最後の小片 – 6

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「あっ!つめてーっ!」

「ふふ、仕返しだよーだ!」

「カイルてめ、さっき石入れただろ!覚悟してろよぉ」

「わー待って、待って、2人係りずるいって!」

 

道路の真ん中で、子供のようにはしゃぐ3人に通り縋る者が暖かい笑みを浮かべる。

カイル達は今、此処ハイデルベルグにて宿を取りすごしていた。

 

あの日から3日。

ジューダスの意図を掴もうにも、エルレインを崇める神団騎士が多いあの場所でまともに会話はできないということは、あの一件で十分知れたことだった。

第一に、どれだけ語りかけても少年は無反応を貫き通したのだ。

 

どうやって彼とまともに会話するかについては、今も考え付かない。

故に取った行動はエルレインの企みを少しでも長い間止めること。

そして、それについてはリアラがすぐに答えを出してくれた。

 

ハイデルベルグのレンズ。

今回、エルレインはこの世界に現れて間もない。着々とレンズを集めているだろうが、今すぐ動き出すには、このレンズを取るしかない。

あの時、エルレインはすでに神団に入ってから2年を過ごしていたという。

このレンズさえ取られなければ、2年は時間があるということなのだ。

 

「もーっ!よくもやったなぁ~!」

「ばっお前、そりゃ雪合戦で使う大きさじゃねぇって!」

「おりゃぁああ~!」

「きゃあっ」

 

カイルが頭上に掲げた雪球は雪だるまの頭にできそうなほどで、いつの間にか逃げながらつくっていたらしい。

それをロニの頭に向かって投げつけ、ドサと音を立てて長身の半分が雪に埋もれる。

少年は腹を抱えて笑い、リアラも悲鳴を上げた後はカイルと一緒に笑い出した。

つられて周りの住民も笑い始める。

 

「ったくお前なぁ」

 

地面に倒れこんだ体を起こし、ロニも怒りを装いながら立ち上がる。

ハイデルベルグについてから、実に緩やかな日々が続いている。

 

すでにウッドロウにレンズを狙われるかもしれない事については伝えてある。

謁見の間の奥にあるレンズが置かれた部屋を警備し続けるのは、さすがにカイル達には無理であった。後は何かが起きたときのために此処に滞在し続けるのみである。

 

ロニは雪にまみれた自分達の姿を見て、また前の旅の漆黒を追う。

喧嘩をして、仲直りした後のこと。雪合戦を4人でやった。

とはいっても、少年は巻き込まれたことに腹を立て、剣を片手に追い掛け回していたのだが、距離が縮まったように感じたあのときの喜びを思い出す。

 

そして、今少年がとても遠い存在に感じて悲しくなった。

彼が生きているかどうか分からない、ちょっと前の急ぎの旅のほうが近くに感じれたものだ。

 

雪にまみれたまま考え事をしていたためか、考えていた内容のせいなのか、途端体が冷たくなり、ぶるっと震えた自身を抱きこむように腕をさする。

何となくカイルの頭を小突こうと立ち上がれば、少年はいつの間にか仲良さげに住民と話をしていた。

旅の者に親しげに話しかけてくれるこの町の雰囲気は、カイルに良くあっている気がする。

 

「ロニロニー!」

 

話が終わったのか、町の男が「じゃあね」と片手を挙げて背を向けたのに挨拶をしたあと、カイルは先程ロニを雪まみれにしたこと等気にも留めず、散歩前の犬のような顔でこちらを向いた。

 

「もうすぐハイデルベルグで祭りがあるんだってさ!」

「へぇ?そんなの初めてだな」

「うんっ店とかいっぱい出るんだって」

「私お祭りって初めてだわ」

 

頬を染め、祭りを待つ二人にロニは微笑んだ。

本当に、平和だ。下手をすればこのまま2年たってしまいそうだ。

 

だが、どこかでそれはもうすぐ壊れると、感じていた。

エルレインは必ずこの町のレンズを奪いに来ると

前回と違い、今回エルレインには最初から敵ができているのだから。

 

