「申し訳ありません……押し付けるようで…」
「いえ、構いませんよ。信頼して頂けて光栄です」
ウッドロウは初老の男に微笑みかけた。
そうすれば男は安堵したように息を付き、また深々と頭を下げる。
目の前には大きなレンズ。
近くで偶然発見されたものらしい。
たった数日だというのに、玉座の後ろにはまたレンズが集まってきている。
18年前の出来事への怯えと、城が襲われたことによりレンズは更にウッドロウの元に集まっているのだ。
前に危うく盗まれかけたというのに、民衆からの支持は熱く、また反対に神団に怯えるようになっている。エルレインの一存ということらしいが、仕方のないことだろう。
その後軽く言葉を交わし、男が退室しようとしたとき、出口のほうが騒がしくなった。
「こ、困りますロニさん…」
「ウッドロウ王!」
そしてすぐにけたたましい音とともにドアが開かれ、そこには戦友の子が今まで見せなかった必死の形相で立っていた。
「レンズを…っレンズを下さい!」
荒い息を飲み込みながら叫ぶ青年の背に力なく背負われる黒髪の少年。
消えかかった体、被っていたはずの仮面はなく、謁見の時はいつも仲間達の間に隠れるようにして立っていた彼。
ウッドロウは目を見開いた。
「一体……」
「リアラの力を使うのに、レンズが必要なんです…っお願いします!」
色々と抜けた説明ではあったが、青年が背負っているぐったりとしている少年にウッドロウは事態を把握した。
「ならば丁度よかった。そこのレンズを使うといい」
「……っ!ありがとうございます!」
「その代わりと言ってはなんだが…」
焦っている青年の表情が強張る。
早くしろといわれているようで、少し苦笑いしつつ答えた。
「……全て、教えてほしい。もちろん、後で」
「…はい」
ウッドロウはロニが背負う少年のほうを見ながら言った。
ロニもまた、その視線に全てを悟ったようで、少しばかり背中の少年に視線を向けたあと、ウッドロウと目を合わせ、ゆっくり頷いた。
レンズを持ってきた男はそんな二人を交互に見ながら小首をかしげ、軽くウッドロウにお辞儀をした後退室した。
それと入れ替わるように息を切らしながらリアラが入ってきた。
今は場所を城の一室に移し、力を使い続けるリアラをカイルが支えていた。
城に付いた頃には今にもジューダスがすり抜けてしまいそうで、ロニは冷や汗を流していたのだが、辿りついた部屋に高密度のレンズがあったことから何とか間に合った。
レンズを海に沈めたばかりでどれだけの数があるかもわからない。そんな賭けだったが…フォルトゥナ以外に神は存在するのかもしれない。
ロニは久しぶりにアタモニ神に頭を下げた。
その後、ハロルド達がイクシフォスラーでハイデルベルグへと戻り、そのレンズを手にして戻ってき、こうして部屋を変えてリアラに力を使ってもらっている。
ジューダスの体は大分色を取り戻した。一時しのぎではあるが、それでも何とか間に合ったことに皆安堵し、リアラには悪いが、雪の中走り続けた体から力を抜いた。
ロニは床に座り込みながら、ベッドで眠る少年を見上げる。
これだけ頑張ったものの、未だに少年は目を瞑ったままだ。
恐らく、近いうちに彼は消える。
どうしようもないことだった。こればっかりは…
床に付いていた手を握り締める。
(それでも……あと一度だけでも…目を開けやがれ……殴らせろ、馬鹿野郎…)
エルレインに頭など下げれない。
どうしようもない。それでも、助けてやりたい。
運命の残酷さを呪うことしかできなかった。
ジューダスを睨みつけていると、ドアが開いた。
静かに部屋に入ってきたのはウッドロウだ。どうやら公務は終わったらしい。終わったというより、終わらせたのほうが正しいようだが
仲間達が軽くウッドロウに目を向け、頭を下げるのに、ウッドロウもまた何も言わずに頷くことで挨拶を返した。
そして、ゆっくりと床に座り込んでいるロニの横まで歩み寄る。
「……彼は、リオン君……だね?」
「…はい」
カイルが驚いたように後ろを振り返ったが、ロニは気にせず肯定した。
ウッドロウは「そうか…」としばらく項垂れたままジューダスを見つめていた。
「エルレインが彼を……生き、返らせた…?」
「…えぇ」
「それでも、彼は君達と一緒に……カイル君と一緒に、居てくれたんだね」
カイルはリアラの肩に支えるように手を置いたまま、ウッドロウに頷いた。
「ジューダスは、ずっと俺達を助けてくれました」
