散り行き帰るは – 10

この記事は約23分で読めます。

イクシフォスラーへ乗り込むため、ハイデルベルグの街道を歩く。

普段は街中といえど気を張って、いろんなところに視線をやり、警戒しながら町を歩いたりするのだが……ジューダスは今、顔も上げたくなかった。

 

「自業自得よ」

 

隣から聞こえてくるハロルドの声に、ジューダスは剣を抜きたい衝動に駆られるが、確かに自業自得といえば自業自得であり、より一層顔を隠すように首を縮めた。

 

部屋を出た瞬間迎えたのは、その場に座り込んで背中を曝け出し、「ほら」というロニの姿だった。

 

「………なんだ、蹴られたいのか」

「んなわけあるか。負ぶってくんだよ」

「いらん」

 

そう言って通り過ぎようとするジューダスをナナリーが無理やり食い止め、ロニもまた立ち上がって捕まえる。

 

「おまえなぁ、自分の状態わかってる?」

「わかっている。だが貴様に背負われ人目に晒されるのだけはごめんだ」

「やっぱわかってないだろ。今体力なくすのはやべぇだろうが、時間もないんだわがまま言うな」

 

「貴様に負ぶられるくらいなら消えたほうがマシだ」とジューダスが言えば、仮面がないのもあり容赦なく頭に拳骨を落とされた。

そして

 

「ジューダス、既にさっきロニは意識の無い貴方を背負って街中を走ったから今更よ」

 

というリアラの正論に、結局こうして背中に頭を押し付けて必死に表情を隠す羽目となった。ジューダスはいっそのこと先ほどの拳骨で意識を飛ばすことができたらどれ程良かったかと苦虫を噛み潰したような顔をしながら思った。

 

街中を早足ではあるが歩いて通る。

大分回復した今、下手に揺らすのもよくないだろうとの配慮らしい。

これまたジューダスにとってはさっさと町など駆け抜けてほしいものだったが…

 

「ねぇ、ジューダス」

 

ふと人通りの少ないところに入ったところでハロルドが声をかけてきた。

 

「……なんだ」

「私のこと憎いー?」

 

突然の言葉に皆驚く。

ジューダスも伏せていた顔を上げて、まじまじとハロルドのほうを見たが、彼女が何を思っているのか察して呆れた顔をした。

 

「何でお前を憎まねばならないんだ」

「ソーディアン作ったの私だしー?それにミクトランが憑依したのもベルセリオスだしねー」

 

ハロルドの言葉にようやく仲間達もどういう意味か把握し、押し黙る。

だが、ジューダスはそれを鼻で笑った。

 

「お前らしくない」

「まーねー」

「どうなってるのか、脳みそを覗きたくなる。解剖させてくれないか」

「……………」

 

珍しく、ハロルドの目が驚きに見開かれ、ロニと同い年と思えぬ大きな目が現れた。

ジューダスはしてやったりと笑い、ハロルドはその台詞がいつぞやの、ジューダスがカーレルの死に対して黙っていたことを詫びた時に自分が発した言葉だということを思い出した。

 

そこでようやく自分が本当にらしくないことを言ったと思ったらしい、僅かに顔を赤らめてそっぽを向くハロルドにジューダスは更に口の端をあげた。

そんな二人の様子に仲間達も笑う。

 

しばらくして

そんな空気が収まったところで、ジューダスはまたロニの背中に顔を隠しながら呟いた。

 

「感謝している」

「ほへー?」

 

もうこの会話は終わったと思っていたハロルドは、ジューダスの言葉に首を傾げた。

 

「シャルと出会えたからな」

「……そーね。……感謝してるなら消える前に解剖させてよ」

「断る」

「けちー」

 

もうこちらを見ずに顔を伏せ続けるジューダスのほうを、ハロルドは頬を膨らませて睨んでいたが、やがてまた視線を前へと戻した後、空へとやり、にっこりと笑った。

 

(………もたないかもしれない)

 

ジューダスはそう思った。

体から力が確実に抜けていく。

リアラは確かにずっと頑張ってくれた。イクシフォスラーのレンズの力もあり、バルバトスと戦い終わった頃まで戻ったと思う。

だが、力が抜けていくのが、本当に早い。

 

そう、例えるならば船底に空いた穴。

エルレインの力は、その船底の穴を埋めるもの。

それが少しずつ欠けていき、穴は広がり海水が入り込む。

 

