願いと奇跡 – 1

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「でやぁっ!はっ!やぁっ!」

 

綺麗に晴れ上がった空の下、元気な少年の声が剣を振る音と共に聞こえてくる。

金髪の少年、カイルが剣を振る先にいるのは、彼の父親であるスタン。

数年前ならば片手で軽く受け流していたカイルの剣だが、今スタンの表情は真剣なものとなっている。

 

何度か剣を打ち鳴らしていると、やがてカイルの息が完全に上がった。

 

「はぁ、はぁ…」

「どうしたカイル!もうおしまいか?」

 

スタンも上がった息を整えながら、膝に手をつく息子へと声をかける。

すると、思いのほか真剣な眼が返って来た。

 

「まだまだっ!」

 

そう言った瞬間、カイルが振った剣の一撃はスタンの想像を遥かに超えるものだった。

 

重い音を立てて、スタンの手にあった剣が煌きながら空を舞う。

やがて地面に突き刺さったそれを、スタンは眼を瞠って見た。

 

「……へへ……やったぁ……」

 

どさり、とカイルが尻餅をつく。

 

「へへ、初めての俺の勝利だね、父さん!」

「あ、あぁ。凄いぞカイル。驚いた」

 

言葉通り、ただただ驚いているスタンだったが、やはり息子の成長は嬉しいもので、彼はにかっと笑った。

 

「これでまた英雄に一歩近づいたな」

 

それはカイルを褒める時にいつも使われる言葉だった。

これを言えば、カイルはいつも眼を輝かせて喜ぶのだ。

英雄と謳われる過去の重たさを知るスタンにとっては、複雑なことではあったが、ただ無邪気に喜ぶ子供が愛らしかった。

 

そんなことを思って、またそう言ったのだが、驚くことに返ってきたのはいつもの笑顔ではなかった。

 

「ううん」

 

否定の言葉に再びスタンは眼を瞠る。

 

「英雄はなろうと思ってなれるものじゃない。でしょ?」

「……ほう……どうしたんだ、前までは俺は英雄になる!が口癖だったくせに」

 

スタンは思う。カイルは最近、突然成長したと

剣の腕もそうだが、精神的にも随分と育ったような気がする。

ずっと孤児院で共に過ごしていたというのに、一体何がカイルを変えたというのだろうか

 

カイルは立ち上がり、ズボンについた砂を払い落としながら答えた。

 

「えへへ、実はね……なんか、どこかで誰かに、そう言われた覚えがあるんだ」

 

「言われた、っていうより怒られたかな?」なんて空を睨みながら言うカイル。

スタンは首を傾げた。

 

「ん?随分曖昧だな」

「うん、なんか……なんだろう。夢の中で見たような感覚。……確かに言われた覚えがあるんだけど、実際言われてないような……でも、俺はそれにちゃんと気付いたような…」

 

腕を組み、唸りながら考え始めるカイルにスタンは笑う。

 

「そりゃ、随分と有意義な夢を見たな。無駄な寝坊してなかったってわけか!」

「無駄じゃない寝坊ってなによ」

 

唐突にスタンの背後から不機嫌そうな声が返る。

振り向けば孤児院の玄関が開いており、そこにルーティの姿があった。

 

「うわっ、ルーティ!」

「ちょっと眼を離すとあんた達はいっつも寝てるんだから!少しはあたしの身にもなりなさいよね」

 

ぷいっとそっぽを向くルーティにスタンは頭を書きながら苦笑いした。

するとルーティは呆れた表情でスタンへと視線を戻すのだ。いつものことだ。

 

「剣の稽古は終わった?カイルに買出しに行って欲しいのよ」

「あ、うん。わかった」

 

差し出された買い物袋とメモ書き、そして財布をカイルが受け取る。

メモを見れば食材がぎっしりと書かれていた。

 

「ほら、スタン。あんたは洗濯物!」

「あぁ、わかった」

「じゃあカイル。頼んだわよ。余計なもの買ってこないように」

「うん」

 

