割られた天秤 – 7

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あれから数日、少年は城で暇が出来れば人気の無い中庭へと向かい、ただ景色を見ている。しかし、その瞳にそれらは映っていない。

 

フィンレイの死は大きく取り上げられ、多くの者が嘆き悲しんだ。

そんな中、毒殺の犯人としてリオンが捕まることは無かった。

最初から全てが用意されており、ヒューゴが用意していた駒が、代わりに捕まったからだ。

 

フィンレイは、リオンが入れた紅茶だと聞いたから飲んだ。

見ていた仲間達にはそれがよくわかる。他の者たちもそれらの推測を立てても良いのだが、恐ろしいくらいに事態はヒューゴの思うように進んでいる。

 

一体どこまで手が回っているのかと思うと、腹の底が冷えきる。

そして、どれだけ少年が冷たく、大きく、恐ろしい存在に捕まってしまったのか、逃げることがどれだけ難しいことなのか、それがわかってしまって、嘆くことしかできなかった。

 

少年がどんな気持ちでこの庭にいるのかは、よくわからない。

あれから、世界が叫びを上げているようなような少年の声は、一切聞こえてこない。

 

だが、少年は大きく変わった。

 

まず、マリアンの前で笑う少年の表情が変わった。

笑っている仮面のような、無理やりに、しかし綺麗に笑った顔になった。

 

そして、ヒューゴに憎しみを向けるようになった。

酷く複雑で、悲しい憎しみだ。

 

少年は、癒しようの無い傷を負ってしまったのだ。

 

この世界を、リオン=マグナスを、ジューダスの過去を、気付けば気付くほどに、絶望を感じずには居られなかった。

 

(本当ならば………本当なら……、ミクトランさえいなかったら……)

 

カイルの脳裏には、エミリオ=ジルクリストと名乗った青年の姿が過ぎる。

とても、穏やかに笑っていた青年の姿が

 

(エミリオが暮らしていたのが、あれが、ほんとうの家族だったのに………なのに、こんな、こんなミクトランたった一人に歪められた世界が……本当だなんて…そんなの…)

 

ギリギリと過剰に入れられた力により震えるカイルの手。

それを見て目を細めたのはハロルド。

彼女はそっとため息をついた。

 

流石のハロルドも、この歴史には心底参った。

それでも、歴史を正したほうが良いという考えは変わらない。

正直、過去の人物であるハロルドにとっては、そこまで関心が抱けるものではないのだが、彼女が重たいため息をつくのは、ミクトランの精神が宿ったベルセリオスの存在。

 

少年らを此処まで苦しませている原因のミクトランは、本来1000年前の者。

同じ時の者としては少なからず責任を感じる。そして何よりも、彼が居座っているのは己が生み出したソーディアンで、更には自分の人格の宿った剣だ。

流石の彼女でも罪悪感を抱くというもの。

 

(たったそれ一本で悲劇を生んだ。偽りという名の………ほんと、丁度良い鑑賞物だこと…………最悪ね)

 

再びため息をつき、ハロルドはカイルの苦渋に満ちた横顔を見る。

仲間思いの少年が、果たして耐えられるだろうか。

 

それぞれが重たい歴史を目の前にし、思考に陥っていた中、ふと、静かだった庭に話し声が入った。庭の横にある渡り廊下を3人の兵士が歩いている。

リオンはまったく関心がないのか、一切動きを見せない。

カイル達だけが、そちらへと顔を向けた。

 

「ったく、とんでもないぜ、あの強欲の魔女は」

 

ゆっくりとした歩みの中、彼らが話す内容をカイルはそっと脳に入れる。

 

(魔女?18年前には魔女がいたのかな)

 

だが、どうやら彼らの話からすると、だだの二つ名らしい。

そんな二つ名をつけられる人物に少し呆れつつ、カイルはまた先ほどまでの重たい思考に引きずられるように彼らに興味を失くした。

仲間達も同じらしく、すでに視線を地面へと向けている。

 

それらが倍の速さで戻されるたのは、強欲の魔女の名前によってだった。

 

「たしか、ルーティ=カトレットとかいったっけ?」

「え!?」

 

カイルが思わず声を出す。

ハロルドは一度男に戻した視線を少年のほうへと向けた。

彼女の予想通り、一切動かなかった少年の表情が驚きに満ちている。

 

「孤児院出身だって話しだろ?はぁ…両親がいないと、あぁなるのかねぇ」

「黙ってりゃそんなに悪い女じゃないらしいんだがな」

「お前そんなこと言ってたら鴨られるぞ?」

 

