松明の明かりのみが頼りの暗い地下。
ギシギシと鳴る梯子は今にも足場が抜け落ちそうで肝を冷やされる。
「カイルー、大丈夫かぁ~~」
「う、うん。前も崩れなかったからきっと大丈夫だって」
上で心配そうに松明を照らし持っているロニの声にカイルが親指を立てるも、少年の声は僅かに震えている。
少しは整備くらいしてほしいものだが、封印されていては仕方ないか
カイル達は無事、地上軍軍事拠点跡地にたどり着いた。
前と同じく、周りに迷惑をかけての謁見により王からは少々諭すように叱られたが、事情を話せば快くイクシフォスラーを貸し与えてくれた。
何とか梯子が崩れることもなく、カイル達は懐かしい赤い塗装のされた飛行機械を前に並んだ。
「懐かしいな、イクシフォスラー」
カイルがそっと、羽の部分に触る。
青い瞳が揺れるのを見て、ロニが横から呆れたように呟く。
「もしかして操縦席にジューダスが乗ってたりなんかしないかなーとか思っただろ」
「え!すごい!なんでわかったの!」
「お前最近そればっかだろうが」
指摘すれば照れ笑いをするカイル。褒めてるつもりは全然ないのだが
近頃カイルは事あるごとに消えた少年の名を口にする。それはまだ諦めていないという意思よりも、無理やり自分に言い聞かせているように聞こえてくる。
カイルらしからぬぎこちないやり方に、ロニは表で笑いながらも心のうちでため息をついた。
そんなロニの心情など知らず、カイルはさっさとリアラをつれてイクシフォスラーに乗り込む。
「うーん、やっぱりどうなってるのかよくわかんないや」
起動されなければ光さえ放たない前の旅のお供に、カイルが頭を掻く。
項垂れるカイルの横で同じく乗り込んできたロニも機械を見たが、複雑すぎて何がなにやらわからない。
カイルの後ろにいるリアラにそっと視線を向けてみたら、眉を八の字にして首をかしげていて、やはり無理なのだろかと落胆する。
こういうとき、改めて思うのだ。あの少年が居なければあの旅で俺達は生きていなかっただろうと
「あっ!」
そんな時、ただの一声ですら無駄に明るいカイルの声が機内に響く。
何だと見れば、少年は操縦に使う機械を見ていたわけでもなく、後ろの座席の前に座り、そこをじっと眺めていた。
「どした?」
「何か書いてあるよ」
ロニとリアラも座席を覗き込み、松明を当てる。
英雄の座席
運命ならば、名を打て
「英雄の、座席」
リアラが呟く。
座席の裏に彫られたその文字に思い浮かぶのは、前の旅で飛行していたときの風景。
イクシフォスラーの座席はいつの間にか決まっていた。
ジューダスに何かとおねだりする為に彼の後ろにカイル。その横には当然のようにリアラ。更にその後ろにロニ、ナナリー。
当初は煩いからと寄せ付けなかったジューダスの隣の席にはハロルド。
文字が彫られたこの座席はカイルがずっと座っていた場所だった。
カイルは掘られた文字をそっと触れる。すると、パカ、と薄く蓋が開いた。
そこからはずらりと並んだアルファベット一文字一文字のボタンが覗く。
ドクンドクンと胸が高鳴る中、導かれるように指をボタンへと近づける。
カイルは一度ロニとリアラに視線を向けた。二人は同じ神妙に頷く。
一つ一つ、間違えないようにカイルはゆっくりボタンを押した。
カイル=デュナミス
押した瞬間、ピーと耳障りな機械音がし、カイルは驚いてその場から飛び上がった。
同時にイクシフォスラー内部が明るくなる。
そして重たい音を立て、文字とボタンのあった箇所が繰り抜かれたようにその部分だけ倒れ、一枚の紙がひらりと落ちてきた。
可愛いピンク色の字で書かれた名前にカイルの顔が見る見る明るくなる。
ロニは驚き唖然とし、リアラは幸せそうに微笑んだ。
ハロルド=ベルセリオス
やっほ~☆どお!?すごいっしょ!私ちゃっかり思い出しちゃったのよ!
