割られた天秤 – 13

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気付けば、真っ白な空間に立っていた。

仲間達も一緒だ。リアラとナナリーの頬には涙の後が残っている。

 

この空間の中心へと視線をやれば、エルレインが不適な笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 

「さぁ、見たであろう?よくわかったであろう?」

 

まだ、たった一人の一生を見つめてきた余韻は消えず、ゆっくりと近づきながら問いかけるエルレインの言葉が痛い。

 

「お前達では救えない。救えやしない。その時代を生きる者たちですら、救えやしない。人間は、どこまでも小さくか弱く哀れで、愚かだ」

 

ある程度近づいたところで、エルレインは立ち止まり、カイル達を見下した。

 

「わかったであろう?神が必要なのだろう?リオン=マグナスを、救いたいであろう?」

 

そして、聖女はゆっくりと手を差し伸べた。

彼女は安心させるように笑みを浮かべる。

 

「さぁ、手を取りなさい。カイル=デュナミス」

 

一歩足を前に出せば、あとは腕を持ち上げるだけでその手を取ることが出来る。

カイルはその手をじっと見つめる。

 

全部わかってしまった。

悲しい瞳も、寂しい背中も、

 

癒しようの無い傷を、見てしまった。

 

そして――

 

静かに、カイルは首を横に振った。

エルレインは眼を瞠る。何かの間違いなのではないのかと、

だが、その目を静かな青に見つめ返され、エルレインは信じられないと首を小さく横に振りながら眉を吊り上げた。

 

「何故ですっ!!」

「こんな、歴史を知らない神ごときに全て任せられるわけがないじゃない」

 

答えたのは鋭い目でエルレインを睨みつけるハロルドだった。

彼女は静かに、神に尋ねる。

 

「エミリオ=ジルクリストが幸せならジューダスは消えてもいいの?」

「何を言っている?同一人物だろう?」

「違うわよ。あんたは人を一括りにしすぎなのよ」

 

困惑するエルレインに、ハロルドは呆れたように目を伏せながら言う。

そのハロルドの隣まで、ナナリーが挑むように歩み出た。

 

「エミリオ=ジルクリストが幸せになれなくなったら、またエミリオを消すのかい?」

「失敗したならば、また作ればいい。今度こそ、完璧な、幸せな世界を送らせて…」

 

エルレインの答えにナナリーは顔を顰める。

そんなナナリーの思いを代弁したのはロニだった。

 

「そうやって、悪い歴史とやらが消えていけば、それで幸せなのかよ。消えていったものは何だよ、全部必要のないものだったっていうのか!?」

「何を言う……悪い歴史に幸せなどない。皆苦しんでいる。だから…」

 

わからない、と首を横に振りながら眉を寄せて反論する聖女を「エルレイン」と諭すようにリアラが名を呼びながら同じように前に出た。

 

「マリアンさんと触れ合った時の、ジューダスの、あの微笑みは、幸せなものよ。スタンさんと旅をしていたときの、ちょっと捻くれた、でも楽しそうなあの笑みも。私は、その全てが失敗作になんて、ならないと思うわ。…なってはならない」

 

エルレインはリアラにそう諭されても、困惑から抜け出せないようだ。

眉を寄せ、何故だと小さく呟く聖女に、カイルは静かに尋ねた。

 

「エルレイン、お前は……見なかったのか?」

 

聖女がカイルへと視線を向ける。何をだ、と目で言ってる。

 

「ジューダス……最期に、幸せそうに笑ってたの。……見なかったの?」

「…………」

 

エルレインは更に眉を寄せた。

きっと彼女はその場面を見てはいたが、少年の笑みには気付かなかったのだろう。

カイルは一度目を瞑り、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 

「ジューダスは、過去を振り返ることなく、しっかりと今を生きていた。だったら、俺達がやることは、ジューダスの歴史を変えることなんかじゃない。俺達に、選ぶ権利なんてない」

「何をいう。お前達の仲間なのだろう?わかったのだろう?あの者がどれだけ苦しんできたか、どれだけ不幸な世界に身をおいてきたか。仲間として、お前達は望む権利がある。 お前達が仲間を助けたいと願えば、この少年はエミリオ=ジルクリストとして幸せな世界に身をおくことができるのだぞ?」

 

カイルは首を強く横に振ってエルレインを睨みつけた。

 