元気よく頷き、カイルは駆け出した。

その小さくも逞しくなった背を、スタンは見続ける。

 

「ちょっと、あんたも早く洗濯物!……どうしたの?」

「いや、……随分と成長したもんだな、って思って」

 

遠くを見るスタンに、ルーティは笑った。

 

「とうとう負けちゃったの?」

「あぁ」

 

スタンも笑いながら答える。

ルーティは眼を細め、スタンと同じようにカイルが走っていた方へと眼を向けた。

 

「………平和ね」

「そうだな」

「……ずっと、こんな日が続いていけばいい」

「…そうだな」

「あら、あんたは何も変わらない平和な日々が嫌で故郷抜け出してきたんじゃなかったっけ?」

 

深く頷いたスタンを見て、ルーティが茶化すように言えば、スタンはその金髪を掻き毟り苦笑いを浮かべた。

 

「あぁ、そうだったそうだった。……俺も年老いたしなぁ~。………今は、こうして目の前の人たちが傷つかないで、健康で居てくれてるのが、一番だよ」

「まぁっ」

 

ルーティはおどけた声を上げたが、やがて彼女も小さく呟いた。

 

「あたしも、そう思うわ」

 

メモと睨めっこをしながら、カイルは狭いクレスタの町を歩く。

食材を扱う店はクレスタに一つしかないが、向うのはそこだけではない。

直接農家に行けば安くしてもらえたり、孤児院経営している彼らに好意で食材を分けてもらえるときだってある。メモ書きに書かれているパンの耳なんかは特にそれだ。

 

(ロニ頑張って修行してるかなぁ)

 

義兄のことを考えながら歩くカイルの耳に、ふと楽しそうな声が入った。

カイルがそちらへと顔を向けると、3人のまだ小さな子供が遊んでいた。

 

「俺スタンやる!英雄スタンの役!」

「じゃあ私ルーティがいいっ!」

 

カイルの顔が綻ぶ。彼自身も小さい頃、よく英雄ごっこをして遊んだからだ。

だが、その表情は次の子供の言葉で固まった。

 

「えー!?じゃあ俺がリオンになんのかよ?やだよー」

 

思わずカイルは顔を顰めて歩みを速めた。

子供達の声がはっきりと聞き取れなくなるところまで来ると、カイルは振り返る。

遊ぶ姿は昔の自分と重なるというのに

 

(………なんか、……嫌だなぁ……)

 

カイルが漠然と抱いたのは不快感だった。

いつからだろうか、昔の話をすると両親が辛そうな表情をすると知ってからだろうか

裏切り者と名高いリオン=マグナスへ悪意が向くたびに、胸が締め付けられるのだ。

 

「う~ん」とカイルは唸る。

何か、大切なことを忘れている気がした。

 

そんなカイルの目の前に、突如ひょっこりと銀髪が現れた。

 

「よう、カイル。どうしたんだ?」

「うわ、ロニ」

 

眼を丸めるカイルに「なんだよ人をお化けみたいに」とロニが笑う。その手にはパンの耳が入った袋を持っていた。

 

「そろそろ来る頃だと思って待ってたのに、なかなか来やがらねぇからよ」

「あ、ごめんごめん」

 

いつものように頭を掻きながら謝るカイルにロニが苦笑する。

「ほら」と差し出されたパンの耳を受け取ろうとしたその時だった。

 

「モンスターだ!」

 

大きな声が狭い町に響き、街が一瞬静かになった。

二人は同時に声のした方へと顔を向ける。

そこには汗だくになってかけてくる一人の男が居た。

 

「モンスター……だと?」

「なんでこんな所に……!?」

「町に下りてくることなんて滅多にねぇのに」

 

パンの耳の入った袋や、買い物袋は一先ずその場に置き、カイルとロニはその男の方へと駆け寄る。

 

