願いと奇跡 – 5

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一番に思い浮かぶのは、やはり母の写真と、マリアンだった。

王都だった時のダリルシェイドはいつも輝いていたが、彼女と会う前は僕の目には今のダリルシェイドのように暗く映った。

彼女が、光をくれた。

 

そこから始まり、色んなものが通り抜けていく。

城で会った者達、七将軍、……フィンレイ。

そして、スタン、ルーティ、フィリア、ウッドロウ。

 

ダリルシェイドは、檻のようなものだったのに、それらとの出会いで、輝いた。

 

だが、それらを全て壊したのは、僕自身だ。

 

城は全て瓦礫と化した。

きっと、あの出会いとちょっとした絆も、このように壊れてこのどこかに転がっているのだろう。

冷たい雨が己の身を濡らすことはないが、体は酷く冷える。

 

あちこちに転がる瓦礫と、それに体を預ける死んだような町民達。

全てが、自分の罪だ。

 

此処には、僕の全てが詰まっている。

 

冷たい雨の中、当て所なく歩いていたら、やはり辿りついたのは旧ヒューゴ邸だった。今はアタモニ神団が教会とし、改装してしまっている。

その後ろに、瓦礫の山を見つけた。ヒューゴ邸も無事とはいかなかったのだろう。半分程壊れてしまったに違いない。

 

その瓦礫の一つに、とても小さいが、懐かしいものを見つける。

 

「………マリアン」

 

一度硬く目を瞑った。

 

自分が壊した。彼女を護りたかったから、全てを壊した。

そうすることでしか、護る方法を知らなかった。

全部、己の手で壊したものだ。

 

だけれども、やはり愛おしい。大切なものだ。

全てが、全て、大切なものだ。

掛け替えの無いものだった。

 

――だから

 

ダリルシェイドに自動操作で降り立ったイクシフォスラーから転がり落ちるようにしてカイルは飛び出し、冷たい雨の中構わず走り出した。

リアラやロニも文句など言う訳が無く、全力で追いかけてくる。

 

行く先を迷うことは無かった。

既に分かっている。あの時頭の中に浮かび上がった光景。あの瓦礫の山が何処にあるか、カイルにはよくわかっていた。

 

旧ヒューゴ邸が見えるところまで来れば、闇に紛れながらも確かにジューダスの影を見つけた。

 

「……っジューダス!!」

 

足を止めることも無く、走りながら名を呼ぶ。

彼はゆっくりとこちらを振り向いた。それはあの時見たそれと全く同じ光景だった。

寂しそうな目で、ずっと壊れた町を見ていた少年。

彼もまた、18年前の騒乱の被害者。

 

「ジューダス待って!!まだ、まだ間に合うからっ!!」

 

彼だって、この世界を愛していたんだ。

壊してしまった世界に、悲しみを抱いているんだ。

彼一人が背負わなければならない罪ではないはずだ。

 

「ジューダス!!!」

 

ジューダスは悲しげな目で、そのくせ、穏やかで優しく、幸せそうな目でカイルを見た。

何でそんな顔をするのだと、カイルは表情を歪める。

 

(悲しいんだろ…っ!だったら、なんで幸せそうな顔をするんだよ……っ!)

 

「ジューダスっ!!」

 

カイル達が完全にジューダスの元へとたどりつく前に、彼は目を瞑る。

彼の体から光が溢れだした。晶力でもなんでもない、純粋な力から、それがリアラの言っていた力なのだということはカイルでもわかった。

 

カイルは目を見開き、足に力を入れる。

だがその足は雨に濡れた瓦礫の上をすべり、体は音を立てて倒れた。

 

「カイルっ!」

「ジューダス!!」

 

リアラが驚いて名を呼ぶ。だがカイルは気にせず泥だらけになりながら少年の名を呼んだ。でも、彼は目を開こうとしない。

 

ゆっくりと浮かび上がり、光が空へと向っていくのに釣られるように、彼もまた空へ吸い込まれるように溶けていく。

 

「ジューダス!嫌だっダメだ!!」

 

カイルは精一杯手を伸ばすが、届かなかった。

彼は最後に綺麗なアメジストを晒し、カイル達に言った。

それはもう声にならなかったが、彼の唇はこう刻んだ。

 

