最後の小片 – 7

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「うおっすげぇ!リアラー!ロニー!すごいよっでっかい氷像だ!」

「わぁ…きれい…」

「へぇ…これが職人技ってやつだな」

 

町の住民に聞いたハイデルベルグの祭り。

それは壮大なものだった。

 

カイルや子供達が喜びそうな射的ゲームなどの屋台から、食べ物の屋台が通りにずっしりと並び、公園ではこうして色々な見せ物が出されている。

ハイデルベルグの厳しい寒さなど忘れさせるものだった。

 

「あ、ロニ!あれ!あれやろうよあれ!」

 

祭りにより人でごった返しになっている中、目立つ金髪が飛び跳ねる。

カイルが指を刺しているのは、射的ゲームだった。

 

お菓子やらぬいぐるみやらの景品が隣に並んでいる。中央には数字が書かれた大小さまざまな板が置かれていた。

景品と想われるものの下には数字が振ってあり、どうやらあの小さな板が的代わりで、打ち落とした得点によってもらえる景品が変わるらしい。

 

ロニが良いと言う前に屋台の男に話しかけている少年を見て、リアラがくすくすと笑った。

 

「ロニー!これ二人一組でもやれるんだってさっ!一緒にやろうよ!」

「あー?こういうのはカップルでやるもんだろうが」

「え、でも、どっちかっていうと家族が多いってさ」

「あー…まぁ、女の子はあんまり射的とかやらねぇか」

 

一人でやるんだったら格好つけれるのにな。と考えていれば、隣で子供連れの男が、子供に縋られて苦笑いしながら財布を出している。

男の子は満面の笑みで空気銃を握り、父にやり方を教えてもらっていた。

 

その光景に、ロニはふと微笑むと、カイルの頭をがしがしとかき回す。

 

「よーし。じゃあ俺がまずカイルに教えてやろう。そしたらお前とリアラでやってみるか?リアラに負けたら笑いものだぞお前」

「う……が、頑張る!」

「頑張って、カイル」

 

リアラの応援と笑顔に、カイルは顔を真っ赤にしてまだお金も払わずに空気銃を握り締めた。その様に屋台の男も、ロニ達も笑う。

ロニがお金を払えば、よしきた。と男が軽く説明をしてくれる。

簡単なものだった。玉が2人に2個ずつ用意され、計4回打てる。その合計点数で商品がもらえるとのことだ。

 

「よし、坊主。彼女にいいところを見せるんだぞ」

「よお~し、いくぞお!」

「お前、力み過ぎだろ。こういうのはクールに華麗に行かないと女の子にはもてないんだぜぇ」

「えーロニには言われたくない」

「んだとこの!」

 

ロニと茶化しあいながら、カイルは次第に的へ集中し、ロニも黙る。

しばらくして、パンッと空気が鳴った。

 

「あっりゃー。なんか難しいなぁこれ」

 

だが、空気の音がしただけで、的に玉が当たる音も、的が床に落ちる音もしない。

苦笑い交じりに頭を掻きながらカイルが呟けば、ロニがけらけら笑う。

 

「だーから力み過ぎんなって」

「ぶーぶー。じゃあロニがやってみせてよ」

「おー?ロニ様の華麗な腕前を見てみるか?」

 

長身のロニが真剣に銃を構える姿は中々様になる。

元より顔はそんなに悪くない彼だ。リアラがそっと、カイルに「いつもと違ってかっこいいね」と呟けば「中身が変態じゃなかったらモテるんだろうなぁ」と返して、二人でこっそり笑った。

 

「お前らー聞こえてるぞー」

 

こちらを向かずに呟かれたロニの言葉に、カイルとリアラの笑いは隠されることなく大きくなる。それに一つロニはため息をついて、引き金を引いた。

 

パンッと警戒軽快な音を立て、コトンと的が落ちる音がする。

 

「どーだ!見たかカイル!」

「おー!落ちた!……でもロニ。これ一番大きい的だよ」

「落とせなかったお前が突っ込んでんじゃねぇ!」

 

儀兄弟がじゃれあいながら、残り1発をまた順番に打った。

今度はカイルも何とか的に当たり、ロニもまた一番大きな的にあてた。

そうしてもらったのは袋に入ったお菓子。

 

