最後の小片 – 5

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扉を開ければ、中に浮いたレンズが光を放つ幻想的な空間があった。

その中心に立っている白い服の女は、レンズの青白い光を受けながら冷たい表情で侵入者を見据えた。

 

カイル達は表情を険しくする。

目の前にいる聖女は間違いなく、殺したはずの神だった。

 

「エルレイン…どうして……どうしてお前が此処にいるんだ!」

 

手を大きく振って彼女の存在を否定するようにカイルは叫ぶ。

彼は自分の体が勝手に震えるのを止められなかった。

 

エルレインはカイルとの再会に表情を歪める事なく、いつもと同じように彼らに淡々と告げる。

 

「私は、人に望まれて生まれた存在だ。人々は幸福を望んだ。だから神が生まれた。それは今も変わらない。たとえ何度神を殺そうとも、私達は蘇る」

 

何の感情も込められないエルレインの言葉。

だが、その一つ一つを頭の中にいれると同時に、カイル達は深い絶望に落とされた。

 

彼女は神。彼女の命の源はレンズでも何でもなく、人々の信仰心。神を望み、幸福を望む心。それを絶やすことなど、できるわけがない。

 

「もうやめろよ!俺達は自分で幸せを掴む力をちゃんと持ってる!」

 

カイルが半ば祈願するかのように叫ぶ。

だが、エルレインは笑みを浮かべるだけだった。

 

「本当に?」

「え…」

 

エルレインはカイル達を見下ろしながら、哀れで、愚かだと呟いた。

 

「自分達ではどうしようもない、抗えない不幸というものは、必ずある。違うか?たとえば、リオン=マグナス」

 

思わぬ仲間の名に3名が硬直する。

エルレインの笑みが濃くなった。

 

「あの男は己の死に満足している等と言っていたが、お前たちはどう想う?」

「…。」

「お前たちも、ずっとあの男が生きていることを願い、探し続けていたのだろう?」

 

カイル達は言葉を失った。

彼の死を認め、神に剣を向ける程の心の整理を彼らはまだできていない。

 

「あの男を救えるのは、神だけだ」

「エルレイン…貴女は、何をするつもりなの」

 

言葉を失ったカイルに代わって、リアラが厳しい表情で問う。

エルレインは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 

「夢の世界を作る。お前達に壊されたあの世界をもう一度」

「やめろ!」

 

途端、カイルが頭を振って声を上げる。

 

「俺達は確かに幸せに生きたい…だけど、だけど俺達のその時その時の歴史は、想いは…俺達のものだ!神が好き勝手にいじっていいもんじゃないんだ!神なんかに創れるものなんかじゃない!」

 

少年は背中の剣を引き抜き、エルレインに向かって構えた。

彼に合わせ、ロニ、リアラもそれぞれの武器を構え、聖女を睨みつける。

聖女は三対の瞳を見て、目を閉じた。

 

「やはり、私達は戦い続ける運命ですね。ですが私は絶対に消えない…何度殺されようとも…私は、人々を幸福に導くためだけに生まれたのだから…邪魔はさせません」

 

聖女が再び目を開けたとき、その眼光は鋭いものに変わった。

手から閃光がはじけ、光の槍が浮かぶ。

 

「いいよ…ならば、俺達は何度だってお前を倒す…俺達も、絶対負けない」

 

カイルは剣をもう一度強く握りなおし、一気にエルレインとの距離をつめる為、ダンッと床を踏みつけた。

 

奥にある扉一枚の向こうで、怒鳴り声が聞こえる。

それは間違いなく、仲間として共に過ごした者たちの声だ。

黒衣の少年は目を閉じた。

 

彼は先ほどエルレインと別れてから、更にその奥にある部屋に入ることもなく、この廊下に座り込んでいた。英雄と聖女の戦う場所へと通じる扉と、そしてもう一つの扉に挟まれたこの廊下で、彼はただ事の成り行きを聴いていた。

 

キンッと何度か武器のぶつかる音が聞こえる。

少年はふと、右腕を伸ばす。

音のする方とは反対側に位置するその扉に触れる。

その手は愛しいかのごとく優しく扉を撫でていたが、長い前髪の影となっている表情は無表情の中に冷たい覚悟の色を宿していた。

 