「おじさん!モンスターって、一体何があったの?」

「はぁ…はぁ、それが…っ!どこの馬鹿か知らねぇが、向こうの山にあるモンスターの巣から卵持ち出して、モンスターを怒らせやがったんだっ!」

「まじかよ……」

 

ぜぇぜぇと息を荒げている男の言葉に、カイルもロニも表情を硬くする。

集まってきた町の人たちも不安に表情を歪めた。

 

「モンスターは、クレスタに向ってるのか?卵は?その馬鹿はどうしたんだ」

「卵盗んだ奴ならもう死んじまってたよ。卵もその時全部割れたんだろう。モンスターは怒りがおさまらねぇのか、どっちにしろ既に山から下りてたからな……。多分こっちに来るさ」

 

男が言い終わると、遠くから地響きのような音が聞こえてくる。

町の所々から悲鳴が聞こえてきた。遠くに黒い影の山。モンスターが来たのだ。

 

「畜生、カイル!スタンさん達に伝えに行くんだ!」

「だめだよロニ、もう来る!」

 

スタン達を呼びに行く時間などもうない。モンスターの群れはすぐそこまで来ている。

ロニは舌打ちし、彼が働くパン屋のほうへと足を向ける。ロニが店の中に入る前に、長身の40代前後と思われる男が上半身を出してこちらを見た。

 

「おう、ロニ!受け取れ」

「おわっ」

 

男が投げて寄越したのはハルバード。ロニの武器だ。

重たいそれを何とかロニは受け取り、男へと笑みを投げる。

 

「さんきゅ、おやっさん。カイル、お前剣は?」

「え、買い物に持ってきたりしないよ!」

 

カイルが慌ててあちこちを見回すが、当然剣なんて落ちていない。

するとパン屋の男が再び店の中に入り、次に剣を手にして出てきた。

 

「坊主、これで良かったら持っていきな」

 

再び投げられた武器を今度はカイルが手に取り、ロニと同じように礼を言った。

 

「カイルーっ!私達がスタンさんに知らせてくるー!」

「うん、頼んだ!」

 

先ほど遊んでいた子供達がスタンを呼びに孤児院の方へと走っていく。

それを見届け、カイル達はモンスターの方へと走り出した。

町の男共が同じように武器を取り、既にモンスターと戦っている。

先ほどのパン屋の男も違うハルバードを手に出てきた。

 

「なんでまたこんなに……」

「こいつはコボルトだな。よく群れてやがる。仲間意識がたけぇんだ」

 

数は15匹以上と大群で、更に奥からまだこちらへと向ってきているモンスターの陰も見える。どれも酷く興奮していた。

 

「気をつけろよ、カイル!」

「大丈夫っ!行こう、ロニ!」

 

そうして、二人は町の男達と共にモンスターの群れへと飛び込んだ。

 

 

カイル達に高い声がかかったのは、まだ3匹目のモンスターを倒したときだった。

 

「カイルー!!」

 

先ほどスタンを呼びに行った女の子が戻ってきたのだ。

カイルはモンスターから距離を取り、女の子の方へと振り向く。

 

「近づいちゃ危ないよ!離れて」

「カイル!大変なの!町の裏からもモンスターが着てて、孤児院がっ!」

「何だってっ!?」

 

カイルが驚きに目を見開く。前で戦っているロニにもそれが聞こえたのか、表情に動揺が走った。

 

「スタンさんとルーティさんが戦ってるけど、数が多いって…っ」

 

カイルは荒げた息を整えながら必死に喋る女の子と、今も戦い続けている目の前の男達、そして多くのモンスターを見る。

 

町の男達は初老の者が多く、ロニ程武器を振り回せる人間はそう居ない。また、戦闘慣れしている者などロニを除けば皆無だ。敵の数もまだまだ多い。

孤児院の方には四英雄の内の二人も居る。だが、幼い子供達を守りながらの戦いはどれほど厳しいものだろうか。

 

どちらで戦うべきか迷うカイル。苦渋の色が浮かぶ。

すると、コボルトからの一撃をハルバードで抑えたロニが遠くから大声を張り上げた。

 