けらけらと笑う男達にあっけに取られていた仲間の間を、少年が通り過ぎていく。

カイルはそこでようやく今の少年の心境のことを思ったが、彼の表情を伺う前に、彼は男達の前に立っていた。

 

「なっ……リオン………様」

「その孤児院の場所を教えろ」

 

とってつけたような敬称を気にもせず、リオンは男達を鋭い目で見る。

傍から見れば睨みつけているかのようだが、カイルには縋るような目に見えた。

 

首都ダリルシェイドからそう遠くない場所にある小さな町、クレスタ。

カイル達が知っている故郷よりも、少しだけ大きく感じた。

少年は城で暇をもらい、ヒューゴには内密に此処まで来た。

その足はまるで焦っているかのように速く、3人の兵士達から情報を得てから少年の目は揺れっぱなしだ。

 

「………ジューダス、母さんに…会うのかな?」

 

彼の小さな背中を追いかけながら、そっとカイルが隣に居るロニに聞く。

ロニは眉を寄せながら、「さぁな」と返す。カイルは視線を前に戻すと唇を噛んだ。

 

ルーティの話を聞いてから、シャルティエは一切喋らなかった。

また同じく、リオンも一切喋っていない。

マスターにその余裕がないことを、ソーディアンは気付いているのだろう。だから静かに見守ることを決めたのだ。

 

少し歩けば、古い孤児院が姿を現した。

カイル達の時代の孤児院よりも古く、今にも崩れてしまいそうだ。

 

「うっわー…………」

 

自分達の昔の家の有様にカイルが思わず唖然と口をあける。

ロニはぽりぽりと頭をかいていた。

ふとリオンのほうを見ると、眉を寄せ、孤児院をただ黙って見上げていた。

 

『………古い、ですね』

「…………。」

 

シャルティエがぽつりと呟く。だがマスターは答えを返さず、ただ孤児院を見つめ続ける。

中からは絶え間なく子供達の声が聞こえている。

ふとそれらが近づいてきた。それ故か、少年は一歩後ろに下がる。

 

ギィィ、と音を立てて扉が開いた。

 

「あーっもう!はいはい、そうひっつかないの!動けないでしょ!」

「ルーティねぇちゃん!遊んで、ねぇ遊んでよー!」

「はいはい、あれ運んでからね」

「わーいやったー!」

 

まだ5,6歳の子供達に囲まれながら出てきたのは、少年と同じ黒髪とアメジストの瞳を持った女性。若い、ルーティ=カトレットの姿だった。

カイル達が知る孤児院での母親の姿と、当然ではあるかもしれないが、よく似ていた。

 

「わたし、おままごとがしたい!」

「ええー!前もそれだったじゃない!」

「いいじゃない!」

「やだー」

 

二人の女の子がルーティを挟んで喧嘩を始めようとするが、その前にルーティが二人の頭に手をのせた。

 

「喧嘩しないの!そんなのなら姉ちゃん遊んであげない!」

「えぇー!」

「じゃあ、そうね、今日はとっておきで、この前の旅のお話してあげるわ」

「わー!」

「わかったら、喧嘩してないで早く薪を運ぶこと!」

 

そう言われると、子供たちは急いで詰んであった薪を担いで孤児院の中へと走りだす。

18年前の冒険の話をダシにカイルを働かせていた姿とだぶり、ロニはカイルを見て笑った。カイルは頬を膨らませ「なんだよー!」と言う。

そんなロニと同じように、ルーティもまた子供達を見てくすくすと笑っていた。

 

「……ルーティさん、変わらないね」

 

リアラがカイルの腕に寄りながら微笑む。

ナナリーも懐かしそうにその光景を見ていた。ホープタウンを思い出すのだろう。

だが、ふと彼女は気付き、視線を左へと向けた。

視界に入ったハロルドも、同じ方を…少年を見ている。

 

揺れていたアメジストが、同じ色の女性の笑む姿に、ふと動きを止めて丸くなる。

やがて、それは細められ、少年は小さく息を吐き、一度目を閉じた。

 

次に開かれた彼の目は、今までの動揺を一切宿して折らず、諦めが色濃く映った。

 

「あ……」

 

思わずナナリーが声をあげ、一歩少年のほうへと足を向けて手を伸ばす。

それにより他の仲間達も気付きリオンのほうへと視線を戻した。

既に彼は孤児院に背を向けていた。

 

『坊ちゃん!?』

 

ナナリーや、カイルが届かぬ声をかける前に、彼の半身が叫ぶように声をかける。

だが、少年は歩みを止めることなく、孤児院から離れつつ、ただ冷静に、いつものように言葉を返した。

 