やがてゆっくりと、暗く彩られた紫紺が長い睫の間から現れ、彼は右手を扉から離した。

ゆらりと、その場に立ち上がる。

二歩、三歩、英雄と神のいる間へと足を進めたところで少年は止まった。

 

カンッと軽い音がして、剣ごとカイルの体が弾かれる。

聖女の槍による防御は相変わらず凄まじい。

物理攻撃は殆どこうやって弾かれてしまう。さらにその硬直を狙って槍が向かってくるのだからたまらない。

焦れたカイルは大きく後ろに下がり、詠唱を始めた。

 

「畜生、バーンスト…」

「馬鹿、やめろ!」

 

だが、その振り上げられたカイルの手を、ロニが慌てて押さえ込む。

「え、なんで?」と言わんばかりに間抜けに見開かれた青い瞳がロニへと向く。彼は軽くため息をついた。

 

「お前、これでも俺ら侵入してきたんだぞ、あんまり音立てたらやべぇだろうが」

「あ、そっか」

 

少年は慌てて剣を構えなおす。

リアラもそれを危惧してか先ほどから初級魔法しか打たない。

 

だが、たとえ大技が出せなくとも、三人は聖女を追い詰めていった。

今のエルレインはレンズが少ないからかまだ驚異的な力を振るわず、数が勝っているだけに徐々に彼女を追い詰め始める。

聖女は息を切らすも、無表情で3人を見ていた。

 

「…やはり…強いですね」

 

彼女は呟くと、スッと手を掲げる。

すると、この広い部屋を浮遊していたレンズがピタリとその場に止まり、次の瞬間それらは彼女の手へと真っ直ぐに集った。

カイル達に緊張が走る。

だが、それに反してエルレイは何をするでもなく、全ての光を集め終えると、掲げた手を下ろした。

 

「まだ、力が足りない…お前達との戦いは、後に取って置くことにしましょう」

 

さっと身を翻した聖女に、カイル達は急いで彼女との距離を埋めようとする。だが、警戒故に空けた距離は致命的となり、彼女は扉の向こうへと消えてしまった。

 

「待てっ!」

 

同じようにカイルがその扉へと手を触れた時、バチッと電流が走る音と共に弾かれカイルの体は後ろへと大きく飛んだ。

すぐ後ろにいたロニがカイルを抱き込むように受け止める。

慌ててリアラが駆け寄った。

 

「カイル、大丈夫?」

「うん、でも…あの扉」

 

カイルはすぐ立ち上がると扉の前へと走り表情を硬くする。

その隣に立ち、リアラは杖でそっと扉に触れた。同様に電気が走り、杖が弾かれる。 ロニは眉間に皺を寄せ、リアラへと視線を向ける。

 

「結界、ってやつか?」

「…うん。多分特定の人物以外を通さないようにしてある」

「何とかならないの?」

「早くしねぇと、あいつまた飛行竜とか隠し持ってるんじゃねぇのか?」

 

ロニは苛立たしげに床を踏みつけた。

リアラは目を瞑り、そっと扉に触れるか触れないかのところまで手を出す。

 

「…晶術だけでつくられてるみたい。私でも何とかできるかもしれない」

「ほんと!」

「頼むぜ、リアラ」

「うん…っ!」

 

リアラが大きく頷き、集中し始めてからバチバチと結界が悲鳴を上げ始める。

 

エルレインは白一色の廊下にぽつんと浮ている漆黒を見る。

彼は奥にある扉に背を向け、エルレインを見るでもなくただ前を見据えていた。

 

「…フィリア=フィリスの時のように逃げないのですか?」

「これも運命だろう」

「そうですね…貴方はそれから逃げたことなどありませんでした」

 

バチン、と一際大きくエルレインの背後の扉から放電したような音が鳴る。

それを一度だけ見ると聖女は目を細める。

 

「まだレンズを集める必要がある。もう暫くはこの神殿に居続けます」

「そうか」

「貴方の存在があれば、移る必要ないかもしれませんね」

「……」

 

エルレインの言葉に少年は何も返さなかった。

既に彼女など眼中になく、何者にも揺さぶられない完全な無表情と言う仮面を彼は取り付けていた。

 

エルレインは少年の横を通り抜け、奥の扉を開ける。

出迎えた者は扉の向こうからずっとこちらを見ていたのだろう。入った瞬間目が合った。その者もまた、聖女など目に留めずその奥にいる少年の背をひたすら見守っているのだった。