「………そうか、……そう…か」
カイルの言葉に、ウッドロウは顔をくしゃくしゃにしながら何度も頷いて、ジューダスの頭を撫でた。いつもの威厳にまみれた王の姿はなく、その姿に皆驚いた。
カイルは少しほっとした。
ルーティは、リオンのことに触れたがらない。ずっと孤児院では禁句だった。
四英雄がリオンのことを、ジューダスのことを、どう想っているのか、今まで考えたことがなかった。もしかしたら、裏切ったことを、恨んでいるのかとも思った。
だけど、彼らは今も、リオンの仲間であることに、間違いないだろう。
「でも…俺達、こいつが消えかけてるの、全然気付いてやれなかった…すみません」
「何故謝る……もともと彼を…死なせてしまったのは、私達の責だ」
ロニの言葉にウッドロウは首を横に降り、眉を寄せた。
「彼が闇を抱えていることは、仲間は皆それとなく気付いていた。だが、いつか彼から話してくれるのを待っていようと、いつか我々を受け入れてくれることを待っていようと……そうして、何も出来なかった」
皆、息を呑む。
リオンの、18年前のジューダスの想いを、カイル達は聞いたことが無い。
何があったのか、何を想ったのか
口を開いたのはカイルだった。
「あの…ウッドロウさん、ジューダスは…なんでウッドロウさんたちを…」
「……聞いていないのかい?」
ウッドロウは驚いたようだ。
リオンと知って尚、一緒にいるのだから、てっきり全てを打ち明けていると思ったのだ。
「俺達は、ジューダスがどんなことをしてきたとしても、今のジューダスを信じてるから」
「……そうか、ありがとう」
ウッドロウは、心の底から微笑んだ。
とても嬉しそうに、微笑んだ。
世界が、全てがリオンを悪として、彼の本質を見もせずに全ての責任を押し付ける中、こうして彼の本質を見て、傍に居てくれる者がいる。
それがとても嬉しかったのだ。
だから、ウッドロウはぽつりぽつりと話し始めた。
18年前の悲劇という名の、運命の輪の形を
「ヒューゴ=ジルクリスト。……先の騒乱の首謀者と言われている彼もまた、被害者なんだ」
初めに出された名前が、ヒューゴ=ジルクリスト。
それにロニが眉を寄せた。
「…どういう…ことですか…?」
肉親を失っている彼としては、やはりヒューゴも、今は大丈夫だが、リオンのことも受け入れにくい。それでも、しっかりと真実を聞こうとしてくれる彼に、ウッドロウは答える。
「ミクトラン……全ては、あいつの回した運命の輪だった。それに、巻き込まれただけだ」
「……ミクトランは、ヒューゴが生き返らせたんじゃ?」
「完全に蘇ったのは、確かにヒューゴがダイクロフトを蘇らせてからだ。だが、それまでに既にミクトランは存在していた」
皆首をかしげる中、ハロルドだけは表情を険しくしていた。
彼女は既に自分の中でありとあらゆる仮定を作り上げている。その中で一番高い確率を、気付いている。
「天地戦争で、ソーディアンベルセリオスが壊れた。そのコアクリスタルにミクトランは精神を移していたのだそうだ」
「なっ……」
ロニが思わず声を出して、そのまま黙り込んだ。
「そして、考古学者だったヒューゴが、たまたまそれを手に取り、ミクトランに精神を乗っ取られた。……悲劇。その一言に尽きる」
部屋が沈黙に包まれた。
まさか、名を知らぬ者は居ない程の、悪者であるヒューゴが、操られていただけだったとは
ハロルドはいつぞやの、1000年前のダイクロフトにてバルバトスがジューダスにかけた言葉と、それによる自身の仮定が全て正解だったことに目を伏せた。
そして、部屋の沈黙とともに、ウッドロウもまた沈黙した。
「………………」
「ウッドロウさん?」
眉間の皺を深くする彼に、カイルがそっと話しかける。
ウッドロウはため息を付きながら、首を横に振った。
「本当に……悲劇だよ……あんなに悲しいことはなかった。全てを知った時、その苦しさに、悲しさに、憎しみに、唇を噛み切った」
ウッドロウが吐き出すように言う言葉は、部屋を更に重たくして
一体18年前の真実がどれほどのものなのか、皆知らず体を硬くする。
そしてようやくウッドロウが呟いた言葉に、体を震わせた。
「リオン君はね、ヒューゴの実の息子なんだよ…」
重たい空気。普通の部屋のはずなのに、胸が何かの圧力で押し潰されてとても気持ちが悪かった。
「おいおい……嘘だろ……だって、ファミリーネームが……違うじゃねぇか」