やっぱあんたらみたいなのとか、あの体験を忘れるなんてもったいないことありえないわよね。せっかく神を越えたのだもの
あんたがこれを見てるってことは、あんた達も思い出したってことよね?
ま、あんただったら英雄と見て即自分の名前打ちそうだけどねー別にいいけど。
此処に来たのならイクシフォスラーを使いたいってことでしょ?
ジューダス無しであんたらが使えないんじゃないのかなーって心配になったから此処にあんたの名前打つだけで起動するようにしといてあげたわよ
あとはモニターに映ったマップを適当に押したら着くから
ほんっと私ってば天才よね☆ぐふふふふふ
私とあんた達がもう出会うことはないけど、まー出会ったとしても、この体じゃないでしょうけどー。絆は消えない、ね。此処に証明したわよ!
鳥の囀りと共に暖かい日光と涼しい風が窓から入り、カーテンがさらさらと揺れる。
眠気を誘われる環境に、フィリアは目を細めつつも薬を作る準備をしていた。
少年たちが持ってくる奇跡に頼る以外のものも、その机に並べて
たとえ彼らが奇跡を手にすることができなかったとしても、足掻く準備は怠らないように
コップに水を入れ、机に乗せる。
揺れる液体の中に白い粉を入れ、ゆっくりと混ぜる。
濁った液体の状態をしかと見極めていると、ふとカーテンが大きく膨らみ、液体に窓の風景を映し出した。
黒く大きい鳥がゆっくりと下降していく。
ぶわっと、随分と強い風が吹き、フィリアは顔を上げて直接窓へと視線をやる。
「……え?」
フィリアは一瞬己の目を疑った。コップに移った鳥の影ですら随分と大きなものだと思ったが、今目の前にあるあれは、なんだ。
大きな鳥の影は動きを止める。どうやら着陸したようだ。
建物の間にでも、その大きな物体は確かに見えた。
神殿の者や町の者が騒ぎだす。
あの鳥の影は、赤褐色をまとった飛行機械だった。
この時代、飛行機械など飛行竜くらいしか知られていない。そしてその飛行竜も今では滅多に拝むことができないのだ。
町に突然現れた大きな飛行機械に町ならず神殿内も大騒ぎになり、当然フィリアの部屋にも神団兵士が現れる。彼らが狼狽しているのを何とか宥め、フィリアは外へと出た。
「フィリア様、あれは一体……!」
「………もしかして……あれは、ウッドロウさんが言ってた……」
「え?英雄王が…?……一体…」
首をかしげる兵士を護衛としてつけつつ、フィリアは町の人たちを掻き分け飛行機械の元までたどり着く。一体この中から何者が現れるのか、恐怖しながらも好奇心を抑えられない町の人たちがこの機会を取り囲んでいる。
プシュ、と独特の機械音を立て、恐らく入り口となるのだろう機体の一部が浮かび上がり、ゆっくりとこちらに倒れてきた。それは予想通り階段となり地面にかかる。
息を呑みつつ全ての人が開いた飛行機械へと目を向けると、中から慌てたような声が聞こえてきた。
「おいおい、自動操縦ってハロルドのやろう、こんな町の近くにとめてんじゃねーよ!」
「すごい人…」
「あーっフィリアさん!」
そのあまりにも間の抜ける彼らの声に、観衆も言葉が出ないようだった。
神団兵士は名を呼ばれたフィリアへと目をパチクリさせながら視線をやった。
フィリアは苦笑いする。ウッドロウが彼らにイクシフォスラーを与えたのだと認識し、兵士に「問題ありません」と声をかけた。
そして再びカイルへと視線を戻し、目を瞠る。
彼は、フィリアの名を何度も呼びながらこちらへと駈けてくるところだった。
そして、その手には大事そうに一厘の可憐な花を持っている。
それは、間違いなく奇跡の花だった。
フィリアは口元に手を当て、満面の笑みを浮かべた。
「……イクシフォスラーか………。」
「貴方達の移動手段でしたね」
聖女の私室。目に優しい淡さを含んだ白で統一されているこの部屋の窓から、その飛行機械はしっかりと見ることができた。黒衣の少年は紫紺の瞳を細める。
(カイルなのか……?)