 

その視線を遮るように、エルレインは扉を閉める。

途端、眉を寄せられたが、聖女には漆黒の少年が全く反対の感情を抱いたであろうことがわかるのだった。

 

結界が徐々に破られていく感覚が伝わってくる。

 

 

それほどの間もなく、リアラの「開いた」という言葉が聴けたことにカイルとロニはガッツポーズをとった。

この先がどうなっているかわからないが、彼女のお得意である空間移動さえ使われなければ、まだ追い詰めることができる。

そして、このような扉への細工が、彼女に今それほどの力がないことを物語っていた。

そのことに気づいたのはロニとリアラだけだろうが

 

「エルレイン!!」

 

リアラが扉から一歩後ろへ下がったと同時に、カイルが大声を上げながら、扉を押す。

バンッと勢いよく開き、奥へと続く空間へ3人が飛び込むように一歩、駆け出した。

 

今はもう、リアラに聖女の力は残されていない。

少女が、エルレインの存在を知った時、そうカイル達に告げた。

それはつまり、もしもエルレインがまた歴史改変を行おうとすれば、自分達は成す術もなく消されてしまうということだった。

そのようなこと、あってはならない。

歴史改変が行われる前に、今の間に、エルレインを倒さなければいけない。

 

焦り程ではないが、強い決意を込めて駆け出した足。

だが、その次の足は、まるで糸に縫いつけられたように動かなくなった。

神に仇なす3名の動きは、ピッタリそろってその場に固まる。

 

「…え」

 

誰かが小さく声を漏らす。

部屋の更に奥に廊下という、なんとも可笑しな構造、さらにその廊下は10メートル程と結構長い。そんな中、沈黙に包まれていた廊下にその一言は痛いほど響いた。

廊下の先には扉が見える。そこにエルレインが居るのだろう。だが、その扉のすぐ前。3人が何とか並んで通れるほどの横幅。その真ん中に、左手に剣をぶら下げたまま立つ黒衣の少年がいた。

 

それは、短い旅ながらも、今までずっと探していた影

 

「ジュー…ダス?」

 

ロニが恐る恐る、彼の名を呼んだ。

本当に、恐れて。ハンモックの上でもない、バルバトスに襲われた時でもない、何の縁もないこの場所で、何故突然現れた。

嘘のような、幻のような感覚。

 

「ジューダスなの…?」

 

カイルも同様、震えた声を出す。

離れた場所に立つ少年の表情は伺いにくかったが、まるで変化が無いように見える。

 

ロニがそっとカイルの顔を見れば、予想通り彼は喜々としていた。

本当に、あの少年がジューダスなのかという疑問など吹っ飛んでいるだろう。慣れ親しんだ仮面は彼の頭にないが、綺麗な黒髪も、華奢な体も、そして黒の衣装もあの時と変わっていない。ジューダスその人だ。

カイルは青い瞳を輝かせ、少年の返事が来れば今にも飛びつきそうである。

 

それと反対にロニの頭はどんどんと冷えていった。

確かに、彼が生きていることに、とてつもない感動が心音を早くしている。だが、だが…

 

何故彼が、今、このタイミングで立ちはだかるようにこの場所にいるのだろうか

 

この無機質で冷たい一本の筒のような廊下は、昔の仲間との再会に感動しているなどという雰囲気を一つも持っていない。そして、ロニの嫌な予感に答えるように、目の前の少年はずっと何も言わない。

旅で時々見せた、僅かな微笑みもない。

まるでエルレインと同じような、無表情という名の仮面を貼り付けている。

 

「……ジューダス?」

 

カイルも、察してきたのか、眉を寄せながら仲間の名をもう一度呼ぶ。

だが、黒衣の少年はピクリとも動かず、その場に立ち尽くしている。

カイルは震えつつある手を握ることで抑え、意を決し、縫い付けられた足を動かす。

そっと、一歩近づいても、彼の表情はびくともせず、ただ3人を見ていた。

 

なんで、どうして、何故、何も言ってくれない

 

青い瞳が不安に揺れる。

早く、何でもいいから、彼の表情を見たい。

「馬鹿が」と言いながら眉を寄せるのでもいい。皮肉な笑みで貶されてもいい。

ジューダスの無表情という仮面が、とても怖い。

 