「違う!それはジューダスじゃない……ジューダスの愛した人は、あの歴史の中にしかいない。ジューダスの大切な想いは、あの歴史の中にしかない!ジューダスの確かな幸せを、お前は勝手に奪ったんだ!!」

 

エルレインが目を見開いた。

 

「私が……幸せを、奪った……?」

 

聖女は唖然とカイルを見る。

カイルは荒げた気持ちを一度収め、静かに、しかし強い瞳でエルレインを見る。

 

「俺達は、今しか生きれないから。今を生きていかないといけないから……だから」

 

ジューダスを、返して。

 

そうカイルが呟いた時、世界は再び白く塗りつぶされた。

 

眼を開けたら、そこには久しぶりに見る少年の姿があった。

赤いマントを翻す彼ではなく、漆黒を身につけ、仮面で顔を隠す少年。

 

「大丈夫か」

「……ジューダス」

 

ゆっくりと体を起こした。

あたりを見回せば、仲間達も体を起こし始めていた。

 

(此処は………俺達が泊まっていた宿)

 

場所は、どうやら朝食をしていたあの場ではなく、部屋の方にいるらしい。

3人部屋とはいえ、6人居れば少し、狭い。

 

そんなことを呆然と考えていたら、突如、暗い海を思い出す。

目の前の少年が、海へと飲み込まれていく光景が脳裏に映る。

 

がばっ

 

「か、カイル…?」

 

思わず、思いっきりジューダスに抱きついた。

 

ゆっくりと先ほどまでのことが蘇ってくる。

勝手に涙が溢れ出した。

 

ジューダスは、俺が突如飛びついてきただけでなく、そのまま泣き始めたことに気付き、眼を瞠って驚いたが、やがて眼を細めた。

 

「……何を見たのか、想像は付く。お前が気に病むことは無い」

 

優しげな声色に涙の量が増える。嗚咽までも漏れ出した。

 

「……っでもね、でも……俺……ジューダス、すごく幸せそうにしてたのに…っすごく……辛かったのに………」

 

エミリオ=ジルクリスト。リオン=マグナス。その一生の違いは大きい。

歴史は変えないと決めても、ジューダスが満足していることを知っていても、それでも、やはり辛い。

エミリオとリオンは中々結びつかないが、それでも、理屈など全て無視して、あの悲しい少年を助けてあげるべきだったのでは、そんな考えも持ってしまう。

 

ふと、肩に手が置かれた。

 

「僕は自分が歩んできた道を否定したくない。だから、お前達に感謝している」

 

自分の嗚咽交じりの言葉とは対照的に、ジューダスの言葉には一欠けらの揺れもない。

 

あんな、苦しい過去を、歴史を、

それでもこの少年は自分の生きた道と認め、抱えている。

自分は、ただ見ているだけでも、心が折れそうになったのに

 

「…ごめん…っごめんね…っごめん…」

 

俺なんかでは、ジューダスの背負っているものを軽くすることはできない。

ずっと、何とかしてあげたいと思ってたけれども、どうすることもできない。

不甲斐なさで、罪悪感で、自己嫌悪で、押し潰されてしまいそうだ。

 

「……カイル」

 

優しくジューダスが俺の名前を呼んだ。あやすように、優しく。

 

違う。俺達が…守らないといけないのに

涙が止まらない

 

ジューダスはどうにもボロ泣きしている俺に戸惑っているようで、他の仲間達に助けを求めるように視線を投げかける。だが、他の仲間達まで同じような情けない顔で視線を返すため(ハロルドは例外だが、助ける気はサラサラ無いらしい)、ジューダスはため息をついた。

そんな彼に、必死に言葉を紡ぐ。

 

「うっ…うぅ、うっ……っ俺、それでも……幸せに暮らしてた、ジューダス消しちゃったから………」

「それは僕ではない」

「でも……俺、…ジューダスに……幸せになってほしくて……うっ……」

 

ジューダスが呆れ笑いのようなため息をついた。

本当に仕方がない奴だと言った感じで。

彼のこんな仕草を見ると、あぁ、ジューダスだなぁとしみじみ思う。

だが、そんな能天気な考えは、彼の口から出た言葉に固まった。

 

「……カイル。僕は、今、幸せだ。本当は、そんなこと、いけないと思っているのだが」

「…ふぇ?」

 

涙も固まったかのように止まる。

今、この捻くれ者の少年は、なんて言った?