「まー…こんなもんか」

「大きな的しか狙わないロニかっこ悪ー」

「だっとてめぇ!…ふーんだ。お前はリアラの前でかっこつけてろーだ」

「ふふふ、ロニったら」

 

拗ねたロニを見て、リアラが笑う。

その笑い声にロニは振り返り、財布をだした。

 

「じゃ、次はお前らでやるか?」

「あ、ううん。私はいいの。カイルがちゃんと的を打ち落としたところ見れたしね?」

 

にっこりとリアラが少年に微笑みかければ、彼の耳は真っ赤になり、えへへと頭を掻きながら照れ笑いする。

ロニは微笑みながらも重たいため息をつき、財布をしまった。

 

「はいはいそうですかー」

「それよりカイル。あっちの店にいかない?」

「いいよ。行こう!リアラ」

「うん!」

 

手をつないで走り出した二人、そしてまたも取り残されるロニとその手にあるお菓子の袋。これだから3人行動というのは寂しいものだ、ましてやバカップルとの行動とは、と一人またため息をつく。

 

此処に、あの黒い服の少年が居れば、彼に突っかかって、軽く倍返しにされてとまだ楽しめるものを……

 

この白銀の世界では目立つであろう黒を、どことなく探して、更に寂しくなった。

 

「あーやめやめ。可愛い子でもさがそ」

 

腕を頭の上で組み、誰となく呟いて通行人を見る。

やはり祭りなだけあって、カップルが多くロニをへこませたが、見たところ美人で一人歩いている女性を見つけ、歩き出そうとしたとき

 

「もー一回!」

「おまえなぁ…何回やるつもりだよ」

 

後ろで声がした。射的ゲームでずっとロニ達の横で遊んでいた親子だった。

まだやっていたのか、と後ろを振り返ってそっと見ている。

しばらくして、はっとなってまた通りを見回したが、先程の女性はすっかり見えなくなってしまった。

 

(なんだよ……俺ついてねー)

 

額に手をあて、ため息をつく。

そうしている間にも、まだすぐ後ろの子供は駄々をこねていた。

 

「………」

 

しばらくその様子を見ていたが、ロニは一歩少年に近づく。

そして座り込み、少年の目線にあわせ、お菓子袋をぐいっと押し付けた。

 

「ほら、これやっからあんま父ちゃん困らすんじゃねぇよ」

 

少年は見知らぬ青年のいきなりの施しに戸惑い、親は慌てて遠慮の言葉を告げる。

父親に片手を振りながら「いいんです」と言い、もう一度少年のほうを見れば、少年は仏頂面でそっぽを向いた。

 

「俺はそんなのが欲しいんじゃないんだ!」

 

大きな目は僅かに潤み、父親の足元をじっと見つめていた。

ロニはそれをしばらく見ていたが、ため息とも笑いとも付かない息を吐き、立ち上がる。

 

「生意気な餓鬼だな。どっかの誰かさんみたいだ」

「す、すみません」

 

親はロニが怒ったと思ったのか頭を下げる。

だが、ロニはにやりと子供に笑いかけ、射的屋の男のほうへ向いた。

 

「おやっさん、あと3回、この子らにやらせてやってくれよ」

 

そう言って、男の手に丁度3回分の金を握らせる。

子供の目が驚きに開かれた。

 

「そ、そんな悪いですよ」

「いーんだって。せっかくの祭りじゃないか。なぁ?父ちゃんとたくさん遊べよ」

 

ロニが子供に言えば、子供はおずおずと近づいて頭を下げた。

 

「あ、ありがとう」

 

にっと笑ったロニは、そのまま「さーて。女でも口説きにいくか」と親子に背を向けて歩き出した。

自分でも、何故わざわざこんな行動を取ったのかわからない。

もしかしたら、自分もこうして、父親と射的ゲームを楽しみたかったと、そんな想いからそうさせたのかもしれなかった。

 

さっさと人ごみの中に消えてしまったロニに、唖然とする父親。

子供ははしゃぎながら父親の手を引っ張り、また空気銃を握り締めた。

 

 

 

 

夜になるにつれ、ハイデルベルグの大通りに人が増えていく。

他の祭りでもよく聞くような音楽がどこからか流れ、時には当て物の屋台から威勢のよい金の音もした。

 