「ジューダス!」

 

もう一歩、足を前に出す。

そして、無理に笑顔を作り、彼を迎え入れるように腕を開く。

だが、やはり少年の表情はかわらない。

 

ロニとリアラの気が強張っていくのを感じる。

まるで、船の上で喧嘩をしたときのよう。いや、それよりも酷い。

 

(嫌だ)

 

「ねぇ、そうだ!此処、エルレイン通らなかった?」

 

(こんなのは嫌だ)

 

「あいつ復活しているんだ。もしかしてジューダスもう知ってた?」

 

(だって、まるで…)

 

「やっぱり知ってたんだよね!だから俺達と一緒に戦いに来てくれたんだよね!」

 

小さな英雄は、自分の頭に形成されていく現実を否定したくて、壊れたように少年の下へ向かう。一歩一歩、近づいていき、それはとうとう少年の2歩前まで来て

「ねぇ?」と、もう一度、問いかけるのと同時に、足を前に出したとき

 

「カイル!!」

 

ロニの悲鳴のような声が聞こえた。

結構距離が開いたのに、リアラの息を呑む気配がわかる。

なのに、今自分に起きている事態だけはわからない。

 

なんでだよ

 

「此処より一歩も前へ出るな」

 

ぱらぱらと金糸が数本、真っ白な廊下に落ちていった。

そして、金糸を追うように、頬を伝った赤が床に点をいくつも作る。

 

目の前にある、煌くものは…剣

すぐ目の前にあるそれを、ずっと辿って柄を見る。それを握っているのは、一寸の振るえもなくピタリとその場に止まる白い手。

更にその手を辿っていけば、すぐ近くにある、こちらを見ようとはしない無表情な、それでも綺麗なアメジスト。

 

「ジューダス、お前!」

 

ロニが戸惑いと怒りを混ぜ叫ぶ。

それでも、あの旅の、まだ始まったばかりのとき見たいに、すぐに敵意を出すことはできない。だって、確かに彼は、認め合った仲間で、友で

 

なんで?どうして?

 

その想いだけが、ぐるぐると3人の頭を巡る。

カイルは数歩後ろを下がると、体を震わせながらその場に尻餅をついてしまった。

あぁ、父は海底洞窟でこのような気持ちだったのだろうか。そんな考えが頭に浮かび、泣きそうになった。

 

裏切られたの…?

 

それから、また痛いほどの沈黙が降りる。

ジューダスは、カイルが下がったことにより、構えた剣を下ろすと、前と同じように左手をぶらさげ動かなくなる。

 

皆ショック状態だ。

頭が真っ白で、考えられない。

いや、本当は考えているのかもしれないが、それはあまりにも救いようのない、最悪なことばかりを連ねていて、考えないようにしているだけかもしれない。

 

そんな3人の中で、思考がいち早く働いていったのがロニだった。

こういうときの思考とは、簡単に最悪な方向へと走っていくものだ。

確かに、青年は黒衣の少年のことを仲間と思っていた。年上である自分を軽々越える知識を持って、カイルをずっと守ってきてくれた少年を認めていた。

だが、ジューダスに対して昔持っていた敵意が、こんなときになって燻る。

 

そして、それが更に、リオン=マグナスという自分の中の悪魔と無理やり繋げられようとしている。

もう、その思考に抗えない。

 

「去れ」

 

目に見えない想いのみが目まぐるしく変化する中、目に見えた変化のない現実で、黒衣の少年が短く呟いた。

それが合図で、想いのみが作り上げた幻を現実に持ち込んだかのように、ロニの周りに敵意が溢れる。

それに対して、少年の表情が一瞬変わったが、すぐに無表情の仮面が貼り付けられた。自分の感情についていけない3名がそれに気づくこともなく、青年の大きな手が、長斧の柄を強く握り締める。

 

「お前は、エルレインの仲間になったってことか」

 

俯いたままのロニが呟いた言葉に、カイルとリアラの肩がびくんと動く。

対して黒衣の少年は今まで同様仮面を貼り付けていて、ロニはそれを、肯定と受け取った。

 

「ま、待ってよ…ロニ…」

「………」

 

ロニが斧を持ち上げたのを見て、カイルが目を見開く。

義兄弟に向ける言葉というのに、情けなく震える声は今にも泣きそうだ。

 