そしてリアラの力は船底の穴を埋めるものではない。海水を掬って海に戻す作業のようなものだ。船を沈ませない為の時間稼ぎでしかない。

その間にも、エルレインが塞いでいた穴はどんどん広がっていく。

 

もう、沈んでしまうんだ。

 

今もまだ、ジューダスはルーティと会わないほうがいいと思っている。

だから、別にそこまで執着していない。

何より、エルレインを倒す時――神を殺す時、この世界がどうなるか、あらかた予想が付いてしまうのだ。

だとするならば、意味が無い。

 

だけれども、きっと彼らはそんな理屈など関係ないというのだろう。

全てを知ったカイルが驚愕に目を見開いた後、それでも力強い瞳で何を言うか、何となく分かる気がした。

 

「頑張りなさいよ」

 

ふとまたハロルドかららしくない励ましの声が来て、そっとそちらに目をやる。

その際先程よりも色を無くしていた自分の肩に、どうやら余計なことを考えた為にそれが体へと出ていたことを知る。

 

「ねぇ、あんたエルレインを倒した後のこととか、ぜーんぶ見通してる?」

「………一応な」

 

不意に始まった話に、ジューダスを抱えているロニは首を傾げるが、二人は気にせず続ける。

 

「意味の無いこととか思ってないでしょうね」

「…思ったが、理屈ではないのだろう?」

「あら、わかってるじゃない」

 

ジューダスの言葉にハロルドがにやりと笑った。

ロニは二人が何を察して話しているのかさっぱりわからなかった。

ただ、それでもジューダスの答えが自分達が怒らなければならないようなものではないと、それだけは分かったような気がして、少し安堵する。

 

「まぁ、でも理屈じゃないとか抜きにしても、あんたにとって意味があることは間違いないと思うわよ?」

「……?」

 

ルーティに会っても、結局はジューダスは消え、ルーティはその記憶を失うだろう。

それでも、意味があるものとは、一体何なのだろうか。

 

全く持って検討付かないジューダスの顔は今は彼自身の腕と長い前髪に覆われて目くらいしか見えないのだが、ハロルドはそれだけで十分今の彼の心情を察したようだった。

 

「今のあんたに、一番必要なものよ。……きっと見つかるわ。だから、まだダメよ」

 

(今から消え行くというのに、そんな僕に今必要なもの…?)

 

そんなもの、あるのだろうか。

考える中、ジューダスは意識がまどろんでいくのを感じた。

 

ハイデルベルグに出来るだけ近づけてとめられたイクシフォスラーにようやくついた。

ジューダスを背負ったまま中へと乗り込み、座席へ下ろそうとする時、異変に気付いた。

 

降りるように促しても、答えが返ってこない。

 

意識が無い。

 

「おい!」

 

ロニがそっと体を斜めにすれば、ジューダスは座席の上に転がった。

何度も頬を叩くが、起きない。

 

「まじかよ……リアラ!」

「うんっ!」

 

背中を冷たいものが伝う。

失態だ。ずっとジューダスが顔を伏せていたから、気付かなかった。

 

ウッドロウからもらったレンズでまたリアラが祈るように両手をあわせるが、彼女の顔には疲労が色濃く出ている。

 

間に合わないのでは…

そんな最悪な結末が過ぎった。

 

「ロニはジューダス支えて!カイルはリアラ!それぞれ座席に捕まるなりしなさい!」

「ハロルド…」

「飛ばすわよ!」

 

焦りに包まれる仲間にハロルドの声が大きく響く。

すでに彼女はイクシフォスラーを起動させていた。

 

こうなった以上、時間の問題。

ハイデルベルグからクレスタはそう遠くない。イクシフォスラーならすぐだ。

 

彼女の言うとおりに、皆座席を掴み、動けない二人をもう片方の手で支える。

同時にぶわっとイクシフォスラーが浮上する。

 

ゆるやかに落ちていっているはずの雪が線を引く。

揺れるイクシフォスラーの中で、ジューダスを支えるため彼の左肩においていたロニの手が彼をすり抜けた。

 

「ばっ………馬鹿野郎!あと少しなんだから、まだ消えんじゃねぇ!」

 

ロニの声にリアラがまた表情を硬くし、僅かに奇跡の光が強く輝き、薄い肩がまた質量を持ち直す。そんなギリギリの状態に、ロニの脳裏にはルーティの声が響く。

 

―弟を、守れなかったの

 

悲しみに満ちた声。

悲劇のままに引き裂かれた絆を、ほんの一瞬でいい、繋ぎ止めたい。

目に見えた糸は、すぐに切れてしまうかもしれないが、きっと彼が消えた後も、残るものがあるはずなのだから

 

「消えるなら、ルーティさんの往復びんた食らってからいけっつぅんだよ!」

 

あの頬が焼けるような痛みを

自分を心配してくれる人が、自分を大切に思ってくれる人がいることに胸が溢れる瞬間を、己を蔑ろにする馬鹿なこの少年に、教えてから!