そんな活気に溢れたハイデルベルグは、一つ裏の道を行けば寂れているかのように人の気配がしない。

ほとんどの者が祭りを楽しんでいるのだろう。

雪の白と薄暗くなってきた空の闇。狭い裏通りは二色に染められ、そんな中を黒のマントが舞う。

 

すぐ左からは多くの人々の気配。

黒衣の少年は一つため息をついた。冷たい空気にそれは白くなり、消えていく。

 

(エルレインは、今日が祭りであることを知っていたのだろうか)

 

わざわざ人が多いときに、と苛立ちを浮かべるが、此処までごたごたしていれば潜入は楽だろう。兵は祭りのあちこちに警備に回らなくてはならないのだから。

 

あまり人付き合いを好まない彼は、祭りなどは苦手の部類であるが、このような時に事を起こさねばならないのは躊躇われる。

それでも、他に方法などない。

 

このような事は、生前より慣れたものだが、自然と右手は柄を強く握り締めていた。

賑やかな祭りの音で、少年が踏みしめる雪の音も聞こえない。

何の音も立てずにモノクロの世界を歩いていく少年は、別世界の者のようだ。

祭りとはかけ離れた気配が、少しずつ城へと近づいていく。

 

ふと、モノクロの世界に僅かに光が入った。

橙色の、暖かい光だ。

歩いていた一本の裏通りが十字路に分かれ、その一本が大通りに繋がっているのだろう。祭りの光が線となって差し込んでいる。

 

少年はそっと歩み寄り、大通りを眺めた。

 

「うぅー!なんで父ちゃんはできるの?」

「ほら、お前はさっきから的より下に玉があたってるから、ちょっといつもより上を狙ってごらん?」

 

丁度、その道の真ん中に立っていたのは射的ゲームの屋台だった。

子供が空気銃を握って的を睨んでいる。

それを、穏やかな顔をして父親が見ていた。

 

「………」

 

その光景は、少年の目を縫い付けた。

どこかで、見たことのある光景。なんだろうと記憶の糸を手繰り寄せる。

頭の中でセピア色の映像が断片的に思い出されていき、その一つ一つが今目の前にある光景と重なっていた。

しばらくして、それは鮮明に思い出され、色が入る。

そっと、右手が柄から離れた。

射的ゲーム。

それは、前も一度、見たことがあった。

雪の積もった此処ではない、今は雨に塗れている古都、ダリルシェイド。

 

丁度10歳くらいだったろうか。

任務に慣れたものだが、小さな体は疲れを隠し切れず、俯きがちに屋敷へと帰るいつもの道を歩いていた。

だが、その道はいつもより明るく、人が多く、顔を上げればさまざまな屋台が立ち並んでいた。

 

その時、初めて祭りというものを間近で見たと思う。

人ごみは苦手だが、初めてのそれに引きこまれるように足が向かった。

小さな子供がはしゃいでいる。お祭りとは、そういうものだと何となく認識している。

今此処を歩いている自分はとても異質な気がして、幼い少年はさまざまな屋台を見ながらも眉を顰めた。

 

しばらく歩けば、子供が父親の手を引っ張り、射的屋のほうを指差しているのを見る。

強請る子供に、父親は微笑みながら、財布を取り出した。

 

幼い少年と父親。その図に自分の無いもの…自分がほしいものを見て、リオンの足は止まった。

 

子供は空気銃をもち、嬉しそうに的へ向ける。

しばらく的を睨み続けた後、引き金を引いた。だが、それは簡単にはあたらなくて、父親のほうへと悲しげな目を向けた。

父親はにっこりと穏やかに笑ってしゃがみ、少年の手と一緒に空気銃を握った。

 

ちょっと恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに子供は父親の大きな手に包まれながら腕をしっかりと上げる。

ちくりと、胸のどこかが痛んだ気がした。

 

父親は優しく「もう一度打ってごらん」と少年を促した。

 

パンッ―

その音で、ジューダスは思考に沈んだ意識を取り戻した。

祭りの音が一気に耳に入り込む。目の前の光景に、先程の音が目の前の親子が持っている空気銃の音だと認識する。

気がつけば、目の前の親子は、昔見たのと同じように触れ合い、的を落としていた。

 

