最後の小片 – 2

この記事は約22分で読めます。

過酷な砂漠の旅を乗り越えたカイル達を迎えたのは、目に涙を溜めた少女、ナナリーだった。

小さい弟の手をぎゅっと握り、一生懸命弟に語りかける彼女に、ロニは言葉を無くした。

どこかで失念していた。未来では過去の出来事。だが、自分達の時間では現在のこと。 今この時に、ルーの命の灯火が消え入りそうになっているということを

 

「……誰ですか?」

 

いきなりの訪問者にナナリーは子供特有の大きな目を丸くした。

カイルは複雑な表情で少女に近づき、前は見上げなければならなかった彼女の目線に合わせる為、腰を落とす。

 

「俺、カイル。覚えてる?」

「…?」

 

小首をかしげるしかないナナリーに、カイルは少々残念そうに微笑んでナナリーの弟、ルーへと視線を向ける。

彼はその小さな体を拙いベッドにもぐりこませていた。かけられている薄い布は小刻みに上下し、少年の息の荒さを教える。幼い顔を苦痛に歪めている様から、高熱に魘されているのが一目でわかった。

 

あの世界での彼女から聞いた話では、少年を蝕む病は徐々にルーの体力を奪っていき、その小さな体はやがて高熱に耐えられなくなるのだと

そして、少年はその灯火を消すこととなったのだと

 

恐らく今が、この少年の最後の戦いになりつつある。

 

「ロニ、リアラ!なんとか…なんとかならないかな」

 

カイルが泣きそうな顔で振り向いた。ロニとリアラは顔を顰め黙る。

本来ならば、直ぐにでも何とかしようと思考し、駆けずり回っていただろう。

だが、今はある一つの仮定から思考すらも走らせることができないのだ。

 

前の世界の記憶がなければ彼女に会っていなかったかもしれない。

仮定は仮のものでしかない。だが、歴史改変による被害者となった彼らには、どうしても無視できない壁だった。

 

「なぁリアラ…すっげぇ今更かもしんねぇがよ…これって、歴史改変か?」

 

リアラが困ったように押し黙る。

未来で出会った人に、また会いに行く。ただ友人に会いに行くという当然のような行いに、今までロニ達は疑問を抱かなかった。

だが、それが生死に関わることとなると、それは真っ赤な炎となり激しく主張する。

 

やってはいけないことではないのかと

 

カイルはロニが言った意味がわからないのか眉を顰め首を傾げていた。

だが、しばらくしてその意味に気づいたようだ。突如彼は立ち上がって抗議の声を上げる。

 

「そんな!」

「でも確かに、10年後のあいつは弟を亡くしていたんだ」

 

目を見開いたカイルは、ゆっくりとまたルーとナナリーを見た。

ナナリーは知らない訪問者のやり取りに少し怯えたような顔をこちらに向ける。その間も小さな弟の手はしっかりと握られていた。

 

目の前の命を、必死に繋ぎとめようとしている。

その光景を見て、カイルが結論を出すのに時間は数秒しか掛からなかった。

 

「関係ないよ」

 

カイルは拳を胸に当て、真っ直ぐロニとリアラに見た。

 

「記憶が戻っていなかったとしても、ホープタウンまで来てたかもしれないじゃないか。俺、例え記憶が無くても、絶対ナナリーとルーのこと、見過ごしたりしない」

 

カイルは断言する。

 

「俺達は今を生きてるんだ。今この時から、未来は俺たちが作るんだ。未来は、此処から始まるんだ」

 

揺らぐこと無い空色の瞳に、ロニは自嘲の笑みを浮かべて微笑んだ。リアラもまた、同じく先ほどまでの迷いと苦悩は一切消えたように柔らかく微笑んでいる。

 

「あぁ、そうだな。変なこと言っちまった」

「うん。なんとかしましょう」

 

二人の答えに、カイルは嬉しそうに笑い、力強く頷いた。

 