しあわせに なれ

 

そう、彼は、この世界を愛していたのだ。

 

ジューダスが完全に消えれば、当然光は消えた。

だが、そこから違う光があふれ出した。

それはどんどんと広がり、ダリルシェイドを照らしていった。

 

今までぐったりと瓦礫に腰を下ろしていた者たちがその光を浴びて覚醒したかのように目を見開き、立ち上がる。

 

「……晴れ、た?」

「晴れた………晴れた、晴れたぞ…っ!」

「雲がない。あの暗い雲がない!!」

 

先ほどまでずっと冷たい雨が降っていたのに、それが嘘のように重たく暗い雲は消えた。あたりを見回してもどこにも存在しない。今ダリルシェイドの上にあるのは、クレスタとなんら変わらない空だった。

 

ダリルシェイドのいたるところから歓喜の声が沸き始める。

18年間、呪いのように陽の光を閉ざされていたダリルシェイドが、今、復活した。

 

カイル達はただ空を見上げていた。

少年が消えていった空を

 

「……あ………虹」

 

ぽつりと、リアラが呟く。

先ほどまで雨が降っていたのだ。そこには綺麗な虹がかかっていた。

 

だが、カイルはそれに何の興味も見せず、力尽きたようにかくりと天を仰いでいた首を地へと向ける。

 

「ジューダス……消えちゃったの?」

「……もう、力は残ってないと思う。もしまだ居たとしても、もう現れることもできない」

 

「そっか…」とカイルは力なく返事をした。

なんだかもう、怒る気力も沸かなかった。

最後にジューダスが言った言葉が重りとなって怒りを沈めてしまった。

 

「ジューダスは、……これでよかったのかな」

「……此処は、あいつにとっても故郷らしいからな」

 

次のカイルの問いに、今度はロニが答える。

カイルは少しだけ視点を上げ、目の前にある瓦礫を見た。

何の変哲も無い、ただ寂しさだけを沸き起こらせる瓦礫の山。

 

ぴちゃ、と何処からか落ちた雫が水溜りに波紋を作る。

 

「………雨、止まないね」

「……帰ろう」

 

晴れ渡った空の下で、ロニはカイルの肩をそっと叩き、彼らはゆっくりとダリルシェイドを後にした。

 

真っ暗だ。

きっと此処は、次元の狭間。結局此処に戻ってきた。

 

体から光が溢れ続けている。それは抜けていくかのように天と思われる方へと登っていった。

ただただ、それを眺めていた。

少しずつ、意識が遠くなっていく。

 

……全て終わった。これで、ようやく眠れる。

 

消える瞬間、確かにダリルシェイドに光が差すのを見た。

それだけで、もう十分だった。

だけれども、何故か心のどこかに虚しさが残る。

 

きっと、あいつらがあんな顔して僕の名を呼ぶからだ。

 

溶けていく意識の中、何故か手が勝手に動いていた。

抜けていく光を、留まらせたいかのように、そちらへと向って手は伸びる。

その自分の手をみながら、ゆっくりと瞼は下りていった。

 

ドンッと世界が揺れるような衝撃が起きた。

ドクンと、脈を打つように何も無い世界に波紋が広がる。それを解けた意識で感じ取っていると、今度は体から流れ出ていたはずの光が突如自分の体へと向って逆流し始めた。

 

驚き、目を見開く。

光の波に体が飲み込まれていく。

視界が、真っ白になる。

 

――とっ捕まえた!

 

………え?

 

懐かしい女の声と同時に、今度は体が強く何かに引っ張られた。

 

「あら~面白そうなのが出てきちゃった☆」

「…………」

 

相変わらず滅茶苦茶なことをやらかしてくれたくせに罪悪感の欠片もない明るい声が聞こえ、ジューダスはただ黙り込むしかなかった。

少年の体はルーに力を使った後よりも酷く薄くなっていたのだが、それでも確かに、消えるはずだった彼は、今此処に居た。

 

あたりには大量の機械。

何の意味を示しているのか分からない文字がずらずらと書かれているモニターから、操作するレバーが100を越える機械などがある。

そして、今ジューダスはその機械に囲まれるようにして中央に座り込んでいる。

そしてその横には彼女、ハロルドがあの頃と変わらぬ笑みを浮かべ仁王立ちしていた。

 