「なんだ」

『なんだじゃないですよ!……会いに、行かれないんですか?』

「……会って、どうするんだ?」

『え……?』

 

冷たい声は小さく、珍しくシャルティエは恐れるように聞き返した。

彼の半身が、少年の心を知ることができていない。

 

人目を避けるように少年は孤児院の見える大通りから小道へと入ろうとする。

仲間達はあわてて少年を追った。

そんな中、一人ハロルドが振り返る。孤児院の玄関で、ルーティがこちらを見ていた。

ハロルドではなく、黒髪の少年の後姿を、見ていた。

 

だが、すぐ彼女を呼ぶ子供の声が聞こえ、彼女は同じように明るい声で答えながら孤児院の扉を閉めた。

 

ハロルドは一度目を硬く瞑ると、仲間達を追った。

 

『坊ちゃん!待ってください!どうして…っ』

 

もう日が暮れる。細い道に入れば時計の長針を一周動かしたかのように暗かった。

人気は無い。そこまできて、もう一度シャルティエは我に返り、マスターに話しかけた。

だが、少年は変わらず歩みを進め、冷たい声でもう一度同じことを返した。

 

「どうして、とは?会って何をするというんだ」

『会って、弟だと告げないんですか…?』

 

シャルティエは恐る恐るではあるが、今度ははっきりと問いを返す。

だが、少年は変わらず冷たい声で更に問いを返した。

 

「告げてどうするんだ」

『……坊ちゃん……?』

「僕は、弟だと彼女に告げて、彼女に何を求めると?」

 

シャルティエは黙り込んだ。

ゆっくりと、この世界の声が再び遠くから聞こえ始める。

きっと、シャルティエも少年の声が聞こえ始めたのだ。

 

誰も居ない細道に、ようやく少年は足を止めた。

そっとカイルがリオンの前へと回り込めば、少年は自嘲に歪んだ表情で地を睨んでいた。

 

「今、彼女は幸せに暮らしている。そんな所へ、いきなり……僕は、捨てられた貴女の弟ですとでも?その後は?それで、彼女をヒューゴの元へと戻すのか?ヒューゴが捨てたのに?」

『………………』

「ジューダス………」

 

一気にまくし立てられる言葉はどれも冷たく、そして、少年の言葉だというのに、それは少年自らを絶望へと突き落としているかのようだった。

 

「それとも、僕も孤児院で暮らすとでも?今にも壊れそうなあの孤児院に?マリアンはどうする?ヒューゴが僕達を放っておくとでも?」

『坊ちゃん……』

「何より……僕はもう………あんな世界で暮らせるような、人間じゃない……」

 

今まで淡々と冷たく紡がれていた少年の言葉が、蚊が鳴くような小さな声となる。

自嘲に満ちていた表情が悲しみに暮れ、眉を寄せる。

仲間の前では決して見せない、彼の傷が鮮明に映る。

 

「もう…戻れない………戻れないんだ」

 

それだけ呟くと、少年は傷を無理やり隠すように眉を寄せ、目を硬く瞑った。

それでも、少年の泣き叫ぶような声は、何処からともなく、大きく響いた。

 

「血の繋がりなんて、下らない…………下らない!!」

 

自分の体を掻き抱き、血を吐くように出された言霊は、ただ虚しく響いた。

その言霊が、悲しい嘘に塗り固められたものであることは、ソーディアンも仲間達も気付いている。

 

ルーティのことを聞いてから、我を忘れたように此処まで来たのは、誰でもない少年自身。誰よりも、血の繋がりを、温もりを求めているのは、この少年。

 

『………坊ちゃん……僕は、何があっても、お傍に居ますから』

「……………。」

 

シャルティエの言葉に、ふと少年の表情が和らいだ。

そっと柄に触れ、少年は今一度目を瞑る。

 

「……帰るぞ」

『はい』

 

カイルは自身の体を通り抜けて行ってしまった彼の背を見送ることもできず、唇を噛み締める。

 

神でしか、彼を救うことができないというのか

 

今なら、出会った頃のリアラの焦りが分かる気がする。

仲間達のなんとも形容しがたい視線を受けながらも、カイルはその場に立ち尽くした。

ふと、仲間達の後ろに、白い手が浮かび上がる。

それが神の手であると、感覚的に想った。頭に直接聞こえてくる「神を求めろ」の言葉にそれは確かとなる。

 

カイルは無理やり、その手から視線を外した。

 

 

 