 

(間に合ってくれ……間に合ってくれ!)

 

真っ白だった景色が消えた時、緑と青が広がり、その中にほんの小さな街を見つけて、ロニは必死にそれを睨んだ。

 

 

 

ゴオッという凄まじい音とともに、孤児院の直ぐ傍にある裏庭に変な飛行機械が降り立った。

 

「わっなぁに?なぁに?」

「こら!危ないからあんた達は入ってなさい!」

 

好奇心からよろうとする子供達を孤児院の中に押し込めて、ルーティはその乗り物へと一人恐る恐る向かう。

 

(一体なに?これ…)

 

18年前にも見たことの無い物体にルーティは眉を寄せる。

そうしていると、突如底側から階段が現れ、そこから降りてきたのがよく知る金髪だったため、ルーティは驚いた。

 

「母さん!」

「カイル……あんた、どうしたのよ」

 

カイルの顔は今にも泣き出してしまいそうな程目が潤んでいた。

いつもお気楽なはずの自分の息子にルーティは二度驚いた。

 

そして、カイルの次に現れた、旅に出ていたもう一人の息子が抱えている少年に、ルーティの目はこれ以上ないくらい見開かれる。

 

「…………リオ……ン…」

 

目の前に帰って来た弟は、今にも消えかかっており、カイル達が口早に説明する内容は到底信じられないものばかりだった。

だけれども、色を無くしつつあるこの少年の顔は、確かにルーティの良く知るもの。

18年の時を生きて老いた自分とは全く違い、18年前のままの、16歳の少年。

 

歳を取る事ができないままに戻ってきた弟にとても悲しくなった。

それでも、戻ってきてくれたことが嬉しかった。

 

「……リオン……」

 

ルーティはジューダスを、そっと腕の中に抱きしめた。

 

リアラは力の使いすぎで意識を朦朧としている。

今はナナリーが支え、その場に座り込んでいた。

少年の命を繋ぎとめることはもう、限界が来ているのだ。

 

どんな形でもいい。遺品でもいい。

彼を表す何かが、ほんの僅かでも自分の下に帰ってきてほしいと、ルーティはずっと思って生きてきた。

だが、今目の前にいるのは、確かに先ほどまで意識のあったという、消えかかった彼本人。

 

記憶に残る自分と同じ綺麗なアメジストは、硬く閉ざされている。

 

「リオン……こんな、…今更こんな状態であたしの前に現れるなんて、いい度胸ね…」

 

ルーティの悲愴に満ちた声色にロニはただ地面を見つめて拳を震わせた。

これでは……死体を持ち帰ったようなものだ。

僅かな期待を持たせただけで、それよりも残酷だ。

 

「起きなさいよ…このまま消えるつもり?……ふざけないでよ……っ」

 

いつも強い母が、目に涙の膜を張り揺らしている。

カイルはそっとリアラのほうを見た。

同時にリアラがナナリーの手を借りて立ち上がる。

 

「まだ、頑張れる…」

「リアラ……お願いっ!」

 

このままで終わらせたくない。

リアラに負担をかけるのは忍びないが、それでも、このままこの二人が何を交わすことも無いまま終わってしまうのだけは、どうしても嫌なのだ。

 

聖女は表情を歪めながらも頷き、カイルの手を借りながらジューダスとルーティの下へと歩み寄ると、その場に座り、目を強く瞑った。

 

イクシフォスラーのレンズを取り出して使っても、今彼女が出す光は今まで見てきたどの光よりも小さくなっており、皆唇を噛み締めた。

 

(お願い……お願い…、こんなの、悲しすぎる…っだめ!)

