割られた天秤 – 12

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スタンは中々攻めに入らない。ただシャルティエをディムロスで受け止めるだけだ。

ルーティは先ほどの会話で知った真実により、戦えるような状況ではないらしい。それをフィリアが支えている。ウッドロウもまた、戦いの中に入ってこない。スタンとリオンが打ち合う姿を険しい表情で見ている。

 

天秤が悲鳴を上げる。

 

(どいつもこいつも、甘いやつらばっかりだ。殺す気で来たんじゃなかったのか。裏切ったと、言っただろうが。何を躊躇う必要がある)

 

完全に攻めには入らないとはいえ、スタンもやはり本気で戦ってはいる。そうでなければ、今頃リオンに殺されているだろう。

だが、やはりカイルには彼がスタンを殺せないとわかっていた。

 

(攻めてないのは、ジューダスも同じじゃん……)

 

カイルはいつだってあの天才的な剣技を見てきたのだ。

もっと、キレがあって、確実に急所を狙って、もっともっと彼の剣は早いはずなのだ。

だというのに、彼はそれに気付いていないかのように、目の前の男に呆れた声しかださない。

 

(やはり攻めてはこない。口ばっかり動かして、息は切れないのだろうか)

「リオンっ!どうしてだよ!なんでだよ!なぁっ!」

 

少し彼らが間合いを取れば、スタンはすぐに口を開き、リオンへと語りかける。

戦いたくないのだと、何度も何度も仲間として少年に語りかけるのだ。

 

天秤の軋む音がする。

 

(ああ、ほんと、こいつは)

 

リオンはスタンの言葉に笑った。

スタンを嘲笑っているかのような笑みに見えないでもない。

だが、カイル達にはそうではないのだとわかる。

 

(いつでも煩い奴だ)

 

再びシャルティエとディムロスが火花を散らした。

少年の早い剣技に必死に追いつこうとするスタンは余裕がない。それでも、彼は攻めてこない。力での勝負に持ち込めば、彼にも勝てる見込みがあるというのに

 

(本当に、こいつは……)

 

彼がスタンに抱くのは何時だって呆れだ。

それでも、どこかで彼は、そんなスタンだからこそ認めているのではないかと思う。

 

(あまちゃんで、いつでもヘラヘラしていて、図々しくて、能天気で、馬鹿で、アホで、お人好しで……)

 

普段聞けば傍観者が笑い出すような言葉の羅列も、今では寂しさしか与えない。

キンッ、と一際大きく剣の合わさる音が鳴った。

リオンが珍しく、力でスタンを押した。ずっと決して軽いとはいえないが、重くもない少年の剣に、いきなり重みがかかったことでスタンが僅かによろける。

 

(でも、僕は護りたい)

 

その隙に、リオンはスタンから距離を取った。

 

(彼女を、護りたい)

 

アメジストが覚悟から鋭くなる。

 

(だから……)

 

少年がシャルティエのコアクリスタルに触れると、シャルティエは答えるようにレンズを光らせた。同時に、彼らの周りに晶力が集まる。

 

(この、黄金を………重りを、破壊しないと)

 

少年はスタンではなく、後ろに居るルーティ達の方へとシャルティエを向けた。

体勢を立て直したスタンがそれに気付き、眼を瞠る。

 

「リオンっ!」

『大地に秘められし』

「破壊の力よ」

「…っ!」

 

そこで、ようやくスタンから攻撃をしかけた。リオンは笑う。

 

(ようやく切りかかってきたな。だが……馬鹿な奴だ)

 

元より発動させる気のなかった晶術を取り消し、少年はシャルティエを構えた。

なりふり構わず、焦りから突っ込んできたスタンは隙だらけだ。シャルティエを再び向けられたことから、スタンもその事に気付く。絶望にスタンの眼が見開かれる。

 

「これで終わりだ」

 

ウッドロウが一歩足を踏み出す。それでももう間に合わない。

フィリアが顔に手を当てた。ルーティは目を見開いたまま動かない。

 

彼らが旅をしていた頃が、今では酷く懐かしい。

長い旅が走馬灯のように頭に過ぎっていったのは、リオンとカイル達だけではないだろう。

 

天秤が悲鳴を上げる。

無理やりに、皿を傾ける。罅割れた皿が、酷く重たそうだ。

それでも、無理やりに

細い、細い糸が乗っている皿へと、力が込められる。

 

(……破壊、しない…と)