「……リオン=マグナスは偽名だよ。ヒューゴ……ミクトランが、リオン君を駒として扱うのに親子と知られるのは良くないと思ってのことだろう」
ぎりぎりと誰かが奥歯を噛み締めた。
何故か体が震える。
明かされた18年前の真実は中々脳に入ってきてくれない。
だって、だって、本当にそうならば……あまりにも酷すぎる。
この僅か16の少年は、ずっと、父と思っていた人物に駒として扱われ続けたのだ。
そして、その父親は…
「ジューダスの父さんは!?ヒューゴさんは……ヒューゴさんは…っ」
カイルが焦ったように叫んだ。
文になっていなかったが、言いたいことは痛いほどにわかって、ウッドロウは目を瞑り首を横に振る。
「恐らく……自分の息子を、勝手に動く己の体が傷つけていくのを唯々見ていることしかできなかっただろう。……彼が自我を取り戻せたのは、命を落とすその直前だけだ」
「そんな……じゃあ、……ジューダスは……」
「本当の父親を知らない。ミクトランに操られるヒューゴが、本当の父だと知って生き続けていたのだろう。……今も彼はその事実を知らないかもしれない」
悲痛な面持ちで、そっとジューダスの髪を撫でながら言うウッドロウに、カイルは泣きそうな顔になった。
父と思っていた人間に、仲間を裏切れと命令された。だがその人はミクトランであって、本当の父親ではない…?
本当のヒューゴと、真実を知った時のジューダスの気持ちは…一体どれ程のものなのだろう。少なくとも、今己らを締め付ける胸の痛みよりも、もっともっと苦しい。
皆の表情を見て、ウッドロウは疲れたように微笑みながら、更に真実を話し続ける。
「家族を知らないリオン君に、一人のメイドがついたんだ。名を、マリアンという」
ウッドロウが告げる名前に、カイルは小首を傾げた。
(…マリアン……聞いたことがある気がする)
何処で聞いたのかわからないが、何となく嫌な感じがした。
必死に記憶を漁るのだが、やはりリオンとヒューゴほど有名ではないのだろう。思い出せない。仕方なく辺りを見回せば、顎に手を当て床を見つめるロニと、自分と同じような顔をしているナナリー。そして無表情のハロルド。
リアラは今も目を瞑って力を使っているが、話は聞いているだろう。
「彼女の話によると、彼女は死んだリオン君の母君にそっくりだったらしいんだ」
「え……ジューダスのお母さん、……死んでたの?」
「彼がほんの小さな赤ん坊の時に亡くなったそうだ」
家族なんて居ない。そう言った少年の寂しい背中を思い出して、カイルはまた目を伏せた。
「彼女が母君と似ているという理由で、ヒューゴはメイドとして屋敷に置いたらしい」
「……ミクトランに精神を支配されてたのにか?」
顔を上げて聞いたのはロニだ。
ウッドロウは小さく頷いた。
「推測でしかないが、まだ僅かながら自我が残っていたのだろう……リオン君は無意識に、家族の温もりを彼女に求めたに違いない。誰も寄せ付けないリオン君が、彼女にだけは微笑んでいた」
ミクトランに精神を乗っ取られたヒューゴが、ジューダスを息子として愛したなど、到底思えない。家族の温もりを知らない少年が、不意に現れた母にそっくりの女性に依存するのは当然だろう。
カイルは当時のジューダスの気持ちを察しながら、同時にとても嫌な予感に囚われた。
どこかで聞いたことのある名前。
多分、それは本か何かで読んだんだ。
自分の父親の、誇り高き四英雄の、世界を救う旅のお話。そんな彼らが空中都市に乗り込んだその場所に、そんな名前の女性が現れた気がする。
父は、彼女を勇敢に助けたんだ。
(だけど、………何でそんな場所に…)
カイルが自身の頭の中で答えを導き出したと同時に、ウッドロウが低い声で呟いた。
「……だが、その温もりは、リオン君を駒として扱うための人質にされたんだ」
これが、18年前の裏切りの真実。
自分達の知る。優しい少年が仲間を裏切った…その悲しい理由。
「私達は、リオン君を……たった一人の女性の為に命を張れる優しい少年を、世界の為に殺し、今もまだ汚名を着せ続けてしまっているんだよ。カイル君」
ウッドロウは、自分達を英雄としてあこがれ続ける少年に、汚点を見せつけ、自嘲の笑みを浮かべた。そして思い出す。リオンが世間で裏切り者と罵られる中、スタンが叫んだ言葉。
(俺は、英雄なんかじゃない…か)
―本当は、いい奴だったのに…、俺は…俺は英雄なんかじゃない!
