長い船旅、そして砂漠越えを経て3人はホープタウンへと辿りついた。
ホープタウンはあの旅の時のものと特に代わり映えは無くカイル達を出迎えた。
「相変わらず此処の人たちはこんなに暑いのに元気だね」
「えぇ……ほんと」
カイルの言葉にリアラがぐったりとしながら答える。
やはり彼女には此処の気候は厳しいらしい。
そんな中、ロニだけが二人から離れ、じっとある一点を見つめていた。
「どうしたの?ロニ」
「………いや、……墓がねぇなって、思ってな」
「……あ……」
ロニの呟きにリアラが声を上げる。
そこは10年後の時、ナナリーの弟の墓があった場所だ。
10年という長いようで短い年月。この偏狭の土地にてそれだけが大きく違っていた。
「そっか……今はまだナナリーの弟は生きてるんだ……」
「………行こうぜ」
「うん」
3人がナナリーの家のほうへと向っていると、建物の影に女を二人見つける。
町の者らしく、彼女らはナナリーの家へと視線を向けながら眉を寄せていた。
「可哀想に……もうきっと、長くないよ」
「……まだあんなに小さいのに」
思わずカイルらの足は止まった。
タオルを水の中に入れ、取り出し、絞り、また小さな少年の額に乗せる。
もう何度それを繰り返したか、ナナリーは目に溜まった涙を必死に拭った。
元は氷水だった桶はもう完全にぬるま湯と化している。このホープタウンでは仕方が無い。だがそれよりも、ルーの熱が高すぎた。
「ルー………ルー……」
ナナリーは小さな弟の手を握りしめ、それを己の額へとあてる。
まだ9歳と幼い彼女に、この現状はとても耐え難いもので、握り締めた手から力が抜けていく。
だが、彼女は光を失いかけた目に再び強く光を宿し、汗をかいてる小さな手を再び強く握り締めた。
昨日、ナナリーの家にホープタウンの者ではない旅人が突如現れた。
その時、ナナリーは外から聞こえた近所の小母さんの話し声に打ちひしがれていた。
ルーは助からないのだと
ルーの手を握り締めることもできない状態となっていたナナリーのところに、けたたましい音を立てて走りこんできたのは長身の男だった。
「ぜってぇなんとかする!だから諦めんじゃねぇぞ!」
それだけ言って、彼は走り去ってしまった。
ドアの向こうには仲間も居たらしく、彼らは男の名前を呼びながら追っていった。
それは本当に一瞬の出来事で、ナナリーは違う理由で唖然となった。
だが、次の瞬間には彼女はルーの手を再び握り締めていた。
「ルー……ルー……っ!頑張って……頑張って!」
きっと、彼らが戻ってきたら、なんとかなる。
あの銀髪の男は普段おちゃらけていているが、いざという時には頼りになる、そんな奴に違いない。だから、それまでは……
だが、ナナリーの想いは虚しく、突如ルーは酷く苦しそうに表情を歪めた。
「……けほ……げほっ……ぅ…」
「ルー!?」
荒くなる息。ぐんと上がったように感じる熱。突如の状態変化にナナリーは慌てた。
「ルー…っ!ルー!だめ、頑張って…っ!頑張って……っ!!」
ルーに縋るようにくっつくが、それでも小さい弟から感じる熱は上がる一方で、ナナリーはとうとう涙を零し、あたりを見回す。
「誰か……誰か助けて……っ」
瞬時に思い浮かべたのは、あの銀髪の青年。
だが、まだ彼らが此処から去って一日しか経っていない。
なんとかする。そう言っていたが、その方法はもうここらの土地にはないだろう。
少なくとも3日はいると考えたほうがいい。彼らが今すぐ此処に戻ってこれる訳が無い。
(このままじゃ……ルーは……)
ガクガクとナナリーの体が震え始めた、その時
「ナナリーねぇちゃん……」
「ルーっ!?」
気絶するように眠っていたルーが突如ナナリーを呼んだ。
今も苦しそうなのは変わらないが、薄く目を開けている。
「ルー…っ!!」
「ナナリー……ねぇちゃん……」
「ルー、頑張って!絶対助かるから…だから!」
ナナリーは必死にルーに語りかけるが、ルーが声に反応しないので聞こえているかどうかすらもわからなかった。それどころか少年の視線もナナリーの方へと向けられていない。
その事にナナリーは一層不安を覚えたのだが、次のルーの言葉に目を丸くする。
「ねぇ……あの人、誰?」
「……え?」
