割られた天秤 – 10

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ハイデルベルグからダリルシェイドへと向う飛行竜。

その一室で、カイル達は悲痛に顔を歪め、立っていた。

可哀想なくらいに、震えている少年の前に、成す術もなく、ただ立ち尽くしていた。

 

(殺せなかった……殺せなかった、殺せなかった…っ!)

 

泣いているのではないだろうか。そう思うくらいに、響く声は震えている。

目の前の少年は顔を伏せてしまっていて、涙の確認までは出来ない。

 

そう、神の眼の暴走を抑え、シャルティエ以外のソーディアンを封じた完璧な舞台の上で、少年は、踊らなかった。

整った舞台の上で、今まで完璧に覚えていた台本を、急に忘れてしまったかのように、ただ少年は唖然とその場に立ち尽くしたのだ。

 

『……坊ちゃん』

「……………」

 

心の声とは裏腹に、少年は口を開かない。

何処からとも無く聞こえてくるこの声だけが、少年の心情を伝える。

 

(……今ならまだ………今、から……)

 

恐怖からか、明らかに冷静さを欠いている声が届く。だが、もうカイル達は誰一人として表情を変えなかった。

何より、彼らが驚いたり、慌てたりする前に、直ぐに彼は自分の考えを否定する。

 

(だめだ、そこら中に兵士がいるのに……)

 

そう、チャンスはあの時だけ。それをもう逃してしまったのだ。

そして、何より、カイル達はもう確信している。

 

リオンにスタン達は殺せない。

 

きっと少年も、同じように自覚しているはずだ。

だが、響いてくる声は、それにわざと気付かないようにしているようだった。

 

(何故、何故!何故殺さなかったっ!マリアンはどうする…っ、あいつらは、駒だろう…っ)

 

自分に言い聞かせる声は、ただただ痛ましい。

 

(殺さないと、いけなかったのに…殺さないといけなかったのにっ!)

 

響く言葉の続きは、耳を通して聞こえた。

 

「……どうしてっ……」

 

やはり、泣きそうな声だった。

 

「ジューダス……」

 

いつものように、ただ自分が知る彼の名前を呟くことしかできないカイル。

その横を、ナナリーがゆっくりと通り過ぎた。

彼女はそっと、少年を包むように腕を回す。触れることはできないが、それでも、居ても立ってもいられなかったのだろう。彼女はカイルに並ぶくらい情に厚い人だから

 

ナナリーはすり抜けながらも少年の頭を優しく撫でながら言った。

 

「当たり前じゃないか。殺せなくて、当たり前なんだよ……あんたは、スタンさん達の仲間なんだから………」

 

カイルは何本か針で穴を開けられたのではないかと思うほど、胸に痛みを覚える。

そして、怒りと、苛立ちも。

そう、当たり前なのだ。ナナリーが言うように、それが当たり前なのだ。

 

(こんなの……おかしいよ)

 

この想いは、少年の現状のみに指したものではない。

 

彼がリオンだと聞いた当初、カイルはジューダスがスタンを裏切ったという事実にショックを受け、悲しかったのを覚えている。

 

今のこの状況は、何とも言い表せない。

ただ、その時の自分は馬鹿だと、カイルは思った。

 

事実だけが書かれている歴史書。

どこにも、こんなに震えている悲しい少年の姿など、書かれていない。

裏切り。その一言で済むような、そんな軽いものならば、この胸を圧迫するものはなんなのだろうか。

 

「俺達は……本当に、……これっぽっちも、知らなかったんだね……」

 

俯き呟いたカイルへと視線が集まる。

カイルの心情を正確に悟ったハロルドが視線をカイルからリオンへと戻しながらため息混じりに答えた。

 

「ま、本当は知るべきことじゃ無いことだろうしね」

「知るべきじゃない…?なんでっ!?」

 

その一言に、カイルは俯いた顔をバッと上げ、過剰に反応する。

それに対しハロルドはいつものマイペースで「はいはい、落ち着いて聞くー」と適当に宥め続けた。

 

「人の過去に土足で入るのはよくないってことよ。理解してやろうっていうのはいいことだと思うけどね。」

 

その言葉により、カイルはハロルドがちゃんと理解してくれていることを悟る。だが、それでもその前の一言が腑に落ちなくて、不機嫌な顔でハロルドを見た。

口をへの字に曲げているカイルをハロルドはびしっと指差して問う。

 

「あんた勝手に自分の過去覗かれて嬉しい?」

 

そこまで言われれば、カイルでも理解は簡単だった。

 