 

目の前に広がる黄金が眩しい。

 

――仲間だろ

 

バキィンッ

 

大きな音を立てて、天秤が割れた。

カイル達はそれに驚き、眼を見開く。

それにより、目の前の二人の動きを逃すことなく捉えた。

 

スタンの体を切り裂くはずだった、彼の手が止まった。

それどころか、その剣を避ける為に動かないといけない足すらも

 

リアラが小さく悲鳴を上げる。

 

空のような、青い瞳が大きく開く。

紅が飛び散った。

 

「………ジューダス……っ」

『坊ちゃっ……、……………』

 

カイルと同時に、シャルティエも主の名を呼ぶ。だが、その声は途中で止まった。

少年の想いは、誰よりも彼がわかっている。

 

「………リオン…?」

 

信じられないといった顔でスタンは左肩を赤く染めているリオンを見た。

彼の表情は長い前髪と、その場に膝をついて俯いていることから見えない。

 

スタンは、自分の手を見た。

彼の血で、汚れた手を見た。

 

「……ど、う……して」

 

青い眼は動揺から酷く揺れている。

少年は傷ついた左腕で、落としてしまったシャルティエの柄に触れる。

 

(あぁ、もう………どうして、あそこで手を止めたりなんかしたんだ。馬鹿じゃないのか、僕はどうして………)

 

血に塗れた手に力が込められ、僅かにシャルティエが持ち上がる。

だが、すぐにそれは小さな音を立てて地に戻った。

 

(……どうして、なんて、本当に、………馬鹿…だよな……スタン並み…かもしれない)

 

苦痛に表情を歪ませながらも、少年は自嘲の笑みを浮かべた。

スタンが揺れる瞳を丸くする。

 

「リオ……」

 

スタンがリオンへと手を伸ばし、一歩踏み出した時、海底洞窟が大きく揺れた。

英雄達が何事だと、顔を見合わせ驚く中、少年は自嘲の笑みを安堵のものへと変える。

 

(あぁ、よかった、間に合った……。僕は、使命を果たした)

 

糸は……切れない

そう安堵する少年だが、その表情には悲しみの色が濃い。

 

(だけど、おかしいな……、僕は、マリアンを選んだはずだったんだけど……決めた、はず、だったんだけど………)

 

ぼろっと、カイルの眼から涙が溢れた。

壊れた天秤の欠片が煌く。

 

スタン達が唖然としているなか、崩れ始めた洞窟の隙間から水が溢れ出した。

それを見たスタンがとった行動とは、リオンに駆け寄ることだった。

出血から蒼くなっている少年の顔がスタンへと向く。リオンは顔を顰めた。

だが、それでも気にせずにスタンはリオンへと手を差し伸べる。

 

一瞬、少年は泣きそうな顔をした。

次に、彼は差し伸べられたその手を振り払った。

 

「リオンっ!」

 

スタンから距離を離すように、少年はゆっくりとシャルティエを持ち、立ち上がる。

今にも倒れそうに、ふらりふらりと揺れながら、シャルティエを僅かに持ち上げるが、流石にもう突きつけることはできないらしい。

それでも、少年がどう行動しようとしていたのかはスタンにはわかって、彼は眉を寄せた。

 

「ジューダス…!」

(僕は、既に選んだから)

 

カイルが思わず名を呼べば、声が聞こえてくる。

 

(たとえ、それが揺れ続けていたのだとしても、今はもう、壊れてなくなっていたとしても、これは、許されないことだから)

 

カイルは瞳を逸らし、眉を寄せた。

「馬鹿野郎」と、ロニが呟く。

 

「リオンっ!」

 

何度剣を突きつけられようとしても、それでも駆け寄ろうとするスタンを、少年は、今度は突き飛ばした

それは思いのほか強い力で、スタンは仲間の近くまでよろめきながら後退する。

 

「リオンっ!!」

 

咎めるような怒声は悲鳴に近かった。

少年の傷ついた体はスタンを突き飛ばした衝撃に耐えられず、地に落ちていこうとするところをシャルティエで支える。

スタンが再びリオンへと向おうとしたところで、それを遮るように濁流が流れた。それによりスタンが一瞬足を止めた時、大きく洞窟が崩れ、大量の濁流がスタンらを襲った。

彼ら一人一人の悲鳴も濁流に掻き消されていく。

その中で、少年を呼ぶ声だけは洞窟に響いた。

 

「リオーーーーーーーン!」

 

スタンが流れていく時、彼は確かに少年を掴もうと手を必死に伸ばした。

 

―もう、仲間だろ?