部屋の外では兵士が走り回る騒がしい気配がしている。
これほどまでに馬鹿騒ぎを起こすイクシフォスラーの乗り手が他にいるだろうか
「彼らはやはり、また私に立ち向かって来るのでしょうか」
窓の向こうを見ることなく、エルレインが呟いた。
聖女は、あの乗り物の中にいるのが神に楯突く者だと確信しているようだ。
女の冷静な言葉に、ジューダスは窓から離れ、床を睨む。
もう既に、聖女の噂は広く轟いている。
カイル達が気づくのも時間の問題。
もし記憶が戻っているのならば、気づいた時に彼らが取る行動は一つしかない。
「それでも、私は負けるわけにはいかない。……準備を、始めなくてはなりませんね」
誰の手も借りず、窓がひとりでにパタンと閉まった。
ジューダスはその上からカーテンを閉めると、黙って部屋から出る。
聖女は、薄く笑っていた。
ぎぃぎぃと古い階段が軋む音をたてる。
2階へと上りきり、今度はひとつの扉の前に彼女は立った。
その扉もまた、階段と同じく軋みながら開かれる。
丁度日が上った所の時刻。窓の外には太陽が煌いていた。
窓から容赦なく顔に光が注いでいるというのに、この部屋のベッドで寝ている少年は涎をたらしながらぐっすり眠っていた。
「あーあ。だらしない」
ルーティはフライパンとお玉を持ちながら腰に手をあて息子の様に笑みを浮かべる。
この前は1日も経たず、此度は1週間も経たずして帰って来た少年にルーティはもう笑うことしかできない。
カイル達が飛行機械に乗って戻ってきたのは昨日の夕方頃。
またの突然の帰還に驚くのも疲れたルーティはとりあえず元気に迎えてやった。
今度は、彼の言っていた探したい仲間らしい小さい子供二人を連れていたカイル達。
だが、まともな説明もせずにカイルは部屋へ行きベッドにダイブした瞬間に眠りこけてしまった。
一緒に帰って来たロニやリアラに説明を求めたかったが、二人とも同じように疲れ果てた顔をしていて、追求の口を閉ざさずには終えない。
代わりに、赤毛の少女が笑いながら説明してくれた。
自分がカイル達の話していた10年後の世界で出会った仲間であること。そしてこの時代でカイル達が弟の命を救ってくれたことを
赤毛の姉弟にとっての小さな英雄をもう少し休ませてやろうかと、両手の鉄を打ち鳴らすことに躊躇った。だが、昨日の夕方から今はもう10時を超えているのだ。
ルーティは息を大きく吸うと、お玉を掲げた。
「秘義!死者の目覚めぇ!」
「うおあっ!」
こうして、デュナミス孤児院にいつもの朝がやってきた。
遅れた朝食を囲む旅から戻ってきた一行。
リアラ、ロニも疲れ果てていたのか、カイルと同じく寝坊。カイルの部屋から聞こえてくる容赦ない音の攻撃により跳び起きることとなった。
テーブルを囲むのはスタン、ルーティの夫婦と、昨日帰って来たカイル達、そしてナナリーとルーである。
「こいつの病気は確かにフィリアさんが作ってくれた薬で治ったんだけど、まだ病み上がりだし、やっぱホープタウンの気候は辛いってことでこっちに移らせたいんだ」
ロニがスープを一口啜って、昨日できなかった説明を終えた。
姉に隠れながらこっそりと顔を出す少年は不安げで、ロニが頭を撫でてやる。
「あぁ、それなら全然かまわない。何人でもどーんとこいって」
「よかったー」
「ありがとう、スタンさん」
ナナリーが頭を下げる。
まだ小さいのにしっかりとした口調は違和感があり、スタンとルーティは苦笑いをした。
「こんな小さい子が、今より10年後の記憶を思い出しているっていうの?」
「んー俺もよくわかんないんだけど、でもナナリーは俺達が仲間だってことはちゃんと思い出してくれたんだ!えへへ」
カイルが誇らしげに鼻を擦りながら その時の事を思い出す。
ホープタウンへ付いたイクシフォスラーは、またも至近距離に降り立ち、いっそハロルドからの悪意を感じた。だがそれによりナナリーはイクシフォスラーを見ることができ、少しずつ思い出していったらしい。