「あ……………嫌だ」

「でしょ?」

「うん、……そうだよ、ね」

 

先ほどとは打って変わって消沈してしまったカイルの方にぽん、とロニが手を置く。

 

「そんなにしょぼくれんな。今俺達が此処に居るのはエルレインのせいなんだからな。つまり、エルレインは最低ってことだ」

 

ロニのフォローはありがたかったが、実際カイルの心に突き刺さっているのはそれではない。「それも、あるけど…」と続けるカイルにロニは首をかしげた。カイルは怖ず怖ずと答える。

 

「でも………皆、何も知らないで、ジューダスの…リオンのこと、……裏切り者って……」

 

カイルが言った「皆」とは、「俺達」とは、今この場に居る5名ではなく、神の眼の騒乱後、何も知らずに生きている全ての人間を指していた。

今、目の前には、こんなにも苦しんでいる少年がいるのに、自分達の世界では、ただ裏切りという言葉一つで、リオン=マグナスを憎悪の対象としている。

カイル自身ですら、知らぬまで少なからずそのような感情をもっていたのだから。

 

じっとカイルのほうを見ていたハロルドが、またリオンへと視線を戻す。

 

「そういうものよ。伝わるものはね…そんなもんなのよ」

「こんなの………おかしいよ。………おかしいよ」

 

拳を震わせ呟くカイルの視線は、吸い込まれるように白い手へと向った。

その場に居るのが、急に嫌になり、カイルはそっと部屋から出る。

 

「あ、カイル……」

 

その後をリアラだけが追ってきた。

扉をすり抜けて出れば、長い廊下ながらもどこか開放感を覚える。ゆっくりと廊下を歩き出したカイルの隣をリアラは何も言わずに、ただ一緒に歩いた。

その事に、少し安心感を覚え、カイルはリアラを見て少しだけ微笑む。リアラも小さく微笑み返した。

 

そうこうしていると、突如話し声が聞こえ、二人は前へと視線を戻す。その先にはスタンとルーティが居た。

 

「あ、ルーティ…」

「……何よ、スタン。こんなところで」

 

どうやら今しがた、二人は廊下でばったり出会ったらしい。

ルーティの問いに、スタンはそっと視線をこちらに向けた。当然、彼らにカイル達は見えていない。スタンが視線で差したのはリオンに宛がわれた部屋だ。

それにルーティも納得したらしい。スタンがルーティへと視線を戻す。

 

「リオン、どうしたんだろうな……体調悪いのかな?あいつそういうことになると妙に隠したがるし、人突っぱねるし…」

「野生の獣みたいよね。体調が悪いのをいいことにあたし達が襲い掛かるとでも思ってんじゃないの?あーあ、もう。あのお坊ちゃん嫌になるわ」

 

神の眼を取り戻してからのリオンは明らかにおかしかった。

いつものスタンの会話も過剰に突っぱね、逃げるように去っていったのだから。

 

ルーティはため息をつきながら首を横に振る。あからさまに面倒だ、と態度に表している彼女に、スタンは笑った。

 

「そんなこと言って、ルーティ、リオンの部屋に向ってたんだろう?」

「そ、それは別に…」

「なんだかんだで心配なんだな」

「うっさいわねぇ!」

 

図星を差され顔を真っ赤にして怒鳴るルーティにスタンは余計と笑った。

リアラの表情が和らぐ。互いを想いあっている、本当にとても良い仲間だ。

 

スタンは笑いを収めたと同時に、真剣な顔でルーティを見た。

 

「行ってやってくれないか」

「は?あんたは?あたしをパシりにする気!?スタンのくせに!」

 

突如そう言われ、ルーティは慌てながらも嫌そうに顔を歪めた。

スタンは眉を八の字にして頭を掻き、ぽつぽつと理由を呟く。その様は英雄と謳われているとはとても思えないほど小さく見えた。あぁ、やはり母は昔から強かった。そんな言葉がカイルの頭を過ぎった。

 

「え、いや…だって、その…もし怪我とかしてたらルーティのほうが…」

「今アトワイトぐーすか寝ちゃってるわよ」

 

ルーティにはっきりとそう言われ、スタンは眉をさらに寄せて言う。

 

「なんか俺、最近あいつに極端に避けられてるし……体調悪くても余計に隠しそうで…、やっぱ俺よりルーティに……な?」

「あんたが妙に付きまとってるから鬱陶しがられてるんでしょー。もう。…それにこの前は普通に喋ってたじゃない。極端に避けられたってさっきくらいでしょ」

 