ナナリーにはルーが何を言っているのかわからなかった。この部屋には今誰もいない。何の気配もない。熱が高すぎて幻覚でも見ているのかと想った。
だが、ルーは苦しいはずなのに薄っすらとだが微笑んでみせた。
「……とても、…優しそうな…人だね……」
まるで本当にそこに人がいるかのように、その人に答えるような笑みだった。
だから、ナナリーはゆっくりと振り向き、ルーの視線を辿った。
そこには漆黒の衣装を纏った者が居た。
「……っ!………ぁ…」
漆黒のその衣装にナナリーは一瞬恐怖を覚えたが、彼の瞳を見てすぐにその恐怖は去っていった。
黒い服を纏った彼は少し戸惑ったような顔をしていた。
それはきっと、ルーが彼を優しい人だと言ったからなのだろう。
この人は、根は優しくて、でもちょっと人との触れ合いが不器用な人なのだと
まるでずっと前からその人を知っているかのように分かった。
彼が戸惑いの表情を浮かべていたのは少しの間だけで、次には穏やかな目でルーを見ていた。そして足音も立てずに彼はベッドの横まで寄る。そこでようやくナナリーはこの男が普通の人間でないことを知った。部屋が暗いからよくわからなかったのだが、彼の体が透けて見えるのだ。
そっとその人はルーの額に手を乗せる。
やがて彼の体から光が溢れ、それが手へと集中し、ゆっくりとルーの体へ流れ込んでいった。ナナリーは目を瞠り、二人を交互に見る。
徐々にルーの表情が和らいでいく。あれだけ荒かった呼吸も落ち着き、熱も少しばかり引いていくのを感じた。
ナナリーはまじまじと漆黒の衣装を纏う者を見る。彼から溢れる光は彼の命そのもののように感じた。その光がルーに流れる度に、その体が更に透けていくようだった。
「……っあ……」
このままではダメだと、何かがナナリーに告げ、口を開きかけるが、何と言えばいいのかわからない。
その時、どこか遠くから強い風の音が聞こえた。
同時に彼から溢れる光が消え、彼は上を見上げる。そこには天井しかないのだが、彼はどこか遠くの何かを見ているようで、ふと笑った。
彼はルーから手を離し、ゆっくりと後ろへと体を引いていく。
そして、やがて闇に紛れてしまった。
同時に、昨日と同じけたたましい音が部屋に駆け込んできた。
「ナナリー!薬だ!ルーは助かるぞ!」
ロニ達が持ち帰った薬をルーに飲ませた。
即効薬というわけではない。あと何日かは安静にしておかなければならないし、それまで体力が持つかが問題だ。
だが、今のルーの状態は長期間高熱に晒されていたとは思えない程に良く、リアラも驚いていた。一体何があったのだろうと
この様子なら、きっと、確実に助かると、カイル、ロニ、リアラは喜んだ。
「ルーが……助かる……」
ナナリーは実感の沸かない言葉をポツリと零した。
「ルーは………死なない……」
ぽろ、とナナリーの目から大きな雫が零れ落ちる。
それを見てロニはよしよしと彼女の頭を撫でた。
「今までよく頑張ったな」
知らない人だというのに、ナナリーはロニの胸にしがみつき、泣きじゃくった。
3人に見守られ、ひとしきり泣いた所で、ふとナナリーは部屋の奥、暗いほうへと目を向ける。
そこには、あの人がいた。
「……あ」
「ん?どうした?」
闇に薄く紛れながらも、彼が自分達と同じく安堵し、微笑んでいることをナナリーは感じ取る。そして、ふと、何かのビジョンが彼女の頭の中に映った。
目の前の3人と、あの人が、一緒に旅をしている。そんな姿だ。
そして、その中には自分も入っていた。
不思議な気持ちになりながら、ナナリーはロニに尋ねる。
「……あの人、お兄ちゃん達の友達?」
「え……?」
カイル達は驚き、ナナリーが指差すほうを見た。
そこには既に背を向け、闇へと紛れ行くジューダスの姿があった。
壁をすり抜け、消えていく彼にカイルは声を上げる。
「ジューダス!」
ロニの言うように、本当に此処にいたのだと、カイルの表情に喜びがありありと映る。
躊躇い無くカイルはナナリーの家を飛び出し、ジューダスを追った。
それに続こうとしたリアラだが、何かを気付いたように目を見開き、足を止める。
「まさか……」
「……あの人も、ルーを助けてくれたの」
リアラの後ろで、ナナリーがそうロニに言った。
その言葉を聞き、リアラの表情は変化する。カイルと同じように彼女は家を飛び出した。