そして、降りてきた奇跡を運んできた旅人達をもう一度見渡して、彼らの名前をしっかりと思い出したのだ。
さすがに、10年という差があってか、すべての記憶を思い出すこともできず、それへの理解にも困難を生じたが、カイル達が自分にとって大切な仲間だということだけは確かなことだと、ナナリーは確信したのだ。
「じゃあ、これで一件落着?」
「…………かな」
ルーティがまた旅に出るのではなかろうかと、思いながら言えば、カイルはしばらくの間のあと頷いた。
カイルの表情は暗いが、彼は自分の思考を飛ばすためにゆるゆる頭を横に振る。
「もう、ほとんど探し回ったんだよね」
「……カイル」
リアラが眉を寄せながらカイルの袖を掴む。
「でも、諦めないけどね!しばらくは此処でゆっくりするよ」
「そうか」
「……よかった」
ルーティがこっそりと呟いた言葉にスタンはそっと、彼女の肩を寄せる。
ようやく一安心といったところだ。
スタンそっくりの息子は、どうにも目の届く位置に居ないと不安でならないらしい。
しばらく、が一体どれほどの期間になるかはわからないが、ルーティは上機嫌である。
「まぁ、しばらく田舎でのーんびりすればいいわ。リーネ程じゃないけどね」
「ひどいなぁルーティ。あそこはとてもいいところだぞ」
「あっそ。リアラちゃんもクレスタをよく見てくるといいわ。買出しとかも、いつか手伝ってもらうんだから!」
「はい!」
スタンの言葉にはそっけない態度のまま、ルーティとリアラは女同士で微笑みあう。
母親の言葉にハッとされたのはカイルだ。思えばリアラに自分の故郷を案内した覚えがない。あの旅の時ではそんな猶予すらなかったのだから。
思い至れば早いもので、カイルはリアラがすでに食事を終えているのを見て、急いで自分のそれも胃に流し込むと、「ご馳走様」と手を合わせ、すぐにリアラへ向き直る。
「よっしゃ!リアラ、クレスタ案内するよ!ついてきて!」
「うん」
音を立てて立ち上がり、カイルは玄関へと向かう。
慌しさにはすっかり慣れてしまったリアラは、すぐにカイルの手によって開けられたドアから外へと出る。
その際、カイルの耳元で
「久しぶりのデートね」
と呟やき、カイルの頭はボンッと音を立てて噴火した。顔は真っ赤である。
そんな様子にリアラだけでなく、スタン達も大爆笑した。
「それじゃ、行って来るね!」
真っ赤な顔をそのままに慌てて外へ飛び出すカイルを、ロニがため息をつきながら見送った。そっと、すぐ隣の椅子に座っている赤毛を見る。
今はもう、自分の腰くらいの背丈しかない子供に、もう一度ロニはため息をついた。
「あーあ。もうなんっていうか。羨ましいぜこんちくしょー」
「ほんと……ルーティももう少し素直だったら」
直後にゴンッという鈍い音が後ろから聞こえてくるのを、ロニはルーの顔をそちらに向けないよう固定しながら気づかないふりをした。
カイルはリアラの手を握り、クレスタを走り回った。
よく非常時のときに鳴らす鐘で悪戯をしただとか、ロニはこの世界ではパン屋で修行中だとか、この畑からはよくトマトをつまんだとか。
カイルとロニの子供時代がいっぱい詰まったクレスタを、リアラは楽しそうに眺め、カイルは心躍った。
「でね、でね、ロニったら女の子のスカートめくりばっかやってさ!」
「やだーロニったら!」
くすくすと楽しげに笑うカップルの話題を、本人が聞けば泣いたことだろう。
一通り周って、うっすらと汗をかき、適当なところに腰を下ろして会話していた二人。
カイルはリアラに昔のことを話していると、遠くに人影を見つけ、声をあげた。
「あ、リアラ。あの人だよ。ロニのお友達」
指をさして教えてあげれば、指された本人も気づいたらしく、ゆっくりこちらへ向かってくる。まさかスカートめくり友達として紹介されているとは思うまい。