「………何で、此処に…」

「消えかけてたのが勿体無いから、レンズの力をあんたにぶち込んで、ついでに拉致っちゃった」

「……………」

 

ジューダスはまた黙り込む。

何故消えかかっていたのを知っているのか、どうやってそんなことをやったのか、など突っ込みたいところは山ほどあるのだが、聞いてもわからないだろうという理由からジューダスはそれに関して触れないことにした。

 

「記憶……」

「ん?」

「戻っていたのか」

「当然よ。だって私は神を超えた存在なのよ?」

「………末恐ろしい奴だな」

 

きっとカイル達にもイクシフォスラーを使えるようにしたのはこいつだ。と思いつつ、ジューダスはため息をついた。

いつものことながら、既に完全にハロルドのペースに巻き込まれている。

 

そんなジューダスの気も知らず、いや知っていても無視する天才科学者は座っているジューダスを見下ろし、唐突に尋ねた。

 

「ねぇ、あんた神に似た力を持って願いを叶えていってたんでしょ?」

 

流石にこれには何故知っているのだと突っ込みを入れたくなった。

だが、ジューダスが言葉を挟む前にハロルドは言った。

 

「私の願いも叶えてくれない?」

 

その言葉にジューダスはまじまじとハロルドを見る。

 

「あ、何?なんであんたの行動知ってたか、知りたい?そこの機械がねー」

「いや、いい。……ただ、お前らしくない。そう思った」

 

説明をしだしたハロルドを何とか止める。

それ故か、またはジューダスの言葉の内容故かハロルドは少し不服そうに彼を睨みつけた。

 

「なによー」

「誰に頼ることなく、何でも自分でやるような印象があった」

「仕方ないでしょ。私にだってどうしても頼まないとできないことがあるのよ」

 

思わぬ言葉がハロルドから出て、ジューダスは再び驚くこととなる。

だが、それは一瞬僅かに顔に出ただけで直ぐに納められ、彼は「そうか」とだけ答えた。

 

「それで、願いとは?」

 

そして、ジューダスはハロルドにそう聞いたのだが、彼女は腰に手をあて、仁王立ちになったままジューダスをただ見つめた。睨みつけているのに近いほどの視線を感じ、少年の片眉がぴくりと上がる。

 

「……どうした」

「断らないの?」

「何をだ」

「私の願い叶えたら、あんた消えちゃうわよ?」

 

ハロルドはジューダスを指差し言う。

もう彼にほとんど力は残っていない。本来消えるはずなのをハロルドがレンズの力を使って無理やり繋ぎとめたのだ。

恐らくほんの少しの願い一つで今度こそ少年は消滅するだろう。

 

だが、彼はそんなこと最初から承知していて、かつそれがどうしたといった風にハロルドを見返す。

 

「お前が叶えろと言ったのだろう」

「それでさっさと承諾するのが問題だって言ってるのよ」

 

ハロルドは小さくため息を零し、呆れたようにジューダスを見る。

 

「ま、いいわ。どうせあんたのことだし、せめてもの罪滅ぼしでやってたんでしょ?」

 

ジューダスは黙ったまま僅かに自嘲の笑みを浮かべハロルドから視線を外した。

ハロルドも一度目を瞑り、今度は大きくため息を吐いた。

 

「相変わらずね。せっかく消えるまでの時間があったんだから、もっと有意義に使えば良かったのに。まぁ仲間の様子を見に行ったのならそれなりに有意義かもしれないけれど。せっかく資料を手に入れたのに読まなかったら意味ないじゃない」

「………?」

 

一気にそうぼやくようにハロルドはまくし立てる。

最後の一文だけが理解できず、ジューダスは小首を傾げた。

だが、ハロルドはそれに答える素振りは見せず、再びジューダスを見つめる。

 

「ま、いいわ。じゃあ、私の願い言うわね」

「…あぁ」

 

腑に落ちないながらも、今から消えて行く故に特に興味を示すことなくジューダスは返事を返す。そうするとハロルドがぐいっと顔をジューダスの目の前まで突き出し、間近で彼の瞳を睨みつけた。

 

