暑い。徐々に体が感覚を取り戻していく。あぁ、現実世界に帰ってきた。レンズ越しに繋がる右手が熱い。
前回同様、ジューダスはまだ反応がない。ダイブしている側より受け入れる側であるジューダスの方が現実に戻るのに時間がかかるものなのかもしれない。
「ジューダス」
呼べば何度か瞬きをした後、ピクリと体が反応し右手が離れた。そのまま一歩、体も離れる。
黙ったままのジューダスに、俺はなんと声をかければいいだろうか。正直色々聞き出したい気持ちはあるが……どんな世界だったのかジューダスは自覚がないわけだし、うーん……。下手に聞き出してまた不穏な空気になるのも嫌だ。だからこそダイブという手を使っているわけだしな。
「気は、済んだのか」
かける言葉に迷っている俺に痺れを切らしたのか、ジューダスが顔を顰める。
「あーえっと、第二階層は終了したようだ」
「何だそれは」
「あー」
言っていいのだろうか。素直じゃないこいつのことだし、下手に段階踏んでいることを伝えたら恐れてダイブさせてもらえなくなるんじゃ……いや、だからこそ黙っているのはあまりに卑怯か
「その、お前のコスモスフィアの住人に聞いたんだが、階層みたいのがあるらしくてよ、船の上では第一階層に入って、今回は第二階層を見せてもらったんだ」
「……そうか」
「あぁ、うん」
俺もジューダスも複雑な顔をして話が途切れた。
「ロニ」
「ん?」
おずおずと、ジューダスが何かを躊躇いながら口を開く。
「何か……見なかったのか」
「そりゃ、何かって、色々見させてもらってるわけだけどよ」
「……お前は、それでも僕と一緒に居られるのか?」
俺は目を見開いた。ジューダスが、不安がっている。それは裏返せば俺と、俺たちとできるならば一緒に居たいと思ってくれていると、そう自惚れていいだろうか。
「あぁ。むしろ第一階層を見たときはお前と一緒に居たいって思った。第二階層でも、やっぱり気持ちは変わらねぇよ。お前は、俺を助けてくれたんだ」
「……?」
ジューダスは首を傾げた。その動作、なんかキュンとくる。くそ、可愛い。なんだろうか、さっきからこう、ずっと懐かなかった猫が初めてすり寄った時のような感動を覚えてしまっている。
「な、なぁ! お前はどうなんだ? 何か変わったこととかないのか?」
「いや……よくわからないが……」
「そ、そっか」
俺は鼻の下を指で擦った。照れくさい。ジューダスはああ言っているが、俺への態度が軟化している気がするのだ。ダイブ前は断罪を待つような顔をしていたのに。多分あれは、俺がコスモスフィアを見ることで拒絶されるのだと思っていたからじゃないだろうか。今あの時の影が消えているのは、終わっても俺が拒絶しなかったことと、あとはコスモスフィアで俺がこいつをヨウへと連れ出したことが関係しているのかもしれない。
「ただ……少し疲れた。暫くは……やりたくない」
「あ、あぁ。お前がそう言うなら。疲れたって……大丈夫か?」
そっと顔色を伺ってみるが、ジューダスはその視線から逃れるように顔をうつむかせた。そんなに顔色が悪いようには見えないから気分が悪いというわけではなさそうだが、一体どうしたというのだろうか。前回と違い、今回は問題なく終わったと思っているんだがな。
何はともあれ、あの世界では一先ずジューダスをヨウへと連れ出したのだ。その後が気になると言えば気になるのだが、あいつがあの温かい世界にとりあえず入れたのだと思えば俺も気持ちに余裕が持てるというものだ。もしかしたら、コスモスフィアで無意識に行われた大きな変化に現実のこいつは戸惑っているのかもしれない。
「それよりだ。現状のことを考えるぞロニ」
「あ?」
突如、いつもの厳しい表情をしたジューダスに俺は呆気に取られる。
「何を呆けている。ここは10年後の世界だという話を忘れたのか」
「あ」
そうだった。重大な話をすっぽかしてダイブしていたのを忘れていた。
その後暫く、俺たちは現状を理解する為と今後の為に推測も交えて木陰で会話した。神の存在する現代。時間を移動してしまったこと。逸れたカイル達の行方。俺たちが今後どうするか……。