「な、何してるのロニ……度が過ぎる喧嘩は駄目だっていつもいってるじゃないか」

「カイル」

 

拳を震わせながらも、懸命に笑おうとするカイルに、ロニは眉間の皺を濃くしながら、強い口調で名を呼ぶ。それに、カイルは耐えられないように目を瞑った。

 

「ジューダスは、仲間だろう!?」

「今、この状況がわかってんのか!」

 

叫んだカイルに、ロニが叫び返す。

両者とも、今の現状に冷静さなどもてない。

リアラは震えながら自分の体を抱きしめるくらいしかできなかった。

カイルとロニが激しい言葉をぶつけ合う中、少女が見たのは

 

黒衣の少年の周りに突然溢れる晶力

 

「カイル!ロニ!!」

 

少女の悲鳴が上がった。そしてそのすぐ後に、黒衣の少年の、冷たく響く声が廊下を制する。

 

「エアプレッシャー」

 

 

 

少年の冷たい言霊を受け、廊下が揺れ鈍い音が響き、足元に陣ができる。

その様を、カイルは絶望したように暗い瞳で見ていた。

 

圧力が来る時、瞬時にロニとリアラがカイルごと晶術結界を張る。

結界で抑え切れなかった多少の圧力は受けたが、何とか事なきを得た。

 

中級晶術程度では殺生に至らないとは言え、容赦ない攻撃にロニは怒りを表す。

 

「てめぇ、なんでだよ……俺達は…こいつはなぁ!お前のことずっと探してたっていうのに…お前は生きてて、きっと仲間だってこと覚えてるって信じてたのによお!」

 

そんなロニの悲痛な言葉にすら、ジューダスは仮面を崩さなかった。

青年の表情が更に歪む。斧を持ち上げ、もういつでも飛び掛る勢いだ。

 

カイルはロニを止める気力もないのか、そのことにはもう何も言わなかった。だが、その場にゆっくり立ち上がり、縋るような瞳でジューダスにもう一度話しかける。

 

「どうして…?ジューダス…なんで?何か、何か理由が…理由があるんだよね?」

 

肩を震わせながらカイルが呟く、それでも彼の表情は揺れない。

今更ながらに、本当に彼がジューダスなのか疑いたくなる。

壊れない仮面に、それでももう一度、カイルが話しかけようとした時。

 

バタバタと慌しい音が遠くから聞こえ、焦ったような大人数の話し声が聞こえてくる。

そのことにリアラとロニはハッとし、ロニは闘気を削がれる。

そっと、黒衣の少年を見れば、変わらない表情。

 

「カイル、逃げるぞ」

「な、なんで。待ってよ」

「駄目よカイル。人が来たわ!」

 

ジューダスの中級晶術の音が神殿に響き渡ったのか、神団騎士と思われる多数の者がこちらへと向かっている気配がする。

それでも、カイルは瞳を震わせ、ジューダスをずっと見続けるのに、ロニがその腕を無理やり引っ張った。

 

「ジューダス!!」

 

最後にカイルが悲鳴のように遠ざかる黒衣に向かって叫ぶ。

ほとんど表情が見えないところまできているのに、何となく、彼の周りの空気が安堵に包まれているような気がした。

 

聖女様、聖女様と侵入者が出て行ったのと入れ替わりに聞こえ始める騒がしい声。

それはどこか別の世界のもののように、脳に何か働きかけることもなく、左から右へと抜けていく。

恐らく、いちいちそれに気にかけるような心境じゃないのだと、少年は一人苦笑いを浮かべ、疲れ果てたように冷たい廊下の壁に背をついた。

 

そのままズルズルと足が崩れ、座り込むと、方膝を抱えて顔を伏せる。

もう、動くことも考えることも、酷く億劫だ。

 

伏せれば顔のほとんどを隠してしまう黒髪の隙間から、愁いに満ちたアメジストが揺れる。

そんな彼の想いを察してくれるわけもなく、煩い足音はすぐそこまでたどり着き、音を立てて扉を開けた。

 

神団騎士の息を呑む気配が伝わる。扉を開けてすぐそこの廊下は、少年の中級晶術の圧力により円形に凹み、いくつもの亀裂を生じている。

踏み込むのに勇気の要るその場の空気の奥で、座り込んだ少年を見つけ、神団騎士が声を荒げた。

 