「……なんだ」

「ちゃんと叶えなさいよ?絶対に」

「………力さえ足りるのならば、出切る限りを尽くそう」

「そ。じゃあ、言うわね」

 

納得したのかしていないのかわからぬ表情でハロルドは体勢を戻すことでジューダスから離れ、先ほどと同じようにまたその場に真っ直ぐ立つ。そして一度目を閉じた。

そして、次に目を開いた時は、その瞳は悪戯を成功させた子供のようなものに、だが、表情は決して子供ではない、大人の顔をしていた。

 

ハロルドが醸し出す気に、少しばかり唖然とする少年。

彼女はゆっくりと願いを呟いた。

 

「あんたが、幸せになれますように」

 

今度こそ、ジューダスは驚きを表情にありありと出した。

沈黙する少年に、ハロルドはくすくすと笑う。

 

「これがお願い事よ?聞けないなんて言わないわよね」

「………ハロルド……」

「やーよ。変えない」

 

にやにやと笑いながら言うハロルドに、ジューダスは顔を顰める。

 

「他に願うことはないのか?」

「結構よ。あんたが言ったとおり、私は自分でできることは自分でやるの」

 

ジューダスの眉間に更に皺が寄る。

その様子を見てハロルドはまた小さく笑う。

 

(本当にこいつは相変わらずだわ)

 

そう思いながら、びしっと少年に人差し指を差した。

 

「あと!この願い事は私だけのものじゃないわよ?」

 

少年の表情が怪訝なものに変わる。

 

「あんたが願いを叶えてきた奴らも、同じように願ってるわよ。私会ってなくてもわかるのに、あんた会ってきたくせにわからないの?」

「…………」

 

ジューダスは頭を垂れ、黙り込む。

彼の脳裏に浮かぶのは、金髪の少年達だった。

 

「本当は、聞こえていたんじゃないの?」

「………………。」

 

少年は更に黙り込む。

それは肯定しているようなものだった。

 

「それに、あんた自身も。本当は消えたくなかったんじゃないの?」

 

ジューダスは再び目を見開き、頭を上げた。

ハロルドはただ、少年の目を見据える。

 

「神が何であんたを媒介としたのよ。生きたくないって思ってるやつに、そう簡単に入り込めるわけ?」

「それは……」

「消えかけてたとき、光に手を伸ばしてたのは、あんたでしょ」

 

綺麗なアメジストが、更に大きく晒された。

完全に晒された宝玉は横にゆらゆらと揺れ、今にも雫を零しそうに思えた。

 

(そう、自分から死にたいなんて思う奴、いるわけないじゃない。幸せに生きることができるなら、それを望むに決まってるじゃない)

 

普段は見た目と性格故かハロルドよりも大人びて見える彼が、今はこんなにも小さく見える。

 

(ただ、望みの砕ける痛みしか与えられず、諦めるふりをしてきただけなんでしょう)

 

そして、いつしかそれが当たり前になって、本当の自分の思いが分からなくなっただけなんだ。

 

(でも、もうそれはおしまい!だって、あんたは私に捕まった。あんたはもう私の実験体なんだから。思い通りになるわけがない)

 

心の中でそう明るく呟きながら、ハロルドは狼狽するジューダスへとあやすような笑みを浮かべる。

 

「だから、最後の締めに全員分の願い事………叶えてみせなさいよ。私も手伝うから」

 

ハロルドは未だ唖然としているジューダスの前に座り込み、目線を合わせる。

 

「あんたは、一生懸命生きたわ。逃げることなく。……もう、十分だと思うわよ」

 

丸々と開かれていたアメジストは、やがて細められ、ゆっくりと閉じられた。

観念しましたといった様のジューダスを前にして、ハロルドは飛びっきりの笑顔を作った。

 

やがて、ハロルドは一つの物をジューダスへと差し出した。

それを見てあからさまにジューダスは表情を歪め、一歩ハロルドから下がる。

 

「…………………なんだそれは」

「首輪」

 

それは少し小さめの赤い首輪だった。

淡々と悪びれる様子なくハロルドが答えたため、更にジューダスは2歩下がった。

 

「何どん引きしてんのよ」

「いや、引くだろう」

「あんたに似合うと思って」

「………………」

「また引いた」

「引くだろ」

 