「しかし、何とかするってどうするんだ?カイル、お前なんか心当たりあんのか?」

「う…………」

 

カイルは顔を歪ませ、怖ず怖ずとリアラへ視線を向ける。だが、彼女は少し表情を暗くして首を横に振った。

 

「私、もう力は無いわ」

「ん、んん~~」

 

カイルの逞しい表情が完全に崩れ、顎に手を当て考え始める。

あそこまでルーを助けること前提に話していたというのに、いざとなると対策がないのもおかしな話で、ロニは苦笑いをした。

 

「フィリアさんに会いに行ってみるとかどうだ?あの人、神殿で色んな研究してっからよ。それにあそこには知識の塔だってあるからな」

「あ!それいいね!よし早速行こう!」

「まぁ俺から提案してなんだが。ひでぇトンボ帰りだな」

 

今からまたあの砂漠を越え、病気を治す方法を見つけたらまた戻ってこないといけない。そう考えると嫌でも憂鬱になるものだが、金髪の少年は今しか見えてないようでロニの言葉に気にせずナナリーの家を飛び出ていってしまった。

 

「こーらバカイル!また砂漠越えんだぞ!買い物とかあるだろ、こら聞いてるのかー!」

「あっ待って、ロニ!カイルー!」

 

ロニもリアラもそれを追い、ドタバタと家から走り去る。

無礼極まりない突然の客人にナナリーは目を丸くするしかなかった。

 

だが、そんな彼らがどこか懐かしく、心地よいと思うのは何故だろうか。

突然入り込んだその小さな嵐は、この小さな部屋に篭っていた不安を少しばかり吹き飛ばし、新しい風を吹き込んだ。

 

「未来は…此処から始まる」

 

ナナリーの、ルーの手を握る力が強くなる。

金髪の少年が言った言葉が頭から離れなかった。

 

「ルー…大丈夫だよ。きっと…きっと助かるよ」

 

あの人達が誰なのか、この不思議な気持ちも、何もわからなかった。だが、彼らがルーを助けようとしてくれている。それだけはわかった。

そして、何故か湧き上がる一つの確信。

 

あの人たちが、奇跡を持ってきてくれる。

そう信じられる程のことを、彼らは過去にやらかしてきた。そんな覚えがあるのだ。

いつだって行き当たりばったりで、後のことを考えず、今だけを精一杯に生きていた少年。

そんな彼に付き合って、振り回されたとんでもない旅のお話。

そう、そんな話を、弟にしてやりたかった。そんな覚えがある。

 

「ルー……小さな英雄の話、聞かせてやりたいんだ」

 

その内容が、まだ思い出せないけれど、でもきっと、ルーが元気になる頃には、思い出すから。彼らと一緒に、笑いながら、その話を聞いて欲しいんだ。

 

ドタドタバタバタ

ドアの向こうから騒がしい音が聞こえる。その音にフィリアは研究の手を止めた。

いつも落ち着いたストレイライズ大神殿では走る音など聞かないというのに、一体何事だろうか。フィリアは扉へと振り返り、ずれた眼鏡を右手で上げる。

 

「…なにかしら?」

 

そっとドアを開けば、丁度廊下を走る若い神団騎士が居て、フィリアはその者を呼び止めた。

 

「どうかなされたのですか?」

「あぁ、フィリア様」

 

息を切らしながら四英雄の一人に呼び止められたことに驚き、頭を下げる騎士。

フィリアは困ったように笑みを浮かべる。18年経った今でも、英雄と称えられることに慣れることができない。

男は下げていた頭を上げるとフィリアの質問に答える。。

 

「それがですね。なにやら凄い人が大神殿に現れたと」

「凄い人?」

「何でもレンズの力を用いて奇跡の力が起こせるだとかで」

「…奇跡」

 

男もまだ伝え聞いただけなのだろう、半信半疑のままにその伝え聞いた事の起こりをフィリアに話してくれた。

 