「何者だ!エルレイン様はどこだ!」

 

すでにアタモニ信者ではなくエルレイン信者だな、と少年は心の中で嘲笑いつつも、彼らに反応するのが面倒で無視を決め込む。

そうすれば彼らの対応が更に荒れるのは当然のことだが、正直、もうどうでもいい。

 

剣を片手に恐る恐る近づく神団騎士の姿を、自身の黒髪の隙間から眺めていれば、突然すぐ横にある扉が開いた。

 

「おやめなさい。その者は私の付き人です」

 

つい先程、結界を張るくらいの力しか残っていないと言ったのが嘘のように、凛とした声が廊下に響き、神団騎士の荒れた空気が穏やかになる。

無事なエルレインの姿を見て安堵したのだろう。

 

「聖女様、賊が忍び込んだようですが」

「この者が追い払ってくれました」

 

神団騎士の目が再び少年に集う。

それに対して少年は先程とまったく変わらず、ただ顔を俯かせるだけだった。

その場からまったく動こうとしないジューダスに、エルレインが眉を顰める。

 

「あなたという人は…自分を追い込みすぎですよ」

 

まるで呆れたような言葉は、神団騎士には自分らの言葉に対して弁解も何も口にしなかったことを言っていると思ったろう。

俯いていても、まだ華奢で小さな体から子供とすぐにわかる目の前の少年に、神団騎士は恥ずかしがりやの可愛い子。といった印象を受けたに違いない。

エルレインと少年の様子に暖かい苦笑いのようなものを浮かべている。

 

だが、もちろん会話の本質はそれではない。

 

「へぇ、坊主が追い払ったのか。すごいな」

 

神団騎士の一人が、和やかな言葉で少年に話しかける。

少年は、そっとそちらに目を向けたが、すぐに逸らし、ゆっくりと立ち上がった。

話しかけた男は肩を竦め、同僚と苦笑いをする。悪気はまったくないだろうし、穏やかな雰囲気であるが、少年にとっては実に居心地が悪かった。

 

ジューダスはそっと、エルレインが出てきた部屋の奥を見る。

彼女が塞ぐように立っているため、奥の様子はわからない。

 

しばらく少年は扉の奥を透かすように見ていたが、やがて目を瞑り、逃げるように神団騎士がやってきた方へと歩いていった。

 

こんなに良い天気だというのに、優しく吹く風すら感じないほどに、カイル達3名をまとう空気は重たかった。

あれから何とか神殿内を慌しく走り回る騎士たちに見つかることもなく脱出し、今はイクシフォスラーが止めてある付近の茂みに隠れ、腰を下ろしていた。

 

エルレインはすでにカイル達のことを知っているのだから、兵をこの目立つ飛行機械のところまで向かわせるものと思っていたが、どういうことかイクシフォスラーの周りに追っ手の気配はなかった。

こうして顔を見られることなく脱出できたのも、エルレインが居た部屋の周りに兵士がほとんどいなかったからで、聖女は神団騎士と自分達を戦わせるつもりはないらしい。

 

何を囲むでもなく輪になるように3人は座り、俯く。

皆表情は険しく、何も言葉が発せない。

 

本当に、ロニの言うとおり、彼はエルレイン側についてしまったのだろうか

 

「ねぇ…」

「わからねぇよ」

 

カイルが口にしようとした言葉を察してなのか、ロニが先に口にする。

その言葉に、少年はまた何も言えなくなり、俯いた。

 

「……意味わかんねぇよあいつ…あんなに神を否定してたのに、なんで」

「何か…理由があるんじゃ…」

「わかんねぇよ……なんもわかんねぇ。第一、俺達はあいつのことまったくもって知らねぇんだからよ」

 

今もぐらぐらと揺れる思考。頭の中に浮かぶのは、疑問符のみである。

それでも、確かに行き着く考えを、カイルは無理だと思いながらも呟いた。

 

「俺…ジューダスと戦いたくない」

 

その言葉に、リアラもロニも何も言わなかった。

咎められることも、肯定されることもなく、カイルの言葉は重たい空気の中に混ざっていく。

 

カイルは硬く目を瞑った。

父さんは、立ちはだかるリオンを倒して、世界を救った。

でも、それが正しいことなのか、こうして今そのような事態に出くわしていると、わからない。

自分は、世界のためにリアラを消した。

だけど、そのことと、リオン=マグナスのこと、そして今のジューダスのことを重ねることができないのは、ジューダスの意思を感じ取ることができないからだろうか

 