青年はこちらへと近づくと、リアラを一瞥し、カイルに言う。
「なんだ、カイル。お前恋人見つかったのか。ロニが泣くぞ」
「わっ!こ、恋人…っ」
またも顔を赤らめる純情なカイルにリアラはくすくすと笑った。
少女の様子に勘違いではなかったと知ったのか、青年は「こりゃまた大ニュースだな」と呟く。
「あーそういや、大ニュースと言えばあっちのほうがやばいな。カイル知ってるか?」
「え、なに?」
「正直とても信じられない内容なんだが、目撃者が後を経たなくてよ。もうアイグレッテの町では知らない人はいないそうだ」
「な、なんの話!?もしかしてすっげー英雄がでたの!?」
カイルが興味津々な目を向ければ、青年も口の端を上げる。
「はは、英雄とはちょっと違うな、だが大体当たりだぞ」
聞いて驚けよと彼は静かに言った。
「何でも、神様が降臨したそうだ」
その言葉に、和やかだった場の雰囲気が一転した。
今日は特別いい天気だと、適当に子供達の相手をしながらロニはのんびり考えていた。
子供達にナナリーとルーも紹介しすれば、ナナリーは持ち前の明るさからすぐに子供たちの輪に溶け込んだ。ルーもそのナナリーに引っ張られるような感じで皆と遊んでいる。
再び巡り会えた奇跡。死と哀しみが目の前に迫っていた姉弟が今こうして明るい笑顔で駆けずり回っているのを見ていれば、喜びがこみ上げ体中がこそばゆくなり、ロニも思わずその輪に入ることとなる。
「ロニーー!覚悟ー!!」
「わっ!てめぇあぶねぇ!何するっ」
「ははは、いけーいけー!」
「ナナリーてめぇ変なこと教えてんじゃねぇ!」
「なんだい。ホープタウンの子達はもっともっとパワフルだよ?これくらいやっておかないと、強くなれないって。ほら、ロニ。おとくいのモンスターよろしく」
「得意じゃねぇえええ!」
「あははははは」
やんちゃな子供達が悪餓鬼並みへと変化する。
これでは完全にホープタウン2号だ。
ナナリーの言葉もあり、10年後の世界に迷い込んだことを思い出す。遠い昔の記憶のようだ。あぁ、実家がずっとあんな状態になるのは大変困ったものである。
―ふん、もっと餓鬼共に修行つけてもらったほうがいいんじゃないのか?あれくらいのものも受け流せないとは
ふと、憎たらしい皮肉めいた笑みを思い出す。
(ちぇ、あいつだって俺から見れば大して変わらねぇ餓鬼だっていうのに)
思わず、駆け回るロニの足が止まる。
同時に、子供の容赦ない攻撃がロニの腹に決まった。
「いっでぇっ!」
「あーあ。ロニ兄ちゃんぼーっとしてるからだよ」
「はー……お前ねぇ」
頭をボリボリ掻いて子供を見下ろすも、ロニは子供を怒る気力が沸かず、もう一度ため息をついた。
「あーあ。なんか気分乗らねぇなぁ…ちきしょ」
そう空にぼやくと、遠くからバタバタと忙しい足音が届く。
カイルだろうかと目星を付け振り向けば本当にそうだった。
リアラは表情が見えないほど後ろのほうで懸命にカイルを追いかけている。
せっかくのデートを途中で切りやめるとは、後で色々教え込まないといけないかもしれない。そんなくだらない考えをしながらも、ロニはモンスター役を交代できそうだと喜ぶ。
だが、その考えはすぐに消え去った。
走ってくるカイルの表情が真剣そのものだったからだ。
「どうしたんだ?」
「ロニ!大変だよ!」
「なんだなんだ。またおばさんがぎっくり腰にでもなったか?」
じゃれ付く子供達を適当に押さえ込みつつ聞けば、カイルはぶんぶんと首を横に振る。
リアラも息を切らしながらようやく追いつき、その表情が厳しいことに、ようやくロニも真面目な顔になった。
どうやら、おばさんのぎっくり腰とは規模が比べ物にならないようだ。
「何があった?」
そのころには空気を読んだのか、子供達もじゃれつくのをやめてロニとカイル達を心配そうに見ている。
やがて、リアラが切れる息の合間に答えた。