数時間前、大神殿に突然白い衣服をまとった女性が現れた。彼女は自分の力をアタモニ神団の役に立てて欲しいと申し出たという。そして、彼女は不思議な淡い光に包まれ、奇跡の力を起こした。

たまたま居合わせた神団騎士の中に、任務により片目を失った者が居た。

その者は神団からの脱退を告げられていたところだった。

 

「治ったのですか」

「はい。完全に見えてるって…」

 

現れた女は奇跡により、騎士の目を完全に治してしまったのだ。

レンズから力を引き出し、回復晶術が使えたとて、一度失明してしまった目に光を宿せたという例は一つも無い。晶術にも、限界がある。死んでしまった人を生きかえせないように、消失してしまったものを復元することなど不可能なのだ。

フィリアの表情が少しばかり硬くなる。

 

「もう神殿中、その噂が持ちっきりで奇跡の力を一目見ようと皆集まってるんです」

「……私も、是非ともその方の力、お目にかかりたいです。どちらにおられるか、わかりますか?」

「大聖堂のほうに。ご一緒します」

 

フィリアは微笑み感謝を述べ、若い神団騎士と共に大聖堂へと向かう。

その間も後ろから騎士達が大聖堂の方へと走り抜けていった。

 

やがて、騒がしい大聖堂の入り口に着く。

奇跡の力の噂は既に神殿に留まらず街にまで届いているようだ。一般人の姿も入り混じり、あちこちから声が聞こえる。

それは先ほど聞いた話だけでなく、その後も更なる奇跡が起こり、病が治ったことから、動かなくなった足が治ったことまで、様々な奇跡が語られていた。

 

人々は何とか中に入ろうと扉の前に集っている。中には怪我をした騎士や、顔色の悪い女性を背負っている者もいた。

フィリアがそっと入り口に近づけば、気づいた騎士は道を開けてくれたが、殆どの者が中で起きる奇跡に夢中でフィリアの姿にすら気付かない。大聖堂内に入るだけでとても困難だった。それを何とか共に来た騎士に助けられながら掻い潜り、中を覗く。

フィリアを突き動かすのは、好奇心だけではない。確かにそれもあるのだが、耳にした情報から、女性はレンズの力を使って奇跡を起こすのだという点だ。

レンズは確かに便利である。だが、使い方を間違えれば、先の戦乱のようになる。

今でも四英雄の一人だと言われる事に慣れていない。恐れ多いことだとフィリアは考えている。それでも、あの戦乱に大きく関わってきた身としては、見極めねばならぬ責任があると思った。

 

人々にもみくちゃにされながら、ようやく大聖堂内に入ることができた。

まだ扉から一歩踏み込んだだけなのだが、外には入りきれない人間がまだ数百と居る。そう思えば、この位置でも十分入り込めたと言えるだろう。

 

「もう大丈夫ですよ」

 

この広い大聖堂一杯に人間が押し込められているというのに、その声はフィリアの耳にまで凛と透き通るように響いた。

一瞬、今までざわついていた音が一切無くなる。ややあって、突如多くの歓声が上がった。

恐らく、先ほどの声の主が奇跡の力を起こせる者なのだろう。

今しがた、また新たな奇跡を引き起こしたのか、先ほどの沈黙が嘘のように一気にざわめいた。

 

フィリアはなんとか背伸びをし、大聖堂の奥を凝らして見た。

彼女よりも背の高い兵士達が居るため、殆ど見えはしなかったが、奇跡を起こす彼の人が台に上がっている為、何とかその姿を見ることができた。

白で統一されている衣服、亜麻色の長い髪、神殿に長く就いてきたフィリアよりも、余程この神殿に見合った姿をしている女性だった。

 

そんな彼女と同じ高さに上がったのは一人の騎士。

その騎士の後ろには現状の医学では完治不能と思われる者達が次の番を待つよう並んでいた。そして、その周りには奇跡の力を目にするため集まった者達が興奮しながら目の前の女性を見ている。