どんどん開いてくジューダスとの距離にハロルドはけらけらとひとしきり笑った後、首輪を撫でた。

 

「流石に、もうその格好で現れるのは無理だからね。我慢なさい」

 

そう言われてようやくジューダスは首輪を差し出された意味を知る。

もう一度ハロルドに手渡され、しぶしぶとそれを手に取った。

 

「はい、ほんじゃこっちの機械の中に入って」

「………」

「はい、すぐやるからねー。あんたもちゃんと力使いなさいよ?」

「…………」

 

ハロルドが何かと指示を出すのに一応ジューダスは応じるのだが、視線は下を向いたまま首輪を手の中で遊ばせている。

当然ハロルドは脹れた。

 

「うわー、めちゃくちゃ不服そう。怒るわよ?いっそのこと違うのにしようかしら。カエルとか」

「いや、もうなんでもいいが……」

 

ハロルドは機械のレバーを弄りながら言ったが、ジューダスに無関心を示され、それがうつったように怒気を殺がれてレバーを戻した。

 

「頓着しないのねー。つまんない。まぁ、カエルにして踏み潰されたら本末転倒だしね」

 

そしてがちゃがちゃと大量のレバーを凄い速さで操作し、30秒もかからず「よし」とハロルドは呟いた。

 

「ほら、行くわよ」

「………あぁ」

 

少年はまだ迷っているようだったが、ハロルドは躊躇い無く最後のボタンを押した。

辺りが光輝く。

 

最後にジューダスはハロルドを見た。少し不服そうな表情だったが、ハロルドにはそれでも礼を言っているように見えた。

 

光の中に消えていく少年を、ハロルドは微笑みながら見送った。

 

「ちゃんと、叶えなさいよ」

 

目を開ければ、暖かい世界が広がっていた。

とても、とても広い世界だった。

 

太陽の光は強いというのに、その光は木々が丁度良く遮ってくれている。

潮風が木の葉の揺れる音と共に運ばれてくる。

心地よい世界だった。

 

「あれ………猫?」

 

突如話しかけられ、びくりと体を起こす。

どこかで見たような黄金が目の前いっぱいに広がった。

 

「……お前………」

 

次に空じゃない綺麗な青がこちらを覗き込む。

とても小さいのに綺麗なその青に、思わず逃げることも忘れて硬直した。

だが、その瞬間体が浮き上がる。

驚いて思わず爪を立てた。

 

「いーてててててっ!いてぇなぁ……!………ほんと、なんか似てるなぁ」

 

爪をどれだけ立てようとも、体が地面に下ろされることはなかった。

仕方が無いので大人しくなれば完全に腕の中に納められてしまった。

撫でようとしたのか、首元へ指を出されるのを噛み付く。

黄金は今度は笑った。

「ちょっとスタン!うちに猫飼う余裕なんてないわよ!?」

 

孤児院に轟くほどの怒声が響き、スタンは首を竦めた。

思わず猫を抱いている腕にまで力が入り、黒猫は「みぎゃっ!?」と悲鳴を上げてスタンの腕を引っ掻いた。

スタンは二つの理由から涙目になりつつ、ルーティに言い訳をする。

 

「だって……こいつ家がないようだし」

「首輪あるじゃない」

「でも……なんか、こう………」

 

そう、確かに黒猫は赤い首輪をしっかりとつけている。

だが、それでもスタンは納得しなかった。

 

(なんかこいつ……帰る家がないような……………いや、違う。此処が帰る家のような気がしたんだ)

 

「もう……」

 

黙り込んだスタンを見てルーティが唇を尖らせる。

そこで初めてルーティは黒猫をまじまじと見つめた。

黒猫の瞳はルーティと同じ綺麗なアメジストで、二対の瞳が交じり合い、ルーティは目を見開いた。

 

「その猫………」

「…な?……飼わないか?」

「………………」

 

スタンはルーティが自分と同じ思いを抱いたことに気付き、小さく笑った後再度聞いた。

ルーティは黙ったままゆっくりと手を伸ばした。

猫は僅かに首を引いたが、スタンのときのように噛み付いたりはしなかった。

ルーティの指が喉元を撫で、猫は目を瞑って耳を垂らした。

 

「………仕方ないわね。あんたにはしっかり働いてもらうからね!」

「はいはい」

 