 

眉を寄せ、必死に握った両手に力を込めるが、それでも光はほんの僅かに強くなっただけで、ジューダスの体は刻々と消えていく。

 

「ねぇ、リオン……リオン………戻ってきたなら目を開けて……生きて戻ってきたなら、一言でいいから………声を聞かせてよ…リオン!」

 

とうとうルーティの目から涙が零れた。

それはジューダスの頬を塗らしたけれども、彼は何の反応を示さない。

 

誰もが祈った。

後ほんの少しでいい、時間を

ほんの少しの時間をと

 

「起きなさいよ…っ!…エミリオぉお!!」

 

その時、ルーティの叫びを合図にするかのように、突然奇跡の光が輝きを増した。

それは今までを上回る大きな光で、リアラ自身も驚いて目を見開いた。

 

(何……?この、感覚………とても強い、レンズの力が……どこから…?)

 

イクシフォスラーのレンズなどではない。だが他にレンズらしきものも見当たらなく、リアラは混乱したが、すぐに表情を引き締め、また目を瞑り両手を合わせ握る。

 

今は何でもいい。

力を貸してください。

最後の、最後の奇跡をください。

 

彼にほんの少しの時間をください。

彼に最後の奇跡を―――

 

暗い海の中を揺蕩っていた。

波の音すら遠く、コポコポと水の音が聞こえる。

そんな中で目を覚まし、思わず誰にともなく苦笑いした。

 

(やっぱり間に合わなかった)

 

そして、やはり帰って来たのは海の底。

きっと、この暗い世界をずっと彷徨い続けるのだろう。

 

何処までも続く漆黒に、少し怯えた。

 

「坊ちゃん」

 

そんな中、突然聞こえた声にジューダスは目を見開く。

何時の間にだろう。そこには見慣れた剣の姿ではない、1000年前の世界で見た、金髪の青年が居た。

 

「……シャ、ル…」

 

思わず安堵する。

こんなところまで来てくれたのか。

 

こんな恐ろしい世界でも、彼は己と共に居続けてくれるというのだろうか。

 

「…迎えに来てくれたのか」

「ダメですよ」

「……え?」

 

だが、シャルティエはちょっと困った風な顔でそう言った。

思わぬ反応にジューダスは驚きを思わずそのまま言葉にする。

 

「坊ちゃん、まだダメです。まだ早いですよ」

「だが……」

 

そんなこと言われても、もう全ては終わった。

今自分は海の底。これからあてもなく彷徨い続けなければならないのに

もう、何もすることができないというのに

 

(今更、僕に何を願う…?)

 

「ゆっくりゆっくりしてきてくださいって、言ったじゃないですか。大丈夫、僕はちゃんと一緒にいますよ」

「シャル?」

 

困惑に首を傾げれば、シャルティエはゆっくりとこちらへと近づき、手を取った。

 

「ほら、坊ちゃん。ちゃんと見つけてきてください」

「見つける?」

 

何を?そう考えた時、思い浮かんだのはハロルドの言葉だった。

『今、あんたに一番必要なもの』

何なのだろうか

 

「ちゃんと、約束守ってくださいよ」

「約束……?」

「やだなぁ、忘れちゃったんですか?……幸せになってください。坊ちゃんの来るべき場所はここなんかじゃない」

「…え?」

 

よくわからない。

もう一度シャルティエの名を呼ぶ前に、手を強く引かれた。

唐突に体が浮上していく感覚がする。

真っ暗だったはずなのに、水面が見えた。

その水面の向こうから――

 

「ほら、……呼んでますよ」

 

光が、見えた。

 

 

 

「リオン………」

「……ルーティ…?」

 

二対のアメジストが、お互いを見つめた。

仲間達が目を見開き、ルーティもまた塗れた目を大きく開く。

 

確かに呟かれた、懐かしい彼の声。

懐かしい、自分を呼ぶ声に、ルーティはジューダスを抱きしめた。

 

「リオン……リオン、リオンっリオン!リオンッッ!!」

 

ジューダスはただ唖然としたままルーティの腕に収まった。

 

意識を失う直前の様子ならば、あのまま消えていて可笑しくなかったというのに

今己に意識があることが、信じられない。

現に、今も消えそうな体はそのままなのだ。

 

辺りを見回して、ジューダスの視線は一つの場所で留まった。

今、リアラを包む晶術の光。

その光は、とても見慣れていて、どこか懐かしい。

 

ジューダスは泣きそうな顔で微笑んだ。

 

彼がくれたのだ。奇跡を、最後の時間を

 

「もう、もうおいて逝かないでよ…皆……皆…」

 

必死にジューダスを抱きしめて涙を零すルーティ。

ジューダスはその腕にそっと手を乗せた。

 