腰に手を当て、「何弱気になってるのよ、らしくない」と言うルーティに、スタンは「うーん」と唸りながら、やがて頭を掻いていた手を下ろし、先ほどまでのルーティに対して弱々しい顔とは思えない真剣な眼が部屋の扉へと向けられた。

 

「……なんか怯えられてる気がして、な」

「は?」

 

スタンの言葉は確かな事実で、それに気付いていることにカイルは目を瞠る。

今、彼がリオンに会いにいかないのは、彼なりの配慮なのだろう。

 

「じゃ、よろしくっ!」

「ちょっと、スタン!」

 

言うなりスタンはまた眉を寄せて両手を合わせ、ルーティに拝むように一礼したあと、背を向けて逃げるように帰っていってしまった。

その姿にルーティは苛立ち、一度スタンを追おうとしたが、その足を止め、部屋の扉のほうを向く。

 

「……あーもう!仕方ないわねっ」

 

しばらくの間そのまま固まっていたルーティだが、やがてずんずんと音がしそうな歩みでリオンの部屋を目指し、こちらに向ってきた。

カイルとリアラは顔を見合わせ、一足先に部屋へと小走りで戻った。

部屋に戻ってきたカイルとリアラに仲間達の視線が迎える。

二人の帰りに、彼らは何かしらの声をかけようと思ったが、その前に、扉を叩く音が2回、トントンと聞こえて黙り込んだ。

 

今まで顔を伏せていたリオンが僅かに扉へと視線を向ける。

 

「はろーリオンおぼっちゃま?此処開けてくんない?」

 

聞こえてきたルーティの声に少年の表情が僅かに歪んだ。

 

「………何のようだ」

「いいから開けなさいよ」

 

リオンの声は全てを拒絶しているかのようだったが、返すルーティの声はそれを破壊するかのように真剣だった。

 

少年が大きくため息をついた。

ルーティは一度言い出したら聞かない。そんな愚痴を以前シャルティエに零していたのを聞いた覚えがある。彼女の真剣な声から諦めたのだろう。

 

ゆっくりと立ち上がり、少年は扉を開いた。

 

「……なんだ」

 

開けたと同時にリオンが再び聞くが、ルーティはそれには答えずに完全に部屋に入ってしまうと、リオンの腕を逃がさないように捕まえ、少年の顔と体を一通り見回す。

突然のその行動に少年は目を細め、不機嫌そうにしていたが、何故か抵抗しなかった。

捕まれている服に皺が酷く寄っている。見た目よりも強く捕まれているのかもしれない。

 

「…………なんなんだ」

 

それだけで疲れてしまったかのようにリオンはため息をつきながら三度聞いた。

ルーティは満足そうに言う。

 

「怪我はしてないみたいね」

「していない。一体なんなんだ…」

「あんたの顔色が悪いから見に来てやったのよ。感謝しなさい」

 

心配しているのだ、という様をちゃんと見せないのがルーティらしい。

 

「…………」

「はいはい、余計なお世話ってわけね」

 

黙り込んだリオンにルーティは呆れた様に言い、部屋のベッドに座り込む。少年の眉間に皺が寄る。

 

「……わかっていて何故居座る」

「さぁ?」

「お前は僕を馬鹿にしてるのか…?」

「馬鹿にしてんのはあんたのほうでしょうが」

「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」

 

いつもの口喧嘩だが、どこか冷たい雰囲気を伴うのは、リオンの精神が不安定だからか、ルーティがリオンの心情を察しての言葉を紡いでいるからか

少なくともルーティは、珍しく表情を変えずに淡々と言葉を交わしている。いつもならば怒気を散乱させて今にも殴りかからんかのような喧嘩なのに。

 

ルーティはどこか穏やかな目をリオンのほうへと向けた。少年が俯き加減なため、その視線は合わさらなかったが、構わずきっぱりと少年に向って言う。

 

「あんた、ほんっと生意気」

「うるさい」

「あたしにそっくり」

 

思いも寄らないルーティの言葉に、少年がようやく顔を上げた。

 

「もしもあたしに弟が居たらあんたみたいなのかもね」

 

ルーティの表情は、どこかナナリーに似ているところがあった。

リオンは驚きながらも、懸命に感情を押し殺しているような、そんな顔をしていた。

黙り込んでしまった少年に、ルーティは穏やかに、それでもいつもの口調で言う。

 

「だから、ちょっと気になった。悪い?」

 

少年は眉を寄せながら小さく息を吐いた。

 