「いつやるかもう決まってんのか?」

「明後日だってさ」

「ほう、じゃ、明後日は皆でお祭り騒ぎだな」

「やったー!」

「とりあえず一回宿に戻るぞ!俺の服びしょびしょだわ。お前らも風邪ひかんように着替えに戻るぞ」

 

お祭りお祭りとはしゃぐ二人を宿へと向ける。

はしゃぎながら宿への道を走る二人に微笑みながらも、ロニはそっとハイデルベルグ城を見上げた。

 

あの鐘が鳴りながら落ちていく姿が脳裏に浮かぶ。

その映像は、前の旅のことか、それとも未来の映像か

 

まだ日が高い中、優しい木漏れ日の影が屋根にかかる。その中に、一際濃い影があった。漆黒の衣を纏った少年は木の陰ができている神殿の屋根の上でいつものように方膝をたて、体を丸めていた。

 

また、そっと背中に手を回す。

こんなとき、シャルティエが居たらどう声をかけてくれただろうか。

何があっても、自分がどの道を選ぼうとも、彼だけはずっと味方だった。

 

重みも形もなくなった背中に足に回した腕をより強く体に引き寄せる。

何の反応も示さなかった自分に対して、絶望に代わっていく青い瞳は、海底洞窟とまったくといっていいほど同じだった。

 

また、来てしまった。

 

共に旅し、隣に当たり前に立つ金髪に、向かい合い剣を向けるこの場所。

 

(僕は…また、大切なものを裏切った)

 

心の中で呟けは、それだけで、あの冷たい廊下での出来事が重みを何倍にも増し、胸を押しつぶす。

実在しないその苦しみに眉を顰め、ぎゅっと目を瞑る。

 

それでも、この対処しようのない痛みに耐えなくてはならない。

ずっと、この世界で歩き続けなければならない。

それが、二つしかない選択肢の中で新たに作り出した茨の道。

時は流れ続ける。二つの選択肢で、たとえ選ばないことを選んだとしても、時はその場に立ち尽くしていることを許さない。

選ばないこともまた、一つの道だった。

 

(それでも、僕はこの道を歩き続ける)

 

例え、何度彼らが冷たい廊下に足を踏み入れようとも、その場を開けることは許されない。

守りたいものがある。その為には…

そうして、18年前も似たような行動を取った。

そして、そのことを後悔したことはない。僕は何度生まれ変わろうとも、同じ道を選ぶ。

 

カタ、と静かな音を立てて近くの窓が開かれる気配に、そっとアメジストが開かれる。

 

「此処に居ましたか」

 

声を聴くまでもなく、気配からこの女だとわかり、アメジストはすぐに閉じて行く。

それを見てエルレインは笑みをこぼす。

 

「…怒っていますか」

「それ以前に、いつ僕がお前に対して負の感情以外を向けたというんだ」

「それもそうでしたね」

 

淡白に返された言葉に開かれたアメジストが睨みつけられるのに、エルレインは気にも留めずに優しい笑顔を称えたままだった。

エルレインの言った言葉は、間違いなくカイル達の行く手を阻むのに少年を利用したことについて言っている。

聖女から眼を離し、そっと顔を上げれば木漏れ日が眩しく、輝くそれはいつの間にか金髪を象り、とても哀しげな青い目が現れる。

少年の眉間に皺がより、また彼は顔を伏せた。

 

「本当に、貴方は…何故幸福を求めないのですか」

 

またそれか。少年は心の中でため息をつく。

前の旅でもそうだったが、この女と行動を共にするようになってから、更によく聞くようになったその言葉は、ジューダスを心底苛立たせた。

 

一切の反応を示さない少年に、聖女は眉を顰めた。

心の中でため息を付く。決して相容れることのできない白と黒。少年はすでに、聖女のその話には耳を傾けすらしなかった。

だが…

 

(いつまでも、選ばずにはいられない)