彼女には、本当に辛い思いをさせてしまった。

血だけの繋がりとはいえ、家族を殺させて、そして…スタンはそんな彼女を残して逝ってしまったのだ。

 

せめて、最後に残されたこの時間で、少しでもルーティを安心させたくて、ジューダスは僅かに体を起こし、彼女の頬の涙を拭った。

 

「大丈夫だ、スタンは帰って来る…この改変された歴史が戻れば、きっとスタンは、今も生きてお前の隣にいる。……だから」

「馬鹿!!」

 

そこまで言って、唐突に暴言を吐かれたのだから、ルーティの頬にあてていた手はびくりと震えて離れ、ジューダスの目は驚きに見開かれていた。

ルーティは涙をそのままに、怒りと悲しみの形相というぐちゃぐちゃの顔で、またジューダスを強く抱きしめた。

 

「私は、私はねぇ…っ、誰でもない、あんたもっ!…あんたもいなくなってほしくないの……誰も代わりになんかならない…。あんな大量の憎まれ口なんて、あんたくらいしか吐けないのよ……?」

 

ジューダスは心臓が跳ね上がるような感覚を感じて、腕の中でただ目を瞬かせた。

 

(自分の為に泣いてくれる人がいるということに、僕は生前気づいていただろうか)

 

何時だって与えることだけに精一杯だった。

無償の愛などというものから無縁だった。

自分が役立たずであれば、父から捨てられる。

言われた訳でもないのに、何時からか自分の中に作られたその衝動のままに、与えることだけを覚えてきた。

 

こんな腕の温もりを、与えてもらうということを、感じるのは初めてだ。

 

彼に何かを与えようとする人は、これが始めてというわけではない。

だが、今まで与えられなかったが故に、無償の愛というものを信じられなかった。

与えられた以上、何かを求められているのだと。

無償などというものは存在せず、必ず裏があるのだと、そういう世界で生きてきたのだから。

 

それは仲間達ですら中々破ることの出来なかった壁。

それを、ようやくルーティは破ることができたのだ。

 

ジューダスは初めての感覚に、心を震わせ、底知れぬ安心感に微笑んだ。

とても…幸せだ。

どこか、むずかゆい。

 

「ばか……ばか、ばかばか……ばか」

 

今も消えそうなジューダスを抱きしめ、泣きながらそう呟き続けるルーティ。

 

「やだ、消えないで………消えないで……」

 

自分は此処に居てはいけないのだとずっと思ってきた。

誰も望むわけがないと思っていた。

リオン=マグナスを、誰も望むわけがないと

 

だけれども、ルーティは、あんなに酷いことをしたこんな自分に、居なくなってほしくないと願う。

 

なんだろう……何かが、掴めかかっている。

 

「……ルーティ」

「…なに?」

 

名前を呼べば、涙声が返ってきて、すこし苦笑いした。

そっと自分を抱きしめる腕を掴む。

 

もう、その手は輪郭線くらいしか見えない。

だが、こんな状態でもまだ意識を残していられる。

シャルティエがくれたその時間に、とても感謝した。

 

「もしも…もしも、また生まれることが許されたならば……」

 

許されるかな……いや、許されないだろうけれど。

そんなことを思いながらも、でも、自分は諦めが悪くなった。

 

足元に、また波が迫ってくる。

 

自分の行く場所は海の底しかない。

だけれども、願いたい。

 

「お前と、お前達と……本当の、家族になりたい」

 

ルーティが少し体を震わせ、彼女の涙が散った。

それを見ながら、自分の浅ましい願望を続ける。

 

ほんの少しだけ、この僅かに残された時間で…甘えたいのだ。

 

「今度は……ちゃんとした家族に……父さんも、お前もいて……皆、一緒で…」

「エミリオ」

 

突然呟かれた己の本当の名前に、今度はジューダスの体が震えた。

その名前は、彼女は知らないはずなのに

 

知ってて、くれた…?

 

「大丈夫よ、もう」

 

ルーティは安心させるように、何度も何度も抱きしめたジューダスの背中を優しく撫でた。

 

「もう、私たちは家族だから」

「…え?」

「あんたは、あたしの、唯一の弟なんだから」

 

本当に、彼らが言うように…ルーティは自分を弟としてみてくれていた。

裏切ったのに、僅かに一緒に居た時間でも、家族として居たわけじゃなかったのに

 

「もう私たちは家族なんだから……例え、住み慣れた家も、両親も…家族として一緒に居た時間がなくても…」

 

そう言って、一度ルーティは抱きしめていた腕を放し、手をジューダスの肩へとやると、彼のアメジストをしっかりと見つめた。

 

そして涙を流しながらも、満面の笑みで言った。

 

「此処が、あんたの家よ」

 

……あれ?