「おかえりなさい、エミリオ。遅かったわね…どこかへ行ってたの?」

 

クレスタからダリルシェイドへと帰る頃には既に星が出ていた。

自室へと戻れば、すぐにマリアンから声がかかる。心配で待っていたのだろう。

 

「……ただいま」

 

しばらくの間のあと、少年はいつものように挨拶を返した。

いつものように、笑みを浮かべて。

仲間達の表情が曇る。同時に、マリアンも少年の表情をまじまじと見た。

 

「……エミリオ?」

 

訝しげに尋ねるマリアンに、少年は少し首をかしげて彼女を見る。

余計とマリアンは眉を寄せた。一歩少年へと近づき、尋ねる。

 

「…………泣いてるの?」

 

一瞬眼を見開いた少年。何のことか全く分からなくて、彼はそっと目元へと手を寄せるが、手が塗れるようなことなどなくて

珍しく彼はマリアンの言葉に気を害したように眉を寄せた。

 

「泣いてなんかない」

 

マリアンはゆっくりと少年の下まで歩み寄り、いつかの時のように、そっと少年を包むように腕を伸ばす。

 

「……泣いていいのよ、……辛いときは、何時だって」

 

だが、腕が完全に少年を包み込む前に、少年は弾かれるように体を引き、それを振り払って叫んだ。

 

「辛くなんかない!」

 

言葉とは反対に、泣き叫んでいるかのような声だった。

少年がマリアンを拒んだのはこれが初めてかもしれない。実際はマリアンを拒んだのではなく、彼女の発した言葉を拒んだのだが、彼女を驚かせるには十分だった。

 

「エミリオ……」

 

体を硬直させたマリアンに、少年は僅かに体を揺らし、眉を寄せて俯いた。

 

「……ごめん」

 

マリアンはもう一度少年へと手を伸ばそうとしたが、すぐにその手は止まり、戻された。

かわりに、マリアンは何も無かったかのように微笑む。

 

「そうだ、エミリオ。今日はね、プリンを作ってみたの。一緒に食べましょう?」

「………、あぁ」

 

張り詰めた空気は少しずつ和らぎ、少年もまた小さく微笑み返した。

マリアンのその振る舞いが、今の少年にはとてもありがたかっただろう。

 

「ジューダス……ほんと、マリアンさんのことが大切なんだね……」

 

優しくマリアンに微笑みかける少年を見ながら、カイルは呟いた。

だが、目の前の光景の変わりに、カイルの脳裏には孤児院に、ルーティに背を向けた少年の姿が過ぎる。

 

(父さん達のことも……フィンレイさんのときと、同じように………選んだ結果なのかな)

 

きっと少年は、この女性を護る為にならば、何だってするだろう。

少年の想いが、今のカイル達にはよくわかる。

 

必ず、護るだろう。何を犠牲にしても、

そこまで考えて、カイルは息を呑んだ。

 

(………そっか、……そう、だよね……)

 

ヒューゴにマリアンを人質とされ、フィンレイを殺すよう命じられたリオン。

きっと、これからも同じようなことが続く。

神の眼の騒乱という悲劇は、既に始まっているのだ。

 

リオン=マグナスの裏切りも、今のカイルになら何が理由か予測することは簡単だった。

 

(…………ジューダス……父さん達を裏切った時、どんな気持ちだったのかな)

 

時は、まるでカイルの疑問に答えるように、突然針の速度を速める。

そして気付けば、少年の姿は自分達の良く知る彼と同じにまで成長し

神の眼を巡る騒乱の序章、少年が背を向けた人物と、再び出会う運命の時にまで来た。

 

それは客員剣士としてのリオンに突如飛び込んできた。

再び聞くこととなったその名に、仲間達も彼と共に息を呑む。

 

「………たかが神殿荒しくらい、お前達で捕まえられなかったのか?」

「それが……なかなか、手強く……」

 

動揺を押し込めながらいつものように冷たい言葉を投げかけるリオンに、兵士は頭が上がらない。

それなりの数の兵士が向ったというのに、たった3人にやられたとあっては、丁度待機していたリオンにしか頼ることができないのだろう。

 

リオンは眼を瞑り、小さく深呼吸をする。

 

ルーティ=カトレット。

彼女が仲間を二人連れ、神殿を荒らしたという。

カイルはため息をついた。

 

「………母さん、……何してるんだよ……」

 

反対にロニは黙り込む。

理由に察しが付いたからだ。

 

リオンが暇つぶしに読んでいた本を閉じて立ち上がる。

兵士はほっと息を吐いた。少年の眉が僅かに寄せられる。

 