「やったぁ!」

「ほら、もう行くぞ?」

 

にこやかに笑いながら親子が去っていく。

その姿を目で追っている自分に気がつき、ジューダスは鼻で笑った。

冷たい空気にツンと来る。

 

どうしよもなく、胸が苦しくなった。

そう、あの時も同じ事をしていた。

 

これが、普通の…暖かい家族なんだと。

 

目の前に溢れる他の愛情。

当たり前のように触れ合うことができる親子。

 

それらは、自分が手にすることを許されなかったもの。

昔は必死になって、手にしようとしていた。だが…

 

ジューダスはあの親子が消えていった方を向くのをやめ、またモノクロの世界へと入り込んだ。

 

神に望めば、あの温もりを手に入れることができるのだろうか

 

モノクロの世界は冷たく。あの世界はとても色鮮やかだ。

 

今、自分はとても幼いと、ジューダスは自覚した。

考えていることが、前の祭りのときとまったく同じだと。

ちょっと大きなぬいぐるみを打ち落とした親子を見届けたリオンは少しでも、あの色鮮やかな世界に触れたくて、射的屋の子供を自分と重ねてみた。

色鮮やかな世界を、温かい世界を

 

まずは自分と、あの人の後姿。

その右手と左手がしっかりと結ばれている。そして、遠くから見ている風景から、その小さい少年へと自分の視点が移り…

父親と繋がれたその手を、その腕を辿ってその人の顔を見上げる。

 

祭りに遊びに来て、上機嫌だったはずの己の顔が固まった。

のっぺらぼうだった。

 

あの人の笑顔を知らなかった。

その時、初めて自分が踏む雪の音を聞いた気がした。

ジューダスはその場に立ち止まり、自分の吐く息が白くなり消えていく様を見届ける。

 

今なら、思い描くことができるだろうか。

白い肌にぽっかりと明いた黒い瞳が、ゆっくりと瞑られる。

 

思い描くのは、同じ。10歳頃の自分。

大小二つの後姿。

そして、つないだ手を…

 

ゴツッ

 

すぐ横の壁を少年は打ちつけた。

鈍い音が体を伝って耳に届く。

 

「…何をやっているんだ…僕は」

 

冷えている分、打ち付けた左手はジンジンと痛み、少しずつ頭が冷えていく。

少年はゆっくりと壁から左手を離して、またモノクロの世界を歩き出した。

 

冷たい空気を灰に居れ、もう一度右手を柄にかける。

 

(全て決めているはずだ。いい加減にしろ……断ち切れ)

 

ぎぎ、と音が鳴るほどに柄を握り締め、ゆっくり瞬きを繰り返せば、心が冷たく静まるのを感じる。

まるでファンダリアの大地。

暖かい風を受ければ、時に大地があらわになることもある。だが、少年は必死でそれに雪を積もらせた。

 

少しずつ城が近づいてくる。

 

(あれからカイル達は大聖堂に来ることは無かった。……あいつらが神を倒すことを諦めたなどとは思えない。ならば…)

 

少しずつジューダスの表情が厳しくなっていく。

 

(カイルと違ってロニとリアラはさほど頭は悪くない。……ハイデルベルグに来ている可能性は高いな)

 

イクシフォスラーは近くに無かったが、少年はそう見越す。

そして、この世界での仮面をつけた。

無表情というそれを

 

(…僕は……一人でやらなくてはならない)

 

そっと、エルレインから渡されたレンズを取り出す。

ハイデルベルグのレンズをエルレインに渡せば、もう時間はない。

白く輝くレンズを睨みつけ、ジューダスはぎゅっと握り締めた。

 

(隙を見つけて、神を殺さなければ…その機を見るまでは……逆らえない)

 

すぅ、と息を吸い、また白い息を吐く。

そして上を見上げれば、そこにはハイデルベルグ城が聳え立っていた。

しばらくその場に留まり、見上げていた黒は、しばらく後、消えた。

 

 

 

午後6時半になり、人が更に増えた。

住民に話を聞けば、いつもこの祭りでは7時からファンダリアの兵が大きな氷の塊で彫刻を行い、その過程や完成したものをライトアップされる。

晴れた時の花火と氷像のライトアップが、このお祭りの最大の見所だ。

 