 

ぐいっと大聖堂入り口辺り全体が後ろより押される感覚にフィリアはこけそうになる。なんとか堪えるも、まだ続く圧迫感にフィリアは部屋の左奥へと押しやられた。

フィリアのすぐ横に居た男性は慌てて彼女に謝り支えてくれる。

大聖堂に人は増えていくばかりだ。

何とか体勢を立て直したフィリアは再びつま先で立ち、奥に居る女性を見る。

 

「次は貴方ですか?……可哀想に、左腕を失われている」

 

台の上に上がった騎士は、女性の前に方膝をついて礼をした。

その者の服は左袖のみ、くったりと地面に擦れていた。

 

「どうか…どうか聖女様の奇跡を!」

 

聖女……所々から「アタモニ神の使いだ」などと騒ぐ者が居て、すでに彼女は神団の聖女と称えられていた。

 

(……彼は……)

 

聖女の前に座る男性に、見覚えがあった。

数ヶ月前に任務で左腕をなくし、フィリアに相談しに着たことがある。

なくなった腕がくっつくこともなく。フィリアにその能力があるわけでもない。彼女には、彼のこの先を共に考え、励ますことしかできなかった。

どれだけ望んでも、彼の腕が治ることがないから。

 

だが、あの女性は何も出来なかったフィリアとは違った。

目の前の聖女は丸いペンダントに手を当て、淡い輝きを起こす。

光は一本の棒のように集まり、そしてそれは男性の腕へと変わっていった。

また歓声が巻き起こる。

 

「すごい……」

 

非現実的なことに驚くことしかできない。

まだ神の眼の騒乱による傷が癒えない中、この力はとても力強い。

フィリアは自身と聖女と呼ばれる彼女との落差から、聖女の後ろに集まっているレンズの危険性に目を瞑った。奇跡を起こすにはレンズが必要。彼女は慈善の為にレンズを使っているに過ぎないのだと

それよりも、彼女に力を借りようと、フィリアが何とか通れる道がないか大聖堂を見渡した時だった。

 

フィリアとは正反対の右奥。大聖堂の隅にて壁にもたれ、腕を組んでいる少年。

影に隠れるような漆黒の衣服、そして、かつての仲間を思い起こされる黒髪。

フィリアの薄い紫の瞳が驚きに瞠る。

 

「リオン…さん」

 

小さく呟いた声は誰にも聞こえない。

 

少年は周りの者とは違い、硬い表情で聖女とそれらに集う者達を見ていた。

いつどんな時でも、人に怯えるように、疑うことから接してきた少年。そんな疑心の目を聖女に向けている彼は、やはりフィリアの知る少年と酷似している。

 

彼が此処にいることは、ありえないこと。

冷静ならば、直ぐにその一文が頭に過ぎっただろう。だが、その前に彼女は動いた。

 

フィリアは人垣を掻き分け、少年の下へ行こうとする。

彼と会って何を話すのか、どうしたいのか、その目的も定かではなかった。

何も考えていなかった。それでも、体が勝手に動くのだ。

あの少年に、会いたいと

 

だが、奇跡を目の当たりにした騎士達は興奮しきり、背丈の低いフィリアに気づかない。

まだ成長途中で背の低く体も華奢である黒衣の少年は騎士が動くたびにその姿が隠れてしまう。ようやく少し少年に近づいたというのに、漆黒は人と人の間に少ししかちらつかない。

 

そんな中たった一瞬。

再び目の前の騎士の体に少年の姿が隠れ、それを掻き分けて再び彼を見たとき

 

同じ色をした瞳が、確かに合った。

 

 

 

 

エルレインが神団騎士の傷を癒していく様を、少年は片隅で傍観していた。

彼女が聖女として此処に迎え入れられたとしても、付き人と名乗るつもりは毛頭ない。

今、少年の顔を隠す仮面はないのだ。

あまり多くの者にこの姿を晒したくないのもある、18年前の仲間だった者や、覚えているかわからないが、歴史改変が行われたときの仲間たちもいる。

彼らとは、会いたくなかった。

 