「エルレインが…復活してるの」
「はぁ!?」
ロニが声を上げ、後ろにいたナナリーも大きい目を見開いた。他の仲間達よりも劣る記憶とはいえ、敵の名は覚えているようだ。
「どういうことなんだい!」
「俺もよくわかんないよ!でも…でもさ!」
「神が降臨したって何!?」
突然声を荒げ、詰め寄ってきたカイルに、噂を届けた青年は驚いた。
カイル達の反応が驚愕といったものではなく、どこか怒りと焦り、異様な真剣さをもっていたからだ。青年はたどたどしく続ける。
「あーいや、神っていうかな。すげぇ奇跡の力をもった女がストレイライズ大神殿にいきなり現れたって」
「エルレイン……」
リアラが震える唇で呟いた名前に、青年が頷いた。
「あぁ、そうだ。なんだ知ってるんじゃないか」
「そんな…」
只ならぬ様子の二人に青年は何がなにやら分からない様子で小首をかしげる。
だが、カイルとリアラはそんな青年にかまっていられるような心境ではなかった。
「えーっと…まぁ、なんだ。俺の親友がさ、そいつに無くなった腕を治したもらったんだ。奇跡の力で。俺もびっくりしたな。聖女様はストレイライズ大神殿に神の使いだって言われて歓迎されてるらしいぜ?」
人差し指で頬を掻きつつ青年が言う。
それに対してカイルとリアラは目を合わせ、青年に情報の礼を言うと駆け出した。
カイルが青年から聞いた話を伝えれば、ロニは「なんてこった」と顔を手で覆った。
その姿にカイルが首を傾げる。それを見てロニは真剣な顔でこちらを見た。
「まったく一緒なんだよ」
「一緒って…?」
「いや、時期はちょっと違うかもしれないが…まぁ詳しい時期なんて覚えてねぇけどよ。エルレインが大神殿にいるのも、聖女として称えられるのも、俺のダチが友の腕を治してもらったと喜ぶのも全部」
歴史は修正されたんじゃなかったのか、と眉間に皺を寄せながら地面を踏みつければ、近くに居た子供達が只ならぬ様子に怯えた。
ナナリーが気を利かせてルーに他のところへ行くように伝える。
一体どうなっているんだ。と4名は唇を噛んだ。
神は確かに死んだのだ。この手で殺したのだ。核となるレンズを砕いて、大きな代償を払って。
あの辛い想いを乗り越え、死線を潜り抜け、手にした勝利は一体なんだったのか。
カイルの瞳が大きく揺れる。
動揺する仲間の姿を一通り見上げた後、ナナリーが尋ねた。
「どうする?」
「どうするって……」
「放っておくわけにはいかないんじゃないかい?あいつはきっと、また同じことを繰り返す」
カイルは苦い表情のまま静かに頷いた。リアラがそっとその腕を掴む。
「行こう…アイグレッテへ。確かめないと」
「あぁ……そうだな」
ロニが頷けば、その横の小さい赤毛も当然のように頷いて、ロニは「あ」と声を上げる。
「お前、ついてくるのか?」
「放っておけないじゃないかい。あたしゃ、またあんな未来を生きるのは嫌だね」
少女が思い浮かべるのは、人として大切な何かが欠けた世界のことだろう
だが、そうだとしてもこの子はまだ9歳なのだ。弟のこともある。
「いや、だめだ。お前はお留守番だな」
「子供扱いするんじゃないよ!」
「子供だろうが、今では関節技も使えないくせに生意気言ってんじゃねーよ」
ロニが言えば、剥れた少女がロニの足に蹴りを入れる。無論ロニは悶えた。
その様子にリアラが苦笑いしながらも、ナナリーに目線を合わせるようにしゃがみ、諭す。
「でもナナリーやっぱり危ないわ。それにルー君とも一緒にいてあげたほうが…ね?」
旅をしていたときは、どこかリアラを護る側だったナナリーにとって、立場逆転の状況はむずかゆい。しばらくして少女らしからぬため息をついて、彼女は頷いた。
ともに生きていける時間の差とは言え、やはり10年は大きい。
昔の仲間との距離を感じ、どこか頷いた少女が寂しげで、ロニは痛む足をさするのをやめ、赤毛を撫でた。