「ウッドロウさんが提案したんだろうなぁ。さっすがだね!」

 

それは城の直ぐ近くにある公園で準備が進められていた。

屋台が並び始めたときから祭りを楽しんでいたカイルとリアラの腕は景品でいっぱいになっている。

反対に、年長者の財布は寂しくなっていることだろう。

 

「氷の彫刻……楽しみ」

 

夜になるにつれ寒さを増すが、リアラは白い息を吐きながらも嬉しそうに微笑んだ。

続々と公園のほうに兵士と思われる者が集まってくる。さすがに鎧などは着込まれていないが、程よく筋肉が付いている。

 

やがて時計の長い針は頂点まで行き、大きな氷が運び込まれる。

その頃には公園はごった返しになっていた。早めに来ていても、カイル達が居るのは3列目くらいだろう。

簡単な挨拶の後、作業が開始された。

 

兵士達は生き生きとした顔で氷を掘っていく。

想像よりも細かで、ライトにより煌くそれにリアラとカイルは大喜びした。

少しずつ形が出来上がっていく。住民達からもいろんな声が飛び交った。

 

いよいよ、完成も間近になり、各パートで作られたものが一つに重ねられる。

カイルとリアラはそれを両手を握って見つめた。

自然とその瞬間を皆息を詰めて見つめた。

 

それらの空気を一変させたのは、ガラスのような物が割れる音。

静寂で埋まっていた公園にそれは大きく響いた。

 

ざわざわと場の空気がどよめく。

 

「え?何?」

 

カイルとリアラも驚いて、人ごみに見え隠れする氷像を見渡したが、氷が割れているわけじゃない。もっと、別のところから。

 

「賊が侵入したぞ!」

 

城のほうから兵士が叫び、どこからともなく警報が鳴る。

今度こそ、兵士達が持っていた氷が割れた。

 

大きなガラスの一つが無残にも割れている。

外側から割られているのは廊下側に破片が散らばっていることで一目瞭然。

その場に駆けつけた兵士二人は顔を見合わせ、辺りを警戒した。

 

「此処から進入したか、か」

 

音が割れてすぐに駆けつけたというのに、人影が見当たらない。

忙しなく首を動かす兵士二人の後ろに、突如音なく黒い影が現れた。

 

二人の兵士はその存在を気づくことなく、その場に倒れた。

それを冷たいアメジストが見届けると、ゆっくり廊下を歩いていく。

 

その奥はT字に廊下が分かれていた。

向こう側から影が大きく伸びている。縦に動き、バタバタと足音がするそれを見ても少年は顔色一つ変えず歩き、間合いを計った。

 

丁度、彼らが角に差し掛かる一歩前。

少年は真っ直ぐ飛び出し、正面の壁を蹴り、兵士のすぐ後ろに着地する。

そしてそのまま振り返ることもなくまた歩き出し、やがてそれは加速していき、消える。

 

ドタンと何かが倒れる音を背に、漆黒は止まらない。

 

けたたましく警報がなる中、玉座の間にいた兵士達は緊張で体を硬くしていた。

このハイデルベルグ城にて守らなければならないものが、二つとも此処にあるからだ。

 

「侵入者…?人数はわかるのか」

「まったく持って人影が掴めぬようで…恐らく少人数かと」

 

「ふむ」と玉座に座っているウッドロウは顎鬚に手をかけながら表情を険しくしていく。

何が目的だ―と考えれば、数日前にまた現れた友の子が言った言葉を思い出す。

 

(レンズが狙われるかもしれない、か)

 

玉座から立ち上がり後ろを見る。

鍵が掛かった扉、その奥には頭を抱えるほどに山となったレンズがある。

 

(これを単独で奪いに来るか……一体誰が…)

 

賊が入ったとの知らせから、玉座の間の警戒は鋭くなっている。

だが、祭りにより兵士の数は少なく、中には新人の兵士まで入っていた。

彼らは剣を両手に持ちながら息が詰まるほどの緊張に震えている。もしものときの戦力には数えないほうがいいだろう。

 