そんなリアラの様子にロニも緊張を走らせる。
ラグナ遺跡の時からリアラはジューダスに対して何か不安を抱いていた。
あの様子だと、その悪い予感は的中したと見ていいだろう。
急いで追わなければ、と足を一歩踏み出すが、ロニはその場で踏みとどまってしまう。
「………」
後ろを振り向けば、まだ少し苦しそうなルーの姿。
助かるとほぼ確定してはいても、こんな小さい子供2人を置いていっていいものか
「ロニ!」
床を睨みつけ、悩んでいたロニの名を呼んだのはカイルでもリアラでもなく、ナナリーだった。
幼い姿でそう呼ばれるのは初めてで、驚きロニは眼を瞠る。
ナナリーは9歳とはとても思えない凛とした姿でこちらを見ていた。
「あたし達は大丈夫。だから、早く追いかけな!」
姿は違えども、その様はあの旅のときと全く同じ、ナナリーだった。
何かが繋がったような感覚がした。
不適に笑うナナリーに、ロニもあの頃と同じように笑って返した。
「……あぁ!」
「ジューダス!!」
カイルが外へ出れば、結構離れたところに彼は居た。
こちらに背を向けていたが、名を呼ばれゆっくりと彼は振り向いた。
仮面は被っていないが、確かに記憶にある彼の姿にカイルは表情を綻ばせる。
「ジューダス!やっぱり、居たんだ……っ!良かった……ナナリーとルーも助けてくれたんだね。それにリアラや、俺たちも。ありがとう!」
カイルの言葉に特にジューダスは表情を変えなかった。
彼は見返りを求めたりしないから、感謝を述べられて照れることもない。
それでも、こちらに向けられたあのアメジストは穏やかだ。仮面がないから表情がよくわかる。ほんの少しの変化だが、彼は微笑んでいた。
カイルは嬉しくなり、ジューダスの元へと駆けていく。
入れ替わるようにリアラが家から出てきた。
リアラはジューダスの姿を見て息を呑む。
外は明るく、彼が前よりも透けて見えるのがよくわかった。
そしてロニも家から出てくる。
当然、彼も気付いたようだ。
「……なんだ…?…あいつ、ちょっと……なんか、薄くなったか?」
「やっぱり…っ!」
二人が表情を険しくする中、カイルはそれに気付かずジューダスの前へと辿りつく。
「もう、ジューダスすぐ一人でどっか行っちゃうんだから!探したんだよ?」
ジューダスは片眉を僅かに動かしただけで反省の色は見せない。
もう一度カイルは「もう」と少し怒って見せたが、すぐ笑みを浮かべる。
「さ、帰ろ!」
そしてジューダスへと手を伸ばした。
それを見て、ジューダスはほんの僅かに表情を変える。困っているのだとカイルにはすぐにわかった。こういうのに慣れていないのだと、あの旅で知っていた。
だから、カイルは自分からジューダスの手を掴もうとする、だが
「え…………ジューダス!?」
すっと、彼は寂しそうな笑みを残して消えていってしまった。
四散するように、闇は大気に溶けて行った。
「ジューダス…っ!」
慌ててあたりを見回すカイル。
リアラはカイルの元へと走りより、ロニは驚きから一足遅れつつも同じようにカイルのところまで行く。
「……消え、た?」
「消えてない!」
ロニの呟きをリアラは首をぶんぶんと振りながら否定した。
カイルはまだ唖然としながらもリアラへと顔を向ける。
「リアラ……?」
「まだ消えてない!だけど……このままだと本当に消えちゃう!」
「どういうこと……?」
カイルの声は自然と震える。
押し隠していた不安が、一気に胸の内を突き破っていくようだった。
リアラは表情を歪めながら続ける。
「カイル!ジューダスを止めないと…っ、あのままじゃ力を使い果たして消えてしまうわ」
「え……?」
「今ならまだ、きっと間に合う。レンズの力を合わせて使えば……でも、これ以上力を消耗したら……」
「ま、待って!どういうこと……?」
カイルは焦り故に中々落ち着かないリアラの肩を一度両手で押さえ、静かに促す。
リアラは一度息を呑み、目を硬く瞑り、そして再びはっきりと、それでもやはり慌てるように言った。
「ジューダスは神じゃない。神の力なんて持ってるわけがないの!限りがあるのよ…っレンズみたいにっ!だから、力を使えばそれだけ消耗し、いつか消えちゃう!」
カイルはリアラの発言に言葉を失った。
(消耗……?力を使ったら……?……限りが、ある……?)