「じゃ、行ってくるわ」
「さっさと戻ってきて報告するんだよ!」
「へいへい」
背を向け、手だけをだらだら振りながら孤児院へ戻っていくロニ。その背をカイル達が追いかける。それをナナリーはしっかり見送ると、弟のほうへと駆けて行った。
エルレインのことは気にかかるが…きっと、彼らなら何とかなる。少女はそっと祈った。
せっかく手に入れた幸せが壊れないように
子供達が外で元気に遊び。孤児院内は穏やかな空気が流れている…はずだったのだが。
ガッシャーン
けたたましい音を立てて食器が飛んでくるのに、カイルはすでに涙を流しながら逃げ惑う。両親に、倒したはずの者が蘇っているので確かめる為にまた旅に出ると、おずおずと告げればこうなった。
容赦なく飛んでくる食器や調理器具にカイルの頭にはすでに大きなたんこぶが一個できている。だが、それも仕方ない
ルーティにとっては、もうすでに訪れた穏やかな幸せを壊されたのだ。
「あーもう!腹立つ!いいわよいいわよ、さっさと行きなさい!仕方ないってわかってるけどむかつくのよ!私が引きとめる前にさっさと行けぇー!」
「うわぁっごめんよ母さんっ!旅って言うよりちょっとしたお出かけみたいなもんだからっ」
「関係ない!」
「ルーティさん、落ち着いてっ」
さすがに激しい不安も3度続けば怒り爆発と言ったところ。それでも彼らの気持ちはしっかりと理解し、引きとめはしない。
スタンは苦笑いをしながらそんな嫁の姿を見ていた。
あれ以来失うことに過敏な彼女の、精一杯の行動だろう。
「ご、ごめんね母さんっ!すぐ戻ってくるから!!それじゃっ」
「すんませんルーティさん!こいつは俺がちゃんと見ますんで!」
「ごめんなさいっ」
「わかってるわよ!もう!さっさといってさっさと帰ってこい!!」
カイルを蹴り出して見送ったルーティは、ぜぇぜぇと荒い息をしながらその場に座った。
スタンは苦笑しながら割れた食器を片付ける。
「全く……せっかくまた落ち着けると思ったのに。変な期待させないで旅してろっていうのに。もう」
「あははは……仕方ないさ、そういうこともあるって」
「こっちの身も少しは考えて欲しいわ」
ようやく息切れもとまり、ルーティもまた食器を片付け始める。
あぁ、徐に投げてしまったが、なんてもったいないことをしたのだろうとルーティは頭を抱えた。それを見てまたスタンが笑う。
「はぁ……神様、かぁ」
「……ルーティ?」
「そんな存在、本当にいるのかしらね」
「…カイルが言うには、いるらしいがな」
「無くした腕を蘇らすことができるのなら、死んだ人間を生き返らせることもできるのかしら」
ぽつりと、つぶやいたルーティの言葉にスタンは顔を顰めた。
「ルーティ」
「わかってるわよ。ちゃんと、今まで前に進んできたじゃない。……それでもね、それでも…もし、あの子の意思で、どんな姿であっても戻ってきてくれるのなら、あたしは……」
カシャン、と割れた皿を新聞の上に落とし、スタンは立ち上がる。
「あぁ、それでも、それが夢の中の世界じゃ意味ないだろう?」
「……うん、わかってる。ちょっとした、ただの願望だから」
「うん」
「そう願うだけなら許して欲しいの。だって、これくらい考えておかないとあの子、あたし達のところになんか来てくれないわ。馬鹿な子だから」
「あぁ、そうだな」
ルーティもまた、破片を新聞の上に落とす。
そして辛気臭くなった空気を吹き飛ばすかのように、ひとつ息をつくと眉を寄せて割れた皿のかけらを見下ろした。
「この皿、接着剤かなんかでつけたらまた使えないかしら」
「無理言うなよ」
「やってみないとわからないじゃない。ほら、スタン接着剤確か二階においてたでしょ」
「マジでやるのか!?」
「当然よ、ほら、早く」
そう言って階段を指差すルーティに、スタンは笑いながら「はいはい」と答えた。
「か、母さん……怖かった……」