スタンは泣き叫んでいた。
父を英雄と称え続ける少年に、それらはどう映るのだろうか。
カイルを見れば、少年はやはり眉を寄せながら辛そうに床を見つめていた。
(命の重たさって、どれ程なんだろう)
カイルは、ディムロスとアトワイトのことで、ハロルドが言った言葉を思い出す。
今のこの場合、命とは想いの大きさだ。
想いとは、きっと無限に膨れ上がる。
自分の中の異なった想いを比べることはできても、きっと、他人の想いを比べてはいけないんだ。
世界にとっては、たった一人のちっぽけな女の命。
だが、ジューダスにとっては、尊い、何よりも大切な想いだったんだ。
ディムロスが、地位や立場を無視して、アトワイトを助けたのと同じように、そして自分がそれをディムロスに願ったように
「……ジューダスが、俺と一緒に居てくれたのは……父さんの息子だからなんですね」
「そうだろうな。今は彼も、君をカイルとして一緒に居てくれていると思うが」
「わかっています」
カイルはウッドロウに力強く答えた。
「ありがとうございました。ウッドロウさん。俺、嬉しいです」
「……嬉しい?」
「ジューダスは、父さん達を裏切りたくて裏切ったんじゃない。今まで、父さんや母さんのことを想って一緒に居てくれたんだ」
「あぁ…そうだね」
カイルはにかっと笑った。
「それで、ウッドロウさん達も、ジューダスのことを想ってくれてる。ウッドロウさんらとジューダスは、今も仲間なんだって、そうわかって嬉しいです」
本当に嬉しそうに言うカイルに、ウッドロウはとても後ろめたい気持ちになった。
「…助けてあげれなかった。不甲斐ない仲間だ」
「ウッドロウさん達は今もジューダスのこと想ってくれてるじゃないですか!それだけでいいんだ…間違いなく、仲間なんだ……俺、だから嬉しいんです」
ウッドロウは目を細めた。まさかこの歳になってこんな子供に諭されるとは
そして同じように微笑んで、カイルの頭を撫でた。
「ありがとう。カイル君」
「はい!」
18年前のリオンについての真実を告げたところで、もう一度少年を見る。
今も力を使い続けるリアラによって、その体はハイデルベルグについたときよりも格段に形を取り戻しているが、それでも僅かにながらベッドの輪郭線が彼の体から見えてしまっている。
そして、もう一つ…悲しい繋がりを思い浮かべて、ウッドロウはそれを告げることにした。
きっと、ルーティは自分達の子供にそれを告げていないだろう。
だが、今告げなければ、彼女はもう二度と彼と会うことができなくなる。
ウッドロウはため息をついた後、カイル達を見て言った。
「彼を、ルーティ君のところへ連れて行ってはくれないだろうか」
「…母さんのところに?」
「あぁ」
ふと出た母親の名にカイルは小首を傾げた。
やはり何も告げていなかったか。とウッドロウは苦笑いする。
「ルーティ君はずっと、彼のことを想っていた。………ヒューゴにはね、リオン君と…もう一人、娘がいたんだ」
「…………」
唐突に出たルーティの名に続いて、またも唐突に出るヒューゴの娘という存在に、誰もが察して目を見開いた。
「ミクトランは、女は必要ないと…殺そうとしたところを、母君が孤児院に預けることで守ったらしい。………それが、ルーティ君だ」
「……まじ、かよ……じゃあ、ジューダスとルーティさんは実の姉弟なのか!?」
「あぁ」
ロニは驚いた声を出した後、また顎に手を当てて床を睨んだ。
カイルはひたすら目を丸くしているが、「どうりでちょっと似ているんだ…」と呟いた。
「ルーティ君は…今も…」
「何を勝手にベラベラ喋っているんだお前は……」
ウッドロウの言葉は、唐突に告げられた呆れたような声色によって掻き消された。
その声に、部屋の空気が震えた。
一国の王に向かってこんな口を利けるのは、彼しかいないだろう。
「ジューダス!!!」
「…っ良かった…」
リアラが肩の力を抜き、光が消える。