 

そう言って、伸ばされた手だ

ずっと前から、伸ばされ続けていた手だ。

 

「本当に、あいつは馬鹿だな」

 

そう言って、少年は笑った。

 

 

 

水の音と洞窟の崩れる音が聞こえる中、ふとシャルティエが光った。

少年の目が見開かれる。その情報はカイル達にも伝わった。

 

少年の体を支えるために突き刺さったソーディアン。

それから、この海底洞窟の状態が伝わってくる。

 

複雑な地形。あちこちで崩れていく洞窟。

荒れ狂う濁流。先ほど流されたスタン達は……助からない。

 

「そんな……父さんっ!」

 

思わずカイルが声を出す。

そして、同じように、ドクンと脈打つように世界が揺れた。

 

(だめだ…っ!)

 

驚いてカイルはリオンへと視線を向け直す。

少年は両手で強くシャルティエを握っていた。

 

(だめだ、だめだ…っ!死なせたくない、死なせたくない…、死なせたくないっ!)

 

先ほどまでは、自分は選んだのだと、そう思っていた癖に

悲痛な叫びを少年は上げ続ける。仲間だと言ってくれたスタンの笑顔を脳裏に過ぎらせながら

 

「シャルッ!!」

 

リオンは叫んだ。その声は濁音に消されることなく、洞窟に響き渡る。

今まで見たことのないような光が、シャルティエのコアクリスタルから溢れる。

 

強い、真っ直ぐな光だ。

少年の想いそのもののような

 

少年の強い願いと、シャルティエの主の願いを叶えたい想いが混ざり合う。

コアクリスタルから溢れる光は、大地へと吸収され、洞窟全体が光った。

 

音を立てて、地形が変わっていく。

驚きのあまり、ハロルドまでも眼を丸くしていた。

洞窟が、少年の大切な人たちを生かす為だけに形を変えていく。

同時に、少年のいるこの空間だけ、岩が一気に崩れ落ちた。

岩は海水の上に落ち、津波のような水しぶきが少年を襲う。リオンはシャルティエを握る手に力を込め、それに耐えながら力を注ぎ続けた。

 

やがて、ソーディアンから伝わってきたのは、出口まで真っ直ぐに伸びた洞窟の穴。

同時に、リオンが居るこの広い空間から、その穴への出口に岩が崩れ落ち、塞がれる。

 

カイルは息をするのを忘れて、その光景を唖然と見ていた。

 

「…………」

 

シャルティエを握ったまま、少年はその場に膝を突く。

浅く息をしながら、少年はシャルティエを地面から抜き、抱きしめた。

 

どんどんと岩が海水の上に降り注ぎ、海水が少年の体を飲み込んでいく。

少年は僅かに体を動かし、岩の上に体を乗せた。

 

『……坊ちゃん』

「シャル……あいつらは、助かっただろうか……」

『きっと、助かりましたよ。馬鹿は、頑丈ですから』

 

リオンは真っ青な顔で笑みを作った。

もう、自分は助からないというのに穏やかな会話をする二人に、カイルは見開かれていた大きな青の瞳から涙をいくつも零した。

 

最期まで、脳裏から、差し伸べられた手が離れない。

 

―仲間だろ

 

もう、何度頭の中で繰り返されたかわからない、眩しい言葉。

くすりと、少年は悲しそうに笑った。

 

「仲間……か、……なりたかった、な……」

『坊ちゃん……』

「手………取りたかった………」

 

少年の左肩から血がどくどくと流れていく。

同時に、海水が増えていく。洞窟が崩れていく。

少年の命が、消えていく

 

彼の意識が朦朧としていくのがわかる。

ふと、遠くから声が聞こえた。

 

―おかえりなさい、エミリオ

 

きっと、少年が聞いた幻聴だ。

彼に微笑みかけるマリアンの姿は、過去に見たものだ。

少年は笑みを浮かべてそれを見た。寂しそうに、それを見た。

 

(あぁ……もう、……ただいま……は、言えない)

 

濁流が、少年を飲み込んだ。

カイルは涙を零しながらリオンへと手を伸ばす。

だが、その手が届く前にカイル達の体が輝きを出した。

時間や場所の移動。その前兆だ。

 