窓が割れた場所は玉座の間に近い。

これでは外で警備に当たった兵士や祭りのイベントに参加した兵士達が追いつく間もなく侵入者は此処まで来るだろう。

 

ウッドロウは玉座の直ぐ後ろに立て掛けてある剣を手に取った。

柄を握り、鞘をそっと引けば金属の擦れる音と共に刀身が現れる。

 

(レンズを渡すわけには行かない。あの悲劇を二度と繰り返してなるものか)

 

奥歯を噛み締める。神の眼が引き起こした戦争の悲劇は未だ多くの者を苦しめている。

その中には、英雄達も

レンズは確かに便利なものだ。だが、一箇所に大きな力を集めるのは危険極まりない。

 

もう、あんなことは懲り懲りだ。

神の眼の騒乱により壊された家族―黒髪の姉弟とその親を思い、ウッドロウは剣を構えた。

 

バンッ!

 

突如、激しい音を立てて玉座の間の扉が開かれた。

一気に空気が張り詰める。

 

だが、扉からは誰も出てこない。

首をかしげる兵士達の中、ウッドロウは扉が開いたその時、視界に移った黒い影を見逃さなかった。

 

後ろを振り向けば、黒衣の少年が扉の前で何かをしている。

同時に、入り口付近で剣を構えていた兵士が倒れた。

 

彼はこのレンズを収納していた扉の鍵を預かっていた者だ。

ウッドロウが剣を向けるより、彼がカチャリという音を立てたほうが早かった。

それにより、他の兵士も黒衣の侵入者に気づいて叫ぶ。

 

「き、貴様!」

 

だが、彼は兵士の声など気にも留めず、扉を開け放った。

ウッドロウは更に警戒を強めた。動きが早い。彼は先程確かに開けた扉より入った。そして兵士から鍵を奪い、恐らくその後飛び上がり壁を蹴って後ろまで来たのだろう。

黒衣の侵入者の後姿は小さく、まだ15歳程か女か、ウッドロウは眼を細める。

 

(黒髪…そういえば、彼もこれくらいの背格好だったか…?)

 

18年たった今、記憶は大分衰えた。

それでも後姿がよく似ている。

 

後ろに居た兵士が剣を構え、飛び込もうとするのをウッドロウは腕で制する。

 

「王!?」

 

うろたえる兵士に、ウッドロウは小さく首を横に振った。

恐らく、適当に突っ込んでも後ろで倒れている兵士と同じことになる。

それに…

 

(残念ながら、レンズは渡さない)

ジューダスは眼を細めた。

鍵を開け、開いたそこにはまた扉があったのだ。そして、そこにもまた鍵が

 

(あの世界では無かったはず…やはりカイル達が来ていたか)

 

背後にいる兵士とウッドロウの衣擦れ一つの気配をも敏感に感じ取りながら、ジューダスはエルレインから渡されたレンズを取り出す。

此処に来る前、何らかの障害物があっても一定距離内ならばレンズを吸収できることは確認済みだった。

それをそっと手に取り、壁に当てるが

 

(……予想通りだな)

 

吸収すれば、エルレインが力を発したときのように僅かに発光するそのレンズは、透明で冷たく無反応。

恐らく、晶力を通さないもので作られているのだろう。

神の力といえども、これもやはりレンズ。もともとは晶術で壊されないように作られた壁だが、このレンズすら無力化された。

物理攻撃もやるだけ無駄だろう。

 

ふっと少年は鼻で笑った。

これがオベロン社で作られたものの名残とわかったからか

将又、今後のことが手に取るように分かるからか

 

「此処までだな」

 

ウッドロウが静かに言った。

兵士達の緊張が更に高まるのがわかる。

今すぐにも取り押さえようというのだろう。

 

(恐らくウッドロウは、逃がしてしまうかもしれないが、レンズは守れると考えている)

 

事実、二階にある玉座の間へ外から一番近い窓を使って入り込んだが、そろそろ兵士も集まってくるだろう。退路も待ち伏せされる頃だ。

だが

 

(レンズは、奪う。此処には置いておけない)

 

ハイデルベルグにさえレンズを置いておかなければいい。前と同じく、海の底に沈めてしまえばいいのだ。

 

神のいいように、させない

 

兵士達がにじり寄って来る中、ジューダスは晶力を高めた。

 

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