ゆっくりと、頭の中でリアラの言葉を繰り返す。
消耗…そういえばジューダスの体はクレスタで会ったときと比べてどんどんと薄くなっていっている。
力……ジューダスは今までで何度力を使ったのだろう?多分、クレスタで突然モンスターが引いていったのは、ジューダスがやってくれたんだ。リアラを助けたのも。……あれだけ長い間高熱に晒されていたルーが体力を保っているのも、全部ジューダスの力に違いない。
限りがある。……その力には限りが、ある……?
消える。なんで?ジューダスもまた、その力で今生きているということ?
「じゃあ、ジューダスは……俺達を助けたから……」
長い時間をかけて、ようやく理解した内容を言葉にする。
リアラはそっと頷いた。見る見るうちにカイルの顔は青くなっていく。
その後ろでロニは奥歯を噛み締め、苛立ちから己の手を拳で打った。
「畜生、あの馬鹿……知っててやってやがるぜ、絶対……」
「ジューダス……、どうして……っ!」
ロニの言葉にカイルが声を上げる。
ロニは表情を変えず、苛立たしげに言う。
「理由なんて、きっとまたくだらねぇこと考えてやがるに決まってる!自分は一度死んだ身だとか、いちゃいけないんだとかな……っ!」
「……っやだ……せっかく、せっかく、リアラも帰ってきて、ルーも病気治るのに!」
ぶんぶんと首を横に振り、カイルは今にも泣きそうな声でそう言った。
ロニは怒りが収まらないらしく、再び拳を打ち付ける。
「あの馬鹿いっぺんぶん殴ってやる……!とりあえずあいつひっ捕まえて無理やり止めるぞ!」
「でも、ロニ……ジューダスが何処にいるのか、わかる…?」
「それは………」
意気込むロニだが、リアラに言われ進む先を見失う。
神出鬼没な彼の行方を追う方法など先読み以外にない。
普通の人探しのように噂を辿ってなど全く無意味なのだ。
項垂れるロニとリアラ。
カイルもまた悔しさから強く目を瞑った。
その時、ふと声が聞こえた。
それは一度聞いたことのある声。記憶の中のものが再度流されたものだった。
――ずっと雨が降ってる、今の、瓦礫だらけの町。そこにね、あいつがいるの
ふと思い出した記憶の欠片は、思わぬ道標となり、カイルはゆっくりと目を開く。
――ずっとあいつは、一人で雨に打たれながら、そこに突っ立ってるの。……寂しそうに。……そんな夢を、何度も…何度も見るのよね
ぽつりと、カイルはその町の名を言った。
「……………ダリルシェイド」
「…え?」
「ダリルシェイドだ!!」
ロニとリアラが突然のカイルの言葉に驚き硬直する。
だが、ロニはカイルと同じくルーティの言葉を思い出したようで、目を見開いた。
「………そう、か……」
リアラは当然ながら何がなんだか分からず、おろおろとしている。
そんな彼女へとロニは向き直る。
もしジューダスが本当にダリルシェイドに行くというのならば、彼が取る行動は恐らく…
「リアラ、町丸々の………一日だけでなく、ずっと天候や気候を変えるようなことしたら、一体どれだけの力が必要だ……?」
「そんな、ずっとなんて……………ジューダスは、それをしようとしてるっていうの?」
「俺の勘ではな」
リアラは唖然と目を見開き、ふるふると首を横に振る。
「そんなの、ジューダス間違いなく消えちゃうわ!」
「……っダリルシェイドに急ぐぞ!」
ロニの言葉を聞くまでもなく、カイル達はイクシフォスラーへと走り向った。
相変わらず、ダリルシェイドは正しい歴史の中でも死んだような町だ。
冷たい雨が降り続き、昼だというのに辺りは暗い。そのおかげで、中途半端に残った己の体は紛れているようだ。
……目を覚ましたら、驚いたことにこの身がまだあった。
ジューダスなる男は存在しない。だというのに、この正しい歴史に存在してしまった。
カイルが神の宿るレンズを打ち砕き、歴史の修復は行われた。
確かに僕は、暗い何も無い世界に放り出されたはずだったのに……いや放り出されたのだ。
だが、その世界で聞こえた。
神の声が
無念だと、消えたくないと嘆く声が
そして、その声と共に己の体が光に包まれたのだ。
どうやら、神がこの身を通してでも世界に残りたかったらしい。
憶測だが、リアラはレンズの力により神から切り離された為、神に蘇らされた体である己が媒介となったのだろう。
だが、残念ながら、僕はこの世界に残るつもりなど無かった。
僕はジューダスだ。
この生は、贖罪のみに使われるべきだ。
この力もまた、贖罪のみに、使われるべきだ。
冷たい雨を降らす暗い天を仰いだ。
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