ジューダスはゆっくりと体を持ち上げ、上半身を起こした。
そして自分の透けている両手を見、辺りを見回してため息をつく。
「リオン…君」
「……久しいな、ウッドロウ」
ウッドロウが彼を見つめ、名を呼ぶのに対して、ジューダスはまったく逆方向に視線を放り投げながら、いつものように答えた。
視線を合わしてくれないが、それでも18年ぶりの、亡くした仲間の声にウッドロウは心が震えるのを感じる。
「なんだか…ね、色々と話したいことがあった気がしたけれど…忘れてしまったよ」
「………。」
ウッドロウの震える声に、ジューダスはただ目を伏せた。
そんな彼にウッドロウは静かに微笑む。
(気に病むことなど、何もないのに…)
そんなウッドロウに気付いたのか、ジューダスは僅かにウッドロウのほうに視線をやった。その目は懐かしい、あの鋭くも綺麗なアメジスト。
「で、何を勝手に喋っている」
「いやね。しがない40代のちょっとした懺悔をカイル君に聞いてもらっていたんだよ」
「………。」
ちょっと嫌味を聞かせて言えば、ジューダスは目を細めた後またそっぽを向いてしまった。それに対してウッドロウはくすくすと笑い、ロニはあのジューダスを嫌味で負かせたと驚く。
そんなちょっとしたやりとりで和んだ空気を、ウッドロウは一息つくことで一転させる。
真剣な面持ちになったウッドロウにジューダスは何を察したのか、ウッドロウに視線を戻した。
「……リオン君……君は…ヒューゴのことは」
「聞いていた」
きっぱりと返されたジューダスの言葉にウッドロウは驚きを隠さず表情にする。
ずっと眠っていた彼に、ヒューゴと言って直ぐに答えが返って来るとは思わなかった。
本当にヒューゴの真実を知っているならば確かに答えるのは用意かもしれないが
そう考えていると、ジューダスはくすりと少しだけ笑って、ウッドロウの疑問に答えた。
「お前がベラベラと話し始めたところから、意識は薄いながらも話が聞こえていた」
「そう…か、では聞いていたというのは」
「ヒューゴのことなら……お前の話を聞くまでもなく、生き返らされたときにエルレインから聞いている」
「………そうか」
ウッドロウはまた眉を寄せた、少年はなんでもないように答えたが、実際どれだけ彼の心を押し潰しただろうか。
そっと彼に腕を伸ばす。ジューダスは僅かに驚き、身を引こうとしたが、その前にウッドロウは彼を腕の中に収めた。父親が、子にするような暖かさを意識しながら。
「…辛いだろう」
「……別に、全て終わったことだ」
「それでも、苦しいだろう」
腕の中でジューダスは何も言わず、目を細めた。
僅かに揺れるアメジストは暗く、全てを諦めているようだったが、それでもその瞳に悲しみが色濃く混ざっており、皆眉を寄せた。
「……話は全部聞いていたのだな」
「あぁ」
「では、私達がどう想っているか、聞いていたのだね?」
「…………」
途端に押し黙った少年にウッドロウは苦笑いしながらジューダスを放してやり、今度はその手に軽く手を添えた。
「仲間が、どんな形であれ戻ってきてくれて…嬉しいよ」
ジューダスの瞳が、とても穏やかな、そして悲しい色を宿した。
優しい雰囲気に包まれたところを悪いが、ロニはウッドロウが一先ず言いたいことを言い終えただろう時に、言葉で割って入った。
「すみません、ウッドロウさん。一度、ジューダス戻してもらっていいっすか?」
「ん?…あぁ、悪かったね。彼は君達にとっても大切な仲間だったね」
苦笑いしながらジューダスから離れていくウッドロウに「すみません」と軽くお辞儀しながらロニは入れ替わるようにジューダスのほうへと近づいた。
彼はというと、自分の体について色々といわれるのだろうと予想し、居心地悪そうに…というより不機嫌そうにロニを見ていた。
「……ジューダス」
「…なんだ?」
パチッ
一言ずつ言葉を交わした瞬間、ロニの拳はジューダスの小さな手に収まっていた。
