意に、それだけでは物足りないように感じて、笑いを収めると、しっかりとそれらを言葉にして伝えた。

 

『ぼっちゃん。僕は、ずっと貴方の味方で、ずっと貴方の傍にいます』

 

既に伝わっていた想いが、言葉に乗せられて、より強く伝わる。

頭に直接響くそれは、心にも直接響き、語りかけた。

 

『ずっと一緒に居たいです。死への一瞬も、消えた後も、ずっとお傍に居ます』

「……あぁ」

 

少年の瞳は、闇の中でとても穏やかに輝いていた。

吐息のように出された言葉はとても温かかった。

 

少年は、16年間ずっと共に居てくれた半身のような存在の大切さを、改めてその身に感じる。

とても…とても大切だと

 

ジューダスはそっと、それを抱きしめた。

頬に当たった刀身は、夜の風に吹かれ、とても冷たかった。

 

「………シャル」

 

そっと、名を呼ばれる。

それだけで、少年が何を言いたいか分かった。

だけれども、ちょっと捻くれた彼には、それが言えないことも十分わかっている。

 

そういえば、あの短くも長かった中で、その言葉が呟かれたのは何回だろうか

自分に向かって言われたことなど、一度もなかったかもしれない。

ずっと、一緒に居て、何でも伝わってしまうからこそ

 

「………」

『どうしたんです?ぼっちゃん』

 

そう思うと、その言葉がどうしても欲しくなって、ついつい悪戯っぽく聞き返してしまう。

そうすれば、予想通り少年はちょっと剥れて、ずっとこちらを見ていたアメジストが違うところへ行ってしまい、残念に思った。

 

「…いや、そろそろ戻ろうか」

 

やはり、言ってもらえないか。と、どこか期待していた自分にシャルティエは笑った。

 

岩からゆっくり立ち上がった少年に、その残念に思う気持ちを感じ取られたくなくて、おどけた様に話しかける。

 

『そういえば、なんで僕には異常とかないんでしょうかねー』

「お前のレンズのせいじゃないのか?もしかしたらエルレインはお前にだけ力を注いでいるのかもしれんな」

『えーっ!やだなぁー。それやだ』

 

過剰に反応すれば、珍しくくすくすと少年が笑った。

それだけで、とても心躍る。

 

『それじゃあ、ぼっちゃんが消えるときは僕も消えるっていうの、ないじゃないですかー』

「そうだな」

『えーだめですよ。ちゃんと消えるときも壊してくださいよ』

「まったく、煩い奴だ。……わかった」

 

そっと黒い布にシャルティエを包みながら、少年が月を背に微笑む。

こうして、穏やかに笑う少年をよく見ることができるようになったのも、思えば神のおかげで、どこか複雑な気持ちにさせられたが、シャルティエは気にしないことにした。

 

そこにあるものが、全てだった。

 

『ぼっちゃん』

 

黒い布がコアクリスタルにまでかかろうとするとき、もう一度呼び止める。

白い手が止まり、アメジストとレンズがあった。

 

『約束、ですからね』

「…あぁ」

 

黒い布に完全に覆われ、小さな背に担がれるのを感じる。

シャルティエは、主人の背へ、もう一度心の中で語りかけた。

 

ずっと、共に

 

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