 

頑なに神を否定する少年は、誰よりも幸福を求めていたはずなのに

聖女は一人、わからないと小さく首を横に振り、表情を冷たいものに変えた。

 

「貴方には、ハイデルベルグへ行ってもらおうと思っています」

 

その言葉に、再びアメジストが表れる。

向けられた美しいその瞳に、エルレインは不適な笑みで挨拶をした。

 

その道は、行き止まりです。

 

 

 

 

ざわざわと、僅かな風で木が揺れる。

ストレイライズ大神殿の屋根の上で、白を主に作られた神殿に溶け込むような白い衣を来た女がバルコニーにて、屋根の上にかかる木陰に溶け込むような黒衣の少年が神殿の屋根にて、互いを見ていた。

 

「…レンズか」

「えぇ」

 

揺れる木陰の下で、一度あった少年の視線は、すぐに彼から離された。

ジューダスは忌々しそうに舌打ちを一つすると聖女のほうを向かずに吐き捨てる。

 

「何故僕が貴様に従わねばならない」

「選ぶのは貴方の自由です。ハイデルベルグでどのような行動をするかは、全て貴方に任せます。レンズさえとって頂ければ。…つまり、英雄王を生かすも殺すも貴方次第です」

 

その言葉に少年から怒気が立ち上った。

元より友好的な態度を示されていなかったが、今にも斬りかかりそうな冷たい空気をまとっている。

 

「まわりくどい。つまり他の者に行かせれば英雄王はただではすまないと言いたいのだろう」

「そうですね」

 

素直に頷いた聖女に、更に彼の顔が歪む。

エルレインはそれを無表情で眺めた。

彼が歯向かえないことを知っているからだ。どれだけ今、苛立ちを聖女に対してぶつけていようとも、彼は従わざるを得ない。

 

予想通り、少年は苛立ちを隠さずにエルレインが居たバルコニーへと舞い降りた。

 

「申し訳ないですが、5日以内に戻ってきてください。それ以上かかった場合は他の者も向かわせますので」

 

しっかり釘をさすことを忘れない聖女をジューダスが睨みつければ、エルレインは冷たかった表情を穏やかな笑みに変えた。

 

「…何故人を使う。お前の力があれば物質を移動させることくらい容易いだろう」

「あれは結構レンズを消費するのですよ」

 

そう言って、聖女はそっとペンダントに手を当てる。

眩い光がそのレンズからあふれ出し、一つの小さなレンズになった。

光が消えて、しっかりと形になったそれを聖女は少年に手渡す。

 

「レンズを運ぶのにはこれを使いなさい。レンズの力を吸収することができます。あとはこの小さなレンズを持ち帰ればいいだけです」

 

そっと手に載せられた冷たいそれを見つめながら、少年は表情を暗くした。

 

「…何故僕なんだ」

 

ぽつりと呟かれた言葉に、そっとエルレインが表情を変える。

 

「何故、バルバトスをまた生き返らせることはしなかたんだ。わざわざこんなことをしてまで、前に貴様と敵対した僕を生き返らせた理由はなんだ。何故僕をハイデルベルグへ向かわせる」

 

レンズを見ながらも、その瞳はどこか遠く…自身の苦痛を見つめている。

それは、生き返ったことが苦痛だったと言わんばかりで、エルレインは心の奥で焦りや怒りが生まれたのを感じたが、すぐに哀れみに沈められた。

 

「私にとって、全ての人を幸せにする答えが貴方にある気がするのです」

 

その言葉に、ようやく彼の視線がこちらへと向く。

 

「どんな手を使っても私は貴方を幸せにすることができなかった。そして、貴方達は一度神を殺した……でもリオン、貴方は本当にそれで幸せだったのか」

 

アメジストはすぐに逸らされた。何度も繰り返されること言葉。

どうしても、彼らの言葉を受け入れることができない私には、一生分からない答えなのかもしれない。

 

一息ついて、エルレインは微笑む。

 