『………坊ちゃん』

(…ただの、他人だ………気にする必要などない)

 

シャルティエが静かに声をかけるのに、リオンが声に出さず答えたのがカイル達にも聞こえ、カイルは呆れに緩んだ顔を引き締めた。

彼らの出会いというのはどんなものだっただろうか。

孤児院の時のようにすれ違うことなく、今度は確かに彼らは出会うのだ。

しかし、今のまま行けば、とても仲間として出会うように思えないのだが

 

「で、そいつらは今何処に?」

「ハーメンツにて、酒に溺れ眠っているとのことです」

「そうか。適当に兵士を連れてこい。本当にお前達だけで無理なら出よう」

 

シャルティエを手に取り、リオンはマントを翻し部屋から出た。

ハーメンツについたリオンは、ルーティ達が眠っている宿から少し離れたところで今は傍観を決め込んでいた。

城から出る前に宣言した通り、まずは兵士達に任せるつもりらしい。

やはり他人だと心の中で突き放そうとも、ルーティと戦いたくないのかもしれない。

 

程なくして、兵士達が囲んでいる宿の扉から神殿荒し3名こと、ルーティ達が現れた。

兵士に囲まれている現状に女性二人は顔を顰め、傍に居る男一人は慌てている。

 

「……あれ?……スタン、さん…?」

「えぇっ!?」

 

ロニがふと、二人の女性の傍らに立つ男の顔を見て右頬を引きつらせる。

ロニの言葉にカイルも2,3歩前に出て金髪の男をまじまじと見た。

 

「………え、なんで?どうして?……っていうか、母さんはただのレンズハンターじゃないの?………何で神殿荒しなんか……父さんは……あれ?」

 

絶賛大混乱中のカイルのおかげというべきか、ロニは少しずつ冷静を取り戻す。とはいえスタンがあの場に居る理由は分からないが

カイルの肩に手を置き、口を開く。

 

「……多分、ルーティさんは……」

(孤児院の為に……か)

 

だが、全て言い切る前に、響いてきたリオンの声が答えを出した。

カイルがリオンのほうへと視線を戻すと、彼はスタンになど興味が無いように、眼を細めてルーティを見ていた。

だが、すぐにその視線は3人の神殿荒しを見る目とかわった。

 

「……そっか、母さんは……じゃあ父さんはそんな母さんを…助けてくれてるのかな?」

「スタンさん、優しいのね……」

 

カイルの予想にうっとりとしながら呟くリアラ。

残る3人といえば、

 

(いや、それはどうだろう……なんせカイルの父親だし……)

 

と、妙に焦っているスタンを見ながら思うのだ。

リオンもようやく、態度の可笑しいスタンのほうへと眼を向けている。

 

「ちょ、ちょっと、どういうことだよ!?」

「とぼけるな!王国管理下にある神殿を荒らす不届きものめが!」

「お前はルーティ=カトレットだな?悪名が轟いているぞ」

 

兵士達の怒声に、スタンはバッとルーティを振り返る。

 

「ルーティって犯罪者だったのか!?あの神殿で戦った奴らってただの野盗団じゃなかったのかよ!?」

(やっぱり、騙されてたのか……。)

 

ロニ達どころか、後ろのほうで見ているリオンですら呆れが色濃く表情に出ていた。

カイルのほうはというと、「アハ、アハハハ……」と乾いた笑いを立てている。

 

だが、こんな状況でもルーティはスタンを睨み返した。

 

「ば、そ、そんなわけないでしょ!」

「そうだぞ。ルーティは悪い奴なんかじゃない。私が保証する」

「なんだ。そうだよな。」

 

さらには今まで黙ってみていたもう一人の女ことマリーも天然で弁護したことにより、何故かスタンはルーティの言い分に納得してしまった。

そしてスタンは徐に兵士達を指差す。

 

「じゃあ、この人たちは?」

「誤解よ、誤解!」

「よし。俺が話をつけてやる」

(スタンさん……………)

(父さん………)

「……ほんっと、信じ込みやすいやつ………」

 

息子達が呆れ返りながら見守っている等、知るわけがなく、それどころかすぐ後ろの騙したルーティ本人にすら呆れられているとは露とも知らず、スタンはルーティ達を庇うように前に出て、両手を広げ言った。

 

「ルーティは身に覚えがないそうだ。何かの間違いじゃないのか?」

 