「カイル!此処は俺達に任せて孤児院のほう行け!」

「ロニ…」

「こっちは俺が抑えとくから!」

 

そう言って、ロニは目の前のコボルトをハルバードで叩きのめし、また横から襲い掛かってきたコボルトをなぎ払う。

それでもまだ敵は多い。怪我をした者だっている。

だが、その町人達もが、口々にカイルに言った。

 

「坊主!行って来い!」

「年寄りとて、これでも畑耕して鍛えてんだ!」

 

それらの言葉に背を押され、カイルは剣を握り締めた。

 

「……わかった、頼んだよ!ロニっ」

 

孤児院に向って走り出したカイル。

ロニは更に増えたコボルトを見て、額に汗をかきながらも口の端を持ち上げて返事をした。

 

カイルは全速力で孤児院までの道を駆け抜けた。

所々怯える町の人々がカイルの心に焦燥感を走らせる。

 

小さな橋が見えれば、もう孤児院はすぐそこだ。

橋の上を駆け抜ける時には、既に金髪と黒髪、そして小さい子供達が居るのが見て取れた。

孤児院の裏側から入るには川を渡らねばならぬというのに、コボルトはそれを突き進んできたようだ。コボルトが腕を振り上げれば同時に水が飛んだ。

 

「父さん!」

 

カイルがスタンを呼んだのは彼の危険を思ったからではなく、自分の存在を教えるためだ。スタンは心配など無用と言わんがごとく、英雄の名に相応しい剣技でコボルトを仕留めた。だが、やはり数が多く、子供達を背にしながら戦うとなると動き回ろうにも制限がある。スタンはカイルを見て少しばかり安堵の表情を浮かべた。

 

「カイル、戦えるか?」

「もちろん!」

「カイル!スタン!気をつけなさいよ!」

 

二人が並んで剣を構えれば、ルーティから声が上がる。

彼女は完全に子供達の傍で短剣を片手に佇んでいる。怯えた子供達の手がルーティの足を掴んでいた。彼女のところまでコボルトを向わせることなどできない。

 

「よし、いくぞ。カイル!」

「うん!」

 

8匹ほどの数のコボルトが突撃してくるのに対して、二人は剣を振り上げた。

 

ドンッと鈍い音が響き、次いで男の叫び声が上がる。

 

「おっさん!大丈夫か!」

 

コボルトの一撃が入った男は後ろへと飛ばされ、民家に背を打ちつけ、その場に崩れた。ロニが庇うように男の前へと躍り出て、そのコボルトへとハルバードを叩きつける。

 

先ほどから何人か怪我人が出ている。コボルトの持つ武器が剣ではなく棍棒だというのがせめてもの救いである。だが、モンスターにしては小型と言え、その力は人と比べようがなく、一撃を喰らえばただの農民はそこで動けなくなっていた。

 

結構な数を倒したが、それでもまだ5,6匹残っているはずだ。

流石のロニも疲れが出てきている。

それでも、今まともに戦えるのは彼くらいだ。ロニはぎゅっとハルバードを握り締める。

 

だが、ロニの奮闘は虚しく、また遠くから地響きのような足音が聞こえてくる。

ロニは目を見開いた。

奥に見える影は、やはりコボルトの大群だった。ロニの背に冷たい汗が流れる。

卵を割られただけでなく、仲間が殺された恨みで更に群れをなしたのだろう。

 

「おいおい……まじかよ………」

 

無理だ。

ロニの内に漠然と沸いて出た思いは、たった一言、それだった。

あの量は、疲労したロニには到底倒せるものではない。

 

「ちっくしょっ!」

 

どうしようもない焦燥感を目の前のコボルトに叩きつけ、横を通り過ぎようとしたコボルトへと振り返り様に更に切りつける。

刃を地面へと置き、ロニは荒げた呼吸を繰り返す。疲れから体がふらつき、視界が揺らぐ。

 