「………僕はお前の弟なんかじゃない」

「わかってるわよ。」

 

ルーティは苦笑いしながら即答すると、ベッドから立ち上がる。

 

「そいじゃね~」

 

軽く手を振り、そのまま何もしないでさっさと部屋から出て行ってしまった。

パタンと閉じてしまった部屋の扉。

 

「………何しに来たんだあの馬鹿は……」

 

扉を見ながら、そう呟くリオンの表情は切なくて、カイルもまた眉を寄せた。

「弟が居たら」その会話が軽く通り過ぎてしまったことが、悲しかった。

 

「……………」

 

それは、彼自身も小さくどこかで感じているのではないだろうか。きっと、認めたくはないだろうけれど

 

リオンがゆっくりと窓のほうへと向う。そこからは、既にダリルシェイドが見えた。

少年は自分を抱きしめるように腕を回し、それを睨みつけた。

 

ダリルシェイドについた。

出迎えたのは多くの兵士達。神の眼を運ぶための人員だろう。ダリルシェイドは野次馬などによりいつもよりざわめいている。

 

飛行竜から降りるリオンは平常を装ってはいるが、やはり表情が硬い。

恐らく、すぐにでもマリアンの元へと駆けつけたいのだろう。

だが、王への報告を優先した。

どちらにせよ、既にヒューゴの耳にはスタン達の生存が伝わっていることだろう。

表情硬いリオンの様子をスタンが頻りに伺っている。

 

「リオン、…どうしたんだ?」

「うるさい、黙れ」

 

スタンが話しかければ、視線もやらずに少年は冷たく言う。

ルーティのリオンを見る視線が鋭くなったが、彼女は何も言わなかった。

スタンもため息を一つ小さくした後、いつもどおりを装いルーティへと顔を向けた。

 

「城って、どうやっていくんだっけ」

「あんた……本気で言ってんの?」

「だ、だって此処ずっとダリルシェイドになんかいなかったし!」

「どんな頭してんのよ、この鳥頭!」

「ま、まぁまぁルーティさん……」

 

急に騒がしくなる一行に、リオンはため息をついた。少しだけ少年の表情が柔らかくなった気がするが、同時に悲しみも色濃くなった。

 

「……黙ってついてこい」

「あ、うん。リオンに任せりゃいいんだよな。あはは……」

 

別れの時が、刻一刻と近づいてくる。

無事、セインガルド王への報告も終わり、スタン達は開放される。

スタン、ルーティは王の前でも気にせず喜びの声を上げた。

そして、やはりそんな二人とは対照的に表情の硬いリオン。長期任務を無事に終えた喜びなど一つとして沸くはずが無く、表情明るいスタン達に「ヒューゴ邸に行くぞ」と一言告げて城から出る。

そんなリオンの様子にスタンは少し心配げに彼の背中を見つめ、ルーティはそんなスタンの背をバシッと叩いてリオンを追った。

 

城から出てきたところで、もう我慢できないとカイルがそわそわしだす。

その場で足踏みをし、今すぐにでも走り出したい様子だ。

 

「何変な踊りしてんの?」

「ち、違うよ!」

 

ハロルドに変と指摘され、カイルは少しだけ顔を赤く染める。

 

「皆気にならないの!?マリアンさんのこと……」

「あぁ、まぁそりゃ、気になるがな……」

 

ロニの返答は歯切れが悪く、カイルは一度止めた足踏みを再び開始する。

それをハロルドが呆れた目で見た。

 

「だからって、何が出来るわけでもないでしょーが」

「それは……そう、だけど……」

 

冷静で落ち着いているハロルドの様が、妙にカイルを苛立たせる。

 

「俺、先に行ってみてくる!」

「あ、カイル!」

 

そう言ってとうとう走り出してしまったカイルに、今度ばかりはリアラも追うことができなかった。ナナリーが苦笑いを浮かべる。

 

「……カイルは、本当にいい子だね」

「…ま、子供特有よね。一人くらい、あんなのがいて丁度ってとこかしら」

 

ハロルドはそう言うと、リオンへと視線を向けた。

自分の感情を必死に押し込め、歩みを進める顔色の悪い少年。

 

「カイルと1歳違いとは到底思えないわね」

「……ルーティさんの言うとおりだな。ほんっと……」

 

ハロルドの言葉に、ロニが力のない声で呟いた。

一方、カイルはヒューゴ邸へとたどり着き、あたりを見回す。

壁を全てすり抜け探すことは容易なのだが、なんとなく気が引けて窓からリオンの大切な女性の姿を探した。

 