「あぁ、そうだな。よしよし」
涙をだらだら流しながら荒い息をするカイルに、ロニは深く同情しながらボサボサの髪を撫で回してやる。
リアラもあのルーティには心底驚いたようで胸を押さえていた。
「まさかあのルーティさんが皿が割れるの気にせずあそこまで暴れるとはな」
「でも仕方ないよ、だって旅に出るってこれ3回目でしょう?」
「うーん、もう少し信じてくれてもいいのに」
「母親っていうのは、きっとああいうもんなんだよ。どんだけ逞しく育ってもいつまでも心配なんだって」
ロニにそう言われ、カイルは少し照れくさそうに顔を綻ばせる。
「じゃ、絶対帰ってこないとね。……あのクレスタに」
次には、カイルの表情は真剣なものへと変わり、イクシフォスラーを見上げる。
英雄の言葉にリアラもこくんと頷き、ロニは「当然だ」と返した。
名を鍵にイクシフォスラーを作動させる。
それは大空へと浮かび上がり、真っ直ぐに神が降りた場所へと向かった。
「やはり、来ましたか」
アイグレッテを再び大きな影が覆う。
神団から借りた一室にて、エルレインは神秘的な光を放つレンズを数多に浮かばせながら呟いた。
彼女が此処に降りてまだ1日。その短い期間でも聖女の噂は瞬く間に広まり、奇跡を振り撒き、それと共にレンズの力が奇跡の源だと伝えれば、レンズは面白い程簡単に集まる。
とはいえ、先の大戦からレンズは危険視されるようになり、昔と比べ劇的に減ってしまった。まだまだ聖女が求める力の量には達さない。
聖女が右を向けば、いつものように腕を組み、壁にもたれて立つ黒衣の少年
彼は床の一点を睨むように見つめ、ただ黙っていた。
「……リアラはすでに神から切り離されている」
その言葉に少年が少しだけ表情を動かした。
聖女は少年の顔をじっと見つめながら続ける。
「それでも、やはり彼女とは…運命を切り離せないようですね」
聖女が自分の言葉に目を鋭くしたのと同時に、レンズの輝きが強くなる。
それを見て、少年が壁から離れ、一歩エルレインに近づいた。
「何をする気だ」
「…いえ、何も。まだこれだけの量では何もできませんよ。ボランティアを続けられるくらいです」
そっと、エルレインが右手を上げれば、そこにレンズが集い、一枚の大きなレンズのように光が重なる。
聖女目を細めながらそれを眺める。
「強いて言うなら信仰とレンズの力を計っています。ですが、やはり前と変わりませんね」
「そんなものの為に一日を無駄にしたと?わざわざ人払いをしてまで」
少年は聖女の企みを探るよう彼女の手に集まるレンズと彼女を見る。
その言葉に対して彼女はレンズを見つめたまま、まるで挑戦的な笑みを浮かべた。
聖女の表情に、少年もまた嘲笑を浮かべる。
力を計る等とよく言えたものだ。
彼女は誘っているのだ。英雄を
まるで忍び込みやすくする為のように、彼女の部屋に続く廊下にすら人が来ることを拒み、彼女は部屋でのんびりレンズ遊び。
その者が来るまでの暇つぶしのように
聖女が少年の心を読み、その通りだと言わんかのようにこちらに笑みを向ける。
同時に、3つの気配がこちらへと近づくのがわかった。
それは急速にまわりだした運命の歯車のように、カラカラと音を立てる。
紫紺を鋭くし、少年は部屋の奥へと向かう。そこには廊下からの入り口とはまた違う扉があった。それを開けば一本の通路が延び、奥にはまた一つの扉がある。
パタン、と扉が閉められこの部屋唯一の黒が消える。
部屋に一人残された聖女は鋭い輝きを発するレンズの中、無機質な笑みを浮かべた。
三度回る運命の歯車は、回転を早める。
聖女はけたたましい足音のする扉へと、目を向けた。
いつだって静かで、無感情であるその瞳の奥に、微かに滾る炎。
バタンッ
一枚目の扉が開かれた。
「エルレイン!」
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