ロニの脳裏に諦めの言葉がかけるが、ロニは首を強く横に振り、再びハルバードを構えた。

 

(一分でも、一秒でも長く、もたせてみせる……っ!きっと、スタンさん達が来てくれる)

 

再び強く柄を握り締め、前を見据えた時だった。

 

「…へ?」

 

最後まで立ち向かうことを決めた時のロニは、いつものおどけた様子などなく、とても凛々しく格好よかったというのに、一瞬にして呆けた顔となった。

ロニをそこまで驚かせた原因は当然目の前にあるコボルト。あろうことか、それらはくるりとこちらに背を向け、先ほどまでの荒々しい足音が嘘のように静かに森の方へと歩いて行く。

 

1匹も残さず去っていったコボルトたちに、ロニは思わずその場に座り込んだ。

息を荒げながらも、背を向けるコボルトに目を瞠り続けている。

 

「一体……どう、なって……?」

 

町の人々までも驚きの声を上げていることから、これはロニの幻覚ということはないらしい。一先ず、先ほどの焦燥感の分だけ安堵が降り立ち、ロニは立ち上がることができなくなった。

町のほうから女達がタオルや飲み物を手にかけてくる。

やがて所々から歓喜の声が上がり始めた。それを聞き、ようやくロニは一先ず危機を乗り越えたのだという実感を持つ。

座るに留まらず、その場に寝そべって荒い呼吸を続けた。

ロニの視界に入り込むのは何処までも青く広い空。暫く起き上がれそうにないだろう程に、彼は脱力した。

だが、すぐにロニは顔を顰める。

 

(しっかし……なんでコボルトは………?)

 

空を仰ぎ見るも、やはり疑問はなくならない。どう考えても不自然な現象だ。

ふと、首を横に向け、視点を空から町並みへと向けたときだった。

黒い影がロニの視界を横切った。

 

「………え?」

 

町で見たことの無い男が横を通った。

まだ若い、カイルと同い年くらいの、少年と呼べる年だ。だが、髪も服も黒色だったからか、雰囲気はカイルとは正反対で、また浮かべる表情もカイルとは違って大人びたものだった。だからか、なんとなく少年と呼びがたい雰囲気を醸し出している。

いや、醸し出している雰囲気はそれだけでない。

 

ロニは先ほどまで重くて動かなかった体を、瞬時に起こした。

上半身を起こし、振り返る。だが、既にそこには黒ずくめの少年などいなかった。

 

「………え?」

 

再び先ほどと同じ声を漏らす。

あたりを見回すが、町の人々に変化は見えない。

クレスタは田舎と言ってもいい狭い町だ。余所者は直ぐに分かる。また、それらへの反応も大きいはずだというのに

 

「ロニ!どうした?大丈夫か?ありがとな、お前がいたから助かったよ!」

「あ、あぁ…」

 

きょろきょろ視線を動かしていたせいか、町の男から声がかかり、ロニは釈然としない返答を返した。ロニの反応に男は首をかしげ、再び声をかける。

 

「ロニ?」

「なぁ、今黒ずくめの男、見なかったか?カイルと同い年くらいの」

「ん?戦ってたときか?見なかったけど」

「いや……そうか」

 

ロニは完全に立ち上がり、ズボンの砂を払い落としながらハルバードを手に取った。

その動作は機敏で、先ほどまでの疲れなど忘れてしまったかのようだ。

 

「俺、孤児院のほう行ってくるわ」

「あ、あぁ。すまねぇが俺達は……」

「わかってる。さっさと手当てしてこいって」

 

まだ足を引きずっている男の肩を軽く叩き、ロニはハルバードを肩に抱え、走り出す。

コボルトの異常な行動と黒衣の少年の出現が同時だったことから、黒衣の少年が気にかかるのだ。だが、ロニはあの少年が危険な存在だとはどうしても思えなかった。

何となく、懐かしい感じがするのだ。

 

(……何だ?)