しばらくしても見つからず、焦りが胸の奥を焦がす。

 

「嘘だろ……お願いだから…っ!」

 

そう呟いた時、カチャリと扉の開く音がした。

それは屋敷の裏が発生源のようで、恐る恐るそちらへと向う。

 

すると、そこには綺麗な長い黒髪を風に泳がせる女性が居て、カイルは安堵から脱力し、その場に座りこんでしまった。

 

「……はは、……ははは…」

 

思わず笑いまで込み上げてくる。

彼女は何も知らず、同じ扉から顔を出した同僚と会話し無邪気な笑顔を見せた。

 

「……良かった」

「カイル」

 

同時に、仲間達の声が聞こえ、振り返る。

同じようにマリアンの姿を見て安堵を見せるリアラ達と、そしてリオン。

マリアンがリオンに気付き、視線が合う。

微笑み、お辞儀をするマリアンに、リオンはここに来てやっと表情を完全に和らげた。

だが、それもすぐに戻し、少年はヒューゴ邸の扉を睨む。

カイルがロニの隣へと戻り、同じように扉を睨みつけた。

 

「………そろそろ、覚悟しねーとな」

 

ロニが呟くのに、カイルは拳を強く握り締めた。

ヒューゴへの報告が終わった。

 

報告の間、ヒューゴはリオンを見向きもしなかった。

初めてリオンが城へと訪れた時のように、何も知らぬ顔をして、スタン達に礼をいい、ルーティに約束の金を渡した。

 

その姿が逆に不気味だった。

 

全てが終わり、皆それぞれ帰るべき場所に帰ることとなる。

皆がヒューゴ邸から出ようとするとき、ヒューゴがリオンに声をかけた。

 

「リオン」

「はい」

 

覚悟はしていたものの、いざ話しかけられたとなるとリオンの表情が強張る。

スタン達は既に部屋から出て行っている。とはいえ、扉のすぐ向こうにはいるが、今二人きりなのだ。

ヒューゴは静かにリオンに命令を下した。

 

「スタン君等をお見送りなさい」

 

少年の肩が僅かに跳ね、そのまま固まる。

 

「………それは……、どう、いう…」

 

どこか焦りと怯えを見せながら尋ねるリオン。その反応の意味がわからず、カイルがハロルドを見ると、彼女は淡々と答えた。

 

「見送るついでに殺して来いって意味かもしれないってこと」

 

ばっ音がしそうな程の速さで、カイルはハロルドからヒューゴとリオンのほうへと顔を向ける。少年の反応に、ヒューゴはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「勘違いするな」

「………かしこまりました」

 

カイルにはヒューゴとリオンのやりとりがまったくわからず、そのまま部屋から出て行ってしまったリオンを急いで追う。

リオンは部屋の外で待っていたスタン達の横を通り過ぎながら言った

 

「……見送ってやる」

「あら、嫌々見送ってもらう必要なんてないんだけどー?」

 

嫌味を聞かせるルーティをリオンは無視し、さっさと歩みを進めてしまう。

スタンは苦笑いしながらもリオンの後をついていった。

 

「は、ハロルド…」

「あーはいはい。殺さないといけないわけじゃなさそうよ」

 

ハロルドの答えにカイルは大きく安堵の息を付く。だが、その横でリアラが不安げな顔で「でも…」と小さく呟いた。それに続けるようにナナリーが眉を寄せながら言う。

 

「見送ってる間に……マリアンさん、やばいんじゃないのかい?」

 

安堵に表情を和らげていたカイルが眼を見開いた。

 

「ハロルドっ!」

「それはあたしに言われたってどうしようもないわよ」

 

縋るようにハロルドを見るカイルに彼女は癖の付いた髪を手で弄りながら言う。

 

「……カイル」

 

ロニがカイルの肩に手を置きながら、諭すように名前を呼んだ。

それにより、焦りに高ぶっていた気が一気に治まっていくのをカイルは感じた。

だが、それは落ち着いた。というのではなく、落ち込みからだ。

ロニが何を言いたいか、カイルは受け入れたくないが、わかっていたから

 

「これは歴史だ。あいつは………裏切るしかないんだ」

「…………」

 

黙り込んだカイルを、ロニは顔を顰めながら、もう一度だけ優しくぽんと肩を叩くと手を離した。

 

屋敷から出たところで、突然スタンが歩みを止めた。

その後ろを歩いていたカイル達も思わず足を止めてしまう。

 