「ジューダスっ!!」

 

濁流に飲まれ、もう少年の姿は見えなくなってしまった。

カイルの視界も真っ白になる。

 

濁流に飲まれたはずの少年の声が、最後に聞こえた。

 

「さよなら………マリアン」

 

ぴくり、とマリアンの肩が跳ねる。

禍々しい空中都市、兵器を携え、どんどんと浮上していくそれに、マリアンは乗っていた。

ヒューゴとリオンの会話を、思い返す。

少年はきっと、ヒューゴの任務を達成したのだ。

 

……少年が、戻ってきた気配はない。

 

「エミリオ………」

 

ぽろぽろと、眼から涙が零れる。

先ほど聞いた、ヒューゴの話。まだ16歳の少年の話。

 

初めて会った時、顔を見て驚いていた小さな少年。

顔を赤らめながら、小さく「ただいま」と言った姿。

本当の名前を呼んで上げた時、彼が流した一粒の涙。

 

今更ながらに、その一つ一つの重たさに気が付く。

 

あの小さな背に、一体どれだけのものを背負っていたのだろうか。

 

「エミリオ……っ」

 

両手で顔を覆う。涙が止まらない。

寂しそうに、護るからと、そう言ってくれた少年の姿が焼きついている。

 

どんな思いだったのだろうか、どんな気持ちで、私と共に居たのだろうか

何かを望んでいたのでないだろうか、私は、あの子に何かを与えなければならなかったのでは……

 

あの子の寂しげな背中は、いつだって見ていた。癒してあげられたと、思っていた。

勝手にそんなつもりになっていた。

本当は、何もしてあげれてなかった!

 

それでも、そんな私を、あの子は「護るから」と言って、そして…

 

「エミリオ、エミリオ……っエミリオぉぉ…」

 

涙を流しながら、ひたすらに彼の名前を呼ぶ。

 

ふと、後ろの方で音が聞こえた。

涙に塗れた瞳をそのままにゆっくりとそちらへ視線をやる。

そこにいたのは、ヒューゴ=ジルクリスト。

恨み言の一つや二つ言ってやりたい気持ちになったが、それは脳裏から一瞬で消え去った。

 

ゆっくりと彼はこちらへと近づき、隣に立つ。

壁一面に広がる窓から、彼は地上を見下ろし、笑みを浮かべた。

 

「くく、くくくくく、あはははは!あはははははっははははは!」

 

体の震えが止まらない。

禍々しい笑い声を轟かせる目の前の男だったが

 

確かにその眼には、涙があったのだ。

 

体が酷く痛む。それにより、ゆっくりと覚醒していく。

波の音が煩い。仰向けに寝ていると思うのだが、何故か太陽の光をそこまで感じない。日陰で寝ているのだろうか。

なんで、こんなところで寝ているのだろう。

そこまで考えて、ようやく先ほどまでのことを思い出し、体は跳ねるように起き上がった。

 

「スタン君、気が付いたかね」

「ウッドロウさん……」

 

左へと顔を向ければ、仲間が居た。奥にはルーティとフィリアも居る。

二人とも空をじっと見上げていた。それに釣られ、自分も空を見る。

空には黒い影が広がっていた。すぐ横に寝かされていたソーディアンから唸る声が聞こえる。「止められなかった」と

 

そう、俺達は止められなかったのだ。

そして、ダイクロフトが蘇った衝撃により、洞窟に生き埋めになった…はずだった。

 

「………どう、して……」

「私達は奇跡的に流れ着いたようだ」

 

ウッドロウの言葉は理解される前に過ぎて言った。

 

あたりを見回す。

いない。

立ち上がれば視野が広がった。それでも、いない。

 

「……リオンは……?」

「………」

 

ウッドロウは答えない。

 

「奇跡…………?」

 

気付けば、先ほど聞き流してしまっていたはずの言葉を言っていた。

まるで嘲笑うように。

だって、可笑しくて仕方がない。馬鹿げている。

 

知っているんだ。あの時、濁流に流されて、上も下もわからなくなって、もみくちゃにされていたけれど、聞こえたんだ。願う声が

確かに感じたんだ。シャルティエの力を

 

ウッドロウは眉を寄せながら目を瞑った。

フィリアは涙を零していた。その隣に居るルーティも、壊れたように目を見開き、空を見上げたまま頬を塗らしている。

 

「……リオン」

 

呼びかけに、答える人などいない。

それでも、語りかけずにはいられなかった。

 