 

自分自身に問いかける。あの少年を知っている気がする。だというのに、まったくもって覚えが無い。喉に骨が引っかかったような感覚が拭えない。

 

少年は町の中へと入っていった。狭い町とはいえ、人一人を探すにはそれなりに足を運ばねばならない。

だが、ロニは真っ直ぐ孤児院へと向う。カイル達が気になるのもあるが、あの少年がそこにいる気がするのだ。

 

「くそっ!また増えた!」

 

ガンッと棍棒を切り落とす音が鳴ったと同時に、スタンが苛立ちの声を上げる。

最初は8匹居たコボルトは既に倒し終えている。だが、また次々とコボルト数が増えていくのだ。

子供達はそろそろ我慢の限界だろう。震える小さな体が更にスタンを苛立たせる。

それでも、これだけ戦っているというのにまだルーティの方へ一匹たりともコボルトを寄せ付けることはなかった。

 

だが、それも此処までだった。

スタンが、そしてカイルが、それぞれ違うコボルトの武器を剣で受け止める。

両者とも競り合った状態で動けない時、残ったコボルトがその間をすり抜けたのだ。

 

「っ…ルーティ!」

 

スタンが視線を後ろへと向け、表情を硬くした。

だが、ルーティは子供達に足を掴まれている状態でも、短剣を素早く振り、コボルトの喉元を引き裂く。

安堵の息を付くスタン。棍棒を跳ね除け、コボルトの腹を斬る。そしてまた残りのコボルトの群れへと突っ込んだ。

増えたとはいえ、もう残りは僅か4匹。疲れが出てきているが、3匹を一気に倒すくらいの力は残っている。

 

カイルもまた身を横へと移動させることで棍棒を空振りさせ、距離を取る。

その時だった。

 

「うわぁぁぁああん」

「だめっ!!」

 

大声を上げ、泣き叫びながら一人の男の子が走り出す。目の前まで来たコボルト、そして死体へと変わったそれに恐怖を煽られたのだろう。

ルーティが目を見開き手を伸ばすが、小さい背は思いのほか速く遠ざかっていく。

突如目の前を通った子供に、カイルはもう一度切りかかろうと振り上げていた剣を急いで手前に戻す。

 

「カイル!」

 

ルーティに名を呼ばれる。だが、カイルはルーティのほうを振り向くことなく、子供を抱きしめた。コボルトもまた棍棒を振り上げていたのだ。

 

(やば……っ!)

 

たかが棍棒と言え、こうも無防備に受ければ、どうなるかわからない。

だが、この少年を抱えて逃げるには時間が足りない。ただ、ぎゅっと目を瞑った。

 

いつまで経っても、襲ってくるはずの衝撃は無く、重たいものが落ちる音がした。

カイルは恐る恐る目を開ける。

 

そこには、漆黒があった。

 

「……え?」

 

既に目の前のコボルトは倒れていた。

漆黒が動けば、白い肌が見える。見たことの無い、知らない少年だった。

だが、どこかで見たことのある少年だ。

 

深い紫の瞳と目が合い、カイルはただ唖然とする。

突如現れた少年は直ぐにまたカイルに背を向けてしまったが、一瞬だけ、その目が細められた気がした。

 

「……リオ、……ン……?」

 

恐る恐る呟かれる言葉に、カイルは後ろを振り向く。

目を大きく見開き、驚愕を浮かべていたのはルーティ。

母が呟いた名に、再びカイルは漆黒の在った方へと顔を向ける。

 

だが、そこには既にあの黒い影は無く、風が吹きすさぶだけだった。

 

孤児院の裏には何も無く、ただ川が広がっているというのに、突如現れ、突如消えていった少年にカイルはまた唖然とする。

一人だったならば幻か何かだったのだと思うかもしれない。だが、実際コボルトは目の前に倒れているし。そしてルーティもまたあの黒い影を見たのだ。

 

「……え、どこに……」

「………リオン…」

 