憂鬱な少年の手は、無意識に背中を彷徨う。

三度この世界に生を与えられたが、今回は半身とも言える友の姿はなかった。

 

目を閉じ、いい加減この人口密度の高い聖堂から抜けようと、少年が壁から背を離す。

その時だった。

 

人ごみの中で緑と白がちらちらと飲まれるように揺れている。

まるで溺れかけた人が藁をも掴む為に手を伸ばしているかのようだった。その手は真っ直ぐこちらに向かって伸びているのだ。

 

隙間から、一瞬だけ薄紫の瞳が合う。

 

(―フィリアっ!)

 

焦りによる嫌な汗が頬を伝う。

 

だが、少年の焦りに反してフィリアがこちらへと向かうスピードは遅い。

それを見て、すぐに彼は冷静になった。

 

人に揉まれながら中々一歩すら踏み出せない彼女の様子に同情が走るが、こちらにとっては都合が良い。

 

少年はするりとこの人で圧縮されているように見える大聖堂内を縫うように入り口へと進む。フィリアのようにもまれることはなく、ましてや足元まで届く漆黒の外套が引っかかることもなかった。

 

フィリアはその姿を人ごみの中から辛うじて追う。

小さな黒い影が動き出したことに気付き、失った冷静さに加えて焦りが生まれた。

 

「待って!リ―」

 

18年前の仲間の名を呼ぼうとしたとき、四英雄の一人だということに気付かなかったのか、彼女の体は奇跡を拝もうと必死になった者により押された。

この人ごみの中、フィリアは完全にバランスを崩してしまった。

下手をすれば踏み殺されかねない危険な状態にフィリアは目をきつく瞑る。

 

「大丈夫ですか!?」

 

地面に叩きつけられるはずだった彼女を引き上げたのは、大聖堂まで一緒に来た若い騎士だった。フィリアは安堵から来るため息をつく。

青年は心配してフィリアの表情を伺い、彼女がどこへ行こうとしていたのか尋ねた。

黒衣の少年を見てから失念していたが、彼は大聖堂に入ってからもずっとフィリアに付いてくれていたのだ。必死に人ごみを掻き分け、少年へと手を伸ばす様を見ていたのだろう。

 

「どちらかに向いたいのですか?」

「外に、外に出たいのです!」

 

縋る様にフィリアが言えば、逞しい騎士はフィリアに力強く頷き、そして大きく声を張り上げた。

 

「道を開けろ!フィリア様が外に出られる!」

 

大聖堂の扉に向かって響いた声に、騎士達はざわつきながらも少しずつ中央に隙間を開けていく。

 

「ありがとうございます!」

 

フィリアは人々が狭いながらあけた隙間を走った。

黒衣の少年はもう、この大聖堂内にはいない。

焦る想いが返って足をもつれさせたが、フィリアは懸命に走った。

 

―あの人に会いたい

 

人ごみを抜ければ、大聖堂の篭った空気とは違う新鮮な風が流れてくる。

直ぐ後ろは人が溢れざわめいているが、少し離れただけでこの時が穏やかに感じる。

それだけ、大聖堂に人が集まり、この場所も含め他に人の気配がしないのだろう。

そんな中、必死にフィリアはあたりを見回した。

 

(…どこ…どこに…っ!)