「なぁ、リオン」

 

少年がめんどくさそうに振り向いた。だが、気にせずスタンはにこっと笑う。

 

「見送り、此処まででいいよ。お前、ヒューゴ邸に戻りたいんじゃないか?」

 

リオンは少し驚き、そして俯いた。

いつもならば施しなど受けない少年だが、やはり今回ばかりはそうも言ってられない心情なのだろう。

 

「……僕は」

「そうよ。あたしたちがいらないって言ったらいらないの!それにあたしは、どっかの馬鹿とは違って、ちゃんと帰り道わかりますから」

「馬鹿って俺のことか?酷いなぁ」

「自覚あるだけまだマシかもね」

 

ルーティが強く言う言葉の裏には、やはりどこか優しさが隠されている。

その後軽口を叩き合うスタンとルーティ。

リオンは眉を寄せしばらく黙っていたが、やがて眼を硬く瞑り言った。

 

「………勝手に行け」

 

スタン達が満足そうに微笑む。

 

「それではな、リオン君」

「リオンさん。ありがとうございました。お元気で」

 

ウッドロウ、フィリアが挨拶し、それぞれ飛行竜がある方へと歩いていった。

その背を見届けていると、今度はルーティがリオンの前に出る。

 

「ちゃんとご飯食べなさいよ?やせっぽっちのベジタリアン」

「……余計なお世話だ」

 

ルーティの言葉にリオンが眉を寄せていつものように答えれば、何故かルーティは満足そうに笑って、軽く手を振りフィリア達を追った。

そして、残ったのは、

 

「リオン」

 

名を呼び、スタンはいつかの時のようにまた手を出した。

 

「…………」

 

そして、同じくいつかの時のように、それを見るだけで何もしないリオン。

スタンは苦笑いする。

 

「短い間だったけど、俺なんかがしっかりこの任務を果たせたのは、やっぱリオンのおかげだと思うんだ!」

「当然だな」

「ひっどいなぁ……だからさ、ほら」

 

そう言って、笑いながらスタンは更に出していた手をリオンに近づける。

リオンは表情を歪めた。

 

「……だからなんだ」

「俺達、もう仲間だろ?」

 

無邪気に笑って言うスタンに、リオンは見たくないと言わんばかりにそっぽを向いた。

 

「ふざけるな、お前みたいな罪人と何故握手せねばならん」

「えー!罪人はもう終わりだって!」

「知るか」

「リオン~……」

 

スタンが縋るような声を出しても、リオンは腕を組んで顔を背ける。スタンは困ったように笑いながら、一つため息をつき、出していた手を引っ込めた。

 

「いいさいいさ、リオンが首を縦に振ってくれなくても、俺もうリオンとは仲間だって…友達だって、勝手に思ってるから!」

 

突然大声でそう言われ、リオンが背けていた眼をスタンへと戻し、睨みつける。

 

「な……勝手なことを言うな!」

「やだねー!」

 

だが、帰ってきたのは子供のような答えで、リオンは眉をぴくりと跳ね上げた。

少年が文句を言う前に、スタンはまた笑った。

 

「じゃあな!お前ずっとそんな顔してたけど、楽しかった!またな、リオン」

 

それだけ言うと、スタンは随分と距離の開いてしまったルーティ達の背を追い、走り去る。

追いかけながらも、スタンは時々振り向いてリオンに手を振った。

 

それは呆れた顔で見ていたリオンだったが、あの嫌でも目立つ金色が見えなくなった頃、スタン達と旅をしていた時、一番よく見せていた表情は消え失せた。

途方に暮れているような、そんな表情で。

先ほどスタンに言われた言葉を繰り返す。

 

「………またな…、か」

 

少年は自嘲の笑みを浮かべた。

 

『…………坊ちゃん』

 

小さくシャルティエが少年の名を呼べば、彼は一度軽く首を横に振り、ヒューゴ邸へと走り戻っていった。

残された一行の中、カイルは父が消えていたほうを見る。

 

「……ジューダス、……最後まで手、取らなかったね……」

 

遠くから飛行竜の鳴く声が響いた。

 

カツカツカツと廊下を早足に歩く音が大きく響く。

音を立てて扉を開けば、彼女は既にリオンの私室にいて、リオンを笑顔で迎えた。

 

「おかえりなさい、エミリオ」

「……マリアン」

 