正直、弱ったジューダスに手加減したとはいえ、こうも軽々受け止められるとは思わなかったので流石だとか思いつつ、そんな考えを押しやりロニはジューダスに負けない不機嫌を表に出した。
「殴らせろよ」
「何で貴様なんぞに殴られなければならない。ごめんだな」
そんな二人にリアラが慌てているが、カイルは黙ってロニのほうを見ていた。
恐らくカイルも結構怒ってるに違いない。ロニは弟の為にも怒りを少し増やしておいた。
「お前、気付いてたんだろ。ずっと前から、体調悪かったんだろ?なんで言わなかったんだ!」
怒声は部屋に響き渡り、下手したら廊下にも響いたかもしれない。
それでも気にせずにジューダスに捕まった右手拳をそのままに怒りを告げる。
だが、やはり相手はジューダス。自分のことを気にかけない。
怒鳴るロニとは対照的に涼しい顔で答えた。
「言ってどうなる。こればかりはどうしようもないだろう。リアラの力では無理だ」
「だからって!それでも下手したら死にかけてたんだぞ!?」
「どっちにしろ近いうちに僕は消える。今更騒いでもどうしようも………」
パンッ!
今度こそ、彼の頬が鳴った。
捕まった右手をそのままに、今度は左手で平手。平手な分あまり手加減はしなかった。
体勢からして遅れたのもあるだろう。
彼の白かった左頬が少し赤みを帯びる。アメジストは見開かれたことで惜しげなく晒されていた。
「っざけんじゃねぇよ!俺言っただろ?なぁ!理屈じゃねぇんだよ!!お前が死んだら、悲しむって、言っただろうがよお!!仲間だろうが!それとも何か?お前は俺達が必死こいてお前を担いで、死なせないように、少しでも生きていてほしいって思って、走り回ってレンズ集めて、リアラに無理させて……それを全部無駄なことだって笑うっていうのかよ!?」
怒りを抑えることなく叫んだ。
今までの心配や焦りもあって怒りは倍増しているだろう。
ジューダスはロニの言葉を受け、疲れて床に座っている仲間達を見回し、俯いた。
「……すまない」
珍しく素直に謝った彼に、ロニは怒りが急速に萎んでいくのを感じる。
そして、どうしようもなく情けなくなった。
たとえ頼ってくれても、助けてあげることはできないのだろうから。
「…………いや、……わかってくれれば…いいんだ、………それに、元より俺達も…こうしてわかっても何もしてやれねぇ……お前の言うとおり、どうしようもねぇ…すまねぇ」
突然下手に出たロニにジューダスは何を思ったのか、苦笑いする。
「…謝るな」
「……。」
「ジューダス……」
カイルがそっとジューダスの袖を引っ張る。
「……なんだ?」
「……ねぇ、母さんのところ…行こう?」
そっと呟いたカイルに、ジューダスはしばらく黙り込んだ後、ゆっくり首を横に振った。
カイルが目を開き、ベッドに手を付いて身を乗り出す。
「どうして!」
「今更戻ってどうするんだ」
「お前…っなぁっ!」
ロニが呆れたような声を出すのに対し、ジューダスは一度穏やかにしていた雰囲気を一転し、張り詰めさせロニを睨みつける。
「過程はどうあれ、僕は彼女を裏切ったんだ。自分の身内がこうして歴史に残る大悪党だ。ルーティには、肩身の狭い思いをさせてしまっただろう……」
ジューダスの顔は罪悪感に歪み、細い手はシーツを握り締めた。
「今、彼女は新しい家族の中で幸せに暮らしている。僕達のことなんか、忘れてしまったほうが………」
「そんなわけあるかよ!」
これ以上聞きたくなくて、ロニはまた声を張り上げた。
だがジューダスは頑なに首を横に振る。
「辛い思いをさせるだけだ」
「何も知らなければ幸せなのか?ルーティさんは、会いたがってた!」
唐突にロニの口からそんな言葉が飛び、何も知らない仲間達もジューダスも首を傾げた。
「そんなこと、何でお前がわかるんだ」
「弟を守れなかった」
ジューダスの冷たい言葉に、ロニが真剣な目で返す。
その言葉は、恐らくロニが誰かから聞いた言葉の反復。
「弟を、守れない。自分は不甲斐ない姉だったって。言ってたんだ、昔」