「リオン、どうしてだよ………何で、お前、あんなに悲しそうな顔して………なぁ」

 

酷く傷ついた顔をしていた。

だが、それは、旅をしていたときも同じだった。

 

人は裏切るものだ。

そう、彼はいつか言った。警告…いや、予言のように

全て知ってて、俺達と旅をしていたのだろう。

 

その事に、怒りも憎しみもわかなかった。

ただ悲しみだけが底知れず溢れ出してくる。

 

(辛かったよな……なぁ、苦しかったんだろ……)

 

旅で聞いた少年の言葉、今では何を思ってのことだったのか、なんとなくわかる。

本当に、彼は優しい奴だった。ただ、人を拒絶してしまうだけで…それすらも、本来ならばやらなくていいことだったのではないだろうか

頼っていいんだ、って告げた時、彼は言った。「ありがとう」と

 

「馬鹿……野郎……」

 

だから、一人で抱え込むなって言ったのに

 

「リオオォォオオオオォン!!!」

 

どれだけ大声で叫ぼうと、砂を叩きつけようと、涙を零そうと

二度とあの皮肉は聞けないのだ。

慟哭だけが、この場を支配した。

 

マリアンとヒューゴ、そしてスタン達。

それぞれの涙を見せられ、またカイルの視界は真っ白になる。

 

(……終わっちゃった………)

 

心の中で思わず呟いた。

16年。いや、実際見始めたのは彼が6歳程のときだったから、10年くらいだろうか。

長かった。……だが、短かった。

 

最後を見た今でも、わからない。

こんな、こんな悲しい事、こんなこと、許せるわけがない。

 

(俺は………ねぇ、ジューダス……どうしたらいいのかな)

 

ふと、呼びかけに答えるように真っ白だった世界が黒くなる。

そして、遠くから何か声が聞こえてきた。

 

やがてそれは確かな声となり、同時に水の音も聞こえ始める。

ようやく、今自分が海の中に居ることに気付いた。

そして、声の持ち主も

 

『……坊ちゃん、……坊ちゃん』

 

必死にマスターの名を呼ぶ、シャルティエの声だった。

彼らの姿がぼんやりと光、視界に映る。

再び彼の姿を見て、眼を瞠った。

 

『坊ちゃん……』

―……シャル…

 

閉じていた少年の眼が、僅かに開かれる。

当然だが、少年の目に光は入らない。その代わり、彼は強くシャルティエを抱きしめていた。彼の左肩からは赤い煙があふれ出ている。

もう、その命の灯火が消える直前だった。

 

―……シャル、僕は……

 

何度も何度も、少年の目が細められては、僅かに開かれる。

いつ、それが完全に閉じられるのだろうと思うと、体が震えた。

そして、次に少年が紡ぐ心の声に震えは大きくなる。

 

―……護れ、た…かな……

『……坊ちゃんっ』

 

シャルティエは一度息を詰めた後、コアクリスタルから暖かい光を溢れさせながら答えた。

 

『護れました、護れましたよ…っ!大丈夫です。坊ちゃんは本当に、よく頑張りましたから』

 

シャルティエの言葉に、少年は笑った。

思わず息が詰まる。

 

本当に幸せそうに、笑ったのだ。

 

(……ジュー……ダス………)

 

マリアンにすら見せたことがないような、本当の彼の微笑みだった。

何を抑えているわけでもない、作り物でもない、本当の、心からの微笑みだった。

満足そうに、嬉しそうに、幸せそうに

 

(わらった……)

 

こんなにも辛い最後だというのに

 

(何で、笑えるんだ……っ!)

 

思わず、心の中でそう叫んだが、答えはもう、持っている。

だって、ずっと彼の一生を見てきたのだから。

 

幸せなんだ。

マリアンさんを、護れたから。

 

きっと、彼女は生きている。

それだけで、彼は幸せなんだ。

そして、仲間である父さん達も、殺さなくて済んだから。

だから

 

(笑って、る。…………そう、なんだね……ジューダス………)

 

穏やかな表情で、ゆっくりと少年は目を閉じていく。

 

『坊ちゃん………お疲れ様でした。僕がずっと一緒に居ますから、………安心して、おやすみください……。』

 

視界は再び真っ白になった。

頭の中には、彼の一生がぐるぐると流れていく。

 

彼の一生はとても悲しかったけれど、

だけど……

 

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