久々にリオンが素の表情を曝け出す。

今まで酷く気を張っていたのが抜けたのもあり、彼の表情には一気に疲労の色が出た。マリアンは「お疲れ様ね、もう休む?」と尋ねたが、リオンが強く首を横に振る。彼女はくすりと笑った後、窓のほうを見ながら聞いた。

 

「さっきの男の人達、エミリオのお友達?」

 

突如マリアンからそう言われ、リオンは軽く驚いた。恐らく何処からか見ていたのだろう。

少年は表情を曇らせながら答える

 

「いや……別に」

「あら、そうなの?…でもエミリオ、嬉しそうな顔してたと思ったんだけどな」

「……………」

 

俯き黙り込んでしまった少年に、マリアンは軽く首をかしげた。

 

「やっぱ、そう見えるよね……」

 

カイルは思わず同意する中、ハロルドが眼を細めて扉へと顔を向けた。

カイルが首をかしげながらハロルドを見たとき、少年が動く気配がしてカイルはリオンのほうへと視線を戻す。

彼は首を上げ、マリアンの手首を掴んだ。

 

「それより、マリアン………今すぐ」

 

逃げよう。そう続くと思われた言葉は、突然開いた扉に消された。

カイルの肩が跳ね上がり、ゆっくりと、振り向く。

 

「今すぐ、なんだ?」

 

そこにいたのは禍々しい剣を腰に下げている男、絶望の象徴だった。

冷たい眼で見下ろすヒューゴに少年の表情が見る見る青ざめていく。

久々のリオンとマリアンの会話に和んでいたカイル達の間にも一気に緊張が走った。

 

「リオン。わかっているだろうな」

 

少年を睨みつけながら冷たくそう言い放つヒューゴ。

突如あまりにも緊迫した空気に、マリアンは身を捩らせる。

 

「あの、…私、退室したほうが……?」

 

躊躇いがちに聞きながら動こうとするマリアンを、リオンは腕で遮り、彼女を背に隠すように前に出た。

 

「……エミ、リオ?」

 

困惑からマリアンの口から本名が零れる。ヒューゴの方眉がぴくりと跳ね上がった。突如くつくつと笑い出し、肩を震わせる。

 

「……エミリオ、か………」

 

リオンの表情が酷く歪む。同時に、ヒューゴは笑いを収め、先程よりも更に冷たさを増した眼が少年を射抜いた。

 

「愚か者が」

 

突如ヒューゴが剣を抜く。リオンは眼を瞠らせ、咄嗟にシャルティエを抜いてベルセリオスを防いだ。だが、次に来るヒューゴの左拳を防ぐことができず、それはリオンの腹にめり込んだ。

 

「ジューダス!」

「ヒューゴ様!?」

 

その場に崩れ落ちたリオンに、カイルは思わず声を上げた。

そして彼女もまた、リオンに駆け寄りながら、眼を見開きヒューゴへと非難の声を上げる。だが、ヒューゴは気にせず、苦痛に表情を歪ませるリオンを見下ろした。

 

「何故殺さなかった。情が移ったとでもいうのか?駒風情が」

 

追い討ちをかけるような冷たい声が響く。リオンは僅かに体を起こしながらヒューゴを睨みつけた。憎しみの篭るそれにヒューゴは眼を細める。

 

「それとも、それの命。もはやいらないと?」

 

その言葉に、リオンは奥歯を噛み締め、憎しみを溢れさせた。

体を起こし、シャルティエを構えたリオンに、ヒューゴはふん、と鼻を鳴らす。

 

「お前ごときが私に敵うとでも思っているのか」

 

ヒューゴは構えることもなく、悠然とリオンを見下ろした。

 

狭い部屋だ。長引くことなく、勝敗は簡単についた。

 

『坊ちゃん!』

「ジューダス!」

 

再び崩れ落ちる少年に、マリアンは震えながらもゆっくり手を伸ばす。今まで何も知らなかった彼女には、事態についていくだけで精一杯だろうに

 

「もう少し、利口に育てていたと思ったのだがな」

 

そんな二人をヒューゴは剣を一度振るい、冷たく言い捨てた。

 

「嘘だろ……こんな……」

 

カイルは弱々しく呟く。誰もが認める天才的な剣技を持つ、あのジューダスが、僅かな抵抗しか許されない等とは

カイル達が唖然としていた時、ヒューゴが腕を振り上げた。

当然、その手にあるのは剣で、向う先は意識を保つだけで精一杯の少年だ。

 

「な、やめろ!」

 

思わず走り出すカイル。だが、当然ヒューゴに体当たりをしてもそれはすり抜けてしまうだけで、下ろされる剣にカイルの眼が絶望に開いた。

 