 

静まり返った大神殿。辺りを見回しても、もう漆黒が見つかることはなかった。

白で統一されたこの神殿内で目に届く範囲に居るというのならば、簡単に見つかるだろう。もう、此処には居ないのだ。

 

フィリアは上がった息を整えながらその場に座り込む。

そして、冷たい空気にあたり、今更ながらあの少年があの時と変わらぬ年齢で今いるはずがないことに気づく。

 

(…他人の空似…)

 

今思えば、あの少年の顔が見えたのも一瞬。

彼が生きているなんて………なんて都合の良い解釈

 

彼が自分と目を合わせて、この場から去ったのは偶然。

死んだ彼が今同じ年齢で生きている事とは比べようにならない現実。

 

そう、あの少年が

生きているわけが、ないのだ。

 

「あの方は死んでしまったのだから……私達が…助けられなかったのだから!」

 

18年前の想いが完全に風化されることなどなく、今でも思い出せば、こうして涙が溢れてくる。悔しくて、悲しくて、胸が締め付けられる。

 

自分の起こした行動が馬鹿馬鹿しくて、自嘲に暮れて、フィリアはため息をつきながら涙を拭った。

 

(…部屋に、戻りましょう………)

 

立ち上がり、部屋の方角へ一歩足を踏み出した。

今はもう、奇跡の力に対する興味や疑心を生み出す気力もない。

一刻も早く、下らぬ期待に胸を膨らませ、落胆する己を消し去ってしまいたい。

こんな想いをする資格など、自分にはないと思ったから。自己嫌悪で死んでしまえそうだった。

ふと、笑みが零れる。これでは泣くことしかできなかった昔の自分と同じではないか。

 

「フィリアさん!」

 

突如名を呼ばれて、驚きから体が小さく揺れる。

もう一度目元を拭い、声のした方へと視線を向けた。

彼らが出てきたのは、今はもう人々の記憶から忘れられている崩れた神殿からだった。確か、アイグレッテの離れと繋がっている。

この騒動とはいえ、神団関係者でなければ早々礼拝の日以外に入ることは許されない。よほどの急ぎからその道を使ったのだろう。

 

懐かしいぼさぼさの金髪が揺れている。その少年の背は小さく、記憶に在る物とは違った。髪ももっと長い。だが、頭の跳ね方は全く一緒で、見るもの全てを無理やり起き上がらせてしまいそうな太陽のような光を放つ姿も、瓜二つだった。

昔、泣いている自分に、それだけではダメなのだと教えてくれた、彼の姿と

 

(今日は似た人がよく現れますこと…)

 

手を振りながら走ってくる元気いっぱいな少年に、フィリアは心が癒されるのを感じる。

フィリアは一度ため息を吐いた。その息に、先ほどまでの暗い気持ちを全て乗せて、吐き出す。反省は十分した。後は、同じ後悔を繰り返さぬよう強く生きるだけ。

どうしたって割り切れない気持ちを、一度心の奥底に沈ませる。彼のことは、絶対忘れない。だけれども、過去を見ているだけでは、今を生きていけない。そんなことしたら、彼にもきっと、鼻で笑われてしまう。

 

気を取り直したフィリアは、そのきっかけを与えてくれた少年にいつもと変わらぬ笑顔を向けた。先ほどの涙など、面影もなかった。

 

「どちらさまでしょう?」

 

フィリアの前まで走って辿りつき、息を上げながらも、力強く開かれた大きな青い瞳は本当にスタンに似ている。

 

「俺、カイル=デュナミスって言います!フィリアさん、お願いがあって来ました!」

 

元気な少年が持ちかけたのは、重い病にかかった少年の話だった。

何とか助ける方法は無いものかと問われ、瞬時に浮かんだのが聖女の存在だった。

 

「それは大変ですね………それでしたら」

 

フィリアは今日突然現れた奇跡の聖女の話を持ちかけようとした。

だが、彼女の力を何の疑いもなく信じていいものだろうか。そんな一抹の不安から一瞬言葉を詰まらせる。

それだけでなく、今も彼女はきっと神団騎士たちに囲まれて大忙しに奇跡を起こしていることだろう。聖女がたった一人の少年の為にホープタウンまで行ってくれる可能性は少ないだろう。病に蝕まれる少年がアイグレッテまでの旅路を耐えられるとも思えない。

 

(彼女の奇跡には……きっと、頼れない………ならば)