「最悪、リアラとカイルは僕達とは違う時代に流れ着いているかもしれん。今から10年後か、20年後かもしれない」
「マジかよ……どうするんだよそれ……」
「……世界中探しても満足いく情報が掴めなかったのなら…………まぁ、今は最悪を考えても仕方がない。その時になったら考えよう。今はナナリーがアイグレッテまで遠出したときの情報に期待するしかないな」
「あぁ……見つかってくれりゃいいんだけどなぁ」
途方のない話に目の前がくらくらする。ジューダスは俺と違って進むべき道を失っていないような強い目をしていた。不思議な奴だ。だが、冷静なこいつがいてくれるおかげで俺もまた先が見えない現状に打ちのめされずにいられた。
「ジューダス、ロニ! そろそろご飯の用意したいから、帰ってきておくれよ。チビたちの面倒を見とくれ」
ナナリーが家から大声を上げる。俺とジューダスは顔を見合わせた。
「戻るか」
俺は笑って言ったが、ジューダスは少し嫌そうな顔をした。ガキ共の相手はやっぱり嫌らしい。ふと、コスモスフィアでヨウには行けないと言って引っ張る腕を取り戻そうと足掻いていた姿を思い出す。
「ジューダスあいつらに剣の稽古つけてやれよ。きっと喜ぶと思うぞ?」
「子供相手の加減の仕方がわからん」
「じゃあ、俺とお前とで軽い試合とかどうよ。見て学べってな。盛り上がるんじゃねぇか?」
「ほう……」
我ながらいいアイディアかもしれない。ジューダスの反応も悪くない。住んでいた環境なんて関係ない。俺たちは上手くやれるはずだ。
「そうと決まれば、丁度良い武器探さないとな! 俺は剣扱わないからなぁ。なんか長い棍棒か何かあればいいんだが」
「あいつらに探させればいいんじゃないか。あれだけの棍棒をどこから探しているのやら……」
「全くだな」
皮肉たっぷりの言葉に俺は笑った。
俺たちはガキ共に棍棒を探させた。五分もせずに丁度良い棍棒を探してくるのだから末恐ろしい。その後、丸々とした大きな期待の眼が見つめてくる中、俺達は試合を行った。
最初はゆっくり、互いの呼吸を合わせるように力の加減を調整しながらコンコン、と緩く棍棒を打ち合いする。焦れた子供達から「もっと本気だせよー!」という野次が飛び交い始めたあたりで、俺はにやりと笑ってやや本気でジューダスに向かった。そして悔しいことに負けた。
やっぱりこいつは強い。あぁ悔しい。悔しいが、何故か楽しさが上回った。倒れ伏した俺にガキ共の魔の手が及んだのは恐怖だったがな。あいつらは本当に加減を知らない。でもジューダスのちょっと心配顔というレア表情を見ることができたのだった。
こうして、少しずつこっちの世界に溶け込んでくれればいい。俺たちのいる側へと、来てくれればいい。
コスモスフィアは、あれからどうなっただろうか。ヨウの世界へと連れ込んだジューダスは、今どうしているのだろうか。その先が気になって仕方ない。
でも、疲れたと、珍しく弱音を吐いたジューダスに、とてもではないがその先を強請ることができなかった。
ホープタウンの日々は長かった。ダイブの影響もあってか、随分とジューダスとは距離が縮まった気がする。あれからナナリーがカイルとリアラを連れてきてくれて、俺たちは合流して現代に戻ってきた。まさか、ナナリーがついてくることになるとは思わなかったが。
しかし、現代に戻ってきたという喜ばしい現状なのだが、ウッドロウ王のご厚意の元借りているハイデルベルグ城の一室は重たい空気に満ちていた。
あのカイルとリアラが、バカップルと言ってもいい状態だったあの二人が、互いの方を見ようとせずそれぞれが背中に影を背負って俯いている。
やがてリアラが部屋から出て行ったのをナナリーが追いかけていった。残ったのはらしくもなく暗くなっているカイルと、俺とジューダスだけだ。
「おい、カイル……」
「ごめん、俺もちょっと行ってくる」
俺が声をかけるのすら無視してカイルは部屋から出て行った。リアラを追う為なんかじゃなく、一人で考える為に。はぁ、どうしたもんかなぁ。頭を掻きながらジューダスへと助けを求めるように視線を投げれば、どこか冷めた瞳とかち合った。
「ジューダス?」
「なんだ」
「いや、……何か思うところあんのかと」