兵士達は当然、馬鹿にされたと思い、先ほどリオンに頭を下げていた兵士が更に怒声を上げて剣を抜いた。

一気に殺気が広がり、スタンも表情を引き締めて鞘に手をかける。

後ろに引いていたルーティも仕方なくスタンに並んだ。

 

「行くわよ!アトワイト!」

 

そう言ってルーティが抜いた小振りの剣に、呆れに緩んでいたリオンの眼が見開かれる。

更にそれに続いて、少年が呆れてみていた男も「行くぞディムロス!」と声をかけて剣を抜いた。

少年は、しばらく傍観と決め込んでから一切動かなかったそこから、一歩前に出る。

 

「………ソーディアン…?」

『え、………うわー……』

 

リオンの驚きの声とは反対に、シャルティエは心底参ったような声を出した。

マスターは訝しげにソーディアンを見る。

 

「なんだ、シャル」

『いや……昔の仲間みたいなものなんですけど……まぁ、その…ちょっと苦手で』

 

リオンは予想もしなかったシャルティエの言葉に僅かに眉を寄せたが、黙って先を促した。シャルティエは「う~ん」と唸りながらも、目の前の同じソーディアン2つへと意識を向ける。

 

『あんまり、昔のことで、いい思い出ないんですよねぇ』

 

リオンはしばらく黙ってシャルティエを見ていたが、やがて目の前の3人に視線を戻して口を開く。

 

「……昔のこと等、気にする必要ないだろう」

 

少年の瞳がルーティのほうへと向けられているのを感じ、シャルティエも少し黙った後、マスターに同意した。

 

『………そうですね。今は敵になっちゃいましたね。…二人とも何をしてるのやら』

「お前達の昔話に付き合うのも面倒だ。シャル、お前は黙っていろよ?」

『わかりました』

 

そうシャルティエに釘を刺したのは、どう足掻いても兵士達だけではあの3人を倒せないとわかったからだ。

次々と兵士達が地面に叩きつけられていく。

やはりソーディアン使い2人を相手にするには荷が重たいようだ。

だが、

 

(……まだ、使いこなせていない。特にあの金髪の男)

 

冷静に分析しているリオンの姿に、カイルは数分後に兵士達の様に地面に叩きつけられる未来の英雄達の姿を想像する。

 

最後の兵士が音を立てて倒れた。

リオンは一つため息を付く。そして、ヒューゴの元にいないというのに同じように手を汚さねば生きれない姉の姿に、そっと眉を寄せた。

その視線は、そのまま隣に居る、眩しい程の金色へと移される。

 

「話し聞いてくれる気になったか?」

 

自分達とは真逆の存在だと、心の奥底で呟かれる少年の声が聞こえてきた。

本当に、ただ純粋にルーティの言葉を信じている。愚かだと呟きながらも、僅かな憧れが掠めた。

 

リオンの思考はそこまでで止まり、ようやく彼はスタン達のほうへと歩き出した。

それを眼にした兵士の一人が「リオン様!」と安堵し、少年の名を呼ぶ。

必然的にスタン達3名の視線はこちらに向うリオンへと向いた。

 

カイルの目から、少年の姿に動揺一つ見出せない。彼はただ冷徹な仮面を身につけ、スタン達の前に立った。

リオンがスタン達3名を睨みつけるのに対し、スタンは眉を寄せながらも首をかしげ、ルーティは後ろから「餓鬼がなんの用よ!」と悪態をついている。

少年はルーティの言葉には反応せず、まずスタンへと言葉を投げかけた。

 

「事情も知らずに正義の味方を気取る。お前、どこの馬鹿だ」

「馬鹿じゃない!スタン=エルロンだ!」

 

間髪居れずに名乗るスタンをリオンは鼻で笑い飛ばした。

そして彼は迷うことなくシャルティエを抜く。

驚きの声が上がったのはスタンとルーティのソーディアンから。しかし、名を呼ばれてもシャルティエは主の命令どおり沈黙を護った。

 

そして、彼らは数分と立たず、リオンにより地面に叩き伏せられる。

子供と見て侮ったのもあり、またその前に多くの兵士達と戦ったことからの疲れもあったとは思うが、やはりリオン=マグナスはソーディアンマスターとしての才がずば抜けているように見えた。

 

すぐさま残りの兵士達に押さえつけられる3人にカイル達はなんともいえないため息を零す。

まさか英雄への第一歩が犯罪者だとは思うまい。

しかし、カイルもまた旅への第一歩がダリルシェイドへの連行だったのだから、血というものは恐ろしいものだ。

 

ロニは呆れながらカイルを見たあと、ふとリオンのほうへと視線を移す。

連行されていく3人の背を少年の瞳が追っていた。

 