(ジューダス……一体、何を考えてるの…)

「ねぇ、カイル」

 

ぎゅっと両手を握り締めたとき、リアラがそっと、その手の上に白い手をのせ話しかける。カイルは自分でも情けない顔だとわかる表情のまま、リアラを見た。

 

「ジューダスのことは…もう少し、しっかり…考えられるようにしてからにしよう?」

 

その言葉に、カイルは首をかしげる。

つまりは、後回しにしようということなのだろうが、彼がああやって、エルレインを守るように立ちはだかる以上、後回しにできるような状態ではないのだが

 

「じゃあ、どうするんだ」

 

ロニが非難するかのように言う。

彼は悲しみより苛立ちのほうが勝っているのだろう。普段とのギャップもあり、低く力強く、そして冷静に呟かれる言葉は恐ろしい。

だが、リアラはそれに顔色を変えることなく答えた。

 

「エルレインの野望を阻止することを考えましょう」

「野望を阻止するには、あいつを倒すのが一番じゃねぇのか?」

「そうだけど…ジューダスが…エルレインに付くと、エルレインを倒すのは難しいと思うの。ジューダスは強いし…何より…私達が、ためらってしまうから」

 

その言葉に、ロニは瞳を鋭くした。

まるで睨むようにリアラを見てくる銀の瞳に、リアラはロニの全てを見透かしたように大きな瞳で見返す。

 

「それは、逃げじゃねぇのかよ。そんなことしたて何もかわらねぇ。ジューダスをどうするか、覚悟を決めてさっさと行動すればいいだけだ」

「うん。そうね、決めましょう」

 

きっぱりと言い放ったリアラの言葉に、ロニは眉間の皺を濃くした。

先程、後にしようと言ったばかりではないか。

 

「私は、ジューダスと戦いたくないわ。カイルと同じ」

「おい、それは…」

「ジューダスが…なんであそこに居るのか、理由が知りたい」

 

その言葉にロニとカイルが息を呑む。

 

「皆、そう考えてるはずでしょ?だって、ジューダスは仲間なんだもの」

 

リアラが、ロニとカイルに微笑む。

それを見て、カイルは心が落ち着いていくのがわかった。どこか、大丈夫よ、と言ってもらえたような安心感。

カイルはようやく、リアラが何を言いたいのかわかった。

 

「ありがとうリアラ」

 

少年が力強く言う。もう情けない顔なんてしていなかった。

決まったのだ。

 

「ロニ。俺はジューダスを信じたい」

「お前…」

 

カイルの変わりぶりにロニが驚いたように呟く。

リアラが優しい笑顔で続けた。

 

「まだ、時間はあるわ」

「最後まで、ジューダスを信じたい。時間の許されるまで、その間になんとか、なんとかジューダスを取り戻せばいい!理由を探って」

 

カイルとリアラの力強い様に、ロニは固まった。

脳裏で思考がぐるぐる回るのがわかる。

 

取り戻せば言いって、あいつが自分から望んで行ったかもしれないのに

時間があるって、あそこまで追い詰められたように絶望していた中でよく言い出せたな

信じたい…か

 

いつかの、スタンの言葉が蘇る。

信じ続けること…それが、強さなのだと

 

そこまで至って、ロニは笑い出した。

カイルとリアラが目を丸くしてロニを見つめる。

 

(自分がカイルに教えた言葉だというのに、まったく俺ときたら)

 

エルレインを追うとき、現れた漆黒に絶望の闇に落とされたというのに、何もない所から突然、彼らは光をつけた。

その強さに、本当に恐れ入る。

スタンの言葉の難しさを、自分は十分に理解していたと思ったが、こうしてみれば全然不十分だったのかもしれない。

 

「あぁ、そうだな…あいつはまだレンズを集めれてねぇ。時間はまだある」

「ロニ……うんっ!」

 

頼れる兄貴分からそう言ってもらえたことに、闇の中の光が更に煌々と輝きだす。

3人の輪の中には何もない。だが、今は目に見えない暖かい焚き火のようなそれが、彼らを照らす。

それを囲み、3人はこれからのことを相談し始めた。

 

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