 

「奇跡を、貴方達が起こせば………」

「奇跡…?」

「どうしたらいいんですか!?」

 

身を乗り出して尋ねるカイルに、フィリアは静かに答える。

 

「その古代病を治す薬がたった一つだけあります。その薬の材料となるベルセリアの花。それを、手に入れないといけません。……これが、奇跡に近いことなんです」

「……貴重な花なんですか?世界の果てにしかないとか、そんな?」

「そんな……ところですね」

 

カイル、ロニ、リアラが息を呑む。

 

「その植物は特殊な鉱石の力を借りなくては咲くことができないのです」

「特殊な鉱石…?」

「その鉱石とは、かつてレンズの力を増幅するために使われたというしろもの……あの天空都市ダイクロフトの兵器、ベルクラントの破壊力を生み出したといわれるとても危険な石」

「え……それ、って……」

「その鉱石がある場所にしか、生息していないのです」

 

カイル達が顔を見合わせる中、フィリアは「確か絵があったはず…」と本棚を探る。やがて彼女が取り出した本に描かれた美しい花を見て、3人は表情をどんどん緩めていった。

 

「これがそのベルセリアの花なのですが……」

「フィリアさんっ!!」

「は、はいっ」

「薬は直ぐに作れますか!?」

「え、と……私が作れます。ベルセリア以外の材料もこの研究所にありますが……」

「俺達、すぐ採ってきます!フィリアさんいつでも調合できるようにお願いしますっ!」

「え………?」

「行くぞカイル!一刻も早くだ!」

「うんっ!!」

「フィリアさん。ありがとうございます!」

 

どたばたと、3人は嵐のごとく去っていった。

残ったのは図鑑を開いて手に持ったままポカンとしているフィリアだけだ。

 

一瞬目の前でおきた出来事だというのに何が起きたのかわからなかったフィリアだが、やがて彼らがこの花のある場所を知っているのだと合点が行く。

18年前とはいえ、あれだけの旅をし、この知識の塔でそれからもレンズに関する研究をし続けてきたというのに、フィリアにはこの花の咲く場所はわからない。

本当に、咲いているのだろうか、彼らは、本当に持ってくるのだろうか

 

金色の、太陽のような少年。

いつだって、フィリアに強い光をもたらした彼と似た少年。

 

「本当に、スタンさんによく似た子……カイル=デュナミス……デュナミス?」

思いに耽っていたフィリアの表情がまた驚きに満ちる。

 

(あの方達が経営している孤児院の名前は?二人の間に生まれた子は?)

 

思い出してフィリアは思わず自分の失態に笑ってしまった。

道理で似ているわけである。

 

「彼らなら、本当にあの花を持って帰るかもしれない……」

 

再び、ベルセリアの花が描かれる図鑑を見る。

白い花を咲かす美しい植物。きっと、これの咲く場所は酷く幻想的だろう。

それならば、とフィリアは急いで薬の調合準備を始める。

忙しなく器具を取り出し、研究所の引き出しを何度も開けて材料を探し、取り出す。

 

大体の器具と材料が机の上に並べられてから、やがて一つ、材料が足りないことに気付く。とはいえ神殿内にはあるのだが、数日前に同じ研究員の者が持ち出しているものと記憶している。

 

「大変…」

 

彼らがどれくらいの時間で帰ってくるのかはわからないが、彼らの言う病の少年の様態を考えれば時間が無いのは確か。

直ぐに部屋から飛び出した。

 

階段を上へ上へと登っていく。フィリアの私室は一階。その研究員の私室は四階になる。

三階まで登って、更に階段を登ろうとしたとき、その階の廊下の奥で多くの人が動いているのを見てフィリアは足を止めた。

 

あの、聖女だった。

恐らく神殿に迎え入れられたのだろう。

彼女が入っていく部屋を見てから、フィリアは研究員の私室へと向かい歩いていった。

 

Comment