「お止めください、ヒューゴ様っ!」

 

だが、剣が下ろされる前に、今まで震えながら見ていたマリアンが声を上げながら、なりふり構わずリオンを護るように覆いかぶさった。

ヒューゴの剣がマリアンの肌を切り裂く寸前に止まる。

 

「どけ」

 

剣を突きつけられ、更にヒューゴの冷たい眼と声が降り注ぐ。だが、マリアンは完全にリオンとヒューゴの間に入り、リオンを背に両手を広げた。

 

「お止めください、どうしてこんなことを!」

「どけ。貴様も一緒に切られたいか」

 

冷たく言われ、僅かにマリアンの瞳に怯えが走ったが、彼女は首を横に振り、そこから動こうとしなかった。

ヒューゴの顔が僅かに歪んだ。意識がしっかりとしてきたのか、リオンが顔を上げる。

同時に、ヒューゴは再び剣を持ち上げた。

 

その光景に、少年の眼が大きく見開かれる。

カイルは脳が揺れるような衝撃を感じた。くらりと意識が一瞬朦朧になる中、とある映像だけが強く映る。

ヒューゴの寝室に飾ってあった、クリス=カトレットの写真が

 

「ま、…待て……っ!」

 

僅かに体を起こし、顔を上げたリオンからはもう、先ほどまでの憎しみや殺気が消え去っていた。

 

「もう、一度……機会を………」

『……坊ちゃん……』

「ジューダス……」

 

シャルティエとカイルから困惑と驚きの声が漏れる。

リオンが、頭を下げたのだ。先ほどまで、あれだけ殺気を溢れさせながらヒューゴを睨みつけていたというのに、そのヒューゴに向って

 

「次は、やり遂げます……から……」

 

ロニが酷く顔を歪ませる。誰よりも少年のプライドの高さを知っているからこそに、目の前の状況が信じられない。

あの少年は、たとえ自分が殺される瞬間でも、絶対命乞いなどしない。そんなことするくらいなら、自ら命を絶ってしまうような、そんな人間だ。

 

ヒューゴは振り上げた剣をゆっくり鞘にしまった。

思わずカイル達は息を吐く。先ほどまで呼吸を忘れていたかのように、その一息は重たかった。

ヒューゴがリオンを見る目は相変わらず冷たい。だがもう、この場で殺されるということはないようだ。

 

「次は無い」

「……はい」

 

二人のやりとりに、僅かな怯えを見せながらマリアンがゆっくりと振り向くが、リオンはマリアンと視線を合わせず、俯いたままヒューゴの言葉に答えた。

ヒューゴはそんな彼を無表情で見下ろし、新たな命令を下した。

 

「神の眼を奪え。時期はその時が来たら言う」

「………わかりました」

 

それだけ言うと、ヒューゴは部屋から出て行った。

マリアンはその場にへたり込むが、すぐにリオンのほうへと体を向けた。

 

「エミリオ…?どういうこと……?殺さなかったって…、さっきの男の人達のこと?」

 

傷ついた少年を助け起こしながら、色々と尋ねるが、リオンは俯いたままで答えない。

 

「エミリオ………?」

「………すまない」

 

マリアンが必死に少年の表情を伺えば、彼は眉を寄せて詫びた。マリアンは首を横に強く振り、少年の細い肩を掴む。

 

「エミリオ、違うの。教えて!あなたいったい何が…っ」

 

突如、また部屋の扉が開き、マリアンはそちらへと眼を向ける。

現れたのはヒューゴではなく、オベロン社幹部3名だった。

こちらへと近づいてくる彼らに、マリアンの表情が強張る。

 

「連れて行け」

 

レンプラントが淡々と命令を下すと、バルック少し眉を寄せながらもマリアンの腕を掴んだ。

 

「な、何……やめて!離して!」

 

マリアンの悲鳴に顔を上げたリオンだが、レンプラントらを見て唇を噛み、眼を伏せた。

扉のところまで引きずられていったマリアンへと、視線を合わすことなく少年は言う。

 

「マリアン、絶対、……護るから」

 

その言葉は、マリアンに絶望しか与えないだろう。

少年が今から何をしようとしているのか、彼女には僅かながらもわかるはずだ。

 

「エミリオ!待って、だめっ…!やめて、離して!エミリオォッ!!」

 

部屋から出たバルックの後を、レンプラントが付いていく。

残ったイレーヌが眉を寄せリオンのほうを見たが、何も言わずに去っていった。

 

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