 

「お前達と一緒に入れて、幸せだと言ったんだ。僕の正体を知っても受け入れ、こうして一緒に居ることを許されて………………なんだ、その顔は」

 

俯きながら少々躊躇いがちに言葉を紡いでいたジューダスが、俺の顔を見た途端言葉を止めて顔を顰めた。

そんなに変な顔をしていただろうか。でも、なんとなくわからないでもない。

なんだろう、胸の内から溢れてくるこの感覚。すっげぇ嬉しい。にやついてるかもしれない。

 

「………っ……もういい!もう言わないからな!」

 

ジューダスは俺をあやすために必死で口を滑らせてしまったらしい。

頬を染める姿が、少しだけ、幼少時のリオンを思い起こさせる。

 

あれだけ傷ついた少年

だけど、それでも、こうやって彼は生きている

エルレインによって生き返された存在だけれども、確かに

 

彼は、今、生きている

 

俺達にできること

今あるこの時間で、精一杯この悲しい少年に、幸せを与えたい。

今生きている、俺達が、今生きているジューダスに

俺達だけができることを

 

そう思ったのは、俺だけではないらしい。

他の仲間たちも、表情が変わっていた。

 

涙を腕で拭う。

 

「ジューダス!」

「……なんだ?」

 

そっぽを向いたまま答えるジューダス。あぁ、拗ねてしまった。

共に生きていることを感じ、とても嬉しくなる。思わずくすくすと笑うと、ジューダスはこちらを向いて更に嫌そうな顔をした。あぁ、これ以上機嫌を損なってしまう前に早く言わないと

 

「手、出して」

「………?」

 

彼は怪訝そうな顔をしながらも、手を出した。

その手を素早く捕まえる。そしてぎゅっと強く握った。逃げてしまわないように、外れないように。

ジューダスは更に顔を怪訝に歪め、首を少し傾ける。

 

「……なんだ」

「えへへ」

 

俺が笑えば、仲間達も微笑み、そして彼らもこちらへと近づき、各々その手を重ねていった。ジューダスは目を瞬かせる。

 

「……なんだこれは」

「いんやー?ちょっとな」

「ふふ。ね?」

「ちょっとねー」

「ぐふふふふ」

 

目を合わせては笑い出す仲間達に、ジューダスはため息をつく。

 

「……なんなんだ」

 

捕まえた手すら腕ごと脱力している。

カイルはくすくすと笑って、そして力強く言った。

 

「仲間の証!」

 

ぽかーん。なんて効果音がお似合いな程、ジューダスは眼を見開いて唖然としていた。

だが、やがて、呆れたように、優しく笑った。

多分、幸せそうに

 

思わず俺も幸せな気持ちになる。

昔マリアンさんが言ってたことを思い出した。

あぁ、もう一度確認したい。そんな悪戯心が芽生える。

 

「ねぇ!ジューダスさっきのもっかい言ってよ!」

「なんなんだお前は……おい、そんなに元気がありあまってるなら旅支度をしろ」

「えー!ねぇ、ねぇってば!もう一回言ってよ!」

 

掴んでいた手を一度離し、じゃれつくように細い腕を掴んで縋る。

ジューダスは再び頬を染めながらそっぽを向いた。

 

「煩い馬鹿」

「あー!馬鹿って言ったほうが馬鹿なんだぞー!」

「煩い!ひっつくな!なんなんだお前は!おい、ロニ、お前自称保護者ならこいつをなんとかしろ」

「おっしゃ!」

「って何故お前までひっつく!?」

「もっかい聞くまで離れないぜ~?」

「気色悪いわ!」

 

悪乗りするロニに笑いが収まらない。

するとナナリーまでジューダスの背中に引っ付いた。

 

「じゃああたしもー!」

「な、ナナリー………」

「ね、ねぇ………ジューダスがつぶれちゃう……」

「ふふん、ツンデレも大変ね。あ、ちなみに私の解析君3号改がしっかりさっきの録音しておいてくれてるみたいだから」

「!?」

 

仲間達に囲まれながら百面相するジューダス。

楽しくて仕方がない。

宿屋の一室は祭りのように騒がしくなった。苦情来るかなぁ。

 

ねぇ、ジューダス。

 

今度は皆で一緒に、幸せになろうね。

 

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