「……馬鹿者共が」

 

普段共に居る時に聞けば怒っていただろう言葉は、憂いに満ちていた。

 

 

仲間達は眉を寄せ、傍観する身でありながら緊張に体を硬直させていた。

親でもあり、これから英雄となる彼らが牢屋に入れられたからではない。

その後、報告していたリオンの元にヒューゴが現れ、一度ヒューゴ邸の彼の部屋まで呼び戻されたからだ。

 

ヒューゴとリオンの間では一度も出たことの無い、ルーティ=カトレットの存在。

それについて、触れられるのだろうかと、皆、固唾を呑んで見守る。

 

「……ルーティ=カトレット……か」

 

予想通りというべきか、将又、予想外と言うべきか、開口一番にヒューゴが紡いだのは実の娘の名だった。

僅かにリオンの体が動く。

 

そっとアメジストが持ち上げられ、ヒューゴの表情を見た。

カイルも同じようにヒューゴを見る。

彼は苦虫でも噛み潰したかのように顔を顰めていた。

 

「やはり、あの女がソーディアンを持たせていたのか」

「………ヒューゴ、…様?」

「まぁいい。戻ってきたのだからな」

 

リオンの声に反応一つせず、ヒューゴは鼻で笑った。

 

「同じくマスターの素質のある男が一人………。マスター3人と、ソーディアン3つが、一つの場所に揃った」

 

一度歪んだ表情は、言葉を紡ぎながらすっと消えていく。

完全な無表情は、どこか不気味で、カイルは眉を寄せて男を見つめる。

すると、突如無表情だった顔が、また歪んだ。

 

「ぅ……」

 

それは思わずカイルが後ずさりしてしまうほどに、おぞましい表情だった。

 

「世界を動かす………時が来た。全てを復活させる。この時が……」

 

ヒューゴの様子に、リオンもまた、下げていた頭をあげ、体を僅かに引いた。

そんなリオンへと、ようやくヒューゴが眼を向ける。

 

「リオン。ストレイライズ神殿から神の眼が動く。グレバムによって、持ち出される」

「……神の、眼?」

『…なっ』

 

シャルティエから思わずと言った声が上がるのに、リオンは眼を向けたが、すぐにヒューゴのほうへと戻す。

ヒューゴはリオンの言葉に答えることなく、話を続けた。

 

「それをソーディアンに追わせる。お前と、あのソーディアンマスターのやつらもだ」

 

リオンの眉間に皺が寄る。

カイル達は唖然と話を聞いていた。頭の中でパズルのピースが繋がっていくのを感じながら

 

「あいつはいろんな地方へと神の眼を持ち込む……最後に行き着くのは、ハイデルベルグだ」

 

カイルがそっとリオンを見る。

彼の表情は険しい。それでも、彼は黙ってヒューゴの言葉を聴いていた。

あの綺麗な黒髪の女性が居る限り、少年はどんな命令であっても黙って受けるしかない。

 

「グレバムを追え。…だが、ハイデルベルグに辿りつくまでは捕らえるな。奴がハイデルベルグに神の眼を持ち込み、三日以上経てば、もういい。殺せ」

 

何の躊躇いもなく、人の命を消す命令を下し、ヒューゴは机の上に置いてある箱を持ち上げ、リオンへと渡す。

 

「神の眼の力を一時的に抑えるディスクだ」

 

黙って受け取ったリオンにそう説明すると、もう一度ヒューゴは机の上にある箱を手にした。

 

「グレバムを追い込めば、確実に奴は神の眼を暴走させる。その時にソーディアンに使え。ただし…お前のソーディアンが使うのは、これだ」

 

そして、再び箱をリオンへと渡す。

 

「他のディスクにはソーディアンの機能を一時停止させる力がある」

 

意図がまだ読めず、自然とリオンの眼はヒューゴへと真っ直ぐ向く。

ヒューゴはそれを冷たく見下ろした。

 

「神の眼の力を押さえ、他のソーディアンを停止させたら、ソーディアンマスターを始末しろ」

 

その言葉に、僅かに一瞬、アメジストが見張られたが、すぐに戻る。

少年の心情を察したいところだったが、カイルは動揺しきり、一瞬で冷静を取り戻したリオンを不思議な心地で見ることしか出来なかった。

いつか来ることだと、覚悟はしていたが、こんなにも早いとは。

 

「あれは確実に私の敵となる」

 

視線を合わせていた状態のままで、リオンは動揺を一瞬とは言え見せた。

この男がそれを見逃すとは思えない。ただそれでも、ヒューゴは表情一つ変えなかった。

 