「バルバトスはもう満足しているようですよ。私にも、彼は満足して逝ったように見えます」

「僕は満足できなかったと?」

 

苛立ちを隠さずに告げられた言葉もまた、何度も違う形で聞いたもの。

 

「私にはそうにしか見えない。だから貴方に幸福を与えたい。その為には、早く選んでほしいのですよ」

 

そういえば、少年は喉の奥で嘲笑った。

それは聖女に対してでもあり、自身に対してでもある。

 

(わざわざ、選択できないような状況を押し付けてか)

 

この会話に決着が付かないことなど重々承知である少年は、早く聞くべきことだけ聞いてこの場を離れようとレンズをしまった。

 

「ハイデルベルグのレンズを手に入れて何をするつもりだ」

「もう一度、叶えて見せる。それぞれが幸福になれる夢の世界」

「……貴様、何度同じ馬鹿げたことをするつもりだ」

「それでも、あれが全ての人を幸せにする、神ができる唯一の方法」

 

決意に包まれた言葉は強く、きっぱりと言われたその言葉に少年が目を細める。

 

「そんなもの、必要ない」

 

静かに言えば、今まで穏やかに会話をしていた聖女の表情が変わった。

だが、それはすぐに消え、無表情になる。

ジューダスはその表情の変化を追っていたが、冷たい聖女の言葉に脳裏が熱くなった。

 

「貴方も、心の中では幸せを欲している。苦しみから逃れたいと思っている。違いますか?違うというのならば、何故貴方は此処に居るというのです」

「…貴様っ!」

 

ざわっと、彼の殺気に反応したように、また風が吹き木が揺れた。

ギリリと音がする程に少年は奥歯を噛み締め、綺麗な顔は見たことがないほどに怒りに染めている。

彼のその手は、すでに剣の柄を触っていた。

 

この至近距離で彼が剣を持っていてもエルレインは無表情だった。

それは、自身が神によって作り出されたものであり、本体を倒されない限り不死身だから、という理由もある。

そして、そのことを理解している少年が、絶対剣を抜けないことがわかっているからだ。

 

黒衣の少年は、下唇を噛み、カ剣を握ったその手は怒りからカタカタと震えている。

だが、それは抜かれることはなかった。

 

やがて、少年は殺気を収めると、何事も無かったかのように、エルレインに挨拶もなく背を向け、部屋の中へ入っていった。

その事に、エルレインがくすりと微笑む。

それは、いつもの穏やかな笑みではなかった。

 

「貴方が、殺気を溢れさせる程に怒るとは……図星、だからですよね」

 

まるで勝ち誇ったように笑う。

後は…彼が素直になればいいだけなのだ。

 

パタン、とエルレインに背を向けて窓を閉める。

この部屋は、あの二つの扉に挟まれた冷たい廊下、その奥にある部屋。

 

バルコニーへの窓を背にしたまま、俯く。

 

「僕は…」

 

誰に言うでもなく小さく呟けば、部屋の奥で気配が動いた。

それに対して、少年は俯いた顔を上げることもしない。彼の長い髪は完全に顔を隠してしまっている。

気配は少しずつ少年へと近づいたが、2メートルほどでその足を止めた。

気遣わしげな気配が伝わってくる。その全てが煩わしかった。

 

目の前の人間が、息を吸うのがわかる。

 

(呼ぶな)

 

彼が口を開こうとしているのが何となくわかって、肩を強張らせて誰にともなく祈るように思うが、それが誰に伝わるでもなく、目の前の存在は口を開いた。

 

「エミリオ」

 

この者が、自分の名前を呼ぶときに込められた深い想いが、わかってしまう。

わかってしまうから、とても苦しい。

 

全てが、あってはならないことだから。

この名前は死んだ名前じゃないと、駄目なのに

 

聖女の言葉が脳裏で繰り返される。

窓に当てていた手を、そのまま握り締める。

 

…雪国へ、行かなければ。

 

 

 

 

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