どこか懐かしい感じのする少年への驚きは、すぐに戸惑いに掻き消される。

先ほどからルーティが呟く名は、裏切り者を意味するものだ。

だが、カイルが戸惑うのはそれが理由ではない。

 

何故だか、今見た少年には、もっと違う名があったように思うのだ。

 

スタンも既に3匹のコボルトを倒し終え、こちらを見ている。その表情にははっきりと困惑が浮かび上がっている。何かがあったことには気付いているだろうが、あの黒い影は見なかったのだろう。

 

「うあぁぁぁぁん!」

 

突如、子供達から泣き声が上がり始めた。

恐怖から一つも悲鳴を上げずに震えていた子供達が、安堵故に泣き叫び始めたのだ。

カイルが抱いている子供もカイルに縋りついて涙を零し始めた。

それにより、あの少年について話し合うよりも先に子供達を宥めることとなった。

 

町の方も落ち着き、それぞれ壊れた家の修理に取り掛かっている。とはいえ、ロニの奮闘と異常な現象により町が受けた被害はそう多くない。

 

子供達を早い目に寝付かせたカイル達はようやく落ち着き、食事をすることとなった。

 

「いやぁ……ほんとびっくりしたよな。たいした被害が出なくて良かった。ロニもよくやってくれたな。今日はゆっくりして行くといい」

「あ、そんなに飯いらないっすよ」

「なーに言ってるの。はい、一杯食べて。カイルもよく頑張ったから、今日は特別ね」

 

ロニをも交えての久々の食事は豪華とは言えないが、いつもよりもおかずが一つ多く用意された。

元気よく「いただきます」と言い、食事を始める。

カイルも最初は夢中になってご飯に被り付いていたのだが、ある程度腹が膨れてきたところで一度箸を置いた。

 

「ねぇ……母さん」

「何?」

 

なんでもないように返って来るルーティの声だが、いつもよりも単調で早く感じられた。

こういう時は大抵何かを隠したい時なのだと、カイルは知っている。

それが18年前の騒乱についてのことだということも

辛そうな顔を見たくないから、ルーティの前で18年前の騒乱については話さないでおこう。いつの日からかカイルが自ら決めたことである。

 

思わず黙ってしまったカイル。

だが、カイルの言葉を計らずとも続けてしまったのがロニであった。

 

「そういや……ちょっとおかしなことがあったんですよ」

「ん?なんだ?」

 

カイルがルーティに声をかけたときから箸を止めていたスタンが、ロニへと顔を向ける。

 

「コボルトかなりの数がまだいたんですが、そいつらが途中で全部勝手に引いていったんっすよ」

「……逃げていったんじゃなくて?」

 

首をかしげて聞いたのはルーティ。ロニは首を横に振る。

 

「いや、なんか本当に不自然に、あんだけ興奮してたのが突如静まって、綺麗に全員回れ右してとぼとぼ帰って行ったんですよね」

「そりゃ変だな」

 

スタンは目を丸めた。そんなモンスターの群れの姿など想像もつかないだろう。

ロニは頷き返し、会話を続ける。

 

「それで、その後なんか……黒い服着たカイルくらいの年の男が居たんですよね。全然町で見たことの無い………」

「え、それって……」

 

考え込みながら言うロニに反応したのはやはりカイルだった。

 

「なんだ?お前も見たのか?」

「……うん」

 

カイルはルーティの様子を見ながら頷く。ルーティはこちらを見ようとしなかった。

カイルは視線をルーティからロニへと戻す。

 

「黒い髪に、紫の目で、黒い服で、……でも、なんかすぐ居なくなったっていうか……一瞬で消えたような……現れたのも突然だったし」

「あぁ、俺もなんか一瞬で現れて一瞬で消えてったんだよな」

「あはは、なにそれ。幽霊?」

 

ロニとカイルが顔を見合わせて唸れば、妙に明るい声が場を遮る。

幽霊、の言葉にいつも敏感に反応するロニだが、今回は眉を寄せてルーティのほうを静かに振り向くに留まった。やはりロニもルーティの様子がおかしいことに気付いているのだ。