いつもならば此処で、リオンは了承の意を伝えなければならない。

だが、一度開きかけた口を、リオンは閉ざした。

 

ヒューゴの眼が細められる。鋭さと冷たさが増した。

 

「リオン」

「……はい」

「言ったであろう?駒だと」

 

それは、リオンに対して昔、確かにこの男が言った言葉。

カイルはその言葉に奥歯をギリギリと鳴らした。少年を暗い闇へと一瞬で落としたその言葉に、怒りが脳を焦がす。

だが、他のメンバーには言葉の裏を冷静に読み取った。

 

「………ルーティ=カトレット…も、……ですか」

 

言葉の裏に気付いたのは少年も同じはずだ。

だが、あえて彼は問う。ヒューゴからの否定の言葉が欲しくて。

 

だが、男から帰ったのは喉の奥をくつくつと鳴らす笑い。

 

「……血の繋がりなど、下らないのだろう?」

「―――っ!」

 

ドクンッと、世界が跳ね上がった。

元から白い少年の肌が青ざめる。

 

カイル達も嫌な汗が伝うのを感じていた。

この言葉は、少年がルーティに会いに孤児院へ行った時に叫んでいたものだ。

 

監視されていたのだろうか。やはり、少年はこの男から逃れられない……。

そんな絶望感を感じながらも、カイルの胸に宿るのは、やはり怒りだった。

 

(なんで、なんで…あの叫びを聞いておいて……っ!)

 

悲痛な叫びだった。

身を裂くような痛みが、ただ見ているだけの自分にも感じられた。

そんな悲痛な叫びだったのに、この男は、平然と少年を再び縛る言葉へと変えてしまった。

 

「………えぇ、そうですね」

 

低い、地を這うような声が返る。

アメジストが揺れながらも、目の前の男を睨み上げた。

ヒューゴはそれを鼻で笑った。

 

パタン、と扉が閉まる。

リオンの私室は、珍しく静かだった。

今日は、マリアンはいないらしい。

 

いつもならば、その事に僅かながら寂しげな表情を見せる彼だったが、今少年が浮かべているのは安堵だ。

 

誰も、何も話さない。

少年の腰にかかっているシャルティエも、きっと神の眼について感じたことはあるのだろうが、何も言わなかった。

たとえどんな事情があれど、マスターが選ぶのはきっと一つだと分かっているから、彼は何も言わないのだろう。言えば、きっと余計に少年を苦しませるから。

 

リオンがゆっくりと部屋の中を歩く。向う先は、タンス。

一番上の、左側の引き出しを開ける。入っているのはたった2つ。

 

写真と、イヤリング。

 

そっと写真を取り出し、少年は映る女性を指でなぞる。

やがてそれは、女性が抱いている赤ん坊のところで止まった。

しばらく、そのまま止まっていたが、やがて写真は引き出しの中へと戻され、代わりに少年はイヤリングを手にした。

 

そして、徐にもう片方の引き出しをあけ、取り出したのは一つの針。

両方の引き出しを閉めてしまうと、少年は鏡の前へと移動する。

一度イヤリングを鏡の前に置き、針を持ち直すと、そのまま躊躇い無く、少年はそれを左耳へと向けた。

 

「あ、……痛そう……」

 

耳たぶを貫いた針に、重たい空気ながらも思わずカイルが顔を顰めるが、少年は表情を一つも変えることなく、針を引き抜いた。

じわりじわりと血が滲み出てくる。

 

針をおくと、再び少年はイヤリングを手にし、左耳へと持っていく。

血が指につき、それがイヤリングへと移るが、少年は気にせず通した。

 

「…………重い」

 

そっとイヤリングから手を離し、完全に耳にぶら下げた少年はそう一つ呟くと、鏡の中の自分の姿へと視線を移す。

紅を纏ったイヤリングが僅かに揺れた。

 

その姿に、少年は口の端を持ち上げる。

 

「…………血の繋がりなんて、……下らない」

 

自嘲の笑みを浮かべてそう言う少年の黒髪に、紅を纏う金色はとても映え、己の存在を誇示するように再び揺れた。

 

矛盾しているその光景は、どこか綺麗で、どこまでも哀しかった。

 

翌日、報告をしに来たリオンの耳には、血を拭われた綺麗な金色が揺れていた。

ヒューゴはイヤリングを一瞬だけ見つめ、僅かに眼を細めたが、

直ぐに何も無かったかのように表情を戻すと、いつものように命令だけを落とした。

 

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