「………。」
内容から、誰が言った言葉かなど簡単に想像が付いて、ジューダスは困惑した表情のまま俯き黙り込んだ。
ロニはそんな彼に目を細めながらも続ける。
「もし、また会うことが出来たら…今度はちゃんと守ってやりたいって言ってたんだよ、たった一瞬でもいい。会いたいって…!」
ロニはルーティとリオンが実の姉弟だと聞いた瞬間、昔ルーティが自嘲気味に呟いた言葉思い出した。
「私は守ってやれなかったから、あんたはカイルをしっかり守ってやるのよ」
そう言った母親の姿が今も焼きついている。
ミクトランが回し続けた悲劇の歯車。
それに絡め取られ、バラバラにされた一つの家族。
その中、たった一人取り残されたルーティ。
どれだけ辛かっただろうか。
だが、ジューダスは眉を寄せたまま、それでも首を縦に降らない。
ただ至極辛そうに、とても痛そうに、顔を歪めた。
「弟……なんて、言っても……馬鹿を言うな。彼女が僕達を血の繋がった者として気付いたのは、本当に、最後の最後なんだ。家族らしいこと等まったくしなかった。それこそ、今更だ」
馬鹿野郎。ロニは頭の中でそう呟いた。
誰に対してだ。彼に対してだが、それだけじゃない。
こうも家族の絆をめちゃくちゃにした残酷な運命の歯車を呪わざるを得ない。
糸は実に複雑に絡まり、今その姿を見たばかりであるロニにはどうしようもなかった。
それに助け舟を出したのはウッドロウだった。
「リオン君……君とっては、確かにあれが最後だろう。だがね……ルーティ君は、それから18年、ずっと君を弟と想って生きてきたんだよ…」
ウッドロウの言葉に、自身も弟を亡くしているナナリーが強く頷いた。
彼女もまた、他人だと思っていた人物が突然血の繋がった弟だと知った時の気持ちなど察しようが無いが、悲しい姉弟の姿に黙って入られなかった。
「そうだよ!忘れられるわけがないだろ?ずっと一緒にいなくても、もうきっと、ルーティさんにとってあんたはたった一人の弟なんだよ!」
揺れるアメジストに、ここぞとばかりにロニは彼らの言葉に便乗し、声を上げる。
「理屈ばっかり並べんなよ!本当は、言いたいこととかあるんじゃねぇのかよ!」
「……リオン君…」
じっとジューダスを見つめる強い瞳たちに、ジューダスは深くため息をついた。
そして、少年は呆れたように苦笑いした。
「………煩いやつらだ………わかった。…こうも騒がれてはたまらん」
その言葉に皆目を輝かせた。
「……馬鹿やろ…………そうと決まれば早速いくぞ!……もう…時間が無いだろ」
ロニは嬉しそうに笑いながら言った後、彼の透けた手を見て表情を歪める。
ジューダスはロニの視線につられる様にまた自分の体を見て、「あぁ」と呟いた。
(リアラが……かなり頑張ってくれたようだな。…だが、やはり力が抜けていくのが早い)
もしかしたら間に合わないかもしれない。リアラはもう限界だろう。
そんなことを考えるが、今更諦めるなどと言ったら今度こそ拳で殴られかねない。
ジューダスはそっと口の端を持ち上げた。
「レンズを集めさせておいた。一緒にもっていってくれ」
「ありがとう。ウッドロウさん」
皆床についていた体を持ち上げる。
ジューダスも、そっとベッドから抜け出し体を起こした。
まだ、動く。
「リオン君」
出口へと向かうところで、ウッドロウはジューダスを呼び止めた。
振り向けば、彼は小さく微笑む。
「私達は、間違いなく仲間だ。……スタンも、ずっと君の事、仲間だって叫び続けてたよ」
「…………すまない…」
ウッドロウの言葉に、ジューダスは搾り出すようにそれだけ返すと、足早に部屋から去っていった。
残されたウッドロウは、今も変わらぬ少年の姿に懐かしさと悲しみを覚えながら、祈るように目を瞑った。
「君が、帰れることを祈ろう」
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