 

「………母さん」

「さっきから何よ」

 

再びカイルが呼べば、笑いを堪えるようにしてルーティは返す。

本当は、同じように笑いながら全て流してしまわないといけないのだと、わかっている。

だけれども、聞かなければいけないことなのだと、カイルは思った。

あの少年のことを、知りたいと思った。

 

「あの人が、リオン?」

 

先ほどから特に会話以外の音はなかったが、一気に場が静まったように感じた。

突如カイルから出た名前にロニも驚いていたが、一番表情を変えたのはスタンだ。

 

「……ルーティ?」

「さぁ。わかんない」

 

スタンがルーティを呼ぶが、彼女はまた単調にそう返す。スタンは更に眉を寄せた。

 

穏やかでなくなった空気に、ロニがどうしようかと視線を彷徨わせる。

そんな中、カイルはルーティに強い視線を向け続けた。

 

「ねぇ、母さんは……リオンのこと、嫌い?」

 

逃がす気などサラサラ無い言葉に、とうとうルーティはおどけた様を取り払う。

ルーティは席を立ち、カイルに背を向け台所の方へと向った。

皿の合わさる音がして暫く後、ルーティは弱々しい声で答えた。

 

「嫌いよ。あんな奴。嫌いに決まってるじゃない」

「…………そっか」

 

ルーティの言葉に、カイルは軽い口調で答える。母の言葉が真逆の意味に感じれたからだ。そして、それが正しいのだと、どこかで確信した。

 

「……ねぇ、母さん」

「………何」

「あの人、俺を護ってくれたんだよね」

 

振り返ったルーティに、カイルはにっこりと笑った。

 

「なんか、何が起きたかよくわからなかったけど……優しく包んでくれるような感じがしたんだ。……きっと、あの人が俺を護ってくれたんだ」

「……カイル」

 

驚きからか、ルーティの瞳が揺れる。

 

「あの一瞬だけで俺、なんか、あの人のことわかった気がする。きっと優しい人だよ。でもちょっと素直じゃないんだ。だけど、本当に暖かい人なんだって」

 

カイルの言葉に、ロニが突如笑い出した。

そして何度も頷くと、彼もまた言う。

 

「あぁ、なんか俺もわかる気がするぜ。ちょっと生意気でよ、素直じゃねーからわかりにくいが、本当はいいところがあるんだよな」

 

それらは本当に、スタンとルーティの知るリオンその人であった。

スタンすらも唖然としている。ルーティは皿を完全に置いてしまうとテーブルの方へと戻ってきた。

 

「……カイル……ロニ………なんで、……」

 

本当に知っているような口調。それに当人らも気づいていなかったらしい。

再び彼らは顔を見合わせ、そして首を傾げた。

 

唖然としていたスタンが、笑みを漏らした。一番に驚きがあるが、やがて内から沸いて出たのは純粋な喜びだった。

 

「あぁ。いい奴だったよ」

「スタン……」

「ルーティ。こいつらは、きっとわかってる。…わかってくれる」

「……………」

 

スタンに諭すように言われ、ルーティの瞳が更に揺れる。

カイルはまたルーティの方へと視線を向けた。

強い綺麗な青の瞳を真っ直ぐ向けられ、ルーティは一つため息をつく。

 

「そう、ね。…………あいつが、ずっと見守ってくれてたなんて、知らなかったなぁ」

「母さん……」

「皆を守ってくれたお礼、言いに行かないと、ね」

 

そう言うと、ルーティはさっさとテーブルの上に並んでいた食器を全部片付ける。

まだ食事途中だったものも、冷蔵庫へと全部入れてしまった。

それをただカイルとロニは眺めていた。

やがて全て片付け終えると、ルーティは真っ直ぐ玄関の方へと向う。

 

「さ、行くわよ。あいつのところに」

 

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