 

海が引いていく

いつ波にまた攫われるかわからない体は、今はしっかりと砂浜にあった。

 

あぁ、見つけた。

 

どこからか、シャルティエの笑う声が聞こえてきた。

 

帰る場所を見つけた。

 

それは、暗い海の底では、ない

 

そこは―――

 

「ありがとう……姉…さ」

 

ルーティの笑顔に返すように、ジューダスは微笑んだ。

満面の笑みで、そう言った。

 

その瞬間に、彼は光になった。

それを、奇跡の光が包むようにして、そして、一緒に消えた。

 

「…カイル、ロニ…他の子たちも……ありがとう」

 

残されたルーティは、涙を零しながらも、微笑んでそう言った。

それに対し、カイルもまた涙を何度も腕で拭いながら首を横に振る。

 

「…っでも、俺達……助けてあげれなくて……っ」

「そんなことないわ」

 

ルーティはカイルを抱きしめた。

 

「私達はね、あの頃からずっと、リオンのことを仲間だと思っていた……だけど、どこかそれがあいつに届いていなかった気がして……あいつのことずっと大好きだって、皆今でも大好きだから、安心してねって…ずっとずっと、伝えてあげたかったの…」

 

ルーティはもう片方の腕で、黙って涙を流すロニを引き寄せ、一緒に抱きしめる。

 

「それが……やっと届いたわ……」

 

ルーティは本当に嬉しそうに笑って、そう言った。

カイルは何度もそれに頷いた。

 

「きっと、あいつはもう自分が独りだなんて思わない。ちゃんと此処に、…捻くれながら…ちょっと斜め下へと視線を逸らして、それで…小さくただいまって言って……帰ってきてくれるの」

 

海の見える、人気の無い丘の上

 

そこに生える大木

その根元にある小さな石

 

大木に守られるようにしてあるその石に小さく掘られた名前

誰でもない、ただ一人の少年の為にある道標

 

――エミリオ=カトレット 此処に眠る

 

 

 

 

Epilogue

今日は良い天気だ。

窓から入ってくる光が眩しい。

子供達は庭で元気にはしゃいでいるだろう。

 

ふと視線はテーブルの上に行く。

スタンが持って帰ったという、怪しげな仮面

 

まったく、こんなもの何に使うというの

 

徐に手にした後、またテーブルへと戻し、食器を洗うために台所のほうへと戻る。

すると、後ろからパキンと音がして、振り返ればその仮面は割れていた。

 

あーもうあの馬鹿、また変なもん買わされて!

あとで説教してやる!

 

苛立ちながら食器を片付けようとした時、あけた窓からだろうか? 吹き抜けた風が懐かしい香りをもって、私の頬を撫でた。

黒髪が揺れる。

 

………?

 

なんだか変な気持ちになった。

懐かしいような、何かを忘れているような、そしてそれを探しに今すぐ外へと飛び出したいような、そんな気持ち。

 

ふとテーブルの上をもう一度見ると、…………あれ?

変な骨の仮面がなくなっている。

 

勝手に割れるまではわかるが、消えてなくなるなんてこと、可笑しいだろう。

一体何なのだ。この奇怪な現象は。

 

首をかしげていると、バンと扉が開いた。

子供達だろうか?

 

唐突に差し込む強い光に目を細める。

 

「…………………」

 

だが、細めた眼は光に怯むことなく今度は見開かれた。

 

―――         。

 

サラサラと流れる自分と同じ黒髪を、確かに見た。

捻くれた感じで、ちょっと斜め下へと視線を逸らしながら

こちらへと近づいて、

 

そして、私の体をすり抜けて消えていった。

 

通り抜けた瞬間、小さく聞こえた声。

とても、懐かしい声

幻聴のようなそれ、だけど、しっかりと届いた。

 

「母さん、ただいまー!」

 

ドアを開けた子供は元気よくそう言って返って来た。

ゆっくりとそちらへと視線を下げる。

 

「………おかえり」

「母さん?」

 

微笑んで、そう言った。

自分の頬に伝うものを感じながら。

 

 

Comment