ジューダスは俺の言葉には答えず、徐に剣を取り出して磨き始めた。一見冷たく無視されたように見えるが、これは多分、珍しく考えがまとまっていないんだと思う。それが分かる程度の時間を、俺たちはホープタウンで過ごした。
しばらく黙って待っていたら、やがてジューダスは鬱陶しそうに俺を見た。
「別に……僕に何を期待している」
「物知りなジューダスちゃんならいい感じに治めてくれんじゃねーかなーとか」
「今は放っておくしかないだろう。頭を冷やすにはいい国だ」
「はは、そりゃ確かにな」
嫌な雰囲気ではあるが、何とかなるだろう。特にカイルの方は立ち直りが早い。先程までちょっと焦っていた気持ちがすっと消えて落ち着いた。
「……怖いのだろうな」
ぽつりと、聞き逃してしまいそうなほど小さな声がジューダスから出た。聞き逃さなかった俺は視線をジューダスへ向ける。その後暫く何も言わなかったが、やがて同じ小さな声で続けた。
「カイルだ」
「……うん?」
「リアラに拒絶されるのが、怖いのだろう」
あぁ、なるほどな。ジューダスの言葉はすとんと俺の胸に落ちた。
そりゃ、怖いよな。あれだけ激しく拒絶されたのだ。出会った当初に英雄じゃないと言われた時は一瞬で立ち直ってむしろそれをバネにして頑張っていたが、仲良くなってからの拒絶というのは厳しいものだ。
あ、と突然今までの思考から俺の考えが逸れて目を見開く。拒絶されるのが怖い。それって、カイルだけの心情だろうか。
あの時、ダイブの後、珍しく疲れたと弱音を吐いたのは、何故だったのか。
「……お前も、怖いか?」
淀みなく剣を研いでいた白い手がピクンと跳ねた。それから動揺を隠すように先ほどと同じ動きで剣を撫でる。だが、やがてその動きは鈍り始めすぐに止まった。
「……何事もなければ、それに越したことはない」
「そうだな」
「……」
俺も、ジューダスに拒絶されては苛立ったりしたものだ。誰だって拒絶は恐ろしい。仲良しこよしで上辺だけで笑えていたらそれが楽なのだ。
でも、そんな上辺だけの仲ではいたくない。そんなのは取り繕っているだけで、その上辺を剥がせば、その先にはきっと、またあの傷ついた表情があるに違いないのだ。俺は、それが嫌なんだ。
「それでも、それを乗り越えて行くのが大切なんだよな」
「……」
カイルも踏ん切りをつけて、リアラともう一度向き合わないといけない。あいつなら、きっとできるはずだ。そして、俺も。
「なぁ、ジューダス。久々によ、できないか?」
「……」
ジューダスの目に憂いが帯びる。いつだってジューダスは心を開くことを嫌がっている。それでも、俺が無理やり見せてくれと強請れば今まで受け入れてきてくれた。今回もいい返事をもらえるだろうか。……いや、誰だって、心を見られるなんて嫌に決まっている。相手から見せてもいいという答えを引き出すような言い方は卑怯かもしれない。
俺はジューダスの座る椅子の前まで歩き、ジューダスに向き合う。
「俺はお前のこと、ずっと知りたいって思ってるんだ」
ジューダスは目を合わせず、しばらくして研ぎ終えた剣を鞘に戻し椅子から立ち上がる。出て行くのか? と動向を伺ってみるが立っただけでジューダスは何もしない。俺は数度大きく瞬きをした。数秒の沈黙の末、漸くジューダスは俺の目を見た。
「……どうした、やるんだろ」
いいのか、と思わず言いかけた言葉を飲み込む。愚問だ。良いわけが無いけどこいつは俺が諦めないから仕方なく折れてくれているんだ。
俺は頷いてレンズを差し出した。ジューダスの手がレンズ越しに重なる。ジューダスは静かに目を閉じた。
こいつはダイブする度に別離を覚悟しているのだろうか。
俺は、第一階層を終えてからずっと、ジューダスのことを全て知っても離れたいなんて思うわけがないと楽観している。俺だけが、そう思っている。
訪れやしない別離にずっと怯えるジューダスの姿がもどかしい。さっさと全てを暴いて、それでも俺は離れないんだと証明してみせて、安心させてやりたい。そんな思いに駆られた。
意識が、遠のく。
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