スタンは笑いながら頷いた。ルーティがぶつぶつと小さく文句を言っているが、彼女もまた猫を飼いたいと思ったのは間違いない。

スタンはルーティに聞いた。既に答えの決まっている質問。

 

「名前、何にしよっか」

 

文句は途切れ、やがて小さく彼女は呟いた。

 

「……………エミリオ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?猫…?」

 

カイルは目を丸々としながら呟いた。

既にダリルシェイドから孤児院と帰って1週間が経っていた。

ルーティの怒鳴り声が聞こえ、恐る恐るカイル、リアラ、

そして偶然孤児院に来ていたロニは階段を下りてきたのだ。

 

そしたら、いつの間にか家族が増えていたのだ。

どうやらついさっき来たばかりらしい。

 

「とりあえずスタン!あんたは薪割りしてきなさい!」

「げ」

「文句ある?」

「いや、ない。ないです。すぐ行って来ます!」

「よろしい」

 

ルーティとスタンのそんなやり取りを3人は苦笑いしながら見ていた。

 

「あ、カイル。こいつのエサなんとかしてきてくれない?魚とか適当に捕まえてよ」

「わかった!ねぇ、この猫なんて名前なの?」

「……エミリオよ」

「飼っていいの?」

「仕方ないからね」

 

スタンが薪割りに言ったことで玄関辺りで

小さく丸まっていた猫の元へと、カイルは恐る恐る近寄った。

 

すると、突如2階から泣き声が響いた。

きっと喧嘩でもしたのだろう。

 

「あーもう、仕方ないわね!カイル、ちゃんとエミリオ見ててよね」

「うん」

 

ルーティがばたばたと階段を登っていく。

それを見届けた後、ロニとリアラがすぐにカイルと同じように猫のほうへと近づいた。

 

「珍しいな、ルーティさんが猫を飼ってもいいだなんて」

「だよね」

 

カイル達は黒猫へと顔を近づけた。

するとエミリオはぷい、とそっぽを向いてしまった。

 

「「「………あ」」」

 

その仕草を見て、3人は同時に声を上げた。

そして顔を見合わせる。

 

「なんか……」

「この猫」

「ジューダスにそっくりね」

 

そして3人は小さく笑った。僅かにその表情に寂しさが混じるのは

彼を亡くしてそう時間がたってないからだ。

それでも、なんだか嬉しくなってロニはエミリオへと手を出した。

が、それに気付いた猫は素早い動きでロニの手を引っ掻き、後ろへと跳んで逃げ

そこからこちらに威嚇をした。

 

「いってぇ!……まじでこいつあいつじゃねぇのか!?」

 

カイルとリアラはけらけらと笑う。

そしてカイルもロニと同じように手を伸ばした。

だが、今度はエミリオは威嚇を解き、

そっぽは向いてしまっているがカイルの手を甘受していた。

 

「カイルは大丈夫なのね」

「マジでむかつくぜこいつ」

「あははははは」

 

カイルとリアラがロニの呟きに大笑いする。

ひとしきり笑った後、ふと赤い首輪が眼に入り、ロニは眉を寄せた。

 

「しっかし、首輪ついてんのに良かったのか?」

「んー……見てみる?」

 

ロニの言葉にカイルは少し迷った後、躊躇いなくエミリオの首輪へと手を伸ばした。

簡単に取れた首輪をゆっくりと回し、何か書いてないかみていく。

 

「………あれ?」

 

カイルの手が止まった。

リアラとロニもまた首輪を覗き込んだ。

そこにはデュナミスと書かれていた。

 

「……母さん首輪変えてたのかな?」

「いや、んなことする暇なかったろ?こんな首輪孤児院には置いてなかっただろうが」

 

カイルとロニが首を傾げあう中、リアラがもう一つ首輪に記されたものを見つけ、声をあげた。

 

「……あら?」

「どうしたの?リアラ」

「…………ふふ、カイル。この猫、私達の家族でいいみたいよ」

「ん??」

 

もう一度カイルとロニはお互いの顔を見て首を傾げた。

それをリアラは笑いながら、どこか遠くを見ながら、エミリオの頭を撫でた。

 

ありがとう、ハロルド。

 

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